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灰色の境界  作者: 宵時
第四章「……ええ。時を経て、俺は殺人者になった」 「〝英雄(ヒーロー)〟とは言わないのだな」
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4-40 集うイェーガー

 黒地の着物がより暗く深い色に染まっていく。傷口から流れ出る血は心臓が脈打つ度に量を増す。朱を引いた唇の端からも零れて赤い軌跡を生み出した。

 こぽりと紅に泡を混じらせ久音(ひさね)が呪詛を吐く。

「か、は…………こ、の殺人者、が」

「どの口が言う。貴様も同類だ、阿呆め」

「何やってんスか千影さんっ! 予定より早いでスよぅっ」

「あ、ああ。そうだった。悪い、青璃(せいり)が〝繋いで〟くれ」

「まったく、困ったらすぐそれだ。いつもいつもいつもっ!

ボクの〈天海堕落(アンジェ・ダウト)〉に頼りすぎッスよ……」

「過ぎたことを責めるより先に必要なことをやれ」

「イエッサー、ボス」

 じゃらりと金属音が鳴って、鎖が射出される。

 機械天使メタトロンから伸びた鎖が久音の体に巻き付き縛り上げた。

 当の本人は拘束されたというのに身動ぎ一つしないでいる。

 黒刀が引き抜かれる瞬間、苦悶の声を漏らすのみだった。

「ああ、キミの感じている通りッス。ただの悪党でしかない、

あのヒトにはコイツも付随するモノも視認できないし触れられない。

できてたら、とうにパニックでス。そもそも抵抗できないと思うスけど」

「そう、ですよね」

「そんなにかしこまらなくてもいいじゃないッスかー、こっちまで

こうお尻がむず痒いというか変な気持ちになっちゃいそうッス」

「いえ、でも……」

 どう、すればいいのだろう。天海(あまみ) 青璃と名乗った青年の口調も雰囲気も余りに軽い。この死と硝煙の香る戦場において全く相応しくない。合っていないといえば、そんな命のやり取りをする場所で言葉による解決を求めた俺もまた、異質なのだろう。

 結局、何もできなかった。全て千影という最も異常な存在が奪い散らせた。

 千影が黒刀を振って血を払い、ポケットから取り出したハンカチで残りを拭った。

 赤黒い痕をつけられたハンカチが女の手から離れ、血生臭い床に落ちていく。

 自らの獲物を藍色の鞘へと戻し、鎖で拘束された久音を真正面から見据える。

 項垂れた久音の顎下から血の雫が滴る。覗く口元には邪悪な笑み。

「ふふ、うふふふ、ふふふふふっ」

「何がおかしい。壊れたか?」

「ふふ。何故私を殺そうとして、生かしたのか分かりませんが終わりです」

「何がだ。ちゃんと人間に伝わるよう喋れ」

「どこまでも、不遜な……ふふ、それも死の警笛を聞けば、絶望へ変わるでしょうっ!」

 久音の声に答えるかのように、風通しのよくなったこの建物を中心とし周囲からけたたましい警告音が鳴り響いた。痴漢対策ブザーの音を極大にしたような甲高く鼓膜を打つうるさい音が空間に広がっていく。

「私の兵隊が、ここにいる者だけだと思ったのですか。どれほど強かろうと

控える残りの兵隊と国家権力という増援を呼べば、傭兵ごとき物の数では……」

 勝利を確信したように告げる。が、一向に変化は訪れない。

 耳を澄ませても警告音が虚しく響き渡るだけで、受け取った者達が武器を手にして突撃するルートを探したり、雇われ主の危機に奮起して気勢をあげる様子もない。

 代わりに俺の聴覚が捉えたのは、ゆっくりと瓦礫を踏みしめる音が二つ。

 崩壊した壁が作ったなだらかな坂を上ってくる人影があった。

 そのどちらも若い。若いというより、俺とそう違わないように思えた。

 先に上がり終えたのは短く刈った黒髪に不貞腐れたように睨みを利かせる黒瞳を持った人物。

 目を奪われたのは視線よりも鋭く、鈍い輝きを放つ日本刀だった。

 刀身は血に濡れ、点々と赤い斑点を床に足している。

「こら、武具の手入れはちゃんとしないとダメでしょ?」

「あ、やちねえ。大丈夫だった?」

「ちょ、ちょっと」

 背後からの声を聞くなり、ベリーショートの子が日本刀を投げ捨てて追って声をかけてきた者の胸に飛び込んでいく。後から上ってきたのは赤みがかった茶髪の、ふんわりとしたミディアムショートが印象的な少女だった。

 揃って戦場にはそぐわないカジュアルな装いに鮮血の彩を添えている。

 ミディアムショートの少女は抱きつかれるままに胸元で受け止めている。表情には自らを気遣う嬉しさと、人前での抱擁に恥ずかしがる感情が入り混じった苦笑いが浮かぶ。

「こらこら(うい)ちゃん。言った傍から武器を粗末にしちゃ、メだよ」

「あっ……えへへへ、つい。ついだよ。わざとじゃないよ」

「ほら、注目浴びちゃってるし早く拾わないとまた千影様に怒られちゃうよ?」

「はぁい」

 和やかなやり取りで初と呼ばれた子が放り捨てた刀を拾いに行く。

 そのやり取りも、おずおずと刀へ手を伸ばす姿も全て俺は捉えていた。

 俺だけでなく傍に立つ青璃も久音も、千影も数瞬も逃すことなく見届けてきた。

 自らを貫いた痛みすら忘れたように、久音が呆れた声を放つ。

「…………何、なの。この、が……子供、たちは」

「仕方のない奴らだろう? だが、これでも可愛い私の部下だ」

「こんな、年端もいかぬ子らに悪事を……」

「貴様は何度同じ反応を投げられれば気が済むんだ?」

 驚愕の表情に固まる久音に対し、千影はうんざりといった様子だった。

 相変わらず俺の聴覚は怒号も気勢も感知していない。余りにも静かだ。

 静かだから、こんな死の蔓延した世界で遊んでいるような少女と少年が異質だった。

 いや、待て。確か〝初ちゃん〟と呼ばれていなかったか。

「いやいやいや、そいつ男じゃなくて女の子、なのか?」

「ハァ? オイ、もしかしなくてもソレはあたしに言ってんのか、アァ?」

「えっ……いや、その」

 刀を拾うや否や、俺へ向けられた視線は射殺されるかと思うほどの威力を持っていた。

 血塗れの刀を振りかざし、今にも上方から切り込まんといった空気だった。

 少年、いや少女だというベリーショートの子、初が早足で歩きだす。敵対勢力の首魁であるはずの久音を無視し、乱立する死体の林を物ともせず近付いてくる。

「ちょ、ちょっと待って欲しいッスよ!」

「セイリスは黙ってどいて。その餓鬼、ぶっ飛ばす」

「口悪すぎ……ますます信じられない」

「キミも火に油を注ぐような真似はやめて……」

「あ、セイリスもホントは男だと思ってるの?」

「や、なんでボクに矛先が向かうんスかぁ」

 肉食獣が次なる獲物を探すよう目を光らせる初は俺と青璃の間で揺れ動く。

 その間に倒れたままの小百合を認めると、表情にあった怒りが一気に吹き飛んだ。

「ちょっと! この子……」

「な、なんだよ。小百合は何も言ってないぞ」

「そうじゃないよ。ねぇ、セイリス。力使ってるのよね?」

「うん。でも、ね」

 初の問いに答えた青璃の声は暗く低い。何だと言うのか。

「なん、だというの! 餓鬼の茶番じみた戯言なんか兵隊共が蹴散らしてやるのにっ!

なんで、どうして誰も助けに来ないのよおぉぉぉぉっ!」

 激痛を無視した絶叫が響き渡った。応える部下の声はない。

 千影が叫んだ久音を見る目は変わらない。

 憐憫と侮蔑を含んだ、格下の虫けらを見下ろす絶対強者の視線だった。

 久音と千影の視線が交錯する。

「なんて、目で見てるの」

「底抜けの阿呆だと思ってな。三秒考えれば分かることだろう。

貴様の増援は来ず、代わりに現れたのは私の部下達。

導かれる結果はたった一つしかないはずだが?」

「そん、な……嘘よ。そんなことって」

「そのつまらん愉悦に曇った目でよーく見てみろ」

 手を振って千影が合図すると、青璃が頷く。機械天使メタトロンを起点とする鎖に拘束された久音の体が持ち上がり、建物の崩落した壁に近い場所まで運ばれる。

 誘われ導かれるように俺達も小百合と共に移動していく。

 開けた視界の壁際からは辺りの様子がよく見えていた。

 見渡す限りの建物が炎上し、黒煙を噴き上げている。降り積もった雪によって崩れたのか、ところどころ屋根が壊れており室内の様子が見えた。

 広がっているのは赤黒い肉の絨毯。引き千切られた腕や足、首が転がり大量の血の海に沈む。体のパーツが細かく分断されてるさまは、人体をそのまま裁断機に突っ込んだかのような異常さを見せていた。

 破砕音が響く。上空に投げられた人間の頭らしき物体が破裂し、破片となった肉と骨と中身をぶちまけた。右腕でガッツポーズを掲げる勝利者がいる。

 少年だった。逆立てた髪は血と脳漿で染まり、元の色は分からない。身に着けている服も、元々そんな柄だったのか、それとも染まってしまったのか分からない奇怪な色合いを見せていた。

 初が手に持った血塗れの日本刀の切っ先で少年を指す。

「千影様、ほとんどアイツ一人で殺っちゃったのよ。出番なくて暇だった」

「初ちゃん! 刀で人を指しちゃいけないって、いつも言ってるでしょっ」

「だって、やちねえ……」

「だっても何もない。もう黙ってろ」

 千影の一喝で不満げながらも初が口を(つぐ)む。刀で指された当人がこちらを見ていた。

 底の見えない、深く濁った目は殺人という異端の快楽に染まり、笑っていた。

「ヤなのよね。アイツ、殺しを心底楽しんでます、って感じで」

「初ちゃん。そういうことは思ってても口にしちゃダメなの」

「と、言うことはやちねえもそう思ってるんでしょー」

「まぁ、時々ッスけどボクも怖くなるネ」

 初に続いて各々が鮮血に染まる少年に対する感想を述べていく。

 千影はもう止める気もなさそうだった。制止の言葉の代わりに溜息を吐く。

「見ての通り、常倉の屈強な兵隊とやらは全て片付けたわけだ」

「馬鹿、な……。まさか、噂程度と聞き流していたが本当、なの?」

「何を聞きたいんだ? ウェルシュの殲滅戦か?

ウラムジェ海で沈めた屑船共の断末魔でも教えてやろうか?

それとも忠国とロスシアの変革話でも聞かせてやろうか」

「万軍とたった一人で渡り合ったのも、凶悪な海賊船団を壊滅させたのも、

大陸で起きた謎の大爆発にも全て関わっているというの、か……っ!」

「私が功績を誇張して吹聴するような間抜けに見えるのか?

ならば、貴様の可愛い兵隊共の銃撃を防いだことも、

全員を揃って早贄(はやにえ)にしてやったのも夢の中なのか」

「そんな、怪物共が何を目的として暗躍しているんだ」

「貴様が知る必要はない」

 再び千影が手を振る。指示に従い、青璃が鎖を操作して久音の体を投げ出す。

 既に瀕死の体は同胞の肉と血が広がる床を転がって行き、()しくも先に逝った息子の樹木に引っかかって止まった。無残な死に様を捉えた母親の両目が見開かれる。

「ひっ……ぼ、坊や」

「すぐ同じところへ逝かせてやるさ。私達の手によってな」

「ねぇ千影様。そろそろ名前とか決めません?」

「そうッスね。大分数も揃ってきたことでスし、何かないッスか?」

「あれ、前に決めてるって言ってませんでしたっけ?」

「ああ。決まっている」

 告げた千影の傍に部下たる少女二人と青年が並ぶ。

 全員の視線が一人へと捧げられていた。鎖から解き放たれ、心臓が生命の鼓動を打つ度に傷口から鮮血を噴出させる女を、久音が死に逝く様を見つめていた。

 寝転がったままの姿勢で久音が自らの血に染まる手を掲げる。

「坊や……ああ、坊や。そんなところに釣られてしまって……。

ごめんね、ごめんねぇぇ! 弱いママで、何もしてあげられなくて――」

「地獄へ持っていけ。私達は〈灰絶機関(アッシュ・ゴースト)〉だ。

灰色たる境界線を切り裂き、罪を潰し殺す。できぬ者のためにな。

一切合切許すことなく、罪ごとこの世界から消し去る執行者だ」

 千影が宣告したのと時を同じくして、息子の遺体に届かなかった手が落ちた。

 敵対していた最後の標的が絶命し、静寂が空間を支配していく。

 舞い散る雪の勢いが強くなっていた。量も増え、血の海や死体の林に落ちていく。

 白い結晶は惨劇の跡を覆い隠せずに溜まった死に沈んで溶け消えるだけだった。

 そんな末路が分かっていても次々と雪は戦場跡に舞い落ちて散り逝く。

「切田 初、神坂 八千翔(やちか)両名は帰還せよ。ご苦労様」

「えっ……なんで先に返される」「了解しました、千影様」

 初の抗議を遮って、八千翔と呼ばれたミディアムショートの少女が一礼して踵を返す。

 そのまま振り返ることなく、上ってきた瓦礫の坂を下りていく。

 初も不満げな瞳を俺に向けるも、渋々といった様子で八千翔の後を追っていった。

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