3.9.03
微かな甘い匂い。
あいつは揺り籠の中で。
オレは5歳。
好奇心であいつの頬を指で触れた。
小さな手でオレの指を探して、握りしめた。
柔らかく、乳臭い小さな命。
簡単に壊れて無くなってしまいそうだった。
言葉にならないクーイング。
取り囲む、大人たちの声。
正面で微笑むのは、未希の両親。田心啓介、それと田心詩織。
横の気配は、オレの両親。大嶽和彦、大嶽深雪。
オレは、ただじっと……
オレの指を口に運ぼうとする、小さな未希を眺めていた。
目が覚めると、藁のベッドの上だった。
薄暗い部屋。
埃臭いが、微かに残る桃のような甘い気配。
身を起こすと、壁際に小汚いベッドが並ぶ小部屋。
オレ以外に、だれも居ない。
正面のドアから、橙色の光が、ゆらゆらと漏れている。
その先から、ガヤガヤと騒がしい声。
ときおり、ヒミコの黄色い掛け声。
……ああ、そうか。
ここは、酒場の宿泊部屋か。
最近まで、コユルギとシチリが寝泊りしていた部屋。
右手で自分のカラダに触れる。
左胸。ハラ。
順に確認したが、なんともない。
サンダーソニアは、左の腰に掛かっている。
左腕を叩いてデバイスを取り出す。
『 ELAPSED 03:45 』
記憶の回廊に入ってから4分。
この世界では、6時間程度が経っていた。
夢ではない。
オレは死んだんだ。
記憶の回廊で。
そして復活した。
メモリアで。
立ち上がってドアへ。
開けると、もわっと居酒屋の熱気。
正面から歩いて来たのはヒミコ。
カラのジョッキを抱えていた。
「あ、ソウジー! 死んだみたいに寝てたよ、大丈夫?」
「ああ……おはよう」
「あっちだよ」
ヒミコが、抱えたジョッキを店の外へ向ける。
オレは、ノロノロと店の外へ。
外のベンチに座っていたのは、アルクとクラゲだった。
「おや、気が付きましたか、ソウジさん」
「起きたかソウジ。言われたとおり、おまえのツケで呑んでるぞ。おまえも呑め」
ふたりのテーブルに腰かける。
ヒミコがエールを、オレの前に運んで立ち去った。
店は、忙しそうだ。
クラゲとアルクに問う。
「オレは、どうなった?」
「倒れてたんだぜ、回廊の扉が出現した場所でよ」
「回廊はどうなった?」
ジョッキを掴んで、エールを喉に流す。
クラゲと、アルクの説明を聞く。
「ソウジが取り込まれたあとに、消えちまってよ。暫くしたら、また現れて、ソウジが転がってたんだ」
「皆さん、驚いていましたよ。死んだように眠っていましたから」
「コユルギちゃんなんて、泣きながら心配してたぜ。あとで、顔見せてやれよ」
「ボーテス村で瀕死になられた時と同じ様子でしたから、私とクラゲさんで部屋に運んだのです」
「そうか……また世話になった」
「いいってことよ。お互い様だ」
それから、少しの会話。
エールを呑んで、金を渡して酒場を離れた。
少し考える時間が欲しかった。
酒場から、おやしろへ。
その道すがらで整理する。
記憶の回廊へ行くことはできた。
そして、回廊の守護者、田心啓介を模したNPCに斬り殺された。
あれを倒さなくては、先へは勧めない。
しかし、回廊で死んでも、カウント24からの強制退場は無かった。
つまり、何度でも挑戦できるということだ。
だが、いまのままでは勝てない。
文字通り太刀打ちできない。
デバイスを取り出す。
『 Summon a Gate 』
文字は赤色だった。
デバイスを水平にして、条件を整える
すると、緑色に変わる。
どうやら、いつでも、とこでも、回廊のゲートを呼び出せるようだ。
おやしろまで辿り着く。
ポーチを抜けて扉を開ける。
工房に入り、照明を照らす。
そして、奥まで歩き、竹刀を手に取った。
この建物も、この工房も、田心啓介が造ったものだ。
田心啓介は、ここで作った竹刀を振り続け、腕を磨き続けた。
そして、己と、記憶の回廊で、真剣で試合をしたのだろう。
田心啓介にとっての記憶の回廊は、過去の自分との対峙。
そして今は、その集大成が、オレの行く手に立ちふさがっている。
超えられるのか。
いや、剣技で越える必要はない。
オレはオレの技で、啓介を超える。
そして、あんたの娘。
未希を助けにいく。
使えるものは、全て使う。
全てをだ。
だが、それで、出し抜けるのか?
田心啓介を……




