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灰色の境界  作者: 宵時
第四章「……ええ。時を経て、俺は殺人者になった」 「〝英雄(ヒーロー)〟とは言わないのだな」
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4-34 フィアーノック

 クライムワーカーの工場跡地に立ち並ぶ建物と倉庫群。そのうちの一つ、注射器を象った印が刻まれた銅製プレートを掲げた建物へと向かって歩いていく。

 隣を歩く小百合との手は繋いだまま、触れている手のひらから(ほとばし)る力の脈動を感じていた。触覚が空気を通して世界を感じ取る。嗅覚が人や物の存在と状況を情報として捉えていく。視覚は見えているものだけでなく見えないものまでを睨む。

 持ちうる全ての能力を行使し、あらゆる状況に備える。

 予測されるものが、想像した通りに現れないことを祈りたいが願えない。

 抗いようなく、そうあってしまうことを過去の事例から見てしまっている。

 一般人ですら容赦なく誅殺した常倉一派が、隠された罪を暴こうと飛び込んできた警察官を、自陣に与しない存在を許すはずがない。

 繋いだ左手が強く握られる。足を止めずに、隣を歩く小百合を見る。

「〈幽世絡繰り(ノン・マリオネッタ)〉で

彼らは誰も私達を認識できない。けれど」

「分かってる。俺達は、紛れもなくそこにいる」

「そう。武装しているだろうから、声とは物音とか気を付けて」

「言われるまでもないよ」

 特性は理解している。小百合が持ち、呪いと呼ぶ力は物理的干渉能力を持たない。姿を確認できなくとも、その場にいることは確かなのだから銃火器で武装していれば最悪同士討ち覚悟で乱射すればいい。

 だが、そんなことはしないだろう。

「うん。ここまでお膳立てして、そんな結末は望まないと私も思うよ」

「分かってるんだ。だから、どんな惨劇が待ち受けていても、耐えられる」

「…………そう」

「…………ああ」

 短く、最後の意思確認を終える。

 引き返すという選択肢は有り得ない。正義が悪から逃げ出すことはあるまじきことだ、とか命が惜しいとかそういった次元でもない。

 意志はなくとも俺と父親が始めて、やらなくていいことを強要された存在がいて、優しく勇気あるものが犠牲となってしまった。

 始めたことは、責任をもって終えなければならない。だから一歩踏み出す。

 これから入る建物を見上げる。白い壁は真新しく、明らかに震災後に急造されたものだと見てとれた。高さを考慮すると恐らく三階建て。

 何とかと煙は高いところを好むという。

 小さく息を吐いて気を引き締める。割れたコンクリ床を踏み、破片をさらに細かく砕く。同時にゆっくりとドアノブに手をかけて建物の中へと侵入する。

 一般家屋ではないので、入った後もコンクリ床が続いている。静かに、扉に元々仕掛けられている機構に任せて外界へ繋がる道を塞ぎ、退路を断つ。勢いよく扉を叩き開いて颯爽登場とはいかない。

 が、そんな憂慮すら必要なかった。

「あー、オレオレ。オレだって」「そうそう、ケンジロウ。思い出した?」「実はさ、相手の女の子孕(はら)ませちゃってさぁ」「会社に大損害だしちゃってさ……違約金払わなきゃいけないんだ」「えっ、どこにいるって? ごめん、電車通っててよく聞こえないやー」

 音の波濤(はとう)が叩きつけられる。

 部屋はドラマなどでよく見る一般的なオフィス風景だった。

 一定の間隔で事務机が並んでいる。

 机の上にはパソコンと固定電話、複数の携帯端末が備えられていた。

 椅子には電話の受話器に大声で話しかけている男達が座る。

 恐れずとも、部屋は扉の開閉音など軽く()み消す大音声に支配されていた。

 男達は年齢も服装も統一されていない。黒スーツに身を包んだ者もいれば、セーターにズボンという部屋着で机に向かう者もいる。

「ああ! 払えないって? ふざけんじゃねぇよこの愚図がっ」「待ってくださいって言ってもねぇ。もう一週間も返済期限過ぎてるんですよ」「サシハラさーん、電話に出ないならこっちにも用意がありますよー……って、そうそう大人しく出りゃいいんだよボケカス。逃げられると思うなよ?」「はらえねーなら内臓でも何でも売り払えやオラ」

 部屋の半分は怒鳴り声が飛び交っていた。余りに騒々しい。

 それぞれが担当する〝業務〟に忙しいようだった。肌を突き刺し五感を揺らす苦痛に耐えながらも机と机の合間を縫って進んでいく。

 彼らが何をしているのか、理解しているが目的を見失ってはいけない。俺に全員を打倒する武力があると思えないし、車で逃げられてしまえば追う手段はない。

 唇を噛む。

 被害に遭っている人々を前にして何もできない己の不甲斐なさに腹が立つ。

 小百合の右手に力が入る。分かっている、と俺も左手に力を込める。

 立ち向かうべきは今ではなく、先にある。上階へ向かえる場所を探す。部屋の奥、隅に鉄製の階段があった。出入りを監視する役割を担うと思われる、拳銃で武装した黒スーツの男が階段の左右に腰を下ろしている。

「はぁ、見張りなんていらねーだろ。こんなとこに誰が乗り込んでくるんだよ」

「ぼやくなよ。久音(ひさね)様の命は絶対だ」

「わかってんよぉ。それも坊ちゃんの意向なんだろ?」

「あの坊ちゃんにも困ったもんだよ。ちょいとワガママが過ぎるぜ」

「来々(くるるぎ)とかいうサツに拷問かけてるんだろ?

何も喋ってねぇらしいけど。俺もあっちに混ざりたかったわー」

「あいつもアホだよな。他のポリと一緒に金で転んどけばいいのによ」

 男二人の間に立つ。右と左から好き勝手に喚く声を一身に受ける。

 ふざけるな、と叫びたい。感情の赴くまま殴り伏せたい。だが、駄目だ。

 勢いのまま倒し異変を察知されれば元凶に辿り着けない。

 唇を噛む。痛みを刻むことで沸騰する感情を押さえつける。

暢気(のんき)にお喋りとは、頭目殿が泣いて喜ぶ姿が見えるな」

 落ちてきた声。背筋が凍り付く。小さく硬い足音が鳴る。左右にいる男達も、ふらつく体を支えるように階段の手すりを握り込んでいた。

 ゆっくりとした足取りで降りてきたのは若い女だった。黒のパンツスーツに白いブラウス、薄く盛り上がる胸ポケットには薔薇の刺繍が施されている。腰まで届く艶やかな黒髪はゴムなどでまとめられることなく、肩口から自然のまま流されていた。黒で白を挟み込んだ女は、肌も陶磁器のように滑らかな白を魅せている。

 右側の男が手すりを掴んだままで降りてきた女を睨む。

「九龍院、てめぇ……」

「そう凄むな。別段貴様らと遣り合うつもりはないさ」

「ケッ、なら黙って給金分だけ働けばいいんだよ。小便臭い餓鬼が」

「おい、やめとけって」

 荒々しく吐き捨てた右側の男を左側の男がたしなめる。

 階段で俺と小百合の正面に九龍院と呼ばれた女、左右に手すりを拠り所にした男達が立って対峙する。張りつめた空気の中、女は左右どちらの男も見ていない。

 小さな音が響く。女が背中から前へ手を回す。

 体で隠されていた得物が(あら)わになった。

 藍色の鞘。長さは時代劇でよく見る日本刀ほど鯉口が跳ねて一瞬だけ刀身が見えた。全てを吸い込むような漆黒。柄頭を白磁の指が抑え込む。女性が扱うにしては見事に過ぎる一振りだった。

「くくっ」

 女が小さく笑う。即応して男二人が肩を震わせた。虚勢を張る暇もなく、純然たる恐怖に身を(すく)ませたのだろう。

 俺自身は身震いすることすらできなかった。

 赤みを帯びた漆黒の瞳が見ている。女はどちらの男でもなく、間に立ち向き合う形となっている俺と小百合を見ていた。

 おかしい。小百合の〈幽世絡繰り糸〉によって、この建物内にいる全ての人間は俺達を認識できない状態にあるはず。異常だと分かっていても動けない。女の視線は縄で縛ったように物理的に俺の動きを封じていた。

 違う。導かれる結末に対して原初からある本能的な畏怖を抱いているのだ。

 視線を逸らせば、その瞬間にあの日本刀が疾走して世界から退場させられる。有無を言わさず、正邪を問う暇さえなく一撃で終わらされる。

 小百合と繋いだ手に力を込めた。強く、握り返される。肌と肌、浮かび流れる汗と密着感。伝って重力に引かれ落ちていく感触。研ぎ澄まされた感覚が一点だけに宿る。

 女は何者なのか。少なくとも男達の口ぶりから察するに敵対する存在ではないらしい。が、純粋に仲間というわけでもなさそうだった。先程の会話を噛み砕けば、常倉に雇われた傭兵といったところだろうか。

 何故、何のために。父親を捕らえるためか?

 過剰戦力だ。既に捕縛され、恐らくは痛めつけられている。精神性はともかく肉体が死に瀕していることは自宅に飛び散る血の量がありありと伝えていた。(むご)たらしい姿を目にする覚悟で乗り込んだ。だが、辿り着く前に濃密な死の気配が壁となって立ちはだかっている。

 女の目は俺を見つめ続けている。瞳の奥底を覗き込み、思考まで全て見透かして来々木 亮という人間を解析しようとしている。逸らせないし、逃れられない。

「お、おい。一体どこ見てやがるんだよ」

「そ、そうだ。忠告は有難く受け止めておくけどよ、

お前さんこそ持ち場を離れてもいいのかよ?」

「大体久音様はなんでこんな奴を呼んだんだ……」

「若のお相手、にしても年上すぎるしなっ!」

 男達が左右から問いを投げる。俺の代わり、ではないが疑念をぶつけてくれた。

 女の視線が動く。右の男を見て、顔を動かし左の男を見る。見られた男達が蛇に睨まれた蛙のように硬直する。代わりに俺の体が時間の呪縛から解き放たれた。

「答えが欲しければ、直接聞けばいいだろう」

「お、憶測で具申するなど、恐れ多い……」

「そうだ。久音様の逆鱗に触れれば――」

「この町に潜り込んだ警官や、その息子のように壊れるまで遊ばれる、か」

 動き出し、一歩踏み出そうとした俺の体が再び固まった。女の言葉はどんな防御も意味をなさず鼓膜を通して脳髄へ浸透していく。

 和久が俺にしたように、より強く激しく肉体を痛めつけていたのであれば。

 精神の部屋で頭にまとわりつく暗雲を振り払う。

 違う。そうあることを、絶望を刻み込む光景が広がっていることを覚悟していたはずだ。それを目にしても俺は常倉 和久と、その母親である久音と向き合わねばならない。

 そして正しき道へ押し戻す。

 どうやって? 彼らは法の定めた規則から逸脱している。どれだけ警察機関を取り込んでいても罰から逃れることはできない。

 何故説き伏せられると思えるのか。和久を止めず、父親への仕打ちを命じたか、(ある)いは看過した者が、諸悪の根源が悔い改めるのか。

 思考の闇を払う。肉体を縛る縄から抜け出るように激しく体を振る。

 俺が前へ一歩踏み出すと同時に女も上階へ戻るべく階段を上り始めていた。

「貴様らが言うように、私も私の職務を遂行するとしよう。

私に与えられた役割は侵入者の排除ではなく、囲われた子の御守だからな」

 振り向かず背後に声を投げて女が一定のリズムで階段を上っていく。言うなれば、侵入者を排除する役割は一階にいる人員、ひいては二階へ繋がる階段を守る二人の男に課せられた絶対の使命だと言っている。

 間違いない。女には、女にだけは俺と小百合が認識できている。

 新たな疑問が浮かぶ。俺達の存在を知覚できているのであれば、何故その情報を伝えないのか。何故見えるのか、も重要だが女の思考が全く読めない。

「……亮」

 消え入りそうなか細い声で俺の名が呼ばれた。手の感触を確かめる。

 握った手に対して、握り返す力は弱々しい。すぐさま俺は小百合を見た。

「小百合……どう、した?」

 小百合が震えている。

 元々、死人のように青白かった肌は土気色に染まっていた。

 が、それも一瞬だけ。染まった肌は元通り、生涯を病室で過ごしたような儚い白へと戻った。少女は震えを抑えつけるように空いた手で自らを抱く。

「大丈夫、だよ。まだ、大丈夫」

 繰り返す小百合の言葉が、巻き付き締め付ける蛇のごとき呪いに思えた。

 健在を示すように俺の手を強く握り返す。

 変わらない。九龍院という女がどういう存在であっても、味方であるとは思えない。少なくとも常倉 久音に雇われている以上、敵だと認識していた方がいい。

 振り返る。男二人は取り()かれたように階下に目を光らせていた。既に遅い。侵入者たる俺達はもうここまで来ている。引き返す理由もない。

「……行こう」

 短く告げる。階段を守るべき男達は俺の声に気付かず、階下へと下りていく。〈幽世絡繰り糸〉が効いていないわけではないようだ。

 視線を上へ。階段を上り切った女は、二階への扉を開け放ったまま器具で固定していた。

 誘われている。そう感じても、向かうしかない。

 盲目的な復讐者になれない。感情と暴力に支配されてはいけない。

 言葉で、法で律さなければこの世界の根幹から揺らいでしまう。情動と暴虐に晒され、砕けてしまうのなら正義が意味を失う。

 一歩ずつ階段を上っていく。小百合と共に、少しずつ進む。

 上り切って、俺達は開け放たれたままの扉の前に立った。

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