第4話 (2/2)
それから二人はギルドに行き、大病院に薬を納品して、報酬を受け取り、協会で恵まれない子への支援をいくつか申し出てから、ついに自由となった。
時刻は昼過ぎ。ユクのお腹が鳴る。
「……ったく。お前は本当に分かりやすいな」
ギルドのカウンターで無愛想に報酬の金貨をひったくり、重くなった袋を腰に吊るす。その直後、静まり返った王都の石畳に響いた「ぐぅ〜」という間の抜けた音。
アルヴィスは一瞬だけ呆れ、それから堪えきれずに口角を上げた。
「……ま。やることやったんだ。あとは好き勝手して、帰ろうぜ」
アルヴィスはユクの手を引いたまま人混みをかき分けて、過去に何度か入ったことのある馴染みの店を目指した。
子供との別れ際にはあんなに沈んでいたユクの顔が、今は空腹のせいで少し情けなく、それでいてアルヴィスだけに見せる無防備な顔に戻っているのが、たまらなくアルヴィスの気分を良くした。
「……今日はいい肉を食わせてやる。お前の胃袋が、限界を超えるまでな」
たどり着いたのは、テラス席のある小奇麗なレストランだ。
アルヴィスはわざとユクを奥の席に押し込み、自分は外敵から彼を守るように通路側に座った。
「さあ、注文しろ。……今日は王都で一番高いやつを頼んでも、俺が許してやる。……お前が必死こいて稼いだ金だ。お前の血肉にするのが一番正しい使い道だろうが」
そう言いながら、アルヴィスはメニューをユクに突き出した。
だが、アルヴィスの視線はメニューではなく、窓から差し込む光に照らされたユクの指先に注がれている。
繋いでいた手の熱が、まだ残っている。
他人の命を救うために奔走し、腹を空かせ、今は目の前で目を輝かせている、ユクの手の、熱。
「……おい、ユク。早く決めろ。……早くお前のマヌケ面を見ねえと気が済まねえ」
「あ、アルヴィス様……これ……」
ユクがおずおずと指し示したのは……『カップルチャレンジ♡ハートのおむらいす』だった。
「あ、や、やっぱ、その……あ、ダメか……!」
言ってから恥ずかしくなったのか、また顔を真っ赤にして、メニューのページをペラペラと捲ろうとする。
――が、
「おい、止まれ。捲るな」
ユクの忙しなく動く手を、アルヴィスが光の速さで上からガシッと押さえつけた。
顔を真っ赤にしてパニックになっているユクの視線を、逃がさないようにじっと見据える。
「……『ハートのおむらいす』、だと?」
言葉を反芻するだけで、こめかみのあたりが熱くなるのを感じる。
周囲の客が「おい見ろよ、あの厳つい男と華奢な……」とヒソヒソ囁き合っているのが嫌でも耳に入る。普段のアルヴィスなら、そんな不躾な視線にはナイフよりも鋭い視線を返して黙らせるところだが……。
「……よし。頼め」
「えっ」と呆然と目を見開くユクに、アルヴィスはわざとらしく不機嫌そうな顔を崩さず、給仕の男を指先一つで呼び寄せた。
「おい、これだ。……その、なんだ……『カップル』なんとかとかいう、ふざけた名前のやつを持ってこい。……あぁ、一つだ。わかんねぇのか」
「アルヴィス様……!!」
アルヴィスの強引な注文に、ユクも胸が高まる。
「い、良いのですか……!? でもアルヴィス様の、食べたいものは……」
と言いつつ、撤回して欲しくはなかった。ユクは、子供のようにワガママを言う己を恥じる。
「……ほら、水でも飲んで落ち着け。飯が来たら、お前が責任を持って……まあ、食え。余りは俺が食ってやるから」
ユクは水をチビチビのみ、心を落ち着かせる。
「で、でも……」
「なんだ、まだなにか文句でもあるのか」
「えぇと……」
ユクは更に顔を赤くして、もじもじとうつむく。
この期に及んで、まだなにか恥ずかしいことがあるのだろうか。
「あ、余らないと思います」
「……」
「え、えへ……」
収入が安定してからまずアルヴィスを驚かせたのは、ユク本来の食欲だった。
「食べてもいい」「我慢しなくていい」とわかるや否や、ユクの食欲はすさまじかった。
最近は肉付きも良く、むにむにだ。
「わかった。じゃあこっちのステーキも頼む。ドリンクは……」
アルヴィスが手際よく注文すれば、給仕が「か、かしこまりました!」と調子よく去っていく。
それから、震えながらこちらを仰ぎ見ているユクに向き直る。
「……肉とオムライス。両方を半分こだ。お前、前に『全部俺にくれ』って言っただろ。……だったら、食事の時くらい、俺と同じものを食え。……運命共同体なんだからな、俺たちは」
アルヴィスは腕を組み、そっぽを向いた。
内心、心臓が爆発しそうなほど恥ずかしい。元暗殺者が、真っ昼間のレストランでハート型のメシを男とつつくなんて、末代までの恥だ。
だが、その恥辱よりも、ユクが「ダメか……!」と恥ずかしそうに、心を隠そうとする仕草を放置しておく方が、よっぽど耐え難いことだった。
それから。食事を待ちながら、ユクは雑談を振る。
「王都には、よく来られるんですか?」
「……王都、か」
アルヴィスはグラスの中の氷を無愛想に揺らし、窓の外の喧騒を眺めた。
「ここに来るのは、仕事の依頼を受けにくるか、獲物を追い詰める時くらいだ。……ここはいつだって人で溢れてるからな。口の利ける仕事相手か、利く必要のない肉塊か……」
ユクが知ろうとしている「アルヴィス」は、きっと彼が想像するよりもずっと薄暗く、救いようのない場所を歩いてきた。そんな話を、このキラキラしたレストランで、ハート型の飯を待っている間にするのは、あまりに場違いだった。
「……だが、今は違うな」
アルヴィスは視線を戻し、正面に座るユクをじっと見つめた。
「人に言わせりゃあ……俺は罪深い存在なんだろうな。神なんざ信じたことはないが……」
少しだけ声を落とし、アルヴィスは椅子に深く腰掛ける。
周囲に気を配る。今まで意識したこともなかった、人の喧噪に。
人と人の繋がり。
共に同じ机を囲み、食事を摂る。社会を成す。
その輪はずっと、存在していたのだろう。
アルヴィスが意識したことなかっただけで、人と人は繋がりを持っている。
帰る場所、向かう場所、様々な居場所が、ある。
――それはきっと、アルヴィスが仕事で仕留めてきた人たちにだって。
殺してきた人たちの顔や素性など、覚えてない。
意識を払ったこともないし、今更懺悔しろと詰られたとしても、本当の意味で「反省」や「赦しを求めること」をできるとも思えなかった。
しかし、自分が壊してしまったものを……今になって、理解する。
「ユク……」
アルヴィスはユクの方に視線を戻す。ユクもまた、アルヴィスと同じように周りを眺めていた。
「俺は、人殺しだ。どうして断罪しないんだ」
「……」
「どうして、俺を衛兵に突き出さない。報復が怖いか? 死ぬのが――」
ユクと目が合い、思わず言葉に詰まる。
生死無常を生きてきた男が。
なんの武力も持たない一人の男に、目を逸らせないでいる。
これが罪を自覚するということなのかもしれない。
皮肉にも、一人の男を愛することによって、理解してしまった。
自分は罪人である、と。
ユクは小首を傾げ、終始穏やかだ。
見ているとまるで、この時間は悠久なのかもと錯覚してしまうほどに。
「アルヴィス様は、どうしてその殺しをやめて、俺と共に居てくださるのですか?」
「それは……」
自分でも、よくわからなかった。
怨嗟や謀略、騙し合いなどは日常茶飯事だったが――誰かから幸せを望まれたことなんてなくて。
だから、間近で見るユクの「自分にだけ向けられる笑顔が、あたたかくて――もっと欲しいと思ってしまったのだ。
その笑顔が誰かに向けられているだけで、臓物が煮えくり返るような想いに妬かれる。
ユクの側に居るのは、その「もっと欲しい」と「誰にも渡さない」を同時に叶えられる、最適解だったからだ。
アルヴィスが自分のどす黒い独占欲を、ユクに見透かされまいと気まずそうに視線を逸らすと、ユクはアルヴィスの表情がおもしろかったのか、子供のように破顔し、ふふふと笑った。
そして、アルヴィスのゴツゴツした手に、そっと自身の手を添える。
「怖気づきましたか?」
ユクの口から聞きなれない語彙が飛び出してきて、出会った頃の意趣返しをされたのだと気づく。
「俺には、深い事情はわかりません……あなたが何を背負っていて、なにから逃げているのか」
そして、ユクの方から指を絡める。アルヴィスは、まるで蜘蛛の糸にかかった獲物のような気分を味わった。
「あなたが歩く罰の道を、俺も歩んでいいですか?」
「……」
「あなたが衛兵の元へ出頭するなら、俺も行きます。罪人を意図的に匿うことも罪ですから。あなたがまた一つの風になり、どこかへ行くなら、俺は……」
ユクの声に勢いが増しかけたとき、「お待たせしました!」と爽やかな声が割って入る。
これ見よがしにデカデカとケチャップでハートが描かれた大きなオムライスと、ステーキ肉が運ばれてきた。
「お、おいしそう……!!」
先ほど暗みを帯びかけていたユクの瞳が、一瞬で食べ物に吸い寄せられ、輝く。
「あ、アルヴィス様……!! いただきましょう!! 早く!!」
「……ああ」
なんだか煙に巻かれたような気がしないでもないが、食事の最中に掘り返すのも無粋な気がした。
ユクはアルヴィスの過去を知らないが、アルヴィスもまたユクの過去を知らない。
自分ばかり根掘り葉掘り話してしまいそうで……それはまた――懺悔のようだと、思わされる。
何に赦しを乞うているのかと問われれば、きっとユクだろう。
ユクがひとたび「大丈夫ですよ」と言ってくれれば、全て赦される気がした。
「悪いことですよ」と言ってくれれば、罪を贖える気がした。
――クソ、こんな感傷的になる奴だったか、俺は?
当の本人は、もう目の前の食事に夢中で、だらしなくにへにへと笑っているというのに。
アルヴィスは、頭をかきながら、ステーキ肉を切り分ける。
糧を、半分こ。
同じものを食べ、同じ寝床で眠る。
それなのに、一人ではない。
自分とユクが、本当の意味で一つになることは絶対にない。
けれど。
「お、おいしいです、アルヴィス様……!!」
口元を汚すことすら憚らず、幸せそうに飯を食らうこの男を、やはり誰にも渡したくなかった。




