ep18 英雄の夢(改稿版)
ゼノスは当時の夢を見ていた。
当時とは言うまでもなく、白銀の聖騎士として名を馳せていた頃である。
白銀の甲冑を纏い、紅蓮のマントをなびかせ、愛剣リベルタスと共に戦場を駆け巡る。その武勇伝は吟遊詩人によって語り継がれ、凱旋の際にはいつも多くの国民の歓迎を受けていた。
ゼノスが夢見た時代は、亡霊王を倒して帰還したときである。
ネリフェン大陸にある、千年前に滅びたとされる古都アグネイアス。その古城に居座る初代国王の亡霊を打ち倒してきたのが、今回の夢の始まりである。亡霊は覇王とも呼ばれ、数百年間誰も倒せなかった化け物を、ゼノスは難なく倒して来たのだ。
ランドリオに帰れば、聖騎士という英雄は拍手喝采を浴びる。多くの男達の憧れとなり、多くの女性達を虜にし、そして多くの子供達に希望を与えた。
――白銀の聖騎士に敗北はない
巷ではそう謳われ、実際ゼノスが負ける事はなかった。
……負けることを、許されなかった。
凱旋パレードを終え、聖騎士は騎士団宿舎へとやって来た。
入口の門を潜った途端、彼は多くの騎士団員に囲まれる。それはいつもの事であり、流石の聖騎士も慣れた仕草であった。
「せ、聖騎士様!先の敵はどうでしたかっ?」
ふと、大群の中から見知った声音が聞こえている。
聖騎士は兜の中で微笑み、言葉を返す。
「……中々手強い相手だったよ、リリス。亡霊というだけあって、異様な執着心で俺の刃を受け続けていた。留守中は何もなかったか?」
「え、ええ!何もありませんでしたわ!このリリス、貴方様の役に立とうと努めてまいりました!」
聖騎士の横に立つ部下、リリスは満面の笑みで答えていた。歳は彼女の方が上だが、まるで子どものようにはしゃいでいる。
そしてリリスに続くように、聖騎士の知り合い達が声をかけてくる。聖騎士と同じ六大将軍、イルディエとラインである。
イルディエは不敵にはにかみ、聖騎士の脇腹を小突いてくる。
「流石ね、ゼノ……っと、今は聖騎士だったわね。また伝説を作るなんて、私もうかうかしてられないわね」
「謙遜するなよイルディエ。『不死の女王』の伝説も沢山あるだろうに」
不死の女王とはイルディエの異名である。所以は話すと長くなるが、彼女もまた聖騎士に匹敵する力を有している。知らない人はいない、まさに英雄の一人だ。
彼女の称賛が終わると、今度はラインが近寄ってくる。
「いやあ、流石は聖騎士だね。……てか、こんな時くらい兜を外したらどうだい?今日は心なしか暑いよ」
ラインは苦笑しながら言ってくる。
「……いや、脱ぐ気はない。この場にいる以上、騎士としての体裁があるからな」
これもまたいつもの流れだ。彼が茶化すように言ってきて、ゼノスが困ったように返事を返す。長年の友人としての会話でもある。
こうして彼ら以外にも人は沢山やって来て、聖騎士と話をしようと集ってくる。皆が彼を慕い、彼にアピールしようと様々な話をしてくる。
――が、それもある人物の来訪によって終わる。
宿舎に響くヒールの音が聞こえると、騎士達は一斉に散り散りとなり、その音の方へとかしづく。
甲高いヒールの音色を響かせるのは、一人の少女。
この国の皇女であり、絶世の美姫としても讃えられている――アリーチェであった。彼女はゼノスに向けて軽く手を振り、緩やかな足取りで近付いてくる。
周りの人間はもちろん、聖騎士もその美しさに見惚れていた。
「――聖騎士様、よく帰って来てくれました。お怪我はありませんでしたか?」
「ええ、この通り無事でございます。アリーチェ様もお変わりないようで何よりです」
「はい、私もまた元気ですよ。先日は街中を視察したほどですから」
その麗しい見た目とは裏腹に、快活な調子で応えてくるアリーチェ。天真爛漫な皇女殿下を、一同は和やかに見守っていた。
……だがふいに、彼女は寂しそうな瞳を向けてくる。
アリーチェは更に聖騎士へと接近し、白銀色に染まった兜へと手を当ててくる。まるで欲するものに触れられないかの如く、名残惜しそうに撫でる。
「……この兜は、どうしても外せないのですね。直に見て、本当の貴方と向き合って話したいのですが……」
とっさの一言に、聖騎士は即答できなかった。
他の者ならはっきりと断れる。だが最も敬愛し、絶対に従う誓ったこの姫に言われると、流石にきっぱりとは断れない。
こんなことは、初めてであった。
「そ、それは」
申し訳ない、そう答える寸前――
「いえ……忘れてください……。嫌だと分かっているのに、こんな事を言ってしまいごめんなさい…」
アリーチェは申し訳なさそうに謝ってくる。
しばらくは何も発してこなかった。何故だか周囲も静まり返り、辺りは異様な雰囲気に包まれる。最初こそ違和感はなかったが、やがてそれが異常だと言うことに気付く。
兜の中で眉をひそめ、聖騎士は周囲を見渡す。
ここには多くの人間がいるのに、誰一人として言葉を発さない。その代わり彼等はゼノスへと冷ややかな視線を向け……にやにやと微笑んでくる。
「み、みんな……?ア、アリーチェ様、皆の様子が」
と、彼女の顔を見た時、聖騎士は更なる驚きに晒される。
悲しそうに俯き、所在なげに佇んでいたアリーチェもまた――
――静かに嘲笑していた。
『ふふ、ごめんなさい聖騎士様。あまりにも貴方が情けなく見えたので、ついつい笑ってしまいました』
アリーチェは見下すようにゼノスを見据え、吐き捨てるように呟く。彼女の声ではあるが、まるで別人が話しているかのようだ。
ゼノスは震えが止まらず、一歩退く。
だがそれに呼応するように、彼女はまた一歩近づく。
『騎士としての体裁?よくもまあそう言えますね。……理由はこうでしょう?もし万が一、自分が敗北したら……ああ怖い。顔を晒したら一生非難され続ける。だから兜で隠そう。そうすれば、逃れることができると』
「や、やめろ……違う」
すると、今度は横から手が伸びてくる。
細い手がゼノスの腕を掴み、その張本人――イルディエもまた蔑むように口ずさむ。
『なーにが違うのよ?臆病者。力はあるくせに、心はまるでガラスのように脆いわね。六大将軍の恥さらし、人々の非難が怖くて逃げた弱者。……私達は一生、ゼノスを軽蔑するわ』
「イ、イルディエ……?」
違う、違うと心中で唱えるゼノス。
そこに、ラインの侮蔑が加わる。
『さあ皆、これで分かったよねえ?こいつが兜を脱がない理由をさ。全く呆れちゃうよねえ。……言っておやりよ、弱者は出て行けって』
ラインがそう言うと、周囲の騎士たちは一斉に声を張り上げる。
『出て行け腰抜け!』
『あんたにはがっかりだよ!弱虫が!』
『騎士の風上にも置けない奴め!』
怒りと怨嗟の念を込めて、彼等は聖騎士を非難する。
ゼノスが恐れていたこと、それは親しい存在に裏切られることだ。
永遠に続く罵倒の声。遂にゼノスは膝をつき、兜を脱ぎ捨てる。そして耳に両手を当て、聞こえないよう完全にふさぐ。
しかしそれでも聞こえる。何故ならここは夢だから。
今度は脳裏に響いてくる。さきほどの罵声が、まるで悪魔のささやきのようにループする。
嫌だ、助けてくれ。
確かに自分は、皆が思っているような英雄じゃない。本当は弱いんだ。だから――もう!!
『だから言ったでしょう?貴方が剣を振るう事、それは災厄の始まりだという事を。――相応の覚悟がなければ、こうなるんだよ』
最後の言葉は、ここにいる誰のものでもない。だが妙にはっきりと聞こえ、吸い込んだ空気のように脳内へと浸透していく。
それを期に、ゼノスの意識は悪夢から解放されていく。