3.
入寮してから早一週間がたつ。
知り合ってからというもの、ダンテは何かと僕に構ってくれる。
僕、というか僕とキースの両方にというのが正確な表現だろう。
初対面からの印象は間違っていなかったらしく、キースという男はいろいろとだらしがなかった。
重度の本の虫で熱中すると時間も何もかも忘れてしまって、放って置くと部屋から2、3日出てこない事がざらにあるそうだ。
もともとそんなキースを心配してダンテはちょくちょく食事に連れ出していたのだが、そこにめでたく僕も加えられた、というわけだ。
「なんだかその流れで誘われるのは、ちょっと…」
まるで僕もだらしがないやつと思われているようじゃないか。
そう思ったのだが、さすがにそこまで直接的に言うのは憚られて、はっきりしない言い回しをしてしまった。
しかし言いたいことは正確に伝わったのか、ダンテはやれやれと言わんばかりに首を振った。
「いーや、お前もキース先輩と同類だね」
「どこがですか?」
「じゃあ、昨日何時に寝たか答えてみろ」
「…」
「ほらな。顔見ればわかる」
言われて昨日の記憶を思い返すが、ぐうの音も出ない。
机に座って日課の勉強をして、集中しすぎたのか気がつけば空が明るかった。
鏡で見た顔はいつにも増して青白く、目の下の隈が濃かった。
ダメ人間どもめ、と捨て台詞を漏らすダンテから目をそらす。
「まあまあ。ノア、諦めてダンテに世話されてようよ。楽だよ」
からりと笑うキースに、顔を顰める。
今朝見たキースの姿を僕は忘れない。
髭はぼうぼう、髪はぐしゃぐしゃ、よれた寝間着のまま食堂に向かおうとしていたキースを止めたのはダンテだった。
少なくとも僕は、身の清潔は保っているはずだ。
キースと一緒くたにされるのは我慢がならない。
そんな思考のすべてがキースにはわかるらしい。
「み、見てよダンテ。この子の表情、まだ入学してすらいないのに上級生に対する態度じゃない」
「あー、自業自得なんじゃないすか」
ひーひー笑いながらダンテに同意を求めるキースだったが、あっさり切って捨てられていた。
「確かにあの人と一緒にするのは悪かった。謝るよ」
「わかっていただけて嬉しいです」
「おう」
ダンテはそう言って、にっと笑った。
出会ってから僕はこの人の笑顔ばかりを見ている気がする。
しばしの沈黙。
いまだキースはツボに入っているらしく、息を吸えずに苦しんでいた。
何となく気まずさを感じてそわそわする。
僕はたぶん、この二人といることは嫌ではないと思う。
けれどこういう沈黙は苦手だ。
単純に人付き合いが苦手なのか、それとも慣れの問題であるのか、今のところ僕にはわからない。
ずっと勉強ばかりをして来た。
義姉さまにいつも病気だと言ってからかわれるほどに、本当にそれだけしかしてこなかった。
別に強要されたわけではない。
ただ本当にそれ以外にどうすればいいのかわからなかったのだ。
「いつか必ず母さまを迎えに来てね」
母さまとの別れ際のその言葉が、常に頭の中にあった。
僕はあの頃から少しも変わらず、その約束を守るつもりでいた。
しかし子供の僕にそのいつかはあまりに遠く、出来ることもまた少なかった。
まんじりとして動かない現実を前に焦る気持ちのぶつけどころが、勉強をすることだったわけだ。
しばらくして発作が落ち着いたらしいキースと、真っ直ぐ前を向くダンテの横顔をこっそりと眺める。
彼らとの付き合いは、そんな閉じた世界にいた僕にとってまるで未知の領域だ。
だから寮に越してきてからもあまり変わり映えのしない日々の中で、彼らと過ごすこの時間だけがやけに長く感じられた。
他の家族の前ではやらないのに、僕の前でだけやたらと無駄口が増える使用人たち。
ぽんぽんと飛び交う世間話を僕はずっとくだらないと思ってきた。
けれど今、彼らが容易にできることが自身には出来ないのだと気付かされる毎日だ。
気の利いた相槌やさりげのない話題の提示、軽快なトーク…までは求めていないにせよ、そういった能力が僕には圧倒的について足りていなかった。
何か話題を振るべきだろうか。
そう思って頭を回転させるが、考えれば考えるほど浮かばない。
いい題材はないだろうかと不自然にならない程度に視線を走らせるが、どれもぴんとこない。
終いには石ころにさえアイデアがあるのではないかと、足元を凝視する始末だ。
「あれ、何かわい子ちゃん連れてるんだ?ダンテ」
「げっ」
「げっはないだろ。ひでえなー。で、その可愛い子紹介してくれよ。新入生か?」
いつの間に近付いてきたのか、ダンテの首に腕を回した姿勢で青年が僕の方を覗き込んでいた。
可愛い子、という言葉も勿論だがその軽薄な物言いが神経を逆撫でする。
頭にかっと血が上り、口を開きかけたその時だった。
「どーどー」
「なんの真似ですか」
「まあまあ、ノア。落ち着きなって」
キースが僕の肩に手を置き、自分の方へ右回りにくるりと回転させた。
動物を調教するような口調に、苛立ち混じりに文句を口にする。
そんな僕の機嫌など意にも介さないような態度で、キースは僕の肩をぽんぽんと叩いた。
「あれ、俺なんか悪いこと言っちゃったかな?」
「あー、こいつは自分の容姿にとやかく言われるのが嫌いなんだよ」
「へえ、褒めたつもりだったんだけどねえ」
後ろから聞こえてくる話し声に、少しずつ気持ちが落ち着いてくるのを感じた。
まただ。
相手に悪意がないにも関わらず、容姿のことについて言及されると冷静ではいられない。
もう大丈夫だと判断したのか、キースが僕の両肩から手を放した。
「すみません」
「どういたしまして」
謝る僕にへらりとキースは笑いかけた。
取り乱したことが恥ずかしくて、顔が熱くなる。
みっともなくて嫌になる。
「さっきはごめんね」
かけられた声に振り返ると、ダンテに促されるようにして青年が謝罪した。
青年は後頭部に手を添えながら、気まずいのか顔を少し伏せていた。
「いえ、こちらこそ。…過剰に反応してご迷惑をおかけしました」
ダンテの時には言えなかった謝罪の言葉を、こちらも口にする。
すると青年はぱっと顔を上げて、いたずらっ子のような表情を浮かべた。
「悪いと思うなら、さっきのことはお互い水に流して仲良くしようよ。俺はシルフ。ダンテの一番の親友だよ」
「誰が親友だ、誰が」
先程の殊勝な態度はどこへやら。
その切り替えの早さに唖然とする僕をよそに、ダンテが鋭い突っ込みを入れる。
「照れなくたっていいじゃない。一緒のベッドで寝た仲だろう?」
「気持ちの悪いことを言うな」
二人のじゃれ合いを見て確かに仲は良さそうだと思う。
ぽんぽんと交わされる楽しげなやり取りに気を取られていると、シルフと名乗った青年に手をとられていた。
そしてその手を上下にぶんぶんと振り回される。
僕は突然の暴挙に目を白黒させた。
握手のつもりだったのだろうが、握られた手と振り回された腕が少し傷んで思わず顔を顰める。
「ごめんね、痛かった?」
シルフはそんな僕の様子に気づいたのか顔を覗き込むと、すっと目を細めた。
ひやりとするような表情に一瞬息が止まる。
「あーもう、そんなにして腕が取れたらどうするんだよ」
「あはは、ごめんねー」
ダンテが割り込んでくれなかったらどうなっていただろう。
複雑な家庭環境で育った僕は、負の感情に敏感だ。
さっきの視線には明らかにそれがあった。
先程の僕の態度がよほど気に入らなかったのだろうか。
まず間違いなく初対面の彼に対して、僕が思い当たるのはそれくらいだ。
けれどそれなら、わざわざ仲良くなろうなんて言い出したのはどうしてなのだろう。
「いえ、よろしくお願いします」
「よろしくね、ノアくん」
そう言って何かを覆い隠すように笑ったシルフに、僕はかすかな警戒心を抱いたのだった。




