英雄の力
村長の家に到着した。
玄関を叩くと、すぐに家主が現れた。小柄ではあるが恰幅はいい。初老の男性で、特徴はあまりない。平凡な顔だ。敢えて挙げるなら、村長にしては若い、といったところか。
「どちら様でしょうか?」
「私は旅の者、ダイン。こっちリスティアだ。少し、英雄について話を聞きたいのだが、いいだろうか」
レストは流暢に偽名を並べる。事前に話していなかったので、ルスカは面食らっていたが、理由を考えれば簡単に答えに行き着いたのか、冷静になった様子だった。中々に聡明な少女だ。
レストの言葉に、村長は戸惑っていたが、続けて問いかけてきた。
「英雄殿の話、とは。理由を聞いても?」
「私は各所で英雄のことを聞いて伝記としてまとめている。現在ある『エステアの四英雄』や『魔王を討ちし者達』などは、どうも曖昧な部分が多いと思い、英雄達の素顔を載せたいと考えている。そのためにもっと情報を知りたい。そこで、まずは鏡の英雄、ガルフリア殿のことを調べて回っているというわけだ。この村へは、ガルフリア殿も何度か訪れたと聞いたのでね」
横でルスカが凝視してきたが、レストは無視した。よくもまあ、嘘が出るな、という風に思っているのだろうが、事前に考えていた内容を話しているだけだ。別段難しくもない。嘘は嫌いだが、必要ならば使う。自分の矜持など目的のためならばいくらでも捨てる。
話の内容自体に齟齬はないはずだ。実際、レストは四英雄に関しての情報不足は痛感している。蔵書以外の情報も曖昧だし、実在している人物なのかと疑いたくなる時もあるのだ。ならば、より彼等のことを知りたいという人物が出てきてもおかしくない。事実、レストは四英雄のことを詳しく知りたいと思っているのだから。
これは賭けでもあった。後に、英雄のことを調べ回っている人物がいた、と知られればレスト達に行き着く可能性が高いからだ。だが危険を回避しているだけでは真実は見えない。有用な情報程、危険に近い場所にあるのだから。
レストの言葉を聞き、村長は怪訝そうな態度を軟化させる。どうやら一応は信じてくれたようだった。それはつまり、村長はそんな話も、あり得ると思ったのだろう。
「話はわかりました。これも何かの縁。お話ししましょう。中へどうぞ」
「ありがたい」
ナイフや剣のような武器は所持していない。街中で武装していると警戒されるからだ。剣士や傭兵であれば不思議でもないので違和感はないだろうが、それでも話を聞きに行った場合、多少は警戒されるだろう。やはり無防備な方が、相手も心を許しやすいものだ。
中へ入ると、居間へと案内された。村長同様に、特に目立った部分がない家だった。
椅子に座ると、村長が紅茶を出してくれる。礼を言い、一口啜ると、話を促した。
「早速だが鏡の英雄殿のことを知りたい。どういう人物だった?」
「そう、ですね……とても不思議な方でした」
「不思議な、とは?」
「掴みどころがないというか。思いもしない行動をする方、というか。正義感に溢れている、のでしょうか。彼が何かをすれば、必ず問題は解決しました」
「魔獣や盗賊を討伐する、ということでは?」
「いえ、それ以外の、その……内輪の問題、というか、なんと言いましょう。複雑な状況でも、彼が何かをすれば、問題は解決するというか。彼には確固とした信念があったようです。それに沿って行動しているのではないか、と」
「内輪の問題。つまり、この村でもそういう問題があったと?」
村長は、逡巡していたが、やがて緩慢に頷いた。
「ええ、この村に父と息子の家族がおります。父子家庭は彼等だけなのですが」
「父親は笑顔を絶やさず、息子はやや人見知りの?」
「そうです、お会いになりましたか」
「ああ、先ほど、こちらを案内してくれた」
「そうでしたか……実は、一年前、彼等の家庭で母親が病床に伏せっておりまして。父親は病を治すために様々な方法に手を出し、息子を蔑ろにしていたのです」
「病気?」
「結晶病です」
ざわっと髪の毛が逆立った。結晶病。憎き、病の名前。こんな場所でその名前を聞くとは思わず、レストの血液は一瞬にして沸騰した。娘を蝕む最大の敵。だが、それを倒すためにできることはレストには一つしかない。
手が震えていたが、隣に座っていたルスカがそっと手を握ってくれた。その冷たい体温が、レストを冷静にした。どうやら、激昂しそうになっていたようだ。思わずルスカを見ると、恥ずかしそうに俯いていたが、すぐに手を離してしまった。
気を遣わせてしまったようだが、不思議と心は落ち着いていた。レストは深呼吸をし、村長に視線を戻す。
「ご存じなのですか?」
「ああ、何度か聞いたことがある」
何度も、だ。ノアが生まれて、頭の中に住み着いた悪魔の言葉だ。
「その結晶病に罹った母親が、い、命を引き取るまで、家庭は崩壊していましたが……その、いえ、英雄殿、ガルフリア殿が父親を諭し、更生させたのです。それから、父子は仲良く生活しているということですな」
レストは眉を一度跳ねた。村長の表情には陰りがあったからだ。それに声の抑揚がおかしい。一部分、妙に上ずっていた。母親が死んだ、というところで。何かがあるらしい。敢えて隠すくらいだ、後ろ暗いことなのだろう。だが、それはつまり決して話さないということでもある。
追及しても、利益はないだろう。少なくとも自分達にとっては。
しばらく話し、村長から得られる情報はもうなさそうだ、と思ったレストは会話を打ち切る。収穫は、あの父子のことくらいか。あまり有用ではないだろうが。
「参考になった。わざわざありがとう」
「いえ、こんな話でよければいつでも」
「ああ、助かる。それでは、私達はここでお暇しよう」
「そうだね」
ルスカは黙してレストの隣に座っていただけだ。だが、彼女は会話をきちんと記憶していたようだった。いるだけではある。だが、会話を聞くことで、違う観点での意見が出る場合もある。一人で何でもするより、二人でする方が、新たな発想が生まれることもあるのだ。
レストとルスカは村長に再び礼を言うと、家を出た。街道を通り、宿へと戻りながら、会話をする。
「どう思った?」
「なんか、隠してたっぽいよね。でも、多分だけど、あたし達には有益な感じじゃないかも。レストはガルフリアのことを知りたいんでしょ?」
「ああ、容姿や能力がわかればいいんだが」
「でも、もう……うーん、ねえ、その、あたしの勘違いかもなんだけどさ、ちょっと気になったことがあって」
ルスカは言い難そうにしながらも、意を決した様子で口を開いた。
「何だ?」
「えと、ね、見間違いかもなんだけど」
「ああ、だからなんだ」
ルスカは上目づかいでレストを見つめる。少女としての青い愛らしさがそこにはあったが、レストには不穏な態度にしか思えなかった。何を言おうとしているのかわからないが、イヤな予感しかしない。
そしてルスカは言った。
「あたし初日に、ガルフリアが村へ向かっている後ろ姿を見たんだよね」
「…………なんだと?」
「あ、あのさ、見間違いかも。湖で水を汲んでたらさ、近くの細道を歩いてたんだよね。赤髪で槍を持った、中肉中背の青年、でしょ? 白馬には乗ってなかったけど、間違いないと思う。似てる人かもしれないけど」
ルスカがいた場所はレストとリオンがいた高台とは真反対の場所。つまりこの村側に位置しており、ガルフリアの進行方向を考えれば、二日目にレスト達がガルフリアと遭遇するなんておかしい。
レストが監視していた林道は彼女の場所からは見えない。ルスカがいた場所は木々が生い茂り、開けた場所はあまりない。その上、舗装された道はないので、獣道を通るしかない。
もしルスカが見た人間がガルフリアであったとしたら、レストが見た人間と同一人物であるはずはない。わざわざ行った道を戻って、また村へ向かうなんて行動には意味がないし、あの距離を移動するにはかなりの移動速度が必要だ。それに、もし初日にルスカがガルフリアを見たのならば、逆算して、ルスカと別れた時期くらいに、レストはガルフリアと遭遇していたはずだ。しかし、彼の気配は感じなかったし、違和感もなかった。
別のルートがある可能性もあるが、レストが見張っていた道以外は、まともな道はない。獣道よりも更に険しく、わざわざそこを通る理由がない。しかも片方は馬に乗っているのだから。
「レストに言おうかと迷ったんだけど……その場から離れない方がいいと思って。それに、倒したって言ってたから、人違いかと思ったんだけど、さ」
どういうことだ。ガルフリアが二人?
たまたま似ていた人物が近くにいた?
ガルフリアを模倣した人間がいる? それとも両方ガルフリアではない? では殺した男は誰だったのだ? あれほど弱かったのだから、やはりガルフリアではない、のか?
ならばガルフリアは、本物の英雄はどこにいるのか。
ガルフリアを装っていた人物がいるのは間違いない。英雄を真似た人間? ガルフリアと結託しているのか、それとも勝手にやっているのか。何が理由で? 村長が知っている英雄は本当にガルフリアなのか? では英雄が盗賊達を討伐したというのは? 人々を救っているというのは? それは本当に、ガルフリアによるものなのか?
わからない。何が何だか。
思考が混濁している。何かが間違っている。いや、根本的に考え違いをしているのか。指針がない。論理を組み立てられない。
焦燥感がレストを襲い始めた時。
突然、レストの背中に悪寒が走った。思い当たってしまった。最悪の考えに。
もし、あの恐らくは偽物のガルフリアを殺した瞬間を誰かに、ガルフリア本人に見られていたとしたら。もしかしたら、自分達の居場所はバレているのではないか。
途端に、全身に汗が滲んだ。
失敗していたのではないか。すでに、ガルフリアの何かしらの術中にはまっていたのではないか。魔女は言っていた。十年近く、英雄達を殺そうとした人物は多くいたはずなのに、英雄達は生き残っている、と。それはつまり、それだけ強いのだと思っていた。だが冷静に考えれば、強さだけではないのではないか。何か生き残る方法、術、能力があるのではないかと考えるべきだったのだ。
レストの中で警鐘がけたたましく鳴り響いている。
ここにいてはいけない。この村から出なくては、なぜかそう思った。
「ど、どうしたの? すごい汗」
ルスカが心配そうにレストの顔を覗きこんだ。彼女の顔を見つめ、レストはすぐに大丈夫だ、と答えようとした。だが、それはできなかった。
ルスカの後ろに見えたのだ。
村の入り口。
そこには赤毛の中肉中背の青年がいた。
白馬に跨り、槍を携え、レストとルスカを見下ろしていた。瞳はぎらつき、およそ人間とは思えない。無情にも、その姿は美しく、凄艶でもあった。厳とした姿に、レストは視線を奪われ、言葉を失う。憧れと恐怖を同時に抱いてしまうような存在だった。
ルスカはレストの視線を怪訝に思い、振り返る。そこにいた人物にルスカは小さく悲鳴を上げた。何もできない。睨まれただけで何もできなくなる。そんな威圧感だけが胸中を駆け巡る。
逃げなければ、逃げなければ。
そう思うのに足が鉛のように重い。自分の身体ではないかのように動かない。
ルスカは後ずさりし、レストに抱きついた。
英雄は、ガルフリアはゆっくりと村の中央通りを歩く。狭い道を優雅に闊歩する姿は、賞賛する民衆がいなくとも、華美な光景だった。
レストは震える手でナイフを握ろうとした。だが、宿に武器を置いて来たことに気づき、すぐに後悔した。慎重になり過ぎて、いざという時に何もできない。
逃げようにも、すぐ近くにガルフリアがいるのだ。どうしようもない。
馬は歩みを止め、レスト達の前で止まった。馬上のガルフリアは厳めしい顔つきのまま、レストを見下ろし、口を開こうとした。
もう、終わりだ。
そう思った瞬間、
「夫婦か?」
と問われた。
レストは質問の意図がわからないながらも、必死で頭を働かせて、何とか答える。
「……違う」
「じゃあ恋人か。白昼、身を寄せ合うんじゃねぇ。子供の教育に悪影響を及ぼすからよ。愛を確かめ合うんなら部屋の中だけにしろよ」
何を言っているのかと思ったが、冷静に自分達の状況を見ると、理由がわかった。ルスカは震えながらレストに抱きついていたのだ。レストはそんなルスカを無意識のうちに固く抱き留めていた。ルスカも現状に気づいたのか、レストを見上げる。視線が絡むと、途端にルスカの顔が赤くなり、慌てて離れた。
「……気を付けよう」
「そうしな」
言い終わると、ガルフリアは何事もなかったように村長の家へと向かった。レストとルスカは緊迫感から解き放たれた拍子に、同時に嘆息した。
「生きて、いた」
「う、うん。やっぱり、あたしが見た方がガルフリア、だったのかな」
「おまえが見た人間がガルフリアならば、どうして私達の方が先に村へ到着しているんだ? それに、だ。私も確かに奴を見た。顔を近くで見たが、間違いない」
レストが言うや否や、ルスカは顔面を蒼白にした。
「それって、まさか……」
「ああ、殺した人間は、さきほどの男だ。間違いない。瓜二つだ」
間近で確認し、触れもした。馬の姿も確認した。鎧の形も、鞍の形さえも覚えている。間違いない。殺した相手と、そこにいた男は同一人物。ガルフリアだった。
「一体、どういうことなの……?」
「わからない。わからないが、ここは危険だ。すぐに出た方がいい。宿へ戻るぞ。リオンを連れたら出発だ」
「う、うん」
理解の範疇を超えている出来事だらけだった。だが、確かなことはある。ガルフリアは何かしらの能力を持っていて、殺しても簡単には死なないということ。そして、このまま村へいれば、危険だということだ。
一度、ガルフリアを殺した。
先ほどの反応からして、奴はレストのことに気づいていないだろうが、殺されたということは知っているのではないか。ならばいずれレストのことを知るかもしれない。
わけがわからないし、まるで夢のようだった。だがこれは現実なのだ。
とにかく一度、ガイゼンに戻って態勢を立て直すべきだろう。
レストとルスカは宿へと戻り、代金を払ってリオンと共に村を出た。それは狩りをするためではなく、逃げるための行動だった。




