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救いと絶望。

 視点――――残されたもの



 白い部屋。白くて清潔感のある部屋、無機質な部屋。そこに私は目を覚ます。

 頭にもやがかかったように何も考えることができない。でも、何とか自分のいる部屋が何処なのかが分かった。

 病院の一室。かろうじてそう読み取れた。病院なんて、誰かのお見舞いに行ったことすらないのだけれど、けど、どうしてか分かる。これは日本人が日本の地図を天気予報で覚えることと一緒で、ドラマやなんかの影響だろうか。

 私は病院で目を覚ましたようだ。だから、身なりも入院している人の着ている、簡素な服。患者服? 何ていうのだろう? 

 そして、私はベッドの上にいる。もちろん寝ていたからで当たり前なのだが、こういう記憶にないのに場所が変わっている時はいちいちチェックしてしまう。

 もちろん記憶と別のところで起きたのは初めてなんだけど。

 そして、病院で目が覚めるということは私は入院しているという事実が容易に推測できる。……入院したことなんて初めてだ。といって嬉しくなったりはしない。

 そして、しばらく何も考えずにぼうっと、空気だけを吸っている無駄な時間を過ごした。そしたら、ガラガラとドアが開く。

 私はゆっくり入ってくるものに視線を向ける。

「あ、目を覚ましましたか。じゃあ、先生呼んできますから、待っていてくださいね」

 ナース服を着た女の人、まあ、ナースの人が慣れた様子で驚く。入ってすぐに出て行ってしまったのでまた空気だけを吸う時間が私に与えられる。

 さっき気が付いたのだけど、記憶が混乱している。何時私は入院する事になったのか分からない。その理由も分からない。分かるのは今の私にある、全身をじんわりと痛めつける打撲の跡だけだ。

 そしてしばらくして、先生と呼ばれる人が入ってきて一通り私を診察する。そこで、どうやら一つだけ異常があったらしい。

 それはさっきから思っている事。記憶の混乱。それは一時的なもので大丈夫と言ってくれたのだけど、どういう訳か私に監視するように、交代で見回りが付くようになってしまった。

 そして、そのまま数日経った。

 けど、誰も私の見舞いに来なかった。

 そして、入院生活四日後、少しだけ変わったことがあった。

 先生と呼ばれてる私の担当の医者ではない、違う医者が来た。その医者は無精ひげをはやし、清潔な病院には合わない不潔さを持っていた。

「記憶が混乱しているんだって?」

「……はい」

 いきなり話しかけられて驚いた。部屋にある椅子には腰かけずに立ったまま話しかけてきた。そして、それはまだ続く。

「んーまあ、それが幸せなんだろうけど、真実に気づいたら君はきっと錯乱してしまう。何時思い出して錯乱するのかが分からないのは、何時爆発するか分からない爆弾を持っているのと同じだからね、オジサンの意見ではその爆弾をここで爆発させようと思うんだけど、いいかな?」

 この人の物言いは遠慮というものがなく、あるのは気だるさだけ。だけど、私は、私の記憶が取り戻せることは願ってもなかった。

 だから、二つ返事でいいですよと答えた。

 そして私の返事に変わった医者はにやける。

「あいさん。分かった。じゃあ、まず一つ。君の記憶喪失は頭に衝撃が加わって起きたものと精神的なものとある。けど、オジサンの見る限りではふとしたきっかけで戻ると思う」

「……はい」

「まず、君の入院の理由。それから言おう」

 一呼吸溜める。もったいぶっているように、そして後ろに控えているナースの方が心なしか不安そうに見つめている。

「自殺未遂だよ」

「…………え?」

 どうして自殺なんか。私はしたの? もう両親の事は乗り越えたと思ったのに。

「そして、もう一つもっと嫌なことがあるんだけど、聞くかい?」

「…………」

 自殺未遂という言葉が自分に当てはまらなかった。私がそんな事をしたのが信じられない。どうしても実感がわかない。でも、医者の言う事だから本当の事なんだろう。

「なんだ、だんまりか……聞きたくなったら呼べ。それとも思い出せ。早く爆弾を爆発させちまえ。そうしたらオジサンの仕事はしばらくねぇんだよ」

 そのまま立ち去る。

 私は少し放心状態になった。自分の行動が理解できない。まるで自殺はもう一人の私がしたみたいに思える。

 でも、頭の整理の材料が増えて、それが鍵になったのか、少しずつ記憶が戻ってくる。

 あの時私は猫を轢いて、それで……思い出して、逃げるように走って。少し落ち着いてから自殺しようとした。今思えば少しも落ち着いてはいなかったんだと思う。だって普通に考えて、自殺の理由に猫を轢いたじゃ話にならない。

 でも、何か一つだけ忘れている気がする。なんだろう? 

 その答えは出ることがなく、次の日になった。



 その日は雨で、陰鬱な空が私の心も暗くする。でも、気分は爽快だ。と言ってみる。言えるだけの元気を私は持っている。

 そして、今日も見舞いは来なかった。代わりに来たのは昨日の変わり者の医者。

「ハロゥ! 元気かぁ」

 その男の頬はうっすらと赤みを帯びている。

 多分アルコールが入っているんだろう。酒臭くはないが、そんな雰囲気だ。

「はい。元気です」

「そうか! で、聞きたくなったか? 悪い事」

 この質問はこの人がきたら私からでも聞こうとすら思っていた。

「はい、聞かせてください」

 真実に目を背けてはいけない。と、どこかにありそうなセリフを自分に言ってみる。

「そうかぁ聞きたいか。分かった。オジサンが言ってあげよう。君の弟さん、死んだよ」

「え?」

 嫌な言葉だった。脳が理解を拒んでいる。嘘じゃないだろうか、と都合のいい考えが生まれる。そんな事信じたくなかった。

「それも、君のせいだよ。君が自殺何てしなかったら彼は死ななかった。分かるかい? 分からないか。じゃあ、教えてやるよ」

 先生! と看護師の人が止めに入る。これ以上しゃべらせては駄目だと思った善意からであろう。今の私にはどうでも良かった。

「お前が…………お前が自分の弟を殺したんだ」

 もう反応したくなかった。信じたくもない。けど、その言葉で私の記憶が蘇る。見たくない! と叫んでも、一度溢れてしまった記憶の渦はとどまる事を知らない。

 だから、私はその記憶を思い出してしまう。

 私の弟は変わり者だった。自分の事を大切に思わない。かといって自殺するわけでもなく、私のため、友達のため、見知らぬ人のため、自分から進んで他人の役に立つことに必死だった。

 その生き方が私は可哀そうだと思った。

 そして、私が両親の死で苦しんでいる時に弟はつきっきりで看病してくれた。看病するときに仮眠すら取らないので、一度入院するはめにもなった。そして、次の日には病院を抜け出してまで、私に会いに来てくれた。

 それは、なんか弟らしくて、それがなんだか、可笑しくて。少しずつ元気になってきた。元気になろうとした。できるだけ笑おうとした。

 そして、自殺に追い込まれたときに、屋上で私は弟と対面した。

 私はその弟の姿が怖かった。どこまでも追ってくるのが、その時は怖かった。そして、精神も不安定だったんだろう。そのまま飛び降りてしまった。

 そして、ほぼ同時に弟も飛び降りる。

「生きてくれ、お姉ちゃん」

 最後の言葉はうまく聞き取れなかったけど。心には届いた。

 そして、この記憶は今の私を絶望させるものだった。

 私が弟を殺した。

 それが確定した。私は両親を殺し、弟も殺したのだ。

「いやぁあああああああぁああああああぁああああああぁあああああああああああぁ」

 叫ばずにはいられなかった。頭を抱え叫ぶ、そして立って走る。逃げる。現実から逃げるように走る。

 今度こそ、確実に死にたかった。死ぬしかないと思った。

 死ななければならないという義務感さえある。

 医者から逃げ、屋上に逃げ、屋上で雨に打たれ、でも走り、そのまま飛び降りようと思った。

 途端、心臓に酷い鈍痛が叫ぶ。ぎりっと締め付けられるように痛む。それのせいで私は倒れてしまった。

「生きてくれ、お姉ちゃん」

 弟の最後の言葉が聞こえる。脳の中から聞こえる。その声が私の心臓を締め付けているのだと分かる。

「生きてくれ、お姉ちゃん」

 その言葉は呪いのようなものだった。痛みに耐え、這いつくばるようにしてフェンスに近づくが、近づけば、近づくほど鼓動が早まり、痛む。

「生きてくれ、お姉ちゃん」

 病院の人達が後ろから追い付く。そんなことはどうでも良かった。

「私、生きていていいの?」

 誰もいないのに、言葉を掛ける。誰に? 分からない。

「私、死ななくていいの?」

 でも、話しかけることを止めれない。止めれるわけない。気が付いたら、涙が滝のように流れていた。

「私、もう生きていたくないよ」

 家族がいなくなってしまった。私のせいで。だから私は死にたい。生きたいわけがない。

「生きてくれ、お姉ちゃん」

「嫌だ……よ」

「生きてくれ、お姉ちゃん」

「嫌だよっ……死にたい…よぅ」

 けど、弟はそれを許してくれない。言葉が私を呪う。そして、医者たちにもつかまる。

「生きてくれ、お姉ちゃん」

 医者につかまれている手が、より一層逃げられないように強まる。逃げられないように、死ねないように、その力が強まる。

「……どうして、生きなきゃ駄目なの?」

 弱く呟く。もう私は力が入らないこの体では、死ねない呪縛を断ち切れないとあきらめている。けど、死にたい気持ちは変わらない。

「どうして……」

 答えて欲しかった。けど、背後から、私を掴んでいる人から、返答がある。

「生きなきゃ、駄目だからだ」

 私を押さえつけている男は変わり者の医者だった。

「すっきりしたか? もう死のうなんて思うなよ」

 返事は出来なかった。涙が溢れるだけで、泣いているだけだった。

 今はまだ分からない。けど、私はもう自殺できないんだろうな、と分かる。

 弟の最後の言葉が呪うから。私を死なせないように呪うから。

 だから、自然と死ぬまで、生き続けなければいけない。生き続け、苦しみ続けなければならない。永遠に、死ぬまで。

「生きてくれ、お姉ちゃん」

 いつかこの問いに、はい。と言える時が来るのだろうか。今はまだ分からない。

 でも、言葉だけでも返事をしようと思う。嫌で、嫌で、言いたくもない言葉。それを言ってみる。言うだけ。意味はない。

「うん、どうにか生きてみるよ」

 その言葉が本当になるまでは、呪われ続けるんだろう。けど、私は生きなければならない。嫌でも、辛くても、死にたくても、生きなければならない。

 後悔とともに、一生。

 空は晴れることはなく、雨は悪化するばかりだった。


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