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灰色の境界  作者: 宵時
第四章「……ええ。時を経て、俺は殺人者になった」 「〝英雄(ヒーロー)〟とは言わないのだな」
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4-33 アンアンサード

 エレベーターから降りて外へ出る。

 マンションの中庭を抜けて通りを歩いていく。

 雪が降り始めているが、まだそれほど勢いは強くない。周りにも傘を差している者は今のところいないようだった。

 昼に差し掛かり道にはスーツ姿の勤め人や買い物に勤しむ主婦、午後の講義へ向かう大学生や専門学生、たくさんの人々が行き交う。雑踏に紛れ込む。

 肩がぶつかる。気にしない。怒りや不満の声は聞こえてこない。俺はこの世界で存在を認識されていない。空気を伴う手に添えられる柔らかい感触。

「私はここにいるから、ね?」

「わかってる」

 造られた世界で誰に感知されずとも、俺はここにいる。現在(いま)を生きている。脳髄は思考を(つむ)ぎ続け、心臓は脈動し全身へ血液に各種栄養素を運び循環させていく。

 疑うようもなく意識も肉体もここに在り、あるからこそ常倉 和久は疎ましく思う。予測できる理由は余りにもくだらない。だが、決めつけたくはない。

 軽く小百合の手を握り返す。固く強く、存在を刻み込む必要はない。

 人の波にもまれながら進んでいき、タクシーの停留所に着いた。待合所に先客はない。前を歩こうとする俺を制して、小百合が先に進む。

 待合所から道路に面した出口に立つと、既に待ち構えていたタクシーが後部ドアを開けてきた。手招きされ、先に押し込まれると後から小百合が純白のワンピースの裾を気にしつつ、大股で車内へ乗り込む。

「おやおや、お嬢ちゃん一人かい? お父さんかお母さんは?」

「ええ、私だけ。他に人がいるように見えるかしら」

「そう……ですね。お嬢ちゃんだけみたいで、すごいね。小学生?」

「あら、小学生でも携帯や個人端末を持つ時代よ?

一人でタクシーに乗ってもおかしくはないと思うのだけれど」

「それは……いえ、失礼しました」

 若い男の運転手がミラーでこちらを見つつ問うてきたことに、小百合は一切言いよどむことなく平静に受け答えをしていた。

 むしろ、圧倒しているようにも見えた。

 運転手の視線は意識して気にせぬように、と振る舞っているが潜在的感情がミラーへ向けさせて後部座席に座る小百合と、隣に座っている俺を見る。

 存在を認識していながら意識しないよう振る舞っているのがありありと分かった。いや、そんな反応が投げられるのは最初から分かっていた。本来ならば親がいないのを不審がるのに、そうした素振りを見せないのも理解しているからなのだろう。

 和やかに笑顔を浮かべて小百合が口を開く。

「運転手さん、クライムワーカーまで運んでもらえるかしら」

「クライムワーカーって……あの、津波で壊滅的被害を受けた」

「ええ。なるべく早くお願い」

「い、一体何の用があるのかな?

海沿いに行くならもっといい場所があるけれど」

「運転手さんはこんな幼女に欲情するような変態さんなのかしら」

「き、君は何を言って――」

「私が、どこで何をしようと貴方には関わり合いのないことでしょう?」

「そ、れ、は……」

 運転手が口ごもる。まるで何かに恐れているような情緒不安定さだった。

 多分、運転手の脳内では凄まじい速度で計算が行われている。自分が常倉一派に関わってしまうことに対する責任と、機嫌を損ねた時に襲い来る被害への恐怖が両天秤に釣られて揺れている。

 運転手の手が伸びる。小刻みに震えながらメーターをいじり、シートベルトを確認してミラーで周囲を確認する。

 和久の下へ辿り着く前に事故を起こさないか不安だ。

「怖がることも、身構えることもないでしょう?

こんなか弱き存在に何かできると?」

「す、みません。出します……ね」

「ええ。安全運転でお願い」

「は、はひ……いえ、はい。善処、します」

 タクシーが走り出す。景色が流れ、街並みに舞い踊る白が混じる。

 運転手は前を向いて運転することに集中している、ように見えるが時折視線を飛ばして来る。これでは命を握り()き使う犯罪者だ。俺は罪を犯したつもりはないし、小百合にしても同じだろう。

 学校で襲いかかってきた者達もそうだった。理由を問うても誰一人答える者はいなかった。存在を無視された時、誰も手を差し伸べる者はいなかった。

 理由など改めて問わなくても分かっている。誰も第二の堀川にはなりたくない。

 赤信号に引っかかり、停車する。横断歩道を人々が渡っていく。

 何事もなく世界は回転し、当たり前の形を保っている。

 俺と父親がこの地に来たことで平和を乱したというのであれば、災禍の中心は自らにある。だが、偽りの世界を認めてはいけない。その存在を許してはならない。

 迷える子羊を生贄に仕立て上げ、苦痛を盾に操られし犬によって狩り立てる。

 下からは絶対に這い上がれないヒエラルキーであり、頂点に立つ存在はあたかも愚物を見下ろす王のように虐げられ朽ち果てる姿を(たの)しむ。

 弱者を食い荒らし、終われば新たな生贄を選ぶ終わらない狂宴だ。

 王自身が飽きるか、誰かに断ち切られない限り終わることはない。

 法の介在する余地はあるのだろうか。警察が逮捕し、収監され獄中で生活を送れば自らが犯した罪を悔い改めるのだろうか。

 首を振る。耳の奥から、感情の底から湧き上がる声に耳を(ふさ)ぐ。

 前方の信号が変わり、タクシーが動き出す。また世界が流れていく。

 左折し、主要道路から外れる。高架橋を渡り、道なりに進む。前を走る車はなく、背後にも車は見えない。対向車線にも車はない。

 道路へ戻り、なだらかな坂を下りていく。小さく車体が揺れ、少しずつ大きくなっていく。立ち入り禁止の看板と、侵入を阻むロープがあるにはあるが、脇へとどかされ抑止力としては全く機能していない。背後に流れていく姿を見送る。

 道の左右には傷つき朽ちた建物の残骸が墓石のように並んでいる。

 町の中心部から離れて工業地帯に入っていた。いや、かつては工業地帯として栄えていたのだろうが、今は機能していない廃棄区画だ。視界に入る景観がそう思わせた。

 倒壊した建物がそのままの形で残されている。貨物を運ぶ道路には亀裂が走り、瓦礫や産業ゴミが積み重なって通れたものではない。

 タクシーは小刻みに揺れ続け、それでも走り続ける。道が整備されず、痛んだまま放逐されている証左だった。運転手の横顔からは真剣さが垣間見える。

 速度を落としつつ、右折すると鉄柵で囲まれたエリアが見えてきた。左右に並ぶ建物には海から漂流してきた雑多なゴミと瓦礫に入口を塞がれ本来の機能を果たせていない。

 もっとも、窓硝子(ガラス)は全て割れ砕けており人の気配もしないこの空間では、本当にただ存在するだけの人々に忘れられた風景の一部と化している。押し退けられた廃棄物は、車両が通るために急ごしらえで行われたように思えた。

 道の脇に作業用重機が起動キーを差し込まれたまま鎮座している。

 タクシーが速度を落としていき、滑るように門扉の前で止まった。

 周辺の建造物にある劣化具合が見られず、比較的最近作られたことが分かる。

 門扉は開かれており、敷地内には黒塗りの車両が何台も止まっていた。

 無論、タイヤもあり硝子も無事。車体に錆びもなく、むしろ薄暗い空の下でも怪しく光るくらいに磨き上げられていた。

 この空間に誰もいない、なんてことは有り得ない。

 門扉の隣には真新しい銀のプレートに黒でクライムワーカーと刻印されていた。

 タクシーを停車させた運転手が手元で操作し後部左側の扉を開かせる。

 ミラー越しに小百合を、いや隣に座ったままの俺を見ている。

「有難う、運転手さん。助かりました」

「……職務、ですから」

「お代は? ああ、カードでもいいのかしら」

「いえ、できれば現金で、お願いします」

「そう」

 淡々と会話を交わしつつ小百合が言われた通り現金での清算を終えた。

 やり取りをしている運転手の手は震えている。

「結婚、したばかりなんです。妻のおなかに、子供がいるんです」

 運転手の震える唇が独白をこぼす。俺は反応しない。小百合も何も言わない。

「僕に、できるのは、車を運転することくらいだから」

 運転手は理解しているのだ。違う。常倉一派に命じられたのだろう。

 断ったり、感付かれたりすれば妻子に被害が及ぶ。任務内容は問うまでもない。

「僕は、客の望む通りの場所へ、運んだ。運んだだけなんだ」

 わざわざ弁明する必要もない。運転手にも家族があり、親類がおり愛する者と共に日々を生活し未来を紡いでいく権利がある。守りたいという願いも理解できる。

 たとえ生贄を捧げることになっても、常倉に従う以外に選択肢はないだろう。

 警察に相談すれば即終了。大切なものが全て奪われ、失ってしまう。

 同じ二人でも立ち位置によってどちらが重要なのか、天秤に乗せる情愛や懸命さという(おもり)はもう片方に乗った命を容易に跳ね飛ばしてしまう。

 透明な雫が落ちていく。運転手が静かに涙を流していた。

 小百合は何も答えない。代わりに俺が俺の思うままを口にする。

「ええ、そうでしょう。あなたは選ぶべき道を決めた。それだけです」

 開いた扉に手をかけ、コンクリの上に足を下ろす。後に続く小百合へと手を伸ばし、華奢(きゃしゃ)な白い手を握ってエスコートする。扉は開いたまままだ。

 タクシーの横を通り、開け放たれた獄門へと向かう。横目で見た運転手はハンドルにもたれかかって嗚咽をあげている。

 小さく、何度も謝罪の言葉を繰り返していた。

「亮……あの人は」

「分かってる」

 あの運転手も、俺が生み出した被害者なのだろう。来々(くるるぎ) 啓志(けいし)と来々木 亮という異分子が入らなければ、家族を人質に取られることもなく良心を切り刻まれることもなかったのだろう。

「それは違うよ」

 手を繋いだまま、隣を歩いていく小百合が俺の内心を否定した。

「亮がいなくても、別の誰かが選ばれて運ぶことになったかもしれない。

亮がいたことで、運転手さんが生贄に選ばれなかったかもしれない」

「物は考えよう、というやつだな」

「どうせ同じ場所に()ちるなら、

よりいいことをしたと思い込んでおきたいでしょ?」

「そう……かも。うん」

 否、きっとそうなのだろう。

 人より優れた身体能力を持っていても、俺は人でしかない。散らばる因果の欠片を引き寄せるものを、繋ぐ糸を見ることはできないし操作することもできない。

 ただ、行いと歩いてきた軌跡を無為にしないために正当化することはできる。

 思い込みだと分かっていても、俺が運転手にできることは何もない。

 歩みを進める。門扉をくぐって、すぐに肌が異様な気配に気付いた。

 立ち止まる。

 急に止まった俺に引きずられて小百合も足を止めた。

「……気付いた?」

「かなりの数がいる、な。ざっと百人はいる」

「うん、そうだね。でも大丈夫だよ」

 小百合は軽い調子で肯定し、俺の手を引いて歩き出す。

 向かって左側には倉庫が並び立つ。被害に晒され朽ちているが修復が行われており、内側と外を真新しいシャッターで隔てている。

 倉庫に囲まれるように工場が建っており、それぞれに何らかの暗号を示すマークを刻んだ看板が立てられていた。

 和久の指定はクライムワーカーの跡地だが、余りに広い。だが、大勢で待ち伏せているわけでもなく、どこからか狙っているようでもなさそうだ。

 開けた立地であり、かつどの建物もほぼ同じ高さであるため狙撃には向かない。また、既に一度失敗した手段で襲い来ることも考え難い。

 考えながらも足は先を行く小百合に遅れないよう歩き続けている。

「一番多く人の気配を感じる場所にいけばいいよ。多分、そこだから」

「どれだけいようと、関係ないからな」

「ふふっ、頼もしいね」

「小百合がね」

「そっか……そうだよね」

 最大何人まで干渉できるのか不明だが、建物の規模からして一つの階層に駐屯する兵力は限られている。この敷地全体で恐らく百人以上はいるだろうが、それらはこの隔離された空間で密かに操業している者達であり、戦闘員としての認識からは外れる。

 建物の間を()って走り抜ける風に乗った芳香に誘われる。胸が痛む。腹の奥が熱くなる。朽ちた木を燃やしたような喉奥に絡む煙たさと甘ったるい香水が混じり合い、隠れるように滴る血臭が鼻の粘膜を突き刺した。

 襲い来たのは喪失の恐怖と暗がりに沈むべき願望。揺れ動きかき回す感覚。

 理性と欲望がせめぎ合い、黒と白の剣が打ち交わして(きし)れる。

「亮、本当に〝説得〟しにいくの?」

「……分からない」

 分からなくなっていた。

 精神の天秤が揺れ動くまま歩いていく。

 小百合もそれ以上言葉を重ねず随伴する。

 香りが濃く強くなっていく。

 誘蛾灯に誘われる羽虫のように、一つの建物を目指す。

 振り払えない血臭は軽い吐き気を催し、心に巣食う欲望に干渉し始めていた。

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