2.
目覚めというのは不思議なもので、何かに驚き飛び起きたあとに自室の扉が叩かれている事に気がついた。
「はい!すぐ行きます!」
何やらわからず慌ててそう叫んで、もうすっかり暗くなった部屋の扉を開く。
まず目に飛び込んできたのは、燃えるような赤毛の見知らぬ顔。
キースとは違って男らしく整った容貌の少年は僕を見るなり目を丸くしてこう口走った。
「え、なんでここに女がいるんだ?」
「は?」
寝ぼけ眼に何を言われたかがすぐに理解できず、目の前の口をうっすら開けた間抜けヅラを眺めているうちに、ようやく侮辱されたことに気がついた。
「どこをどう見たらそんな発言が出てくるんですか。それともその目は節穴か何かです?」
そういって迫るが、相手は口を半開きにして間抜け面をさらしている。
うんともすんとも言わない様子に痺れを切らして青年の身体を揺さぶるが、体格差のせいで思うようにいかず更に苛立ちが募る悪循環。
「目だけじゃなく口まで飾りだなんて、立派なのは図体だけですね」
口では挑発しながらも、相手の胸ぐらにぶら下がーーもとい、掴みかかる姿勢を保つのはなかなかにきつい。
手がじんと痺れてきて、今にも手を離しそうになったとき、軽やかな笑い声が耳をくすぐった。
「僕が見ないうちにすっかり仲良しみたいだね」
「なってないで…」
「キース先輩、ふざけてないで助けてくださいよ」
僕を遮って、少年がキースに話しかけた。
ほとほと困り果てたという表情にキースは呆れたように首を振ると僕の手を優しく掴み上げた。
手が限界だったこともあって、僕は素直に手を離した。
相手の反応が拍子抜けだったというのもある。
僕は怒りの感情が急速に萎んで行くのを感じた。
「女なんて言って悪かったよ」
怒っている理由、それだよなと頭をかきながら謝罪する少年を見て項垂れる。
冷静になったことで悪気がまるでなかったことがありありと伝わってきて、苦しい。
反射的に馬鹿にされたのだと思ってしまった。
「別に謝るなら、いいです」
「今度から言わない」
何となく少年の顔が見れず、俯いたまま頷く。
胸倉を掴んだことへの謝罪は僕の口からは出てこなかった。
「僕のこと、忘れてない?おふたりさん」
そんな僕の顔を覗き込んだのは、少し拗ねたような表情のキースだった。
「いえ、そんなことは…すみません」
「いーや謝る必要なんてないっすね。そもそもこんなことになったのは、キース先輩が初対面の俺にいきなり迎えを頼むから…っていてててて」
「生意気な口をたたくのはどの口かな?この口かなあ」
キースが青年の頬をつねるのを見て、ぽかんとする。
さっきまでたくましく見えた青年が、キースの横に並ぶとまるで小さく見えた。
「すみません、すみませんってば」
「まったく、ダンテも生意気になったものだよね」
「いてっ」
最後にキースはダンテと呼ばれた青年の額を中指で弾くと、僕の方を振り返った。
鈍い音がしたからかなりいいのが入ったのだろう、その後ろで悶ているダンテと呼ばれた青年はかなり痛そうだった。
「放置しちゃってごめんね。ノア。こいつはダンテ・カーライル。君の2学年上の3年生だよ。ちょっと無神経だけど、まあ悪いやつじゃないから仲良くしてあげてね」
「はあ」
僕の2つ上がダンテ、その3つ歳上なのがキースということか。
なんとなく頭の中で体格差と年齢差が上手く噛み合って納得する。
「ちょ、俺の自己紹介取らないでくださいよ。よろしくな、ノア!」
「よろしくお願いします。カーライル先輩」
額を赤くしたままの顔で、ダンテはにっと笑った。
屈託のない太陽のようや笑みを向けられて少したじろぐ。
先程までの僕の態度のことなど、まるで気にしていないようだった。
「それにしても、人が随分少ないんですね」
「ああ。今は休暇中だからな」
「時間帯が早ければ、もう少し人も多いと思うよ。今日は遅めの夕食だからね」
食堂は天井が高く、協会のような造りになっていた。
ステンドガラスで彩られた高窓は、陽の光が差し込めばさぞ美しいだろうと思った。
食堂といえば騒がしく賑わっている印象があったので、入った瞬間その静かさに驚いた。
3列に並んだ長机の、一番入り口に近いところを陣取って見回すが、僕ら3人の他には二桁足らずの人影しかないように見えた。
「ノア。お前そんだけしかとらなかったのか?」
「ええ、まあ」
ダンテに覗き込まれた自分の盆の上に視線を落とすが、それほどおかしな量には思えない。
パン一切れと、サラダ、それに鶏肉が入ったシチュー。
用意されたものは全てとったし、バランスの取れた健康的な食事だとも思う。
褒められこそすれ、ケチをつけられるようなものではない。
そう思ってダンテの方を見て驚いた。
「その量を、一人で?」
「ああ。当然だ」
なんてことのない顔でそう言ってのけるダンテに唖然とする。
僕の倍なんてものではない。
パンとサラダは皿の上に山のように積まれ、シチューはなぜか僕のものとは違うボウル状の器になみなみと注がれていた。
「そんなだと背伸びないぞ。ほら、分けてやる」
「え、いらなっ。…ああ」
器になみなみと入れられたシチューを見て肩を落とす。
「あーあ」
「これ食ってでかくなれよな」
「はぁ」
キースの同情的な視線を感じながらも、身長のことを言われると僕は弱かった。
いつもなら癇に障ったかもしれない台詞だったが、先程の件もある。
不思議と素直な気持ちで言葉を受け入れられた。
シチューなんてたかだか具の浮いた液体だ。
これくらいの量は完食できる範疇ではあるはず。
ため息をひとつ落として、スプーンを手に取る。
あまり食事は得意ではないから、憂鬱だ。
スプーンで掬って口に運び、飲み込む。
この動作を延々と繰り返す。
早く終えてしまいたくて、半ば掻き込むように食事を続けていると正面から視線を感じた。
「どうだ。美味いだろ」
にっと笑ってダンテが覗き込んでくる。
自分が作ったわけでもあるまいに、何故か誇らしげだ。
「ここの学校、食事には力入れてるからねえ」
キースが食事をする手を止めて、ダンテの方を見て言った。
美味しい、か。
僕はシチューを改めて見下ろして、匙に掬い口に運ぶ。
美味しいかなんて考えたこともなかった。
「な!美味しいだろ」
「…はい。美味しい、です」
別に特別美味しいとは思わなかった。
けれどそう言ってしまったのは、屈託のないダンテの言葉につられてしまったからかもしれない。
「美味しい」
そう言って食べたシチューはいつもより少し、優しい味がした気がした。




