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その四十三 雫、それでも感謝する

「――お見それいたしましたッ」


 桜は顔を上げぬまま、湯で濡れた床に片膝を付いた。

 天井から水滴が、ぽつりと音を立てて湯に滴り落ちる。

 軽く息を吐くと、雫は静かに問うた。


「桜ちゃんは……何者なの?」

「私は――将軍様の御庭番、伊賀組の、くのいちに御座います」


 これまでとは少少異なる張りのある声でそう応えられ、ああ、と雫は納得する。そう云えば絵巻にも、忍者の絵が描き込まれていた、と思い出した。


 先の鴉との闘いのときも、桜は銃を撃つよりもまるで手裏剣を投げるように直截ぶつける方を得手としているようだった。それもやはり、しのび故のことなのであろう。


「女忍者……だよね」

「左様に御座います。将軍様直直じきじきの命を受け、浄瑠璃姫を藩邸へ連れ戻しに隠密として参った次第。初めのうちはただ連れ戻すだけでよいと云われておりました。ですからあのような脅し文句を貼り付け、宿の者を怯えさせて帰らせようと。しかしわたくしが力及ばず、なかなか上手く事を運べなかったがために、業を煮やした上様は――」

「殺せ、と?」


 はい、と桜は心底辛そうに頷いた。


「人づてにではありますが、昨日そう聞き及びました。姫様にもお目掛けいただいておりましたゆえ内心煩悶いたしましたが、これでも忍の端くれ、何とかせねばと心を殺し、それで結局、御剣様を謀るような真似を――本当に、申し訳御座いませんでしたッ」


 泣き出しそうな声でそう云うと、桜は濡れるのも厭わず湯殿の床に平伏した。雫は慌てる。


「ちょっとちょっとちょっと、桜ちゃん、風邪引くから……」

「私など、風邪でもこじらせて永遠に伏せっておればよい、真実まつこと真実まつこと救いがたき愚か者の極みに御座いますッ。あろう事か私如きが御剣様を利用しようなど、五十六億七千万年早い分不相応ぶんふそうおうな所行」

「そこまで遜らなくても……とにかく顔を上げて」


 流石の雫も少し引いてしまうが、桜はぴったりと伏せたまま動こうともしない。顔も髪も浴衣も既に湯でべたべたになっている。


「と、とんでもないことに御座いますッ。そしてそこまでしておきながら何もかもが失敗し、上様の命も守れず、御剣様にもご迷惑ばかり掛け、あまつさえ妖怪あやかし退治の用も果たさず、何一つお役に立たぬまま。くのいち失格どころか人としてどうしようもない、正に捨て草」


 繰り返し繰り返し頭を床に擦りつけると、最後に桜はこう云った。


「私など、生きている価値もない塵芥ごみのような者に御座いますッ」

「……いい加減にしなさい」


 雫はゆっくりと、云った。

 桜は僅かに顔を上げると、潤んだ目を円くして呟いた。


「――は」

「役立たずとかゴミだとか……」

 湯船の中にもたれ掛かったまま、天井の隅の方を眺めつつ、雫は淡淡と述べる。

「……そんな人と仲良くしてた私はどうなるの? ゴミ仲間?」

「と、とんでも御座いませんッ」


 御剣様が私如きにお付き合いくださったことこそこの上なき僥倖ぎようこう、と早口に桜は云う。呆れ半分に雫は苦笑した。


「あのね、私は、そんなゴミ屑みたいに役に立たないどうしようもない人とは、初めから付き合ったりしません。大体……役立たずって、誰にとっての話? 桜ちゃんに町を案内してもらって、どこかのおバカとあっちこっちぶらぶらして、私は楽しかった。私にとっては充分に役に立ってるお友達。でしょう? 上様がどれだけ偉いか私の知ったこっちゃないし、くのいちとしての仕事がどれだけ大事か私にはよく分からないけど……でも桜ちゃんは、それだけしかない人間じゃないんだから。あなたは私にとって、ゴミでもないし、役立たずでもない。それじゃダメかな」


 楽しく過ごさせてくれて、本当に有難うね、と雫は笑って告げた。

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