5-6 駆り立てるもの
張りつめた空気が室内に充満し、息苦しさを感じさせる。
調整役として初や八千翔、赤亜と青璃の天海兄弟ら実力者を配置しているのは、こんな状況も予測してのことだろう。
力を持つと理解した者達が、狂気を孕むものに対して牙を剥かぬため。
違う。抗う意志すら飲み込む激烈な狂奔の渦に巻き込まれぬよう守る盾か。
判断に迷っているようだが、座る少年少女達は動かない。
少女が質問権を求めて挙手する。千影は無言で手を使い、許可を示す。
「結局、私達を戦いの道具にすることが、目的なのですか」
「一つ忠告しておく。大切なことだからな。
私は同じことを何度も説明するのが嫌いだ。
何故嫌いか、その理由が貴様に分かるか?」
「い、いいえ。その、すみま……せん」
「いい。仏の顔も三度まで、というだろう? 二度は許そう」
告げながら千影の持つ指示棒がホワイトボードを示す。
「まず大前提としてお前達は他者の生き死ににどれだけ興味を示す?
報道で殺人事件が起きる。著名人が死ぬ。友人やその家族が亡くなる。
多少は悲しみ、憤ることはあるだろうが三日もすれば忘れていないか?
同じように私からすればお前達が生きようが死のうがどうだっていい」
「それは、余りにも酷くないでしょう、か」
「酷い? 何がだ。ならば貴様は誰かが死ねば悲しみ涙するのか。
事件が起きれば憤り、犯人を憎むのか。懸賞金でもかけるのか。
著名人の葬式に参列し、献花して慈善事業に心血を注ぐのか」
「そんなことを言われまして、も」
「そうだろう。答えられないし、その時々によって様々な反応はあるだろう」
「で、でも私達は〝普通と違ってる〟ことが分からなくて、
ここにきて、いきなり死ぬって言われて死ぬ瞬間を見せつけられて!
真剣に思い悩んできたのに、それをどうでもいいなんて、そんな……」
「選択肢は既に示した。普通に恋をして愛を育み、結婚して交わればいい」
質問した少女が絶句し、意識を失ったように音を立てて席に座り込んだ。
入れ替わるように十代後半の青年が手をあげる。また千影が無言で示す。
「日本政府を倒す、と仰いましたが漫画とかで悪役が言い出すことですよね?」
「あれは好き勝手に支配したいという自己顕示欲と陶酔的自己満足からだろう」
「では、貴女は違うと」
「ふん。中々に度胸のある奴だな」
千影が微笑み、質問した青年もにんまりと笑んで返した。
ホワイトボードが裏返される。具体的な指針が箇条書きであった。
「先程の続きになるが、一般の人間は報道で
流される情報を一生記憶に留めておくことなどない。
家族や親類の死ですら、いつしか過去のものに変えていくだろう。
それに関しては特別悲しんだり憤るようなことでもない。
人間という種においては当然の行動であるように思う」
「分かります。いちいち気にかけても仕方ないですからね」
「日々大量に垂れ流される情報から必要なものを選んで接種し、残りは捨てる。
食事を作る時に食べられない部分を取り除くのと理屈は全く同じだ」
「僕らは日々選ばされ続けている、ということですか」
「無意識のうちにな。根源には他者に対する楽観主義がある。
政治家が汚職や不穏当な発言でくだらない謝罪会見を開き、
弁明してほとぼりが冷めたら元の鞘に収まる。
一連の流れで落胆したりするが、それだけだ。
誰かが何とかしてくれる。
何かがどうにかしてくれる。
膨大な情報に流されるだけ流され、芯を
持たず選んだつもりで凡百に成り下がる」
「僕らは、そんな有象無象の愚物とは違う……そういうことですよね?」
「選民思想と、動き出す者の意志はまた別だ。
動機として似通う部分はあるが……な」
俺が心の奥底で感じたことが千影の口から言葉となって零れ落ちた。
自分が特別だという思い込みは一つのきっかけで簡単に崩れ去る。
実力の伴わない自信は過信に他ならない。
年上ではあるが、質問をする青年はかつての俺を見ているようだった。
当然のように、千影も気付いているのだろう。
「別、とはどういうことですか。選ばれし者が世界を動かすのではないですか」
「くだらない政治家の代わりに国を動かしてやる、か。足りないな」
「何がです? 連中は国民の総意だとか、世界の流れだとか
口では大層なことを吐きながら実際にはろくなことをしていない!
アメレイティアに尻尾を振り、忠犬と化して要望に応えるために
国に負債を積み上げていくっ! 被害を被るのは僕達なのに、
奴らはまるで自分達に痛みを与えない。
公約は後回しで好き放題にやっている。
そんな国に巣食う害虫共を排除するのが目的なのでしょうっ!」
「旧体制の破壊は通過点でしかない。
代わりに何を為すか、お前にはあるのか」
「それ、は……」
勢いよく持論を吐き切った青年が押し黙る。
俺にも千影の言葉が理解できた。
青年の抱えているものは、多分一般家庭で普通に日々を生きている人間も抱えていることだ。抱えているが、表には出さない。
表に出したところでどうにもならない。そう勝手に決めつけている。
誰かが何とかしてくれる。そんな見えない相手への依存に満ちている。
言葉にして形にして、実行に移す。
そこで止まればテロリストと何も変わらない。
破壊を目的とする行動であれば、世界中に敵視される反政府武装組織と同じだ。
千影がホワイトボードを示す。
最上段には青年の言う通り、旧体制の破壊があった。
告げられたように通過点に過ぎず、次のビジョンが幾つか挙げられている。
「ここに記した通り、我が国は技術力に秀でる。
我らの活動母体となる協力者がいる。
彼女は理想的な王になる資質を持っている。
私達は、彼女を王とし守り切り拓く戦士だ」
「駒になれ、と。物言わぬ兵士になれ、というのですか」
「違う。貴様らも思考しろ。常にだ。
生きている以上、何かがあるだろう?
何か叶えたい目的があるはずだ。
形にしたいものがあるはずだ。
手に入れたいものがあるはずだ」
「…………僕は、腐った世界を壊したい。
壊して、よりよい社会を作りたい!」
「そう。それでいいのだ。皆は傲慢だと思うか。
狂っていると考えるか。我らには力がある。
死に至る呪いと引き換えに、思い描く
稚気な夢想を現実に変える可能性を持っている」
静寂。だが、表面的なものだ。それぞれの胸の中で想いが渦巻いてる。
優しい世界の実現を叫んだ青年は、俯きながらも体を震わせていた。
少女が立ち上がり、手を挙げる。千影は無言で示す。
「彼女、ということは王は女性、なんですね。
もしかして、私達を治療してくれるのも……」
「察する通りだ。ロスシアの研究員で医療行為も可能としている。
ウランジェシカとの繋がりもあるが故、兵器に関する知識もある。
多方面で活躍できる逸材だ。世界をよりよきものに導ける人物だ」
「ウランジェシカ……南北で戦をしていたという」
「ああ、あれを片付けたのも私だ。今のウランジェシカを統治している
女帝ブリズとも知り合いと言えば……一応、知り合いということになるな」
「す、素晴らしいです。女性の活躍……私にも、できるでしょうか」
「できる、できないではなくどう在りたいか自分で考えろ。
実現できるかできないか、決定づける要素はそれぞれの内にある」
「は、はいっ!」
少女の瞳に意志の炎が宿る。死から生まれた呪樹エクスシードに対する恐怖をも焼き滅ぼす強い揺らぎが見えた。
千影は駆り立てる。軍勢を率いる資質を持っている。
気弱そうな少年が遠慮がちに手を挙げた。
千影が指示棒を揺らして発言を促す。
「ボクは研究者になるのが夢、なんです。
だから生きたい。生きていっぱい研究したい」
「戦いとは原始的な殺し合いだけじゃない。
クラッドチルドレンとして筋力や基礎体力に秀でていなくとも
活躍の場はある。日々進歩する技術は何かに使われ、実験されて結果を
得なければ実用化できない。数多く試行を繰り返す人材も必要なのだ」
「その、あの、同じ研究者同士で、好きになったりとかは……」
「恥じる必要も引け目を感じる必要もないぞ。
仕事に支障が出ない範囲では自由だ」
「や、やります! 試したいことがいっぱいあるんですっ」
「可能性をかけ合わせていけ。積み重ねて結果を示すがいい」
「はいっ!」
少年の瞳から怯えが消えて、希望が沸き出していた。
死は一つの可能性でしかない。生きられる道はある。
生存できれば様々なことを試せる環境が与えられる。
与えられた空間で新たなものと向き合い、さらに先を生み出す。
自分の世界に閉じこもりがちな、研究者気質の人間も必要とされている。
何かに成れる可能性がある、というだけで人は希望と道筋ができたと錯覚してしまう。千影は構築していく。武と知を併せ持った組織を作ろうとしている。
「馬鹿馬鹿しいっ! 何騙されてやがるんだ!」
立ち上がり、椅子を蹴り飛ばした男が叫んだ。
飛来するパイプ椅子に、俺が反応するより速く初が跳ねて受け止めていた。
床に椅子を設置し直す初の顔には怒りや悲しみといった感情が見えない。
淡々と、これまで幾度となく経験してきたというふうに平静を保っている。
離れた位置にいる八千翔もさらなる呼応者がいないか、と柔和な微笑みの奥に鋭い監視の目を光らせていた。
全員の視線が立ち上がった男に集まる。
「お前ら何飲まれてやがるんだよ。
こいつら、平気で人間が死ぬ瞬間を見せつけるような変人なんだぜ?
いい話みたいに誘導してるけど、結局やるのはテロ行為だろうがよ!」
そう。男の言葉は正しい。
どんな大義名分を掲げようと現在ある日本政府へ攻撃を仕掛けることは戦闘行為以外の何物でもなく、政治体系を変えようとする行為はテロだ。
だが、俺は千影の根底にあるものを知っている。
この場で聞いた者も感じ取っているだろう。
揺らぐことのない強い意志と、裏付ける実力を持つ者が変革を唱えている。
夢物語だと鼻で笑われる思想を実現できる力と背景組織がある。
武力による統制だけではない。旧体制を切り崩して破壊した上で、新たに人々のためとなる機構を作り上げていく。そのための知識と人材力も必要としている。
千影には明確なビジョンがある。世界を作り変える方策もある。
それでも、どこか俺の中にも引っかかっているものがあった。
周囲の少年少女から同調の反応が得られないことに焦ったのか、男が叫ぶ。
「第一よ! 呪いだって言うなら誰が何の目的でかけたってんだよっ!
オマケに解呪できたってのも怪しいもんだ。
本当は事前に毒でも仕込んで殺したんじゃないのかっ!」
部屋に言葉が散るも、反応は薄い。
否、少しずつ効果が表れているようだった。
少年少女の間で僅かながら疑念が生まれ始めている。
何故呪いが解けたと判断できるのか。
エクスシードが何故死を求め、死をばら撒いていくのか。
エクスシードそのものの成分分析が進んでいるのか。
手が打ち鳴らされる。
指示棒を仕舞い、拍手する千影が室内の視線を集めていく。
一定のリズムで打ち鳴らされる音は男の問題提起に対する賞賛に思えた。
「そう、貴様の言う通り我々の行為はテロに当たるだろう。
それでも、誰かが動かなければならない。
思想を行動に移さねばいつまでも変化は望めない」
「俺達である必要性もないだろうが。ゲームや漫画じゃあるまいしよ!」
「貴様は聞いていなかったのか? 繰り返すが、強制はしない。
普通に人生を送っても呪いを解くことはできるのだからな」
「だから、それだってアンタが主張しているだけで実際は――」
男が言葉に詰まる。意味を考えて、察してしまった。
俺も気付いた。気付いてしまった。
誰に強制されたわけでもない。夢想を現実に変える能力があっても、組織として体制を維持していくには全員の協力と意志の統率が必要になる。
死にたくないという願望だけでまとめきれるものではない。
千影が微笑む。慈母の雰囲気をまとって、大鎌を振り上げる死神の宣告を放つ。
「エクスシードの呪いは個人からは消える。
だが、世界からは消えない。
呪いから解き放たれようが蝕まれて死のうが
呪いの種は新たな苗床を探して彷徨い続ける」
「それじゃあ……一生、消えないじゃないか!」
「可能性がないわけではない。完全消滅を目指すのも我々の目的の一つだ」
「そんな、そんな……生きてても死んでても同じだって、いう、のは」
「呪われし者達よ。嘆いても喚いても現実は何も変わらない。
その身は既に侵されているのだ。選べる道は二つに一つ。
せめて世界に貢献して呪いを受け継がせるか、全て見なかったことにして
一般人として過ごし、次世代へ呪いを投げ捨てるかのどちらかだ」
異を唱えた男の表情が絶望色に染まっていく。
小百合に問いたい。
これでも、俺達は祝われた存在なのかと。
瞼を閉じる。
どちらにせよ、俺には他の選択肢がない。
戦うと決めた。前に進むと誓った。ただ一人意味をくれた者の願いを背負った。
血に塗れようと恨みを買おうと、それでも俺はよりよき世界を目指す。
欲望に蝕まれた悪辣な者達を駆逐し、力なきものの代わりに暴力を振るう。
「さあ、選ぶがいい。死に誘われた子らよ。
呪いを隠して生きるか、呪いと共に自らの能力を解放し世界の裏側で
人々のため、よりよき世界を作る礎となるかを、な」
千影の声を聞いて瞼を開く。
誰ともなく立ち上がっていく。
立って、賛同の拍手を鳴らす。
一人、また一人と立ち上がって呪いを力を変える道を推し進める。
散発的な同意は小さな波となり、やがて嵐となって室内に吹き荒ぶ。
座ったままの、選ばなかった者達は暴風の中で身を守るように縮こまっていた。
千影が手を挙げる。
統率者として全体を制御していく。
「選ばないのもまた一つの勇気だ。
望み通り、只人として過ごすがいい」
放たれた言葉は非情だった。
貴様らは要らない、と言われているのと同じだ。
足並みを揃えることは重要だ。特に、最初の一歩を踏み出すには。
裏にどんな真意を隠していようが、表面的にクラッドチルドレンは救われる。
存在に意味を与えられ、目的を持たされて達成のために狂奔する。
俺も戦列に加わろう。身体を鍛え、精神を研ぎ澄ませて悪を潰す刃となろう。
千影の手に抑えられ、少しずつ拍手の嵐が収まっていく。
「生まれた意味を考え続けろ。目的を見誤るな。答えは常に前にしかない」
再び拍手が鳴り渡り、音の嵐を引き起こす。
声が重なる。意志が収束していく。
狂気が渦の中に溶けて染み出す。
音もなく感染していく。
選んで、選ばされて造られた道を突き進む。
そんな邪悪めいた道が脳裏を過ぎる。
振り切って、俺も賛同の意を込めて手を叩いた。