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灰色の境界  作者: 宵時
第四章「……ええ。時を経て、俺は殺人者になった」 「〝英雄(ヒーロー)〟とは言わないのだな」
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4-36 狂人の喰場

 口元を隠したまま、久音が俺を見る。否、漆黒の瞳はその背後を見ていた。

「狙撃手の不可解な言葉から、まさかとは思っていたけど……実在していたとはねぇ。再開発区を放棄せねばならなかった要因、存在し得ない者」

「できれば、会いたくなかったかな」

「ふふふ、どのような手品を使ったか知らないけれど、もう逃げられないよ」

 命じられるまでもなく黒服が観客席の外周を隙間なく固めていく。

 元より逃げたら何のためにここまできたのか分からない。

「おぉ、久音様の御姿を拝めるとは」「有難や、有難や……」「ふむ。愉快な展開になりそうではあるが、巻き添えは困りますな」「いやいや、我らが被害を受けることはありますまい」「それよりも試合を始めなされ」「そうじゃそうじゃ、ワシは負けを取り戻さにゃ家内にどやされる」「いっそその小僧もリングにあげてはどうですかな?」

 観客達が騒ぎ立てる。久音は俺の背後、小百合を見つめたまま歩いて未だに荒々しく呼吸している和久の背後に立った。和久が振り向き、母の着物へ顔を埋める。

 久音は扇子を広げたまま、空いた手で飛び込んできた息子の頭を優しく撫でる。

「ママァ……あいつだよぅ。僕をいじめるクソヤロウっ」

「おぉ、よしよし。私の可愛い坊や。あの子を呼び寄せたのかい?」

「う、うん。入口で出迎えて、親子揃ってリングで遊んでやるつもりだったのに」

「五体満足でいるってことは、一階の連中が見逃したね」

 久音の目が鋭く光る。視線を受けて、外周に待機していた黒服が懐から拳銃を取り出しながら一階へ繋がる階段へと向かう。

 凶器を手にし、何のために降りるのか。考えたくもなかった。

 開け放たれたままの空間で銃声が響き渡る。うるさい世界の中でも俺の聴覚は明確に事の顛末を捉えていた。悲鳴に懇願が混じり、無視されて殲滅されていく。

「役立たずは始末しなきゃねぇ……無駄は取り除かねばならないんだ」

「うん、ママの言う通りさ! だから、僕も取り除こうとしたんだよ!」

「そう。常倉の闇を探ろうと、ねぇ。父親についてきて、可愛いじゃないか」

「可愛いもんか! あいつ、僕がどうやってもしつこいんだ。文句も言わないし、殴り返すこともない。堀川の家族を燃やしても平然としてやがるんだよぉ」

「なるほどねぇ。意志の強さは父親譲り、ってことかい。狂気にも近いねぇ」

 闇を染み出させる親子が勝手に俺を論評している。

 ふざけるな。小さくなってた炎がまた燃え上がる。理性の水を蒸発させ、溜まりに溜まった負の感情を糧に火力をあげていき、内心を唇から吐かせる。

「ふざけるな。狂ってるのはお前らだ」

「……小僧が。何を根拠に語っちゃってるのかねぇ」

「根拠も何もない。お前らのやっていることは傷害に恐喝、放火に殺人、警察機関への賄賂、隠蔽工作に殺人教唆と挙げればキリがないじゃないか!」

「ああ、そうだねぇ。外側の決まりだと、そうなってるね」

「外側、だと……?」

 俺の言葉を久音は涼しげに受け流していく。一字一句予め予想していたように眉ひとつ動かすこともない。逆に俺が心を揺らされていた。久音が何を言っているのか、何を考えているのかまるで分からない。読めない。

 鸚鵡(おうむ)返しに近い俺の問いに久音が回答を示す。

「いいかい、法律っていうのは人間が作ったものだ。〝それ〟はそこにあるけれど、必ず守らなきゃいけないってわけじゃあない。絶対的なものなら、法ができた時点で犯罪はなくなる。けれど、現実は違うよねぇ」

「法律を守り、正しく生きることが人の道理だっ!」

「ふぅん、道理ねぇ。震災で被害を受けて、元々あったものをぜーんぶ失って、

明日も見えない闇の中で同じことが言えるかい?

言えないよねぇ。何せ経験していないものねぇ」

「それ、は……」

 小百合の説明を思い出す。この町は震災によって壊滅的な被害を受け、特に工業地帯は操業を諦めざるをえない状況へ陥り、こうして世間から隔絶された犯罪の温床と化している。

 俺の理解が追いつくかどうかなど関係なく久音が声を重ねていく。

「法律なんかがあっても結局人は罪を犯す。小僧にゃ分からないだろうけれど、

大人には色々と事情があるんだよ。まず日々を生きなきゃならない。

仕事を失えば新たな仕事を探さなきゃならない。政府は物資やら人手やらを

送ってくるけど、そんなのは一時しのぎでしかないさ。被害に遭ってない

連中はそうして支援した気になって、復興していようがいまいが関係なく、

自己満足のぬるま湯に浸って忘れてしまう」

 吐き出される言葉が刺さる。俺にもなかった、とは言い切れない感情。

 自らが体験していないもの、状況を完全に理解することはできない。想像できても、それが現実と一致しているかどうかは実際に晒されているものにしか分かりえない。

 俺は、何かをしたのだろうか。久音の冷徹な指摘は続く。

「小僧も見ただろう? この町の惨状を。

機能を失った商店街、生気を奪われた者達。

警察は……ははっ、私欲に目がくらんで金掴ませりゃなんてことはない。

パトロールだかなんだか適当に町内ぶらついて、のらりくらりと日々を

送ってやがる。政府のお偉いさんはちらっと上空から視察しただけで

見てきた風に語る。そしてもうたくさんだってのにあふれるほどの

物資を送りつけてくる。最後にはゴミになってしまうのにねぇ」

 久音が我を忘れた時の和久のような荒々しい口調で悪意を吐き出す。

 自然の災厄によって奪われた者の心情を代弁しているのだろうか。いや、仮に被災者を代表して語っているとしても行為の正邪は切り分けねばならない。

「それでも……人を傷つけるのは罪だ。誰かを脅して傷つけさせるのは悪だ。仮にお前らが有り余る組織力で住人を救ったとしても、お前らが支配する以上は自由なんかじゃない!」

「ほう。救わず助けた気になってふんぞり返る政治家共は悪くないと、

助けられず見捨てられた者達を拾い上げた我らが悪だと言うのか?」

「悪だ。救ったとしても、今ここでやっていることはなんだっ!」

 叫ぶ。政府が久音の言う通り、形だけの支援で満足していたとして。常倉一派が瓦礫を除去し道を整備し家屋を再建するのに尽力したとしても、救った者達に恩義を着せて支配するのは違う。

 善意とは見返りを求めないものであり、対価を求めるのであれば経済活動だ。持たぬものから搾り取り、吸い上げられないなら縛り付ける。そんな横暴は経済活動ですらなく、ただの暴虐であり略奪者の悪業でしかない。

 手を叩く音。観客席に腰を下ろす壮年の男がくつくつと笑う。でっぷりと肥え太った腹をさすり、口元では高級そうな葉巻を揺らしている。

「幼いのぅ……実に幼稚な理想論じゃな。今行われているのは我らのための宴ぞ。常倉とて外部の支援なくては成立しえない。ワシらが金をくれてやるから活動できる。ワシらはこの退屈な世界に少しでも興味が持てるよう余興を愉しむ。邪魔なんじゃ……青臭い夢想なんぞ聞きたくもない。耳が腐るわい」

「……誰の、何が理想論だって?」

「小僧の存在全てじゃよ。いや、そこな動かぬポンコツもそうか。

糞まで吐きそうなほどケツの青いことをほざいておったわ。

公権もつまるところワシら財界支配者の走狗に過ぎぬというのに」

「ふざけるな。父さんは何も間違っていない! 悪の根幹は……貴様らだっ」

 男の吐き出す紫煙とまとわりつく粘質の悪意を振り払って訴える。

 俺の声に応じたのは、笑声。子供の無知さ、無謀さを笑っているのか。

 言葉に含まれる意味そのものを嘲弄されているのか。

 (ある)いは父親そのものを笑われているのか。

 理解が追いつかず、ただ茫然と連なる笑声の雨を一身に受けていた。右手を、左手を握って開いてまた握る。繋がれていた手はとうに離され、何も掴めない。

「お探しの御姫様はこちらかな、坊や」

 背後からの声に振り向くと、薄ら笑いを浮かべた若い男が出迎えた。

 頬に刀傷、金縁の眼鏡をかけ掲げた右手は小指が欠けている。

 堅気ではないと一目で分かるような風貌だった。

 若い男の背後に小百合がいた。複数の黒服によって両腕を固められ、薄桃の唇には拘束具をつけられ発声まで封じられている。

「また不可思議な悪戯をされても困るからねぇ」

 声に導かれてまた振り向く。久音が元のように扇子で口元を隠し優雅な調子で佇んでいた。左右には従者の黒服が数人控えている。だが、特に武力に訴える気配は伺えない。背後にも感覚を割いてはいるものの、筋者の若い男も小百合に危害を加える気配はない。

 視線を少し動かせば、財界支配者とのたまった壮年の男が視界に入った。悪逆に濁った瞳はこれから催される宴に期待するかのように喜悦の色を見せている。

「どう、して……」

 呟く。小百合が〈幽世絡繰り(ノン・マリオネッタ)〉を使えばそもそも捕まることなどないはず。これまでの言動を踏まえれば久音を始め、一派の面々には特異たる力を知られているわけではない。

 唯一、九龍院と呼ばれた若い女だけが見せた表情と意味深な言動は気になるが……近くに姿は見えない。険しい表情で持ち場を守る黒服達と、事態の推移を見守りつつ下卑た笑みを貼り付ける観客共が並んでいる。

 何をさせられるのか。

 考えれないほど思考が麻痺しているわけでも、呆けているわけでもない。

 久音の隣に立つ和久は獲物を捕食する前の、獰猛な獣の笑みを浮かべていた。

 拾ったマイクを手にし、パフォーマーとしての仮面を被り直す。

「さてさてっ! 皆々様、これよりエキシビジョンマッチを行わせて頂きます!」

 宣言を聞いて観客席が沸く。口笛を吹き鳴らし、拍手が響き、場を加熱させる怒号が吼え渡る。反響に満足げな顔で和久が大きく首を縦に振った。

「舞台に立つ男共に加え、グロッキーな父親来々(くるるぎ) 啓志(けいし)を救うため、来々木 亮がリングへとあがりますっ! 何という素晴らしい親子愛っ」

「何を好き勝手に……」

「おやおやぁ? リングに上がらないってことはお連れのお嬢さんがどうなってもいいと? それが正義とやらを振りかざす者の正しき道なのかねぇ?」

 奥歯を噛む。和久の声が場の熱を煽り、さらに加速させていく。

 観客席に座る者達は財界の有力者たる壮年の男を筆頭に、各界に君臨する支配者達が並んでいるのだろう。日々の経済活動は片手間で大人一人分の一生以上を得られる力を持ち、世にある遊戯に飽きた末に、こんな生で人と人が殴り合い殺し合う場を愉しんでいる。

 まさに絵に描いたような巨悪であり、破壊し滅ぼすべき存在だった。

「おら、さっさとリングに上がれよクソッタレ。

じゃないと手始めにてめぇの親父からブチ殺すぞ」

 湧き上がる歓声に混じって和久が毒づいてた。

 小百合の姿を追おうとして、黒服達と一緒に消えていることに気付く。数人の黒服に抱えられる形で、物を運ぶがごとくリングへと連れていかれている。

 別の黒服によってリング上の血が拭き取られ、洗浄されていく。久音の登場と、自らが大物の観客達の見世物になっていることで思考する力を失いリングでへたり込んでいた者達もようやく動けるようになったようで、それぞれの不満を叫ぶ。

「なんだ。何やらせようってんだよ」

「まだ脳味噌寝てんのか? 見世物にされてるってことはやり合うんだよ。

丁度いい、公認ってんならトコトン続きやろうじゃねぇかボケカスが」

「そういやぁ、やり合ってたとこだったな。

いいぜ、てめぇは俺が必ずブチのめすっ!」

「いいですねー、お若い二人は殺る気満々のようですねっ!」

 先刻ゲームコーナーで喧嘩していた若い男二人はそれぞれの因縁に決着をつけるべく、向き合い腕や脚、体の各部の調子を確かめて己を(たかぶ)らせていく。

 外側から武器やバンテージが投げ込まれた。一人が拳にバンテージを巻いてボクサースタイルを固め、もう一人は金属バットを手にして離さぬよう握り手部分を布テープで固定していく。

 残る腹巻と股引の親父スタイルで投げ出された中年男だけが困惑した表情を浮かべていた。

「ふ、ふざけるなっ! 誰がそんな見世物になど――」

 憤慨した叫びが最後まで(つむ)がれることはなかった。重い音を立てて中年男の体がリングに沈む。倒れた箇所からゆっくりと鮮血が流れ出し、掃除されたばかりのリングを汚していく。血液の到達点、投げ出したままの足に触れられた啓志の目が見開かれる。唇からしゃがれた声で絶望を吐く。

「そん、な……馬鹿、な」

「戦う気がないのであれば死になさいな。どちらにせよ選択肢などないのにねぇ」

 艶然(えんぜん)と微笑んで久音が鮮血のように紅い舌で、短刀の刃にべったりとついた血を舐め取った。止める暇のない早業だった。

 思い出したかのように中年男の心臓が脈を打ち首筋から鮮血を噴出させる。殺人現場を前にして観客席から聞こえてきたのは悲鳴ではなく歓声だった。

 一際大きな哄笑が音の世界を切り裂く。笑う和久の顔は上半分が鬼を象ったマスクで覆われていた。ピエロマスクと同じ、壇上でのステージ衣装ということらしい。煌びやかな羽根飾りのついたジャケットを羽織り、演出者を気取っている。

「ははははははっ! 何が正義! 何が正しい道理だっ!

でかい口叩いてえらっそうに高説垂れても目の前でゴミが

ぶっ殺されるのを止めることもできやしねぇっ!

素直に踊れよクズがぁっ! 喰い合って潰れろぉっ!」

 言葉の槍で貫かれる。そう、俺には何もできなかった。

 目の前で殺人を許してしまった。俺は、何のためにここまできたのだ。

 響き渡る歓声と笑声の嵐に晒されながら、俺はただ立ち尽くしていた。

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