3.3.09
翌朝。
クラゲの家で、ふやかしたパンを食べてから、酒場に案内してもらう。
案内された「酒場」の見た目は、入り口が他より大きいだけの、平屋の民家だった。
ドアは開いている。
ドアの前の周囲には、丸太を半分に切ったベンチとテーブルのセットが4つ。
朝だが、建物全体から、壁や床にこびり付いたようなパンとアルコールの匂いが漂う。
夜は、さぞ賑わうのだろう。
クラゲがドアの前に立ち、建物の中に声を掛ける。
「マスター! いるかい?」
「おう、ちょっとまってろ」
ガスコスよりも1段低く、図太い男の声だった。
しばらくすると、ずんぐりとした大男が、エプロンを付けてのっそりと出てきた。
男はまるで、エプロンを付けたクマだった。
「なんだクラゲかよ。だれだそいつは」
「へへ……聞いて驚け、なんと……わたしびと様だ!!」
しばらく沈黙した。
大男のマスターは表情も変えずに、得意げな顔をするクラゲを、苛立たしそうに眺めている。
「おい、ソウジ……」
空気を察したクラゲが、左手を広げて、パンパンパンと、手のひらを叩いた。
「ああ、デバイスか」
オレは、左手を開いて3回、叩く。
手のひらが、ぼやっと光り、デバイスが出現した。
マスターの顔が、すこし緩んだ気がした。
「ほう……で、なんの用だ?」
「おやしろまで案内してやってくれ」
「おまえが行けばいいだろ」
「仕事あんだよ……」
「おれだってそうだ」
「わたしびと様だぞ? 恩売っといて損はないぞ?」
大男がしばらく考えてから「はぁぁ」と、溜息を付くと振り向いて家の方を向く。
「おい! ヒミコぉ!」
「はーい」
家の中から、黄色い女性の声。
暗い部屋の奥からサンダル履きで小走りで駆けてきた。
現れたのは、暗めのブロンド色をした三つ編みの少女だった。
歳は、13か14くらいだろうか。
胸元まで伸びた三つ編みの先に、赤いリボンを結んでいる。
白いチュニックの上に裏返した毛皮のベストを羽織り、赤と青の格子模様のスカートを穿いていた。
「よう、ヒミコちゃん。久しぶり。あっはは」
クラゲがデレデレとしている。
「クラゲさん、いらっしゃい。どうしたの?こんな朝早く」
「いや~、あっはははは、ヒミコちゃん元気かな~なんて」
「え~毎日元気ですよ、クラゲさんは、いつお店に来てくれるんですかぁ」
大男の店主は、何も言わずに店の奥に戻っていく。
クラゲとヒミコの会話は数分続いた。
しばらくして、ようやくヒミコがオレを見て、話題を変えた。
「えっと……こちらの人は?」
「おお、聞いて驚け、なんと……わたしびと様だ!!」
「ええ~うそ~~すご~い!」
ヒミコは、口を押えて、営業スマイルを作ったようだが。
「……で、なにする人?」
いいかげん、オレは二人の会話に割って入った。
「もういい……ヒミコだったか。おやしろまで案内してほしい。場所はわかるか?」
「おやしろ……? ああ、あの石でできた、お化け屋敷みたいなところ?」
「多分それだ。分かるか?」
「うんわかるよ。ちょっとまってて、お父さ~ん」
……お父さん?
「おう! いいぞ! いってこい!」
店の中から聞えたのは、あの大男の声だった。
似ても似つかない。
クラゲは何やら不満そうだ。
「おい、ソウジ。ヒミコちゃんに変なことすんなよ」
「え~、ソウジって言うんですか。ちょっとカッコいいかも…」
「もういい、行くぞ。
クラゲ。またあとでな。いろいろと助かった。ありがとう」
「お……おう……」
不服そうなクラゲを残し、ヒミコと共に、その場を離れた。
「で、ソウジはなにする人?」
先を行くヒミコが、顔だけコチラに向けた。
少し考えたが、答えは単純だった。
「人探しだ」
「ふーん、だれ? 恋人?」
「妹だ」
「ふーん……あ、ガスコスを半殺しにした人? なんか夕べお客さんが言ってた」
「違うが、ガスコスと2人で昨日この村に来た」
「そうなんだ。外の人って珍しいから、けっこう噂になってたよ」
「ヒミコは、マスターの娘か?」
「そうだよ。娘兼、看板娘。恋人は……まだ募集してない。お父さんがみんな追っ払っちゃう」
「だろうな……」
「ソウジも、お店に来てね。お昼からやってるから」
思えば、オレはこの世界のカネを持ってないな……
「そうだな。行けたら顔だすよ。おやしろまで、あとどのくらいだ」
「うーん、もう少し? あそこに森が見えるでしょ。あの手前くらいかな」
ヒミコが指さす森を見る。
まだ1キロはありそうだった。
バスやタクシーが走る社会の素晴らしさを思い知らされる。
それからずっと、ヒミコは喋り続けた。
さすが、居酒屋の看板娘というべきか。
現実世界のキャバ嬢になっても、ヒミコは人気がでそうだ。
そして、ヒミコの話を聞き流しながら、ようやく辿り着いた。
おやしろだ。
周囲は、木板の塀に囲まれていた。
中央に、木造のポーチがあるが、門扉はついていない。
ポーチの向こう、庭を挟んで20メートルほど先に、灰色の四角い石造りの建物が見える。
入ろうとすると、柔らかいなにかに阻まれ、跳ね返された。
塀に触れようと手を伸ばしてみても、それに手が届く前に、ふわりと見えないなにかに阻まれる。
その感触は、ウォーターベッドのようだった。
「じゃ、わたしは戻るね。お店に遊びに来てね。ぜったいだよ?」
言い終わると、ヒミコは来た道を戻っていった。
オレは、左手を叩いてデバイスを取り出す。
周囲になにも変化は無い。
デバイスを出したまま、ポーチに近づく。
すると跳ね返されることなく、ポーチを通り抜けた。
不思議な仕組みだった。
デバイスを消して、石造りの建物に近づく。
大きさは、クルマ2台が停められそうな程度だ。小さくはないが、大きくもない。
四角い石のレンガ造りの建物。
巨大なゴマ豆腐のようだった。
中央に、鉄枠でドアノブの付いた木製の扉がついている。
オレは、ドアに近づき、ドアノブを回す。
カギは掛かっていなかった。
そりゃそうだ。デバイスが無ければ入れない敷地。
カギを掛ける必要は無いだろう。
ドアを開けて、中をのぞく。
そこは作業場のような部屋だったが、窓が無いので、中は暗い。
ドアを閉めたら、何も見えなくなりそうだ。
部屋の中央に柱があり、その周囲に机が並べられている。
目を凝らすと、奥には梯子が見える。
なにか灯りはないのかと見渡すが見当たらない。
そうだと思い出し、オレはまたデバイスを取り出した。
デバイスはそれ自体が仄かに光る。
すると……
部屋の中に明かりがついた……
見ると、天井と壁のつなぎ目のところで、小さな石のようなものが光っている。
それが、あちこちに張り付き、部屋の中を照らしていた。
仕組みはまったくわからない。
だが、理解する必要も無いだろう。
いいかげん、ここはそういう世界だと割り切るのにも慣れた。
この家は、ログインデバイスを持つ者のみが扱える家。
その者の帰りを帰りを待っていただけ。
つまりそういうことなんだろう。
オレは、石レンガの家の中に足を踏み入れた。




