蒼雷の一矢
レストは姿勢を整え、三人のガルフリアを見た。
剣、槍、剣と盾の装備。盾のガルフリア相手に矢を射るのは分が悪い。ならば、やはり槍か剣。本来、槍よりは剣の方が防御向きだろうが、相手は槍の名手。ということは、狙うはやはり剣持ちのガルフリア。
相手の位置は、右前方、じりじりとレストを囲もうと右方へ移動している。中央には剣と盾持ち、左方には槍持ちがいた。
レストは早業で矢を手に取り、間髪入れずに弦を引く。その行動を見て、剣持ちと槍持ちのガルフリアが一斉にレストへと疾走した。剣と盾持ちのガルフリアは正面で立ったまま、動かない。
レストは剣持ちのガルフリアへと矢を穿つ。あまりに短絡的な攻撃。
「舐めんなッ!」
正面からの射撃を受け、剣持ちのガルフリアは一閃。矢を剣で弾いた。木製部分ではなく、矢先の金属部分に当てたらしく、矢は形をそのままに剣と盾持ちのガルフリアの方へと流れ、そして偶然にも、そのガルフリアの胸に突き刺さった。
目的とは違ったが、結果としては有利に働いた。しかし、位置的に、剣と盾持ちのガルフリアを殺しても逃げ場が確保できたわけではない。ならば、右方へ移動し、剣持ちを再び殺すしかない。距離は近いが、できるか?
そう思った瞬間、レストの視界には妙な光景が映り込んだ。
槍持ちと剣持ちのガルフリアがレストに背中を向けていたのだ。それは一瞬の出来事だったが、彼等は間違いなく、剣と盾持ちのガルフリアが倒れている方向を見ていた。
なるほど、殺されたのだと、確認することはおかしなことではない。だが、目の前で敵がいる状態でそんなことをするだろうか。
そんな疑問が浮かんだ時、
「騎士道その一、騎士は敵と真っ向から戦うべし。逃げることは許されない」
一人のガルフリアが突如として言った。
場違いな言葉に、レストは一瞬だけぎょっとするが、即座に動揺を抑制した。
そしてその言葉を皮切りに、周囲から一斉に気配が現れ始める。すぐ近く、レストを囲み、もう逃げ場はないと知らしめるように。
「騎士道その二、騎士はあらゆる困難を受け入れ、乗り越えるべし」
「騎士道その三、騎士はあらゆる不幸を受け入れ、理解するべし」
次々にガルフリアが現れる。淀みなく、何の合図もなく始められた言葉に、レストは気味の悪さを感じた。
「騎士道その四、騎士は弱者を助ける。子供、女、老人、男。付随して障害、病気を患う場合、順序は変動させ、手を差し伸べるべし」
「騎士道その五、騎士は状況に応じて、切り捨てる者を決めるべし。迷いは死を意味する。決して迷うべからず」
「騎士道その六、騎士は常に戦いを望むべし。戦いこそ、騎士の本分と知るべし」
ガルフリアが姿を見せる。終わりはない。無数のガルフリア達がその場に集結している。レストはただその場に佇むことしかできない。
「騎士道その七、騎士は国民の模範となるべし。決して娯楽に興じるべからず」
「騎士道その八、騎士は努力を怠らない。休息は罰。休みは堕落。継続することは喜びと知るべし」
「騎士道その九、騎士は信念を持つべし。決して考えを曲げてはならない。頑なな心は騎士道を歩む者にとって必須の心であると知るべし」
「騎士道その十、騎士は他者の心を慮るべからず。人の心は移ろいやすく、身勝手で、一方的で、その場限りのもの。翻弄されては真実は見えぬ」
「騎士道その十一、騎士は魔の物を滅ぼすべし。絶対的な悪は存在さえ許してはならぬ」
「騎士道その十二、騎士は悪党を滅ぼすべし。法を犯した人間は例え子供でも裁くべし」
「騎士道その十三、騎士は罪を犯してはならない。しかし、罪を犯すことで目的を成す場合、許される」
「騎士道その十四、騎士はすべての不快な物事に心を動かしてはならぬ」
「騎士道その十五、騎士は愛するべき家族を持ってはならない。子をなすべきではあるが、愛情を持ってはいけない」
そこかしこからガルフリアが現れた。もう囲まれている。逃げ場はない。
「騎士道その十六、騎士は己の信念を元に行動する。騎士の心は騎士のもので、信念も騎士のもの。忠誠を誓うのは騎士の生き様に対してだけ。決して国ではない」
二十以上のガルフリアがそこにいた。
レストは弓を構えたが、どうしようもない。
身体中から力が抜けていく。
初めての感覚。
いや、以前一度だけ、感じたことがある。
これは。
そうか。
絶望の序曲。
もう、勝機はないのだ。
今ではなく、すでに、ガルフリアを殺そうとした瞬間から、この時は運命づけられていたのだ。考え過ぎたのか。もっと警戒していれば、避けられたのだろうか。
いや、その前に、すでに囲まれていたのだ。逃げていたように思えて、その実、ガルフリア達は冷静にレストの逃げ場を塞いでいた。奴等の手のひらの上で踊っていたにすぎなかった。
まだ増える。まだ、まだ。
ガルフリア達に埋め尽くされた森の中、レストだけが浮き彫りにされていた。
「騎士道……その百十二、騎士は強い感情を抱いてはならないが、一つ。己の信念を穢すような存在、そして己の命を奪おうとする存在に対してだけ憤ってもよい。その場合、相手の家族や恋人、友人も後に必ず殺すべし。禍根を残してはならない」
淡々と漏らしたその言葉に、レストは歯噛みした。これが英雄。英雄と呼ばれる存在なのか。魔女の言っていたように、立ち位置が違っただけ。魔王と同じ。たまたま人間側だっただけで、こいつは、およそ普通の人間と同じ思考とは思えない。
レスト自身の立ち位置も常軌を逸しているが、ガルフリアもまた逸脱している。共に異常。共に狂人。共に世間からはみ出した存在だった。
ようやくガルフリアの動きは止まった。すべてが集結したのか。その数は、レストにはわからなかった。なぜなら、視界のほとんどをガルフリアで埋め尽くされたからだ。
数百、恐らくは三百近くのガルフリアがいた。
「俺達が、ガルフリア」
「鏡の英雄『達』
先ほどまで感情をむき出しにした顔ではなくなっている。あれは演技だったのか。焦燥感を抱いているとこちらに思わせるためのものだったのか。いや、あれは事実だったはずだ。それほどまでに真に迫っていた。だが、今は違う。それだけのことで、それには意味はない。
恐らくは、奴が言っていた騎士道精神、その一つにすぎないだけなのだろう。ただ、それに従っている、それが彼の信念の、彼の人生そのものなのだ。それをレストは、この僅かな時間で理解してしまった。それほどまでに異常な光景だったのだ。
レストは思わず呟く。
「……化け物め」
「ふん、そうでなけりゃ、魔王なんざ殺せるわけがねぇ、違うか?」
英雄は言う。その言葉は端的だが説得力があった。化け物を殺せるのは人間じゃない。同じ化け物だけなのだから。
レストは厳めしい顔つきのまま、ガルフリアをねめつけ続けた。それしかできなかったからだ。もう逃げることもできない。まだ何とかなる、そんな風に心の底で思っていたのだろうか。今、この瞬間、レストに絶望が襲い掛かってきた。
何も希望はない、そんな感覚の中、レストは歯を食いしばる。
「殺す前に、色々と聞きてぇんだ。話さなくとも構いはしねぇけどよ、あの嬢ちゃんと狼をすぐに殺すことになる。時間稼ぎにはもってこいだろ?」
なんて交渉の仕方だ。だが、その言葉は絶大な効力を発揮した。レストに選択肢はないのだ。この恐ろしい男を相手にしては、恐らくノアのことも隠し通せはしないだろう。話すつもりは決してないが、もし、己が死ねば、次はルスカとリオン、そしてノアなのだろう。あの魔女が守ってくれるとは思えない。
レストはかぶりを振る。
何を馬鹿なことを。自分が死ねば、ガルフリアが手を下さずともノアは死ぬのだ。早く死ぬか遅く死ぬかの違いしかない。どちらも許せない。許容できることではない。
死んでたまるものか、娘を救うまでは。レストはそう強く思った。
「……何が聞きたい?」
「前向きでいいじゃねぇか。無駄に抵抗されたら疲れるからよ、助かるぜ。今までの暗殺者は馬鹿真面目か我欲が強くてよ、ほんとむかつくだけで、何の意味のない連中だった。こう聞くとなんとなく想像できるだろ? 金とか権力、名誉目当ての連中さ。ま、詳細は省くけどよ、おまえは? どいつの指示で動いた?」
声音に抑揚はないが、断定的。その上、威圧的で、相手に余裕を持たせない。圧倒的な自信と自負が見て取れる。
屈するわけではないが、拒絶する理由もない。そも、レスト自身、時間が稼ぎたかった。ルスカのためではない。少しでもこの状況を打開する方法を模索したかったからだ。
「魔女」
「魔女? 魔女ってのは……あの、良く聞く、魔女? おとぎ話の?」
「それに近い。魔女は魔女だ。私も会うまでは存在を知らなかったが、魔女は存在する」
「……嘘を言っているようには見えねぇな。まあ、とりあえずは保留だ。で? 目的は?」
「おまえの魂を奪うため」
「なぜ?」
「それ以上は、話すつもりはない」
その先を話せば、ノアのことを教えなければならない。娘がいるとは知られなくとも、大事な存在がいるとは知られてしまうだろう。それではダメだ。無残に殺されるよりは、病気で死ぬ方がまだいい。
「ふーん、まあ、いいぜ。おまえが馬鹿な連中の指示で動いていたんじゃないんなら、別にな。余計に殺す相手が増えないでよかった。とりあえずは、な。で、おまえのその技術はどこで身に着けた?」
「私は狩人だ。ずっと獲物を狩って生きてきた。それが理由だ」
「それが理由? ただの狩人がこれほど強いもんかよ。剣も扱える、弓の扱いも狩人の域を余裕で超えてやがる。そこらの兵じゃ足元にも及ばないくらいにな。英雄である俺と渡り合ってるんだ。その凄まじさは理解してるだろうが」
剣術の手ほどきをしてくれた妻のことを話す気にはならなかった。だが、嘘は言えない。奴には嘘を見抜けるだけの自信があるようだった。それが真実かは関係ない。無駄に危ない橋を渡る必要はない。
「私は事実を言っている。ただの狩人。それ以上でもそれ以下でもない」
「…………チッ! マジかよ。無茶苦茶だな、おまえ。本当に狩人なのか」
「そうだ」
「初めて人を殺したのはいつだ?」
「二週間ほど前」
「おいおい、マジかよ、おい。そんな奴に俺は何人も殺されたってのか? 信じられねぇ。こんなことは今までなかったぜ。専門の暗殺者でさえここまで追い詰められたことはねぇってのに。それが、ただの狩人かよ。くっ、くく、笑えるぜ」
主に話していたガルフリアが笑うと、他のガルフリアも同時に笑った。もしかして奴が本体なのかと一瞬思ったが、別のガルフリアが話し始めた。
「さて、話はもう終わりだな」
「ああ、もう茶番はここまでだ」
「まっ、楽しかったぜ」
「これからおまえを殺す」
「あの女も殺す」
「あの狼も殺す」
「おまえの家族も、友人も、全部殺す」
「探して、殺す」
「逃げられない」
「逃げても逃がさない」
「追い詰めて殺す」
すべて別のガルフリアが順々に話した。ガルフリア達には記憶の共有はないはずだ。なぜならば、最初に殺した時、他のガルフリアはレストの顔を知らなかった。それはつまり、殺されたことがわかっていたとしても、殺した犯人の顔まではわかっていなかったということだと思っていた。
だが遠くから射られたから見ていなかったという可能性もあるし、死んでまで、さすがに意思は残ってはいまい。
それにこれほど時期を合わせ、連携をするくらいだ、多少の意思の疎通はできているということだろうか。ということは最初にガルフリア同士の意識の共有に齟齬がある、という点は間違っていたということかもしれない。
つまり。
絶望的だ。
顔を見られた。知られた。ならばもう逃げても意味はない。奴らは全員レストを知っている。決着をつけなければ、地の果てまで追われて殺されるだろう。
今、集結しているこの時に殺さなければ。
「じゃあ、殺すぜ」
そんな簡単な言葉でガルフリア達が一斉に襲い掛かってきた。
瞬間。
レストの視界が瞬く。
何かが浮かんだ。何がかはわからなかった。だが理解はした。見えない何かが見え、その何かに手を伸ばすと、光が生まれた。その先を更に欲する。そんな本能がレストの身体を勝手に動かした。
光が弾けた。
闇夜の中、暗い光が周囲を照らした。矛盾している。だがそうとしか形容できない情景だった。
「な、なんだ!?」
驚愕からか、レストから距離をとったガルフリア達。
光は収束し、やがて淡い光だけを残した。その残滓はレストの手元を漂っている。
突如として姿を現した物があった。
それは弓であった。
巨大な、何かの兵器を思わせる、バリスタのような弓。巨躯のレストには似合っているが、それでも質量は大きい。ごつごつとした装飾、上下に施された何かの金属。何重にも巻かれた鋼鉄の縄。弦は月明りを照らし蒼い。
レストは手に握られた弓を眺め、無意識の内に呟いた。
「――ダーク・アルテミス」
それが弓の名なのか、それとも何か別の意味なのか、それはレストにもわからなかった。
ただ、これからどうすればいいのか、それだけが頭に浮かんだ。命令に従い、レストは弦を掴み、引いた。『矢をつがえてはいない』というのに。
「魔力の気配……だと? てめぇ、まさか、俺達と一緒の」
レストは答えず、弦を限界まで引いた。
「はっ、何をしようとしているのは知らねぇが、矢もなしに何を」
ガルフリアが言い終える前。
レストの手元に、稲妻を思わせる閃光が走った。光は消えず、瞬かず、その場にとどまった。不安定な姿をそのままに、何かを形造る。それは矢だった。
【蒼雷の一矢】
レストは地面に向けて、弦を離した。矢を地面に射たのだ。
その瞬間、地面に小さな穴が開いた。
そして。
広範囲の地面から無数の光芒が昇る。
「何だってんだ!?」
轟音、鋭い鼓膜を割るような音。
同時生み出された奇異な音と共に、地面が隆起した。隙間からまるで稲妻のような、いななきが昇る。稲妻に触れたガルフリアは青い炎に覆われ、絶命していった。
一瞬にして高温に満たされた空間ではガルフリア達の絶叫が響いた。
地獄だった。
だが、その地獄はレストの命を救ってくれた。
レストは一矢の後、即座にその場から離れる。その瞬間、手元にあった大弓は消失していた。
「に、逃がすんじゃねぇ! くっ!」
そこかしこで昇る稲妻に翻弄され、ガルフリア達はレストを追えない。
そして、ガルフリア数十人、いや百数十人は蒼い炎に侵され死んでいった。黒こげになった遺体を残し、他のガルフリア達はレストが逃げた方向を睨む。
「追え! 殺せ! 殺せ!」
「奴は魔力を持ってる! 気を抜くな!」
全員が一斉に、その場を蹴った。レストを追い、殺すために。彼等を止めることは誰にもできない。見つかれば間髪入れずに殺される。それだけの話だった。




