八話 歪んだ ⑤
「あ〜、これはどういう状況かの?」
後ろから話しかけられ、俺はそちらを振り向く。見ると、ヨウコ先生が困り顔で、頭をポリポリと掻きながら、泣きわめいている少年の姿を見ていた。
「ヨウコ先生! と、幸宮!」
ヨウコ先生のデカい巨体の後ろに、具合の悪そうな幸宮が、小さく体を丸まらせて立っていた。
「幸宮、体は大丈夫?」
「ああ、なんとかな」
と、言いつつも、立っているのもつらそうで、実際、青い顔でヨウコ先生にもたれかかっていた。
「浅羽は……」
何かに気付いたのか、ふと、幸宮が俺の右の頬を触る。
「え? え? 何?」
そのまま悲しそうに眉根を寄せ、俺の右耳に触れた。
「いたっ!」
俺が痛みで顔を歪めると、幸宮は咄嗟に手を引く。
「すまない。私が……」
幸宮は落ち込んだ様子で俯き、胸の辺りで震えた拳を握った。
あっ、さっきの。戦いに夢中で忘れてた。
「幸宮のせいじゃないよ。もう血も止まってるし……」
安心させるようにへらっと笑うと、幸宮は僅かに微笑みを返してくれた。
「あ〜どっちでもいいが、わしにコレを説明してもらえんかの?」
ヨウコ先生は泣きじゃくる子供を指差した後、俺と神井さんを交互に指差す。神井さんはふぅっと溜め息をつき、腕を袂にしまうと、面倒だとでも言いたげに、俺を顎で差し示した。
俺はその様子に、肩で息を吐くと、さっき遭ったことをヨウコ先生に全て話した。
「つまりこの子供が、ツキビトを操り、お主らがそれを退治したと……」
疲れたように嘆息し、ヨウコ先生は少年の方をジトッとした目で見た。
先程よりは落ち着いた様子だが、未だにべそべそと泣きじゃくる少年の襟首を、ヨウコ先生はガッと掴んだ。
「おい小僧! 泣いとらんと話を聞かんか!」
彼女が舌打ちを一回したかと思うと、更に少年の襟首を伸びそうなほど捻り上げる。
「わしは泣き虫は好かんのだっ」
「ちょ、ヨウコ先生! こんな子供に……」
「子供だろうが何だろうが、ツキビトを操ったのだろう? とにかくこのままこうしてはおれん。小僧、名前は?」
ヨウコ先生の威圧感に押され、少年は完全に萎縮していた。
「名前くらい言わんか!」
更にデカい声で一喝すると、少年はビクッと肩を震わし、弱々しい声で言った。
「ひ! 光……」
答えを聞くや否やヨウコ先生は、満足げにふんっと鼻息を鳴らして、光くんの襟首をパッと離した。そして無言のまま、いきなり妖狐の姿へと変身する。
俺と幸宮、神井さんと光くんの四人は妖狐の背に乗り、『雨夜ノ月』の本拠地へとそのまま向かった。
光くんは妖狐の背中で、キュッと目を瞑っていたが、いつの間にか泣きつかれて眠ってしまっていた。
「つまりその子供がツキビトを操ったのですね」
妖狐の尻尾にしがみついて眠っている光くんを、見えないながらも目線で指差すように、慶子さんは静かに問う。妖狐は今は人間の姿になりはせず、大型犬くらいのサイズで、光くんを二本の尻尾で包みこんでいる。
「はい」
先程の狂気じみた気迫も、今の穏やかに眠っている光くんからは一切感じない。
まだ痛む耳を、俺はガーゼの上から無意識に触っていた。ほんのりとシャツに付いた血の匂いが、まだ鼻の奥に残っている。
本当にこの子供が、あの骸骨二体を操っていたのだろうかと、不思議にさえ感じる。
光くんの言っていた、「おねえちゃん」という人に、洗脳でもされているのだろうか?
「あの、慶子さん。この子の言うおねえちゃんって、もしかして、あの時ここに来ていた──」
「メアリー、のことでしょうね」
慶子さんは静かに目を閉じると、何かを瞼の裏に思い出すようにゆっくりと頷いた。
「その、メアリーってのは一体何者なんですか? 慶子さんと因縁があるように見えましたけど」
「メアリー。あの者は自らを……悪霊に身を捧げた者です」
「!?」
「私のひいおじいさんの代から、メアリーは突然現れました。おじいさんの話しでは、曽祖父がメアリーの顔に傷をつけたとか……。それ以来、『雨夜ノ月』を目の敵にし、度々襲って来るのです」
「ちょ、ちょっと待ってください! ひいおじいさんの代って……。確か大正時代でしたよね? どう見ても慶子さんと同じ年くらいにしか見えませんでしたよ!?」
俺は思わず立ち上がって慶子さんを凝視した。その瞬間、机の上のお茶がガチャンと揺れ、お茶が数滴溢れたが、慶子さんは静かに続ける。
「どうやったのか……」
首を振ると、慶子さんはその細い目をゆっくりと開けた。
「メアリーは自分自身をツキビトにし、自我を保っているのです」
「そんな! そんな人間いるはずない! まるで化け物か妖怪じゃないですか!」
「うん? 今わしのことを愚弄したか?」
「い、いや、ヨウコ先生のことは何も言ってませんよ……」
光くんと一緒に寝てるのかと思いきや、しっかりと耳は動いていて、妖狐がこちらをギロリと睨んだ。
「とにかく! こんな子供まで巻き込んで! 俺、許せないです! 明日にでもそいつの所に乗り込んで!」
「待て、浅羽。お前に何が出来る?」
道着の袂の中で腕を組み、あぐらをかいていた神井さんが、静かに俺の目を見据えた。
「で、でも、神井さんとみんなの力があれば!」
「幸宮を見ろ」
神井さんの視線の先には、座布団を枕にして、横になって寝ている幸宮がいた。
「こんな状態の幸宮を戦わせるのか?」
「幸宮……」
先程、自分の意思に反して無理に筋肉を使ったせいか、ひどい筋肉痛と関節痛に襲われているらしい。俺は自分の感情ばかり優先して、幸宮の現状など、まるで考えていなかった。
「すまん…、私が油断したばかりに……」
寝っ転がったまま、つらそうに顔を歪ませて、幸宮は俺に頭を垂れた。
「そんな、幸宮のせいじゃ……」
「それに、どこにいるかも分からん相手をどうやって見つける? 相手は神出鬼没。今まで奴がここに姿を見せたこと以外、誰もあいつを見かけたこともないのだぞ?」
神井さんの眼光が、鋭く俺の目の奥を射抜く。
正論を真正面からぶつけれられ、俺は一瞬たじろいだ。
「みんなは知ってたんですね……メアリーのこと……」
「ああ」
神井さんが静かに、袂に入れていた腕を動かした。
「何で俺だけ……」
こんな重要な事実を、俺にだけ知らされていなかった疎外感に、俺は下唇を思わず噛み締めていた。
「浅羽さん、隠していたわけじゃないのですよ。ただこれを知ってしまったら、本当に『雨夜ノ月』の争いに巻き込んでしまう。浅羽さんには、出来るだけ安全な所にいて欲しかっただけなのですよ」
「……そんなの、今更じゃないんですか?」
大体俺は、あの時既にメアリーと会っている。巻き込まれてるって言うなら、最初っから巻き込まれてるはずだ。話すタイミングなんていくらでもあったはずなのに。それなのに今まで黙ってたってことは……。
「それって……俺が弱いからですよね?」
ポツリと呟くと、皆それ以上何も言わなかった。
押し黙った顔が、俺の心に刺さる。
みんなの力なんて言っちゃいるけど、実際の戦力は、神井さんに幸宮さんに椿さん……ちっちゃいゆかりちゃんにだって、俺は遠く及ばない。みんなの足を引っ張っているのは、確実に俺自身だ。
「神井さん。……分かりました」
俺が弱いせいで……!
自分の無力さに嫌気が差し、痛いくらいに拳を握った。
────…………。
「…………ぅん」
直後、俺の目の端に小さな影が揺れ動いた。
「わんちゃん?」
今まで妖狐の尻尾をキュッと握りしめて離さなかった光くんが、重い瞼を擦り、ゆっくりと起き上がった。
「小僧、起きたのか。起きたのならもうよいな」
妖狐は「クァッ……」と、一瞬欠伸をし、足で伸びをすると、すくっと立ち上がった。
そして、煙をまといながら人間の姿に戻り、光くんを上から見下ろした。
「あぁ! わんちゃん!」
名残惜しそうに光くんはヨウコ先生に手を伸ばす。
「ええい! うっとうしい! わしは犬ではないわ!」
懸命に手を上に伸ばし、ヨウコ先生に抱きつこうとする光くんの頭を、ヨウコ先生はうざったそうに押さえつける。
その微笑ましい光景を見て、俺はいつの間にか、強ばっていた頬の力がふっと抜けるのを感じた。
「何だかんだ言ったって、結局面倒見いいんだからな。ヨウコ先生は」
「ふん、小僧がわしの尻尾を離さなかったせいで、人間になるタイミングが無かっただけだ」
「それにしては、サイズ変更してるけどね」
「お主はうるさい」
妖狐を犬呼ばわりする光くんに、その場に居る皆が少しだけ、ほんの少しだけ破顔していた。




