(6) Unloved Pygmalionism【完結】
別に今更
「マリア」
どうでもいいんだけど
「――を拒め」
私を人形にしたのは誰?
「――を決して受け入れるな」
誰かにとって私は
なに?
・
・
・
くらい。
とても、くらい。
くらいとはどういうこと、だっけ。
さまよう。ただよう。
ふらふら。くらくら。
なにもない。
うそ、なんでもある。
なんでもないものだけが、ある。
わからなくなってきたの。
なにもかもが。
とける。
まざらない。
うしなうのか。
てにするのか。
このまま
どこまで
しずめば
ひかりは
さす
の
・
・
・
目を開けると、空が広がっていた。上にも、下にも、右にも、左にも、延々とつづく空が、広がっていた。
自由な空。道なき空。私を捕らえる形なき檻。
唇が薄く開く。声帯が揺れる。なにが言いたいのかしら。そうだ挨拶をしよう。このくだらない世界と、くだらない私と、くだらない死神に。
「おはよう、マリア」
勝手に口元がつり上がる。笑いたかったような気もする。さあ笑おう。くすくすと。喉を震わせて。ああなんて愉快な気分。最高で最悪の朝。
「ひどい朝ね」
すべての終わりと始まりを見届けて、笑う。
かつて、人の数だけ世界があった。
そこには数多の真実が眠っていた。
観測者によって世界は色を変えた。
幾重にも重なる可能性に染まった。
――世界は別たれ、けれど繋がっていた。
すこしずつ理解が追いついていく。私が学んでいるのか、知恵の泉の恩恵を受けているのかはわからないけど、とにかく自分が多重世界の一つから外れたことは、なんとなく理解した。
私は私を差し出した瞬間から、観測者の一人ではなくなったらしい。この枠組みに則って言うなら、NPCに近づいたってところだろうか。……皮肉ね、もともと私は作られた人格に過ぎなかったのに。
空。空。空。――広がるのは無限の青空だけ。
風がない。
呼吸はできるのに、大気は存在しない。
太陽がない。
陽の光が降り注いでいるのに、光源がない。
創られた舞台の上で踊る、滑稽な役者たちは、生命と呼べたのだろうか。
まどろみと覚醒をくりかえす。どれだけ馴染んでも混ざりきらない。思うより早く身体が動くのか、身体が動いてから物を思うのか。わからないことに慣れつつある自分が気持ちわるい。
あれから随分経つのに、胸元に垂れた髪の毛はまったく伸びていない。私の――マリア=ヴィスコーの身体は年を取らない。
私には現在以外が存在しないからだ。過去がないのとおなじように未来もない。決められた形のまま停滞して、進歩もない。不死ではないけれど、これもひとつの不老の形なのね。加齢という概念がないだけなのに、なんだか可笑しい。
私の記憶は偽りで、私の心は偽りで、私の名前も偽りで、私という存在は偽りでできている。退屈というものは恐ろしい。考えなくてもいいことばかり考えてしまう。答えが出ないとわかっているのに、不毛な思索をくりかえす。
偽りの世界に生きる偽りの存在。
虚構のなかに形作られた虚構。
借り物だけで存在していた私が手にした唯一は、実体を持たない死という概念。憑代を介さなければ、どんな影響も及ぼすことができないモノ。どの世界にも存在し、どの世界にも属さない。ただ存在するだけのモノ。
外から取り込まれた子たちには、戻るべき場所、戻るべき世界があった。
あの子達は、みんな観測者であり世界の主だった。
だって、そうでしょう。自分の目に映る世界では、常に自分が主人公だもの。……仮に戻れない者がいたとしても、私の知ったことじゃあないわ。あの双子はきっと戻れない。そんな気もするけれど。
内で形作られた私には、戻るべき場所がない。原型の知識や記憶を持っていたとしても、私を構成する中にあるのは、ただの無機質な記録だけ。私は、この舞台の外に実体を持たない。この舞台から逃れられない。私にとっての世界は、舞台上だけで完結していた。
仮に、この舞台が崩壊しようとも、存続しようとも、私は、この舞台で生まれ、この舞台によって形作られたものだから、この舞台から切り離された場所に存在することはできないのだ。ゲーデという不滅のシステムに取り込まれ、取り込んでも、彼のように世界を超越して存在はできない。
それはいい。わかってることだから、いい。
私が知りたいのは、わからないことだけ。
「――お前」
めずらしく、ハッキリと私じゃない困惑が流れ込んできた。フッと鼻で笑って、口を閉じる。――喜んだらどう? 私があんたに興味を持ったんだから。
存在しない空気を目一杯に取りこんで、さあ。
始まりに戻ろうじゃないの。
ふらり、と力を抜いて、遥か高み天の果て、どこまでもつづく空の道を、実体のない檻に頭からぶつかっていくように、地上へ向けて……飛んだ。
なにも見ない。どこでもいい。私に不死という設定はないから、特別なことは必要ないはずだ。目をつむっても音は消えない。耳元で風が唸りだす。たしかめるだけ。知りにいくだけ。すこし怖いだなんて、そんなの気のせいだ。だけどやっぱりなけなしのオトメゴコロからすると、誰もいない場所がいいかも――。
嗚呼。
嫌な音がする。
*
「かわいそうに」
ヒナ……? ヒナの声がする。声じゃないのかもしれない。わからない。ただ、言葉の意味だけが伝わってくる。
「わかっていたことじゃないの、人は不滅の業に耐えられない。みな、心を壊して死を望む」
なにそれ、嗤っているの? 憐れんでいるの?
「あなたを置いていくのよ、すべてのものは」
「……ふん」
鼻で笑った――ゲーデだ。わかるのが嫌だ。
「己が世界を失い、永劫さまよう気分はどうだ? 神様気分は味わえたか?」
「……ええ、おかげさまで」
「結構なことだ。ならば俺も礼を言おう。100年を待った甲斐のある、なかなかに愉快な遊戯であった」
「あいかわらず趣味の良いこと」
「貴様に言われてもな――おい、いつまで休んでいる」
うるさい……どっちもどっちのレベルで腹立たしいし、不快なんだけど……あんたたちの事情なんて興味ないっての。
なんて、言ってらんないでしょうね、はいはい。
「マリア」
絡みとられる。あいまいに揺蕩っていた意識をかき集められて、むりやり再構成される。私がまた形作られる。
「死を拒め。死を受け入れるな」
ゲーデが笑う。
「お前にはそれができるのだろう?」
確信しているような口ぶりがなんとも憎らしい。
ゲーデが私に執着する理由。なんてくだらなくて、なんて憎らしい。素直に壊れてやろうと思ったのに、――そんなの意味ないんでしょうね。あんたが欲しいのは壊れない玩具じゃなくて、無限に作り直せる玩具なんだもの。
あんた、私が私であるかぎり私でなくてもいいんでしょう。壊れた玩具は直せばいい。直らないのなら作り直せばいい。いまの私である必要はなくて、つぎの私である必要もなくて、でも私でなくてはダメなのだ、この偏執狂は。
「なぁ、俺の愛玩人形――」
うっそりと口にした幽鬼は、するりと闇から姿を現して、私の髪を掬い上げ、口づけるように顔をうずめた。払いのけるのは諦めた。出来たての身体は思うように動かない。
いつのまにか、ヒナの気配は消えている。彼女の本心は知らないけど、差し出した対価が決して戻らないのとおなじように、叶えられた望みは決して戻らない。枠を外れ、さまよいつづけることを望んだのなら、そういうものに彼女はなったのだ。道連れはいるみたいだし、いいんじゃないの。
可哀想だとも羨ましいとも思わない。どうでもいい。それに、あまり余所に関心を裂くと、私の身が保証されない。……私が壊されたところで、つぎの私が作られるだけなんだけど、その私は私じゃないもの。限られた人生、どうせなら長く楽しみたいじゃない? 人とは言えないのかもしれないけどね。
「どうでもいいわ」
私を生みだし、支配し、この箱庭に捕える死神は、私の知らないところで、私の知らない繋がりを持ち、私以外に欲を向け、私以外の存在で遊ぶのだろう。私に知る術はないし、知りたいとも思わない。
そのくせ、暇つぶしに私を弄び、決して解放しないのだ。私にできるせめてもの意趣返しは、せいぜいゲーデの興味を引きつけてやること。遊びが本気になるほどに惹きつけるだけ惹きつけて、なにも返さない。それを望まれているのだとしても。
いいわ、付き合ってあげる。いくらでも。
あんたが飽きるまで、無限に遊戯をくり返してあげる。
まったく望んじゃいないし、この上なく最低な気分だけど、それが私の選んだ存在理由だもの。たとえ死神の手のひらの上、初めから最後まで誘導されていたとしてもね。
あんたのオキニイリを務めるには、生物じゃ脆すぎるでしょ。壊さないように、なんて考えずに、いくら壊してもいいように、なんて考えるあたり、神様らしくていいんじゃないの。傲慢さに反吐がでるけど。
人形を愛でるしかない孤独な死と、死を拒むために作られた人形、なんて。
「ほんとうに……かわいそうね、私たち」
ゾクゾクとした快感に声を上擦らせた私の肩へ、ゲーデは満足げに息を吐いた。つくづく発酵した精神をお持ちで。
――来世はどうして戯れましょうか、最低な主様?