5-1 脆きものたちの戦い
机の上にティーカップが並べられていく。ほんのりと湯気があがるカップへ、白い陶器製のポットから琥珀色の液体が注がれる。
座る俺達の間に割り入る形で紅茶を淹れていく晴明に続き、紅狼がミルクポットや半月切りにしたレモンの乗った皿、スティックシュガーを傍に置く。香り立つ紅茶にレモンの芳香が混じる。
それぞれが好みに応じて備え付けの砂糖やミルクを投入し、或いは混ぜることなくそのままの風味を楽しむ。砂糖にミルク、レモンと全部乗せ投入して一口飲んだ千影が眉根をひそめて渋い顔を浮かべ、カップを机に置いて口を開く。
「……なんだか、色々なものが混ざっているな」
「そりゃ全部ぶっこんだから茶葉の味は感じられないですよ、義姉さん」
「紅狼、何故貴様がそうしてふんぞり返っている」
恐らく机を囲む誰もが問いたかったことだろう。台所付近であれこれ言い争い格闘していた坂敷兄弟は、結局晴明が全ての準備をして渡されたものを紅狼が運ぶという無難な役割分担を行った。
それにも関わらず、晴明は相変わらず微笑を浮かべるだけで、運んだだけの紅狼が自信たっぷりに胸を張って直立している。
まるで自ら産地で茶葉を選んで収穫し、揉んで発酵させてお湯を沸かし温度管理に気を付け、器の状態を確かめ全て最適な状態で淹れたからよく味わえ愚民共、とでも言い出しそうな立ち振る舞いである。
〝一万人斬り〟のクラッドチルドレンと言われて、誰が信じられるだろうか。
記憶の中にある血塗れの少年と重ね合わせても、とても同一人物だとは思えなかった。
他の面々にしてもそうだ。神坂 八千翔に切田 初、天海 青璃。あの場にいた誰もが日常のどこかに紛れ込んでいてもおかしくない顔で、非日常を渡る者として立っていた。
いや、俺自身も同類なのだ。日常に混ざり、平穏な世界で普通の高校生としての顔を持ちながら裏では死罰をもって罪を裁く執行者として動いている。
誰もが表の顔と裏の顔を持ち、そのどちらもを知っている者は少ない。
どちらも理解している者は皆無だろう。
表面的に〝理解したつもり〟になっている者なら多くいそうだが。
セラだけは口をつけず、注がれた紅茶から立ち上る湯気を見つめていた。
淹れ終えた晴明が味と香りを確かめるように一口飲んで口内で転がす。誰もが勧められるまま紅茶を飲む中、ただ一人だけカップに触れもしないセラに全員の視線が集まる。
「…………少し、思い返していただけです。他意はありません」
「そ、そう。もしかしたら嫌いだったのかな、なんて思って、ね」
「好きか嫌いか、と問われれば嫌いではありません。ですが、一片も疑わず躊躇せずに供された物を頂く。その無頓着さには呆れを通り越して憐れみすら抱きます」
「何も、そこまで言わなくても……」
千影に諌められてもなお、セラの反応には棘がある。
聞き方によってはセラの言葉はアルメリアが日本であった頃から脈々と受け継がれる精神への挑戦にも取れた。
刃助も同様に受け取ったようで苦い顔をしている。言い出すかどうか迷っているのだろう。口を開いては、出ようとする言葉を飲み込むように紅茶を飲む。
逡巡する動作を繰り返してすぐにカップは空になってしまった。
「こらこら、紅茶はがぶがぶ飲んじゃダメだよ。ゆっくり楽しまなきゃね」
「や、いやはや。どうにも喉が渇いてしまって」
「含まれる成分的に後でトイレに行きやすくなるから気を付けてね」
言いつつも晴明が新たにカップへ紅茶を注いでいく。本気で言葉通りに感じているのか、それとも一般人と〈渇血の魔女〉との激突を未然に防いでいるのか。
言葉で牽制しても千影がいる前で実力行使、とはいかないはずだとは思うが。
セラの言葉通り、勧められるまま流され丸め込まれた刃助に対し、カップを置いた遥姫が意を決した表情で口を開く。
「答え、聞いていませんでしたよね」
「…………何のことでしょう」
「妙に私達、いえ人間に対して敵対心を持っていることについて、です」
「既に申し上げた通りです。
私は同胞を〝人間〟に殺されたのです」
セラの視線が射殺すようにクレスを睨むが、当人は涼しげな表情で紅茶の香りを楽しみ音もなく口に含んで舌で味わっている。
再び微力な魔力波動が放たれるも、気圧されず遥姫が攻勢を続ける。
「でも、貴女もお仲間と一緒に人間を殺したんですよね」
「貴女は害されればなすがままですか。その豊満な肉体を差し出せと脅されれば、素直に犯されるのでしょうか。偶像に相応しい、愚かな慈母なのでしょうか」
「話をすり替えないでください。
確かに、貴女が人間に敵意を抱くのは分かります。
でも、人と人が繋がり話し合って生きていく社会で
常に相手を疑っていては、まともな生活なんて送れません」
肌が泡立つ。さらに強まる魔力波動は、クレスが語ったセラとの過去、義母たる〈渇血の魔女〉マルガレッタの保有していた能力を色濃く受け継いで発現させている。
変わらず涼しげな顔でいるものの、クレスの手が胸元に向かい、首から下がるネックレスに触れた。装飾品に姿を変えた霊剣が持つ抗魔の術式が効果を発揮し、迫る魔力波動と拮抗していく。
セラが小さく笑った。善なる要素はない。
下等な人間、物を知らぬ小娘と嘲る強者の笑みだった。
「貴女に何が理解できるというのです。
気持ちを慮り、他者の嘆きを代弁しても貴女のものではない。
何も失わず、奪われなかった貴女がこの場にいる誰の何を
理解できているというのですか。誰かに成り代われるとでも?」
「誰かを完璧に理解できる人間なんて、この世界にはいません。
誰もが、自らの意志で選んだ情報を表に出して生きています。
私が、亮くんの裏側を知らなかったように私にも誰にも話していないことがある」
「…………なるほど。貴女にも私達と比肩し得る闇を抱えているのですね」
セラの目が語れ、と命じている。相手の暗部に踏み入るのであれば、自らも相応の中身を持つ秘めたるものを晒せと言っている。
が、俺は望まない。刃助や遥姫に許しを乞うために語っているのではない。
偶発的とはいえ、衛星都市での〈知核人機〉事件と文化祭における劇場への怪物乱入事件に巻き込んでしまった。
渦中にあった人間として説明責任を果たさなければならない。
ここまでは俺の自己満足だ。
日常の裏側に潜む非日常を聞くか、知らないふりをし背を向けて日常へ帰るかは二人による選択だった。そして、選ばれた結果が今だ。
セラと遥姫は互いしかこの場にいないかのように視線をぶつけ合い、火花を散らしている。遥姫の可憐な唇が回答を紡ぐ。
「私だけでなく、誰にだってあるんです。
見られたくないもの、知られたくないこと。
亮くんが望むなら、私のすべてを話してもいい。
でも、まだ終わっていない。全部を聞いていない。
貴女だって、結末を聞き届けるためにここにいるのでしょう」
「……話を続けさせるが、自身のことは語らない。それがヒトの論理ですか」
「貴女が感情を整理できないで、私にぶつけていることには触れないのですか」
「先程の、ご友人といい貴女といい何が言いたいのですか」
「分からないのなら、教えてあげましょうか? 同じ女性として」
「ですから、下賤な人間と同格に扱われるなど――」
何やら痴話喧嘩めいてきた。問いと答えの趣旨がずれ始め、ただ単に無目的に放出されている魔力波動の出所を探る話にすり替わってきている。
俺にしても、ここまで感情を露わにしている遥姫は初めて見た気がする。
らしくないほどに憤り、遥姫が机を叩いて立ち上がる。受けて立つかのように、セラも机を殴りはしなかったがより波動を強めて、ゆっくりと立つ。
「ま、まぁまぁ……二人とも、落ち着いて」
女傑二人の間に晴明が割って入る。クレスは表面的な余裕を保てず、自身の霊力もつぎ込んで対魔術式を維持し、感情の波濤たる魔力波動を抑えつける。
本来であれば、ここで諌めるのは唯一セラに慕われる〝人間〟たる千影だが、当の本人は事態の推移を楽しむように腕組をして見守っていた。
代わりに対応するべきか、と立ち上がろうとする前に姫の永久騎士を自負する男が立ち上がる。
「あいや、待たれぃっ! 今しばらく待たれぇぇぇいっ!」
「何なの刃助くんっ!」「魔に抗う力もないヒトは黙りなさい!」
「えっ…………いや、そのですね」
勢いよく立ち上がったはいいが、女二人の剣幕に気圧される刃助。
それでも引き下がる選択肢はないのだろう。さらに強くなった魔力波動に対し、必死に抗魔術式を操るクレスの形相など気にもせず、大仰に腕を振る。
「姫の過去は! 確かに俺だって知りたいっ!
だが、セラ嬢が欲している情報は失意に落ちるまでの亮さんじゃなく、
千影女史といかにして出会い戦ってきたかではないのかね?」
「…………この魔暴風の中で、それだけ吼える気概だけは認めましょう」
「何を言ってるが知らんがなぁ、これは姫の口からは言わせたくないのだよっ!
セラ嬢、貴女の内側に渦巻く感情の正体を教えてしんぜよう!
それは、亮さんに対する期待と失望の落差から生まれる憤怒だっ」
刃助の宣告が勝ち誇った笑みを浮かべていたセラの表情を凍り付かせた。
雷にでも打たれたように立ち尽くす。硬直したセラの肩に手。
いつの間にか立っていた千影が優しく慰めるように軽く肩を叩く。
「ちが、う。私が、この私がそんな……つまらぬ感情に流される、など」
「セラ。そろそろ本気で怒るぞ」
千影に促されるまま、セラが腰を下ろす。
刃助と遥姫の肩も優しく叩かれた。晴明が目で訴える。
意図を汲み取り、遥姫が静かに座ると後を追う形で慌てて刃助も座った。
微笑んで晴明も着席する、前にポットを持った手を振る。お代わりが必要かどうかの意思表示だろうが、全員が首を振って拒否した。ポットが机に安置される。
「反応から察するに、正解だろうね」
言って、晴明は続く言葉を押し戻すように紅茶を飲む。
代わりに気だるさを露わにした千影が泣き喚く子供をあやすかのようにセラの頭を撫でる。されるがままのセラが叱られた子供みたく意気消沈し肩を落とす。
「感情を晒すことは恥ではない。むしろ、よく耐えたと言ってこう」
「千影様……私は、私は決して、そんな」
「いいんだ。亮は目の前にある選択肢の中で最も愚かしいものを選んだ。身をもって愚行を知り、己の矮小さに打ちのめされ大事なものを喪って心を壊した」
「仮にも同じ位階に並び立つ者が、そうまで情けないとは思わなかった。
にも関わらず、弱さを見せつけられてもなお誰かに想われ慕われることが、
晒された弱さが受け入れられることが耐えられなかった、ってところかな」
「そんなところだろう。性急な話だ。
繰り返すが、この時点での亮はただ死んだだけだ。
最悪の選択肢を取り、至るべき無残な結果を突きつけられた。
それでも立ち止まらなかった。ただ腐り果てることはなかった」
千影の辛辣さも、晴明の優しさも胸に痛い。開いて血を流している傷跡に染みる。自らこじ開けたのだ。どんな言い訳もできないし、すり替えたところで結果は何も変わらない。
セラが抱えていた憤怒にも答えようがない。
散々言われているが、ここまでは全てを失った不幸な少年の昔話でしかない。
カップを手にし、紅茶を飲む。乾ききった喉を潤し、次の物語を紡ぎ出す。
「全てを失った俺の手には何も残っていなかった。
それでも、師匠と仲間達は放たれた手を取ってくれた」
だから、もう一度歩き出せた。自分自身を知るために走り出した。
喪った小百合の願いを叶えられるかどうかは分からない。
少なくとも蹲り朽ち果てることは誰のためにも、何にもならない。
愚かでも見苦しくても、考えて動いて前へ進まねば何とも出会えない。
今でも過ぎ去った数々の、選択肢を浮かべる扉が脳裏に浮かぶ。
何故あの時あちら側を選んだのか。何故逆を選ばなかったのか。
悔やんでも喚いても過去は変わらない。変えることはできない。
現在できることは、語ることで情報を共有していくことだけだった。




