夢
相変わらずじっとりと熱い日曜日の朝、今日はゆっくりと朝ご飯を食べて、二度寝をしてぐうたらと過ごしてやろう、とベッドに腰を下ろすとスマホが鳴った。
係長の文字が浮かぶ。
あぁ、昨日のショートメールの返事が一晩明けての電話だなんて、なんてはた迷惑な人なのだろう。もう、『了解』の二文字でいいのではないですか?
しかし、右手の中では私のそんな気持ちを察することなく、私を呼び続ける『梁坂係長』の文字。観念するしかないだろう。人差し指で電話マークをスライドさせる。
「おはようございます」
「あぁ、おはよう。おらんかってんてな」
「はい。近所の方も知らないって言ってて」
「そぉかぁ。わかった。ありがとうな、せっかくの休日潰してもうてな。長野から連絡あったらまた連絡よろしく頼むわ。俺は、ちょっと実家の方に連絡してみるから」
「いえいえ。ぜんぜん。交通費に食事代まで頂いてしまって、申し訳ありません。また何かあったら連絡させて頂きます」
ちょっと皮肉を言ってみるが、伝わったとは思えない。
「ほな、よろしゅうな」
「はい」
そして、電話が切れた。五分もかからない会話だったが、電話を取る前に思っていたことに対する罪悪感が今さら出て来てしまった。いや、でも出来ることはちゃんとしてきたはずだ。そう思いながら、ラインを開き長野さんのトークを見つめる。
未だ既読なし。
そのままごろんと横になる。私に何か出来ることはあるだろうか。目を瞑って考えてみる。警察に連絡も必要なことかもしれない。しかし、既に四十にもなった女性一人が三日間職場の人間と連絡が取れないというだけで動いてくれるだろうか。長野さんの失踪理由は全く分からない。職場での人間関係も良好だ。人によっては、お節介が過ぎる職場ではあるかもしれないが、それが失踪に繋がる程とも思えない。
『警察に』はとりあえず実家の後かもしれない。それに、あのハルカが三号室に来たのは一昨日だということだ。実際に長野さんがいなくなっている時間は二日程かもしれないのだし。一番ありそうな実家がまだなのだから、勝手に早まってしまうのはよくない。
それにしても、長野さんは一体どこへ行ってしまったのだろう。ハルカが来た時長野さんはとても喜んでいた。自虐なのか、なんなのか。「もう、子ども産めへんやろって猫になって来てんわ」と言っていたのは確かだ。その我が子のように可愛がっていた猫まで置いて。
私は慌ててスマホを明るくする。一つ、しておくべきことを思いついたのだ。
『ハルカちゃんは三号室の人が預かってくれているらしいですよ。みんな心配しています。連絡ください』
私はラインの吹き出しを一つ増やして、そのまま二度寝モードに突入した。
ここは神社の石段のようだ。女子中学生が二人セーラー服を着てそこにしゃがみ込み、話をしている。内容は他愛のないものだ。将来について。恋愛。家族。
「あそこのクレープ屋さん今度行ってみーひん?」
「うん、行こー」
「でも、ゲンちゃんのタコ焼きも美味しいよね」
「美味しいよねぇ」
「子どもは三人くらいで、女の子ふたりと男の子がいいねん」
「私は、二人くらいがいいな。男の子と女の子」
「同級生とかやったらいいのにね」
「ほんまや。親子で友だちやねー」
「猫飼いたいなって思えへん?」
「思う。でも、不吉やから……あかんかな?」
「じゃあ、ここ出たら? 出たら飼っても大丈夫やんな?」
「わたし、大人になったら絶対に出て行くわ」
「…………秘密にする」
「うん……内緒。約束な」
「約束したやんっ」
「違う、私、違う。ゆってへんもん」
「うそつきっ」
「違うっ。違うってっ……はるかちゃん、待って」
あれ、ここはお寺? お経が聞こえてくる。畳に座る黒い服の人影。すすり泣く声。正面にお坊さん。線香の煙。セーラー服の女の子が泣いている。喪服の女性が泣き崩れている。
囁き声が聞える。
「魅入られたんや」
「喰われたんや」
「ここでは猫はタブーや」
猫は不吉や
いつの間にか日はすっかり高くなっていた。初夏の休日。窓まで閉めきって眠ってしまった私は、貼りつく衣服よりもずっと気持ちの悪い目覚めを感じていた。