第百三話 新の風のエレメント
石を作る課題が終わったあとも、実習室の空気はしばらくざわついていた。
去年と同じことをしたはずなのに、目の前に並んだものは何ひとつ同じではなかったからだ。
形も、質感も、そこに漂う気配も、それぞれがそれぞれの一年をそのまま抱えているみたいだった。
「よし」
御影先生が、ひとつ手を打つ。
「今ので、お前らがどう変わったかは見えた」
「じゃあ次は、その変化をどう伸ばすかだ」
黒板に、太い字が並ぶ。
属性ごとの強化
エレメントとの接続精度
出力の制御
「エレメントは、ただ強く出せばいいってもんじゃない」
御影先生は腕を組んだまま言う。
「雑に大きく出すだけなら、ある程度は誰でもやれる」
「大事なのは、自分のエレメントと噛み合うやり方で伸ばすことだ」
「それぞれで練習法が違うってことですか?」
純香が聞く。
「そういうことだ」
御影先生が頷く。
「軽いものを無理に重くしようとしても伸びにくい。逆に、重いものをただ軽快さだけで鍛えようとしても噛み合わん」
「お前らには、お前ら向きの強化がある」
「へえ」
彩葉が身を乗り出した。
「個別メニューって感じ?」
「まあ、魔法版の部活メニューだな」
御影先生はそう言って、実習室の後ろを親指で示した。
「だから今日は、ちゃんと道具を持ってきた」
新たちが振り向いた先には、いつの間にか大きな台車が何台も並んでいた。
「……何あれ」
新が思わず呟く。
細長い棒の先に布が何枚もついた、鯉のぼりみたいな風見の列。
透明な円筒や、目盛りの入ったガラス器具。
水槽。
重り。
板。
鏡。
細い管。
砂や土の入った木箱。
そして、妙に立派な人形用の木枠まである。
「理科室と工房とお祭りの準備室を一緒にしたみたい」
彩葉が言った。
「しかも、絶妙に嫌な予感のする並びね」
純香が淡々と続ける。
「嫌な予感って言うな」
御影先生が即座に返す。
「こういうのは見た目が大事なんだよ」
「見た目?」
雅が眉を上げる。
「いや、そこじゃないだろ」
「そこもだ」
御影先生はまったくぶれない。
「道具ってのは、何を測ってるかを感覚で掴めるのが大事なんだ」
「数字だけ見ても育たん。目で見て、手で触って、性質を覚える」
「だから少し大げさなくらいでいい」
新は、台車の端に立てかけられた風見を見た。
長さの違う布が何枚も並んでいる。
たしかに見た目はちょっと間抜けだ。
でも、風がどう抜けているかはひと目で分かりそうだった。
「鳴海」
御影先生が言う。
「お前はまずこれだ」
「俺ですか」
「お前だ」
御影先生は当然みたいに頷いた。
「去年までのお前は、とにかく広がるのが先だった」
「悪くはない。だが、広がるだけじゃ制御が甘くなる」
「今のお前は、前よりずっと筋が通るようになってる」
「なら次は、その筋を自分で選んで通せるようにする段階だ」
そう言って床へ木枠を並べる。
丸。
四角。
細長い通路。
枝分かれした複雑な枠。
そして、その先にさっきの風見。
「この中を通す」
御影先生が言う。
「ただ流せばいいわけじゃない。形に沿って、狙った速さで、狙った向きで、余計な乱れを出さずにな」
「見た目より難しそうだな……」
新が正直に言うと、御影先生はにやりと笑った。
「その通りだ」
「だからやる」
彩葉の前には、目盛り付きの透明な器具と細長いガラス管、水を受けるためのトレイが並べられた。
「橘は量と流れの維持」
御影先生が言う。
「お前は馴染ませるのが得意だ。だから今度は、崩さず通す方を鍛える」
「うわあ」
彩葉が顔をしかめる。
「数字っぽい」
「だが向いてる」
「それを先生に言われると断れないんですけど」
純香の前には、厚みの違う板や重り、圧を分散させるための器具が並んでいた。
「篠宮は保持と分散だ」
御影先生が言う。
「支えるのは得意だ。なら、“どこへどれだけ受け流すか”までやれ」
「重さに潰されないんじゃない。重さを組み替えて立たせろ」
「……面白いですね」
純香の目が少しだけ鋭くなる。
「かなり好きかも」
「だろうな」
御影先生が言った。
雅の前には、反射板や透過板、プリズムみたいなもの、そして小さなマリオネット用の木枠が置かれていた。
「何で俺だけちょっと舞台っぽいんだよ」
雅が言う。
「お前は形を持たせた時の“見せ方”まで含めて伸びるタイプだからだ」
御影先生は平然としている。
「出力だけじゃなく、輪郭の格まで乗る」
「雑に光らせるな。どう立つか、どう見えるかまで制御しろ」
「ちび王が嬉しそうなんだけど」
新が小声で言う。
雅の横で、少し光る丸っこいちび王が、明らかに機嫌よさそうに胸を張っていた。
「そりゃそうでしょ」
彩葉が笑う。
「“格まで乗る”って、完全に褒められてるじゃん」
「面倒くさいな……」
雅がぼやくが、ちび王はそんな雅を気にせず、むしろ『当然である』と言いたげに小さな手足をぴんと広げていた。
そして瑠璃の前には、浅い器、透明な容器、柔らかい土、いくつかの媒体が並べられている。
「瑠璃は形を決めすぎるな」
御影先生が言う。
「お前のはまだ広い。今は“どれかひとつになる”より、“どう育つかを見る”段階だ」
「変化を急ぐな。観察して、どこで伸びるかを掴め」
「うん」
瑠璃が明るく頷く。
「育ち方を見ればいいんだね」
「そうだ」
御影先生は少しだけ口元を上げる。
「お前は、そのへん感覚で拾えるだろ」
瑠璃は双葉つきの召喚体を見て、やわらかく笑った。
「じゃあ、一緒に見ようね」
召喚体が、ほんの少し揺れた。
返事をしたみたいだった。
御影先生は全員を見回す。
「いいか。強化ってのは、ただ強くなることじゃない」
「自分のエレメントと、前より深く噛み合うことだ」
「そのために、今日はそれぞれ別のことをやる」
そこで視線が新へ向いた。
「まずは鳴海」
「お前からいくぞ」
◇
新は前へ出た。
床には、木枠と風見、細い筒、幅の違う通路がずらりと並べられていた。近くで見ると、思っていた以上に種類が多い。
「最初は単純でいい」
御影先生が一本の細い棒を立て、その先についた布を指で弾いた。
「この風見を、一定の速さで真っすぐ流し続けろ」
「弱すぎてもだめ、強すぎてもだめだ。布が暴れず、きれいに同じ角度で流れるところを探せ」
「嫌な予感しかしない」
新が呟く。
「その通りだ」
御影先生はにやりとした。
「だからやる」
新は小さく息を吸った。
掌の上で、淡い流れが立ち上がる。
いつもならもっと自然に広げてしまうところだ。けれど今日は違う。広げる前に、絞る。通したい向きを決める。速さを揃える。
そっと流した風が、布へ触れる。
最初の一枚が揺れる。
二枚目がその流れを受ける。
三枚目も、今度は乱れずに角度を保った。
「お」
彩葉が声を漏らす。
「今ちょっと良かったんじゃない?」
「うん」
純香も目を細める。
「さっきよりずっと整ってる」
新は返事をしなかった。
今はただ、風の感触を追っていた。
細い。
でも弱くない。
軽い。
でも抜けきらない。
流れの芯が、自分の意識の少し先を走っている。
触れているようで、まだ全部は掴みきれていない。
その時だった。
ふ、と。
耳元で、誰かが笑った気がした。
新の肩がわずかに揺れる。
「……え」
声ではない。
けれど、ただの風鳴りとも違う。
たしかに“何か”がそこにいた。
流していた風が、するりと指先を抜ける。
その抜け方が、さっきまでと違った。
逃げたんじゃない。
向こうから、自分の流れをほどいて、別の方向へ行った。
そして。
やわらかい、少女みたいな声がした。
「風はね」
新が目を見開く。
「どこまでも行きたいの」
「見たことない場所」
「見たことない景色」
「連れていってよ」
「――っ」
次の瞬間、室内で突風が起きた。
ばたん、と風見の布が一斉にはためく。
机の上の紙が舞い、軽い器具ががたがたと鳴った。
彩葉の髪がふわりと持ち上がり、瑠璃の双葉つきの召喚体がびくっと揺れる。
「うわっ!?」
新が思わず一歩引く。
「ちょ、何これ!」
彩葉が目を丸くする。
「鳴海、止めて!」
純香が即座に言うが、新自身がいちばん驚いていた。
「いや、俺じゃ――」
言い終わる前に、別の風が割って入った。
鋭いのに乱暴ではない。
広がるのに荒れない。
室内を暴れかけた風の流れを、上からひと息で包み込み、くるりと巻き直す。
実習室の中央で、風がひとつの形を取った。
御影先生の風のエレメントだった。
軽快な女性型。
輪郭は人に近いのに、髪の先や裾はそのまま風へほどけている。
立っているというより、流れの上へふわりと身を預けているような姿だった。
目元には親しみやすい明るさがあって、けれど芯の鋭さもある。
彼女がひらりと手を払うと、さっきまで暴れていた突風が嘘みたいに静まっていく。
舞っていた紙が、ひらひらと床へ落ちた。
「はいはい、そこまで」
その風のエレメントが、くすっと笑うみたいに言った。
「元気なのはいいけど、教室の中ではちょっとやりすぎかな」
しばし、実習室が静まる。
彩葉が目を丸くしたまま言う。
「……喋った」
「そこ?」
雅が返す。
「でも、今のはびっくりするだろ」
新も息を整えながら言った。
御影先生の風のエレメントは、新のまわりに残る風の気配を見つめていた。
その目はやわらかいのに、見ているものの芯を外さない。
そして、少し楽しそうに笑う。
「若い、若いエレメントだけど」
「若さだけじゃないね」
新が顔を上げる。
軽い調子だった。
でも、その言葉はただ面白がっているだけじゃない。ちゃんと何かを見抜いた上で言っている響きがあった。
御影先生が腕を組んだまま、その先を引き取る。
「……ああ」
「今は風だ」
風のエレメントが言葉を付け足す。
「でも、ただの風じゃない気がするよ」
新の喉が、かすかに鳴る。
「ただの風じゃ、ない……?」
「少なくとも」
御影先生は新を見た。
「吹くだけで満足するタイプじゃない」
「今の言葉、聞こえただろ」
新は少しだけ迷って、それから頷いた。
「……はい」
「聞こえました」
彩葉が目を丸くする。
「え、ほんとに?」
「何て?」
新はまだ少し戸惑ったまま、でもごまかさずに言った。
「風はね、って」
「どこまでも行きたいって」
「見たことない場所、見たことない景色……連れていってよ、って」
沈黙が落ちる。
最初に口を開いたのは瑠璃だった。
「……きれい」
その声は、驚きよりも、どこか納得に近かった。
「きれいだけど」
純香が続ける。
「だいぶ厄介そうでもあるわね」
「うん」
雅が腕を組む。
「ロマンはあるけど、室内で急にやることじゃない」
「それはほんとにそう」
新が思わず言う。
けれど胸の奥では、別の感情も動いていた。
怖かった。
驚いた。
でも同時に、少しだけ分かる気もした。
どこまでも行きたい。
見たことないものを見たい。
それは、たしかに自分の中にもある衝動だったからだ。
御影先生の風のエレメントが、新のすぐ前までふわりと寄る。
「でも、面白いよ」
彼女は軽く笑った。
「遠くへ行きたい風って、ちゃんと前を向いてる風だから」
「暴れるだけの子じゃない」
「いきたいところがあるってことだもんね」
新は思わず、その顔を見る。
軽やかで、気さくで、でも不思議と安心する声だった。
御影先生はそんな風のエレメントを横目で見て、口元だけで笑う。
「甘やかしすぎるなよ」
「甘やかしてないよ」
彼女はすぐに返した。
「ちゃんと見て言ってる」
「この子、まだ若いけど、勢いだけじゃないもん」
それから新の方へ目を向ける。
「ねえ」
「あなたの風、たぶん“吹きたい”だけじゃないよ」
「“行きたい”んだよね」
新は返事をすぐにはできなかった。
けれど、その言葉は不思議なくらい胸の奥へすっと入ってきた。
御影先生が改めて言う。
「よし、そのまま続けるぞ」
「鳴海、お前は引き続き風速と形の制御だ」
「ただし、今のをただの暴れとして切るな」
「どこへ抜けたがったのか」
「何を見たがったのか」
「それも含めて、流れとして掴め」
新は少しだけ目を見開く。
「……押さえ込むんじゃなくて?」
「押さえるだけじゃ浅い」
御影先生は即答した。
「お前の風は、たぶん先へ行きたがる」
「なら、その行きたさごと制御しろ」
「まっすぐ通すのも、絞るのも、分けるのも、その先にある」
新は小さく息を吐いた。
「……はい」
御影先生の風のエレメントが、最後に新の肩先を撫でるみたいにひと筋だけ流れた。
「だいじょうぶ」
彼女は軽く笑う。
「風って、行きたい場所がある方がよく伸びるから」
「ちゃんと聞いて、ちゃんと連れてってあげてね」
新はもう一度、自分の手を見た。
さっきまでそこにあった突風の名残は、もうない。
けれど、感触だけは残っていた。
どこまでも行きたい。
見たことない場所。
見たことない景色。
それはまだ、うまく扱えるものではない。
でも、消してしまうものでもない気がした。
「……もう一回、やります」
新がそう言うと、御影先生は満足そうに頷いた。
「そうだ」
「今度は、飛ばされるなよ」
「善処します」
「たぶんまた飛ぶわね」
純香が冷静に言う。
「最初はね」
彩葉が笑う。
「でも、さっきより絶対よくなる」
「そういうの地味にプレッシャーなんだけど」
新が言うと、雅が肩をすくめた。
「頑張れよ」
「お前の風、面倒くさそうだけど面白いし」
「全然励まされてる気がしない」
その横で、瑠璃がやわらかく言った。
「でも、きっと大丈夫」
「行きたいって言う風、すてきだよ」
新は少しだけ照れくさくなって、視線を逸らした。
「……ありがと」
そしてもう一度、風見へ向き直る。
今度はただ揃えるだけじゃない。
ただ押し込めるだけでもない。
流れの癖を見て、抜けたがる先を感じて、なおその上で通す。
新の強化は、そうしてまた一段、深いところへ踏み込んでいった。
実習室の窓の外では、春の風がひと筋、校庭の桜を揺らしていた。
風はどこへ向かっているのでしょうか?




