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灰色の境界  作者: 宵時
第五章
118/141

5-8 霊峰の刀匠

 車に揺られながら、舗装された道を進む。

 窓の外で過ぎ去っていく街並みから目を離して車内を見る。

 助手席に座る千影は視線を景色に固定し、車窓の縁で器用に頬杖をついていた。

 藍色の三つ編みを揺らして赤亜(せきあ)がハンドルを駆る。

 外を見ている千影は時折車内へ視線を戻して恨めしそうに運転席を見ては、小さく溜息を吐く。これ見よがしに落胆の色を見せて再び流れる世界へ視線を戻すという所作を繰り返している。

 隣を見ると八千翔(やちか)が苦笑しつつ口を開く。

「千影様……何やっても運転手は赤亜さんに一任していますからね」

「何故だ。何故なのだ。私が私の所有物を運転できないなど理解できん」

「理解に苦しむのは私達の方です。

千影様、いかにクラッドチルドレンであっても命は一人一つ限り。

強靭な肉体を類稀なる反射神経をもってしても、危機は求めていません」

「なんだそれは。私の運転では命がいくつあっても足りない、ということか」

「自覚して頂けたようで何よりです」

「納得がいかん。ゼキエルなど、まず運転免許を取得できる年齢ではないだろう」

「……千影さん。無免許者が信頼されてる時点で察してくださいよ。後、俺をゼキエルって呼ばないでください。その変な呼び方喜んでるのはあのアホだけなので」

 赤亜がミラーで後方の車を確認しつつハンドルを切って車線変更していく。

 アクセルを踏んで加速していき、のんびり走っていた紅葉マークの車を追い越して再び元の道路へと戻る。速度を落としつつカーブを曲がり、ウインカーを出して左折。坂を上り始める。

 不貞腐れている千影には俺も特に触れないでおく。

 八千翔は前座席の間からナビを操作して赤亜に道順を確認している。

 千影と同じような姿勢で、(うい)も流れていく景色を眺めていた。

 こちらにも声をかけ辛い。

 やり取りを終えて八千翔が席に体を沈める。

 服の布地を押し上げる膨らみが視界を隠す。

 目が合って俺は思わず苦笑いを浮かべてしまった。

 八千翔が微笑で返す。

「男の子が欲求に忠実なのはいいことだと思うよ?」

「いや、見てないです。決して、絶対に」

「亮くん。それ白状しちゃってるのと一緒なんだけど」

「はい。見ますよ。奪われますよ。仕方ないじゃないですか」

「余り(さか)るなよ。神坂もからかってやるな。支障が出るかもしれん」

「分かってますよぉ。大丈夫ですって。亮くんはメリハリつけれる子ですから!」

 褒められているのか遊ばれているのか、よくわからない。

 やや呆れた千影にも八千翔は明るく返している。

 初は会話に参加せず、小さく鼻を鳴らすだけだった。犬かよ。

 ミラーを確認している赤亜も呆れ顔だった。

 弄られ倒される前に会話の軌道を修正しておいた方がいい。

「それで、一体どこに向かってるんです?」

「なんだ。切田から聞いていないのか」

「とにかくついてこい、としか……」

 各地からクラッドチルドレンが集められ、共同生活を送る訓練場を発ってかなりの時間が経っている。陽はとうに高く昇っていた。辺境の山奥から降りて街を走り、また山へ向かおうとしている。どこに連れて行かれるのだろう。

「切田、何故教えなかった」

「……だって、ついででしょう? このエロガキは」

「初ちゃん、男の子の原動力を奪うような言い方はお姉ちゃん許しませんよ」

「ムカつくけど、そこの馬鹿の言う通りだよ!

やち姉、あんな方法じゃいつか本当に襲われちゃうよ?」

「襲ってくれるくらい強くなってくれないと使い物にならないからね」

 全く懲りていない調子で八千翔が笑う。俺を見る目は期待に満ちている。

 まだ事情が呑み込めない。運転席で赤亜が咳払いをする。

「各所から拾ってきてますけど、今のところ規定水準を満たしているのは

俺と青璃(せいり)の馬鹿に神坂と切田。後は伊賀か甲賀だかの忍者くらい。

千影さん、本当に来々(くるるぎ)も基準を満たしているんですか」

「問題ないはずだ。亮は既に必須条件を全て満たしているだろう?」

「それは、そうですけど。早すぎるのではないかと」

「紅狼の例もある。使える、使えないに限らず当ててみるだけでもいい」

「……いいんですかね。そんな行き当たりばったりで」

「構わん。無理なら無理でもいい。私一人で始めてもいいくらいなんだ」

「後処理とか考えてくださいって。絶対、頭数そろえた方が楽ですから」

「心配性だな、貴様は。セイリスを見習え」

「あのアホを見てるからこそ慎重になるんですよ。反面教師って奴です」

「双子というやつは面倒臭いな」

「千影さんを懸命にコントロールしてる神坂の気苦労が胃に痛いです」

「失礼な奴だな……いつぞやのように天使斬りでもやるか」

「……丁重にお断りさせてください」

 それきり赤亜は口を閉じて運転に集中してしまった。

 初は沈黙を保ったままだ。ただ、何となく読めてきた。

 俺のように各地からクラッドチルドレンを集めているのは明確な目的がある。

 常人との違いに思い悩む者を救い導くことは、あくまで集めるための口実に過ぎず実際にはふるいにかけているということ。

 俺が来てからも二日ごとに連れられては何人かの脱落者と入れ替わって帰っていった。また近く新たに連れて来られるのだろう。

 脱落、とは言ったが多分彼らの選択は正しい。

 ここにいれば遠からず犯罪に加担することになる。

 俺自身も理解して、この場にいる。

「俺は、どんなことをしてでも強くならなきゃならない」

 無意識に言葉になっていた。初が窓の外から車内へと視線を戻す。

 八千翔は聞こえていないのか、ふりなのかナビの操作に忙しい。

 初が俺を見る。

 いつもの体に鋭く刺さるものではなく、悲しげな色に揺れている。

「あたしはさ、あの場所に居合わせただけだから、詳しく知らない。

けど、亮の中には強い意志の力がある。そう肌で感じるの。

だからこそ、早まって欲しくない。もうちょっと鍛えてからでも、さ」

「赤亜さんもだけど、一体何が早いっていうんだよ」

「亮。あたしらには力がある。常人を凌駕する身体能力と感覚器官を持ってる。でも、それだけで本当に世界と……この日本という国と渡り合っていけると思う?」

「セイリスの力とか、世界の(ことわり)を外れた力があるんじゃないのか」

 あえて、千影の例は出さなかった。あれこそ、真に人外の力だ。

 〈銀幕の護り(ギャラクティック・シルヴァリオン)〉による至高の防御に加え、空間を捻じ曲げて武具を招く〈死滅与えし珀武(シルヴェスク・レイ)〉があれば誰にも負ける気がしない。

 千影が漏らした、自分一人でも始められるというのは過信でも虚勢でもない。

 一人で軍勢と渡り合える力を持つ。だが、それでも千影は人間だ。

 いかに常人よりも優れた肉体や反応力を持っていても命一つきりの存在だ。

 理を破壊する異能も無条件、というわけではないだろう。

 何度も何度も繰り返し使い続けることはできない。

 普通に疲労するし体力を消耗すれば空腹にもなる。

 たった一人で全てを敵に回すことはできない。

 だからこそ仲間がいる。共に罪を犯す覚悟を胸に刻んだ者達が要る。

 蛇行する山道を軽快に進みながら、赤亜が口を挟む。

「来々木も理解していると思うが、異能も無制限に使えるわけじゃない。

俺や青璃が操る〈天海堕落(アンジェ・ダウト)〉も招く奴にもよるが

体力の消耗が激しい。無論、千影さんの力も操る際に厳格な条件がある」

「それでも、二人には力がある。けれど、俺にはない」

「あるさ。あるんだ。元より、人間なら誰しも〝持っては〟いる」

「誰でも、持っている……?」

 問い返す。窓の外を流れる景色は緑ばかりになっていた。

 心なしか気温も下がっている気がする。

 妙に息苦しく、重々しい雰囲気が辺りに漂っていた。

 何だろう。どう言い表せばいいのだろう。そこらに、何かがいるような。

 何かはいるのだが、正体は判然としない。

 ただ、気配だけが辺りに散らばっている。

「感知はできているみたいだな。第一段階はクリア」

「言っただろう。とうに条件は満たしていると」

「千影さん。貴女の思想に賛同はしてますけど、俺は俺が見たものしか信じないんですよ。貴女が俺を圧倒する力を示してくれたから、今は従わされている」

「その口ぶりだと、いつか叛旗を翻そうと狙っているとも取れるが?」

「まさか。とりあえず生きられる分は生きておきたいんでね、っと!」

 赤亜の声に疑問を返す前に、意識を刈り取りかねない衝撃に襲われた。

 急ハンドルを切られ、車は舗装された道路から荒れた獣道へ乗り出して突っ走る。上下に揺さぶられ、常人よりも高い感覚器官が衝撃を増幅させる。

 悪路を走っていても八千翔は器用に前座席のシートに掴まっていた。

 本当にこのルートで大丈夫なのか。俺自身もシートと内部の取っ手にしがみつく形でバランスを取り必死に体を支える。初は八千翔の腹辺りに抱き付いていた。

 明らかに支えとするべき場所を間違えているが突っ込む余裕などない。

 車体が幾度となくバウンドし、時に危機感を覚える浮遊感を得る。

 着地し再び上下に揺らされ嘔吐感を覚える暇もなく、急斜面を駆け下りる。

 耐えに耐えて、いい加減に醜態を晒してもこの場で全てを吐き散らすと決意した頃、ようやく車が止まった。

 助手席に座っていた千影がシートベルトを外して軽やかに降りる。

 赤亜がミラーで俺達の様子を見つつも、言葉を落とさず降車していった。

「初ちゃん……苦しい。お姉ちゃん、死んじゃう」

「……ハッ! ご、ごめんなさい! やち姉、大丈夫っ」

「大丈夫だから、手を離して、くれないと、本当に」

 かなりの勢いで締め付けられているらしい。

 俺は自分自身から溢れ出そうな獣を抑制するのに必死で構う余裕などない。

 ドアを開け放ち、転がり落ちるように外へ出る。地を蹴り、茂みに駆け込んでいざ解放、とはならずに澄んだ空気とよからぬ感覚に押し留められてしまった。

 (かが)んで手を着く。小さくえずく。何度か咳をして呼吸を整えようとする。

 悪路に突入する前に感じていた違和感が形を持ったような気がする。

 清廉でありながらどこか濁り、生まれた染みに侵蝕されるような感覚。

 ここにあってここにない。どこかにあって、どこにもない。

 どちらとも取れながら、呼吸し酸素を得るようにさも自然に体に蓄積されていくもの。不可解なものと一体となり、腹の底に力が溜まる。

 顔をあげると、待ち構えていたかのように男が立っていた。

 筋骨逞しい足は大地に根付くように踏みしめられ、まとう和装が厳格さを強調している。強面ではあるが、鋼色の瞳は穏やかさと確かな意志の光を宿していた。

「よくぞ来られたな。霊峰不治御剣も歓待の鳴動をあげている」

 男は慈愛の笑みで俺達を出迎えた。

 差し出された手を千影が取って握手を交わす。

「こちらから出向くというのに、何故ここまで出られた」

「いや、何。良い霊力を感じたので、な」

「ふむ。神坂か切田のものか?」

「いや……」

 千影の言葉を否定し、男が俺を見た。ゆっくりと歩み寄ってくる。

 ようやく立ち上がれた俺の前で男が手を差し出して握手を求めていた。

 俺は軽く会釈をしてから手を取り、名乗る。

「その、初めまして。新しく加入させて頂きました。来々木 亮と申します」

「来々木 亮、か。研ぎ澄まされたいい瞳をしている。力強く激しい圧も感じる」

「あ、あの……手を」

 握手に応えたつもりが、俺の手は男の両手でがっちりと掴まれていた。

 予想以上に男の手は暖かい。暖かいというより、熱かった。暖房機に近付けすぎて熱さで手を離してしまうほどの温度が皮膚の接地面を通じて伝わってくる。

 まるで何らかの力を送り込まれ、(ある)いは吸い取られているようだった。

 男が手を離す。

 開放された瞬間、呼吸まで止まっていたように俺は深く息を吸った。

「千影殿。かの無銘の刀を来々木殿へ譲渡してもよろしいか」

「ああ。こちらから頼みたかったところなのだが、見抜かれたか」

「無論だ。彼らが呼ぶ。霊脈に連なる者達が叫ぶ。

誰であろうと導かれる意志から逃れることはできない。

例え常人を逸した力を振るう呪いの忌子(いみご)であっても、な」

 告げた男は、もう用はないと(きびす)を返して歩いていく。

 男を待っていた千影と赤亜は、並んで先に進むのを見ると静かにその広い背に続いて歩き出す。背中を押す手。

 振り返ると初の不快そうな顔と、八千翔の満面の笑み。

「あーあー……コイツと一緒なんて、ヤだなぁ」

「こら初ちゃん。そんなこと言っちゃメ、でしょ」

「やち姉はなんで嬉しそうなの?」

「ホントは初ちゃんも嬉しいんでしょ。彼が同じ位階にきてくれて」

「そ、そんなわけないでしょ!」

 何故か赤面した初が俺を突き飛ばす。勢いに押されながらも、体勢を立て直して俺は駆けるように千影と赤亜の後を追う。

 先頭を行く男が振り返っていた。

 和装の手前で神仏に祈るよう手を合わせる。

「そうだった。申し遅れたな。

我は相滝(さがたき) 緊道(けんどう)

貴殿らの刃を打つ、しがない刀工だ」

 忘れていた、とばかりに霊峰の刀匠は(ほが)らかな笑顔で名乗った。

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