最終話 愛有る結婚式
俺、マティス・エルス・イェマがイェマに来てから、間も無く一年が経とうとしている。こちらに来てからというもの、これまで温めてきた国策を採用されたり、評価されたり、国民の皆に認めてもらえたり――と、様々な良い目を見せて貰った。今となっては心の底から「イェマに来て良かった」と思っている。それらの幸運を得た最大の要因は言わずもがな。俺の配偶者、イェマの女王イルメリ・イェマだ。
イルメリには、感謝してもしきれない。俺としては、恩義に報いる為にも、今後の人生の全てを彼女に捧げるつもりでいる。
だからこそ、執務室で作業中にイルメリの口から飛び出した提案に、俺は即応で承諾した。
「結婚式」
「うん」
「挙げたいと思うのだけれど」
「良いね。やろう」
俺の答えを聞いて、イルメリの顔に満面の笑みが浮かんだ。その表情を見て、俺の顔も自然と綻んだ。しかしながら、俺の眉根が僅かに歪んでいたことは否めない。俺の心底には「今更か」という想いが燻っていた。
そういえば、俺がイェマに来たその日にイルメリから「対面を取り繕うだけの婚姻」と言われてたなあ。
建前上、俺達の結婚に愛は無い。その為、神様の前で宣誓することは控えていた。俺達の距離も、偶に近付くことは有ったものの、永遠の愛を誓うには遠過ぎた。そう思っていた。ところが、それは全くの勘違いだった。
まさか、イルメリから愛されていたとは。
イルメリにネックレスを贈って以降、彼女の本心が駄々洩れし出した。離れていた距離も、今は隙間すら無い。尤も、俺から積極的にアプローチしている訳ではない。イルメリの方からグイグイ距離を詰めてきている。その態度の豹変ぶりには困惑することも有った。
しかしながら、俺にはイルメリのアプローチを拒む理由など最初から無い。
周囲の人々も、歓迎こそすれ非難めいた言葉を上げる者はいない。イルメリの近習達は、とっくに彼女の本心に気付いている。それも、イルメリがウガリット大学から帰郷した頃からずっと――らしい。その話を聞いたとき、俺の顔に鳩が豆鉄砲を食ったような表情が浮かんだ。
イルメリは、学生時代から俺のことを気に入っていた。その事実を知らなかった者は俺だけ。我ながら「鈍感だった」と苦笑する他無い。
俺が廷臣や侍従達に結婚式の話をすると、皆一様に「漸く、ですか」と苦笑した。その反応を目の当たりにする度、彼らの心中を察して、俺も苦笑した。
イェマの人々は、女王の恋の成就を祈念しながら、十年近くも焦れていた。その期待に、俺達は漸く応えることができた。
イェマ王宮の敷地内に立つ白亜の礼拝堂。極彩色のステンドグラスから射し込む陽光が室内を様々な色に染め上げている。
室内に並べられた長椅子には、青い礼服をまとった廷臣達が並んで座っている。その中には侍従長のクロートやイルメリの叔母、イルミナ・イェマ・メリアル子爵夫人の姿も有った。
参列者が見詰める最奥には、ウガリ神の徴である「宇」の字を象った巨大なモニュメントが立っている。その根元に、白い衣装をまとった三人の男女の姿が有った。
モニュメントの手前には、豪奢な法衣をまとった中年の男性が出入り口の方を向いて立っている。その中年男性の前で向かい合って立っている男女は、それぞれ宮廷軍用服と、純白のドレスをまとっていた。
中年男性はウガリ教の司祭。
向かい合っている男女は新郎新婦。尤も、二人が婚姻してから既に一年経っている。正直、「新郎」と言わると違和感を覚える。尤も、訂正する気は毛頭ない。そもそも、俺自身結婚式は初めてのこと。
俺はミントを噛み締めたような新鮮な気持ちを噛み締めながら、目の前に立つ白銀髪の美女を見詰めていた。
俺の視界に映ったイルメリは、何から何まで輝いていた。
後頭部でまとめられた白銀髪は、天の川と錯覚するほど、きめ細やかな煌めきを放っていた。
頭上に輝く白銀のティアラは、その精緻な意匠でイルメリの美しさを引き立てている。
イルメリの身にまとった白いドレスは、至る所に銀糸の意匠が凝らされていて、イルメリの全身を宝石のように輝かせていた。
イルメリの全身、その影すらも、何もかもが輝いている。少なくとも、俺の目にはそのように映っている。彼女を見詰めているだけで、俺の心臓が飛び出るほど激しく脈打った。正直、息苦しさを覚えている。しかしながら、今のイルメリの体には、俺の心を安らげるアイテムが付いていた。
イルメリの胸元で輝く青い花。俺が贈ったブルースターのネックレスだ。
今のイルメリが身に着けているものの中では一番の安物だ。それでも、イルメリは今日という日にそれを身に着けてくれた。その事実を思うと、俺の胸の奥と目頭が熱くなる。しかしながら、イェマの王配とあろう者が、宣誓前に泣く訳にはいかない。
俺は歯を食い縛って耐えた。その際、泣き顔のような間抜け面になっていることを自覚した。正直、誰にも見せたくない。特にイルメリには知られたくはない。
尤も、今のイルメリの目に、俺の顔は映っていなかった。
イルメリは、俺の方を向きながらも視線は僅かに下げていた。その表情は、普段通りの無表情――になろうと頑張っている様子。彼女の口角は吊り上がったり下がったりを繰り返している。それに併せて、目尻も下がったり上がったりを繰り返している。その様子を見ていると、俺の口角が自然に上がった。
こういうところ、似た者夫婦なのかもな。
俺達が互いに微妙な表情を作り合っていると、至近から静かな低音の声が上がった。
「宣誓の儀を執り行います」
司祭が声を上げた瞬間、騒がしかった礼拝堂が、水を打ったように静まり返った。その反応を意識したところで、司祭が俺の方を向いて声を上げた。
「汝、マティス・エルス・イェマ」
「はい」
俺は顔を上げて司祭を見た。好々爺とした優しげな顔をしている。その僅かに吊り上がった口が開いて、表情に見合った優しげな声を上げた。
「汝はイルメリ・イェマを妻とし、健やかなるときも、病めるときも――」
静寂の中、司祭の声だけが響き渡っている。俺は司祭の言葉を聞きながら、イルメリの方に視線を向けた。その瞬間、俺の視線がイルメリの視線とかち合った。
イルメリもまた、顔を上げて俺を見ていた。青い瞳を潤ませながら、真っ直ぐ俺を見詰めている。その視線を意識すると、俺の心底まで覗き込もうとしているように錯覚した。余程俺の返事が気になる様子。尤も、俺には彼女の期待を裏切る気など毛頭ない。
「誓いますか?」
司祭の確認の言葉に、俺は即応でハッキリ断言した。
「誓います」
俺の声が礼拝堂の中に響き渡っている。皆の耳に届いていることは予想に易い。当然、目の前にいるイルメリの耳にも入っていた。
イルメリの青い瞳は、今も真っ直ぐ俺に向けられている。しかし、そこに映っていた俺の顔は、今は全く確認できない。その事実を直感した瞬間、見詰める先の可憐な口が大きく震えた。
「うぅ……うううぅ……」
イルメリの口から嗚咽が漏れた。彼女は、俺を見詰めながら泣き出していた。その変調は、礼拝堂内にいる全ての人が直感していた。
「まさか」「陛下が泣くとは」「信じられん」
イルメリは、今まで誰にも涙を見せたことが無かった。親の葬儀ですら泣かなかった。その為、誰もがイルメリは泣かないものだと思い込んでいる。その偏見は、この瞬間綺麗サッパリ消失した。
イルメリの涙という天変地異が発生した為、礼拝堂内が俄かに騒がしくなった。それを疎ましく思っていると、俺の至近から中年男性の声が上がった。
「静粛に」
司祭の言葉に、再び礼拝堂内が静まり返った。その反応を確認した後、司祭はイルメリの方を向いて優しげな声を上げた。
「汝、イルメリ・イェマ」
「ぁぃ」
司祭の呼び掛けに、イルメリは震える声で応えた。とても小さな声だ。至近にいる俺が辛うじて分かる程度。幸いにして、司祭の耳にも届いていた。
「汝はマティス・エルス・イェマを夫とし、健やかなるときも、病めるときも――」
司祭から、俺に告げた内容と同じ言葉がイルメリに告げられた。その最後で、
「誓いますか?」
司祭は、確認の言葉を告げながら、イルメリの方に顔を寄せて耳をそばだたせた。その直後、イルメリの口から震える声が上がった。
「誓いますっ」
イルメリの声は、それなりに大きかった。俺の耳だけでなく、司祭にも、この場にいる全ての者の耳に届いている。
参列者達は一様に息を飲んでいた。尤も、それを意識するほどの精神的余裕は、俺にもイルメリにも無い。
今、俺達の意識と視界は、互いの存在だけに集中している。
イルメリの涙は、今は止まっていた。涙の痕が残る顔には、幸せそうな笑みが浮かんでいる。それを見詰めていると、俺の胸が熱くなる。口角も自然に上がっていく。
俺達の想いは、司祭が差し出した一対の指輪で具現化された。
結婚指輪。それ自体は以前から嵌めていたもの。しかし、この日の為に態々作り直している。何故かと言えば、イルメリが望んだからだ。
指輪のどこを弄ったのか? それは――指輪の裏側。
それぞれの指輪には、二人の名前が刻慣れている。只それだけ。しかし、それをイルメリが望んだと思うと、俺の胸が一層熱くなった。
俺達は、互いの名前を刻んだ結婚指輪を指に嵌め合った。
意匠を凝らした白銀の指輪が、再び互いの左手薬指に輝いた。俺としては、これで十分気持ちを表現できた。そのように確信した。しかし、俺達の誓いの行事は未だ終わらない。
俺が薬指に嵌った指輪に視線を向けたところで、司祭の言葉が耳に飛び込んできた。
「誓いの口付けを」
口付け。その言葉を聞いた瞬間、俺は息を飲んだ。イルメリに至っては、ビクリと体を大きく震わせて固まった。尤も、これは事前に確認している内容だ。今更躊躇う理由は無い。それでも、俺達の本能は、ほんの少しだけ躊躇いを覚えていた。
俺とイルメリにとって、これが正真正銘のファーストキス。
俺達は、もう直ぐ三十歳になろうとしている。「未だ子ども」と主張できる年齢ではない。それでも、男女の付き合いに関しては、互いに全くと言っていいほど何も無かった。
俺も、イルメリも、幼少期から王族の務めを果たそうと励んでいた。ウガリット大学にいた頃は、互いに勝とうとして、必死に鎬を削り合っていた。
卒業して国に戻った後、俺は兄王子達から冷遇されていた。イルメリは女王の職務に追われていた。結婚活動に勤しむ余裕が無い。しかし、互いに結婚の可能性は僅かばかり残されていた。
多忙な中で、イルメリは俺を求めてくれた。これは、俺にとっては幸運という他無い。尤も、俺がイェマに来て以降も、決して順風満帆といえるものでは無かった。
イルメリから「対面を取り繕うだけの婚姻」と釘を刺された挙句、互いに不干渉の規約まで結ばされた。
過去の出来事を想起すると、俺の顔に苦笑が浮かぶ。しかし、互いの不遇も、意地の張り合いも、今日で終わりだ。
「イルメリ」
俺はイルメリに声を掛けて、彼女の顎に右手を添えた。すると、イルメリは顔を上げて目を閉じた。
イルメリも、覚悟完了している。その反応を確認した後、俺はユックリ顔を近付けて、自分の唇をイルメリの唇に重ねた。その直後、礼拝堂の中で万雷の拍手が起こった。
騒音の中、俺とイルメリの唇が離れていく。互いに元の位置まで戻った後、互いの顔を見詰め合った。すると、視界に映った可憐な口が僅かに開いて、そこから聞き慣れた声が上がった。
「マティス――」
イルメリが俺の名前を呼んだ。未だ僅かに震えているものの、幾分か落ち着きを取り戻している様子。俺が黙って見詰めていると、再びイルメリの可憐な口が開いた。
「対面を取り繕いたいから――」
対面を取り繕う。俺がイェマに婿入りした際に聞いた言葉だ。イルメリは、未だに拘っているらしい。
この期に及んで意地を張るのも如何なものか?
俺は思わず苦笑した。その直後、イルメリの口から意外な、しかし、この場に最も適した言葉が飛び出した。
「世界一幸せな花嫁にしてね」
世界一幸せな花嫁。イルメリの性格や立場を鑑みると、彼女の願いを叶える人間は存外に少ないだろう。その事実は、俺を含めて、彼女の周囲にいる誰もが確信している。
イルメリの言葉の後、俺以外の全員の視線が俺の顔に突き刺さった。俺の顔が焼けると錯覚するほどの熱量を覚えた。その刺激を意識すると、顔に穴が開くように錯覚した。尤も、今の俺にとっては心地良い痛みだ。
そもそも、俺には皆の期待に応える気持ちは有った。「イェマに来る」と決めたときから存在している。その想いを、俺は素直に告げた。
「イルメリ」
「はい」
「君と結婚すると決めたときから、そのつもりだったよ」
俺は再びイルメリの顎に右手を添えて、互いに人生二回目の口付けをした。
対面を取り繕うだけの結婚と断言した女王様が、本気で俺を攻略しようとしているのだが。 The awkward Queen 了。




