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20. まだその資格がないから


「……アナベル」

「! フェリクス様、お目覚めですか!」


 瞼を開けると、目の前には可憐な顔をぱっと赤らめて後ずさるアナベルの姿があった。


(……どうやらうっかりうたた寝をしてしまったらしいが、なぜアナベルがこの部屋に……?)


 フェリクスがまだぼんやりする頭のままアナベルを見つめると、アナベルは言い訳をするように慌てて事の次第を説明し始めた。


「あ、あの、図書室に行こうとしたら、神官の方から急用ができたので自分の代わりにフェリクス様の部屋に本を持っていってほしいと頼まれまして、それで伺ったんです。ご所望の本はそちらのテーブルの上に置いています……!」


 アナベルが手で示した方に目をやると、明らかに重量のありそうな本が四冊重ねて置いてあった。


「こんなに分厚い本……重かっただろうに、わざわざすまない」

「い、いえ、これも仕事のうちですから。……それより、お疲れのようですが大丈夫ですか? お茶でもお持ちしましょうか?」


 心配そうにこちらを見つめるアナベルに、先ほど見た夢のせいか、幼い頃の彼女の面影を感じる。

 ただただ純粋な心配、純粋な好意を向けてくれる唯一の存在。

 可愛い妹分だったはずが、いつしか愛しくかけがえのない存在になっていた。


 ──あの日、彼女を守るためなら何でもすると誓った。必要だというなら、この想いも、自分の命さえ犠牲にしたっていい。


「……大丈夫だ。少し寝たおかげで回復した」

「……嘘です。フェリクス様、誤魔化すときのお顔をなさってます」


 あの頃のように、フェリクスの嘘はアナベルに簡単に見破られてしまった。


「何かお手伝いできることはありませんか? 私にもできることがあれば仰ってください。何でも構いません」


 両手をぎゅっと握りしめながら心配そうな表情で自分を見つめるアナベルに、フェリクスの心は揺れた。


 まだ、アナベルを求める資格は自分にないというのに。それなのに、もっと彼女と一緒にいたい、その手に、その髪に、その頬に触れたいと願ってしまう。


「……では、息抜きに君の話を聞かせてくれないか?」


 つい彼女に手を伸ばしてしまいそうになるのを何とか堪え、代わりにささやかな頼み事をした。


「……私の話、ですか?」

「ああ。最近は気が塞ぐことが多いから、楽しい話が聞きたい」

「……分かりました。フェリクス様がお望みなら……」


 了承してくれたアナベルにソファを勧め、自分も向かいに腰を下ろした。

 こうしてアナベルと二人でいるだけで心が落ち着くのを感じる。


 最近は、自分が許可したこととはいえ、ベアトリスと一緒に過ごさなければならない時間が多くて、心底疲れていた。


 アナベルとの関係を不公平だと非難され、アナベルに悪意が向けられないようにと考えて、ベアトリスと過ごす時間を作ることにしたわけだが、二週間続いただけでうんざりだった。


 まず、あのきつい香水の匂いが堪らない。窓を開けて換気していても鼻に突き刺さるような刺激を感じるほどだ。そんな匂いをまとったまま側にぴたりと張り付き、あわよくばしなだれかかってこようとするので、節度ある距離を保つよう何度伝えたことか。


 そして会話の話題も、いかに自分の容姿と能力が優れているか、貴族の令息たちからいかに熱烈なアプローチを受けているか、自分の伴侶となれば金銭的な援助がいかに手厚くなされるかなど、空虚でくだらない話ばかりで、相槌を打つ気にもならない。

 心を無にして、早く時間が過ぎ去るのをひたすら待つ日々だった。


 沈んだ気持ちが顔に出ていたのか、アナベルは眉を下げて同情するような表情を見せると、最近あった楽しい出来事をあれこれと話してくれた。


 裏庭で珍しい野草を見つけて、食べてみたら美味しかったこと。厨房の女中や職人と仲良くなったおかげで、たまにおかずをおまけしてもらえること。料理を手伝わせてもらって卵を割ったら、黄身が二つ入っていたこと。


 どれも他愛のない話だったが、アナベルが心から幸せそうに話すので、そんな様子が愛おしくて、つい聞き入ってしまう。しかも食べ物の話ばかりなことがまた微笑ましい。

 

(……アナベルだけだ。俺の心を温かく包んでくれるのは)


 フェリクスは乾いていた心が久々に満たされていくのを感じた。


「……アナベル、楽しい話をありがとう。おかげで久しぶりに笑った気がする」

「楽しんでいただけたならよかったです」


 アナベルがほっとしたように微笑む。いつまでも彼女の話を聞いていたかったが、これ以上引き留めるのは彼女のためにもよくないだろうし、自制心が緩んでしまってはまずい。


 自分は人より理性的だと思っていたが、アナベルの側にいると、つい気持ちを抑えるのをやめてしまいたくなる。……彼女とは距離を置かなければならないと決めたのに。


「引き留めてすまなかった。そろそろ戻るといい」


 フェリクスがそう声を掛けると、アナベルは山積みの本に目をやって少しためらう様子を見せた後、静かにソファから立ち上がった。


「また何かお手伝いできることがあったら、遠慮なく申し付けてくださいね。本から必要な記述を探すとか、書類をお届けするとか、それくらいのことでしたら、私にもできると思うので……」

「ありがとう。そのときはお願いする」


 部屋を出ていくアナベルを名残惜しい気持ちで見送った後、フェリクスは執務机に戻って読みかけだった本へと目を落とした。


「……この本にもなさそうだな」


 今度こそと縋るような気持ちで検めては失望の溜め息を吐くことを、もう何百回繰り返しただろうか。

 二年かけてあらゆる書物を読み漁り、古語で書かれた本も読み解いてきたが、求めている答えが記された書物は未だ見つからない。もはや、この世に存在していないのではないかと不安になることもあるが、自分が諦めるわけにはいかない。


 フェリクスは本を手に取って最後まで目を通すと、もう読み終えたときの恒例ともなりつつある大きな溜め息を吐いて、ぱたんと本を閉じた。


「ここにも見つからないか……」


 きっと、その時(・・・)まで、あまり時間がない。早く何とかしなければ。


 フェリクスは読み終えた本を机の端によけると、次の古書を手に取り、真剣な面持ちでページをめくり始めた。



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