3.4.07
未希が、ノートをめくっている。
そうか。
あの日記は、記憶の圧縮対策か。
オレがニフィル・ロードで過ごしたのは、まだ数日だ。
確かに、記憶は薄いが、忘れるほどではない。
だが、何度も出入りを繰り返している未希には、何十年も前のことなのだろう。
15歳の未希にとって、生きてきた時間よりも古い記憶だ。
「あった。これ」
「どれだ」
「見ないで」
ああ、もう……
「エレメントはね、知恵」
「記憶の回廊へ行って、知恵を選べばいいんだな?」
「うん、でも、もうひとつある」
「まだあるのか」
「うん。ガーディアン」
「ガーディアン? 守衛か何かか?」
「記憶の回廊には、前のプレイヤーを模した、ガーディアンが居るの。
それを倒せば、エレメント・ノードにいけるよ」
「わかった。そいつを殴り倒して助けに行く。待ってろ」
「うん。でも、たぶんみきのパパだよ」
「……ヤバ……楽しそう」
まゆが、目を輝かせている。
オレは、回廊で未希の父親を殺さなくてはならないのか。
そんな殺し合いのなにが楽しいんだ。
オレにはわからない。
「未希の件が片付いたら、オレのデバイスは、まゆにあげていいか?」
未希に尋ねる。
「うん。まゆさん、いっしょに冒険する」
「んんんん!」
まゆが、肩を揺らして、喜んでいる。
「まゆさん、日記みる?」
「うん」
2人が、オレに背中を向けて、日記を見ている。
やるべきことの整理はついた。
次のログインで、記憶の回廊を知る老人を探す。
難解だが、単純だ。
「あれ……」
小さく言葉を漏らした未希の動きがとまった。
のぞき込むと、未希は右手の指先で、ゆっくりと文字をなぞっていた。
「あれ……なんで……
やだ……ここ、忘れちゃってる……
どうして……」
「どうした? 未希?」
見ると、ぽろぽろと、大粒の涙を零していた。
「忘れちゃったの……ママのおうち……
やだぁ……お手紙ってなんだっけ……
覚えてないよぉ」
未希に近寄る。
開いているページは、ノートの最初の方だった。
小さな子供が書いた、幼く歪んだ文字。
『ママがさいしょにすんでいたおうち
おしえてもらった
ママのにおいがする
きていたふく つかっていたかばん くつ
かれたお花は ままからの おてがみ
みきもきたよ ままのおうちに おてがみもらったよ』
「ママ……ごめんね……みき、忘れちゃったよぅ」
涙を流し続ける未希。
その背中に手を添える、まゆも、涙を流していた。
「ごめんなさい……ママごめんなさい……」
意識を失うほどの長時間ログイン。
その弊害なのかもしれない。
未希は、ニフィル・ロードでの記憶の幾つかを、完全に失ってしまったようだ。
日記が無ければ、それに気付くこともなく消え失せてしまっていただろう。
覚えている者がこの世から消えた瞬間、そのページは、ただの歴史書になった。
「それは、いつの日記だ?」
ぐずぐずと、鼻をすする未希が、答えた。
「小学校3年生のとき……」
「そうか」
「うん……」
オレに掛けてやれる言葉は無い。
まゆが、未希に肩を寄せて一緒に泣いてくれている。
小学校3年生からか……
今の未希は、高校1年だ。
ニフィル・ロードで、未希はどれだけの経験をしたんだろうか。
その中で経験した時間は、現実世界の100倍だ。
未希が普通の生活を取り戻せたのは、そこで触れた温もりのおかげなのだろう。
「オレはそろそろ帰るよ」
「うん」
未希が涙声で答える。
「まゆはどうする」
「……もう少しここにいる」
「そうか」
後は頼んだ。
とは言わず、オレは未希の部屋を出た。
いつもは、どうでもいいオレだが。
未希だけはそうはいかない。
なぜだと聞かれてもわからない。
階段を降りる。
母に声を掛けようと探すと、キッチンの鍋の前だった。
煮込まれたホワイトソース、それに混ざる鶏肉とニンジンの匂い。
「帰るよ」
「あら、ご飯食べていかないの?」
「また来る」
玄関へ行き、揃えられていた靴を履く。
ドアを開けると、スマホが震えた。
取り出しながらポーチを抜ける。
雇用主からの依頼だった。
『明後日の昼から。仕事がある。空けておけ』
外はすっかり夕刻だった。雨雲の向こう側に夕陽が滲んでいる。
事前に予定を知らされるのは珍しい。
重要な案件なのだろう。
『わかりました』
スマホをポケットに戻す。
次は少し時間を取って、長い時間ログインしてみようか。
どうせ、他にやることもない。




