拾:不可侵協定
右手をフォワードに掲げ、すっかり慣れ親しんだ呪文を唱える。
「浄化魔術!」
刹那、淡い光がフォワードを包み込み、ふわりと弾けた。
「……おお! 妙な苛立ちが消え去った!」
歓喜に震えるフォワード。よかった、無事に状態異常は治ったらしい。
「じゃあ、約束通り、私たちの不法侵入罪は見逃して。それから、魔術書探しに協力してもらうわよ」
「約束は違えん」
頷くと、フォワードはフローリアンを一瞥した。
「フローリアン、お前は何か知っているのではないか?」
「へっ? 僕がですか?」
フローリアンが、不自然なまでに驚いた顔をする。
「儂が、お前のコレクションの存在を知らんと思うたか?」
目を細めるフォワードに、フローリアンがぐっと言葉を詰まらせ、視線を逸らしたが、やがて諦めた様子で嘆息した。
「ああ、多分、僕が持っていると思う……案内しよう」
ついて来るように促す彼に続いて、私たちはフォワードが話をしたそうだったのでミューとエルガのみをその場に残して移動した。
フィリーが最後まで私とラシェルを睨んでいたが、父王の前で下手な真似はできないようで、大人しく私たちを見送った。
「ねぇ、コレクションって?」
「僕は人間の魔術に興味があってね。本当は僕たちはクワンクアを出ることを禁じられているんだけど、度々短命種に化けてそっちの国に魔術書を買い付けに行っていたんだ」
なるほど、それはあの厳格で融通の利かない父親に知られたくない訳だ。
私の推測だけど、多分フォワードはフローリアンがクワンクアを抜け出すところを直接見ていないから叱れていないだけで、彼が度々抜け出して魔術書を買い漁っていたことには勘づいていたのだろう。
「私たちが探している魔術書は、帝国の闇競売で売られたのよ? 貴方がそれを買い取ったの?」
そういえば、リバティが、買い取ったのは金髪に翠の瞳の若い長身の男だったと言っていたな。
二十四年経っているため、中年の男になっているとばかり考えていたが、まさか相手が長命種でそのままの容姿でいるとは思わなかった。
「ああ、長命種の中には、時々この閉鎖された環境に嫌気が差して脱走する者がいるんだけど、僕の古い友人がそうでね。その闇競売の主催だったんだ。昔のよしみで、珍しい魔術書が出品されると連絡をくれてね」
「闇競売の主催者……それはラティオという魔術師?」
「ん-? 短命種に紛れている時の名前はどうだったかなぁ……そんな名前だったような気もするし……こっちでの名前はファスターって言うんだけど……」
言いながら彼はとある部屋に入った。
中は普通の、王族貴族が好みそうな部屋だ。と、彼は壁際に設えられた本棚に歩み寄り、右手を翳した。
直後、本棚が横へ移動し、壁に埋まった状態の別の本棚が現れた。
「ええと……これだ」
彼はそこから一冊の本を取り出し、私に差し出してきた。
それを開くと、そこには強大な魔物を召喚する魔術の術式が記されていた。そして、後半に合成魔術に関する記述と、一部の頁を破り取られた跡がある。
「間違いない! これだわ……!」
「本当? じゃあ、父上が約束したし、仕方ないから返すよ」
彼の本心では闇競売とはいえ金を払って買い取った魔術書をくれてやるのは惜しいだろうが、この状況でこれを私たちに返さなければ、きっと父王からの叱責がある。
「あ、その破れている頁は僕のせいじゃないからね」
「ああ、それはわかっているから大丈夫よ」
「本当かい? じゃあ、僕が買い取った時点で破かれていたっていうファスターの話は本当だったのか……悪いことしちゃったな」
「悪いこと?」
思わず聞き返すと、彼はばつが悪そうに眉を下げた。
「ああ、僕は普段から魔術書を大量に買い漁るせいで、まだ読んでいない魔術書がたくさんあってね。この魔術書をちゃんと開いたのはつい数日前なんだよね。それでページの破損に気付いて、慌ててファスターを召喚しちゃったんだよ。脱走者のファスターはクワンクアに戻るのをすごく嫌がるから、悪いことをしちゃったなって……まぁ、何故か『助かった』って言ってくれたから良かったんだけど」
私はクロヴィスと顔を見合わせた。
「……ってことは、やっぱりあのラルゴの店主が……」
「闇競売の主催者だったんだな」
彼がたまたまファスターとやらを召喚したのは、おそらく私とクロヴィスがプレセア村のラルゴという酒場で店主を尋問していたあの時だろう。
「そのファスターって人は、もう帝国に戻ったのかしら?」
「多分ね。クワンクアでは脱走は重罪で、僕はともかくファスターは見つかれば処罰されるから、流石にここに留まりはしないだろう」
頁の破損に気付いて慌てて召喚したが、その後は知らん顔か。
古い友人と言っていたが、そんな扱いでいいのだろうか。
まぁ、ファスターという人物からしてみれば、強制召喚魔術が使えるにも関わらず脱走した自分を捕まえない王子、というのはありがたい存在だろうが。
「……とりあえず、これで当初の目的は達成できましたね」
ラシェルの言葉に頷く。
思ったよりすんなり片付いたのはよかった。今から戻れば、ロジェとジルベルトの結婚式に充分間に合う。
「よし、じゃあ帰りましょうか」
闇競売の主催者であり、ファスターというエルフの脱走者の件がまだ片付いていないが、とりあえず魔術書が見つかったので、追々調査をするとしよう。
とりあえず、ミューとエルガも合流して、一緒に戻らないと。
と、先程のフィリーの部屋に向かうと、部屋に入る直前、不穏な会話が聞こえてきた。
「何故貴様はそうも勝手なのだ……!」
「勝手? もう関わらないって不可侵協定の締結がそんなにおかしい?」
不可侵協定の締結、この隔離された土地に隠れ住んでいるエルフからしたら願ってもないことではないのか。
「……ねぇ、どういう状況?」
すっとエルガの横に移動して、小声で尋ねる。
エルガは苦虫を嚙み潰したような顔をした。
「母上が不可侵協定を提案したら、あの長命種の君主が急に怒り出したんだ」
「怒り出した?」
「ああ。帝国配下の竜王国国王として、帝国にも掛け合うって言ったんだが……」
訳がわからずもう一度フォワードとミューに視線を戻す。
「そうやってまたクワンクアを搔き乱して、顔を見せぬつもりか!」
「はぁ? 長命種以外はここに来ちゃいけないんでしょう? こっちは毎回毎回不法侵入だなんだって言われたくないし、一般市民が迷い込んで勝手に処刑されるようなことも避けたいの」
嘆息して面倒臭そうに吐き捨てるミューに、フォワードは言葉を詰まらせる。
そして部屋の奥で、フィリーが物凄く冷めた目で二人のやり取りを見ている。
「……お父様って、本当に不器用ね。そんなだからお母様に逃げられるのよ……」
呆れた様子で呟かれた言葉に、私は察した。
と、私が口を挟むより先に、それまでずっと無言でいたトリスタンが口を開いた。
「……フォワード殿は、ミュー殿に度々顔を見せてもらいたいのでは?」
その言葉に、ミューが心底驚いた顔で、フォワードが真っ赤な顔で、それぞれトリスタンを振り返った。
「な、な……?」
口をぱくぱくさせるフォワードに、トリスタンは目を瞬く。
トリスタンは人の感情の機微に聡い。
それこそ、目線の動き一つで相手がどんな感情でいるかを当てられるのではないだろうか。
「……貴方がミュー殿を見る目は、俺の同僚が婚約者を見る目と同じです。特に、想いを告げて交際を始める前の状態と……」
ロジェのことか。そう思いつつ、トリスタンが続けるので黙って様子を見守る。
「その同僚は、ずっと相手のことが気になっていながら、自分の気持ちになかなか気づかず、憎まれ口ばかり叩いていた。それでいて、その相手が別の者と親しくする様子を見ると怒り、機嫌を損ねていた……」
ジルベルトの方か。確かに、ロジェへの気持ちを自覚する前の彼女と、フォワードのミューに対する態度はどこか通じるものがある。
私はクロヴィスを一瞥すると、彼は軽く肩を竦めて、一歩前に出た。
「なら、帝国の皇太子として、話は俺が引き継ごう」
何か策があるらしいクロヴィスは、にやりと笑って話し始めたのだった。
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