12
「ミスター・ガーランド!?」
後輩の仰天した声を無視し、ロスはブルーム館の二階にある己の研究室の、南向きの大きな窓に駆け寄った。傍にあるキャビネットのドアを勢いよく開ける。
中には彼が試作中の「魔法道具」が収められていた。
その中から、丈の長い、マスケット銃のようなフォルムのコクーンを取り出し、横の箱から乱暴にキャンディを掴み取る。
「C&Rなんかどうするんです?」
試作の銃を手に大股で研究室を突っ切るロスに、授業の無い日にここでロスを手伝っている学生が狼狽えたように上ずった声を上げた。
「決まってる」
おろおろする学生に、ロスは振り返りもせずすっぱりと言い切った。
「試し撃ちだ」
夕食用の食材を買いに出掛けるというロマンに付いて、ロゼも買い物に繰り出した。
相変わらず空には分厚い、カラフルな雲が溢れているが、切れ間から美しい青空も覗いていた。照りつける太陽の光は白っぽく、透明度に欠けているがまずまずの天気と言えよう。
石造りの建物が多い王都の、舗装された道路を市場目指して歩いていく。
広大な敷地を持つ魔導学院は、魔法を使うという特異性から王都の中でも外れの方に位置していた。
「王都の中心に向かうなら乗り合い馬車がお勧めね。お金に余裕があるなら、辻馬車でも雇えばいいわ」
行き交う黒塗りの馬車を、ロゼは目を丸くして見送った。
それから歩道に溢れる人の群れに眩暈を覚える。
お洒落なドレスと品のある日傘で優雅に歩く貴婦人から、ぼろぼろに汚れ、引き裂かれたコートの端を引きずって歩く老婆まで道行く人の恰好は幅広い。
元気よく荷車を引き、威勢のいい声で呼び込みをする行商人を見詰めながら、ロゼは感心したように頷いた。
「どの人も……みな一生懸命ですね」
「そうじゃない連中はみんな堕落していくのが王都だからね」
ロマンが懐かしむような眼差しで、道行く人を見詰めた。
「私も、初めて王都に来た時は圧倒されたわ。そして急いで流れに乗らなきゃ殺られる、ていう変な危機感を持ったわよ」
「流れ?」
見上げるロゼに、彼は苦笑した。
「当時はそう思ったの。何もかも……スピードが違うからね」
「それは……」
周囲を見渡し、流れる水と同じように行き交う車や人、物を感慨深げに眺めながらロゼは頷いた。
「分かる気がします」
自分が生活していたホルダードは、人が少ない分なにもかものんびりしていた。
だがここでは、人よりのんびりした分だけ他人に「良い所」を持って行かれるのだろう。
皆が皆、必死に生きている。
それはキラキラして綺麗に見えるが、見えない何かが淀んでいるような気もしてロゼはなんとも複雑な気分になった。
「でも、そんなに悪い事も無いのよ? 活気に満ちているし流行の最先端を行くことも出来るし。全ての中心に居るってことは、それだけ誰よりもイイモノに触れる機会も多いってことよ。それに、殺られるまえに殺れってね」
そう言いながら、ロマンは自分が贔屓にしている市場へと確固たる足取りで歩いていく。
メインストリートから外れているとはいえ、沢山の人が住まう地区であるのは間違いない。
ホルダードの村の十倍以上の人口が暮らしている筈だし。
家々の間を縫うように広がる道路を進むと、目の前が急に開けた。
「さ、ここがミスレニアス広場よ」
真っ白な布の天蓋があちこちに屋根を築き、商品の乗った木箱が壁になっている。喧騒と賑やかな色味の溢れるそこは、王都にあって異国に居るような気分にさせた。
「夕食の買い出しは鮮度が命。いいものを素早く手に入れるのが基本よ」
急に一回りも二回りも大きくなるロマンの身体に、ロゼは目を瞬いた。
心なしか、二の腕辺りの筋肉が盛り上がって見える。優しげで眠そうだった紫の瞳が戦闘モードでぎらぎらするのに、ロゼは若干引いた。
「あの……ロマン?」
「さ、行くわよ、ロゼット」
フライ返し程ありそうな大きな手にがっしりと手首を掴まれて、ロゼは仰天した。
今、目の前に居るのは紛れもなく男……しかも、獣っぽい男だ。
「い、行くってどこに……」
「もちろん、行きつけの肉屋に決まってるだろうがぁ!」
どすの聞いた低い声。それはもう、野獣の唸り声にしか聞こえない。
「ちょっと……ま……」
「邪魔だ―――どけぇええぇええぇええぇッ!」
「ぎゃああああああああああ」
唐突に、しかも全速力で走り出すロマンに引きずられ、ロゼの身体が宙に浮いた。
これはもしかしたら何かの魔法かもしれない……。
そう考えながら、ロゼは地面をけるというよりは、地面に触れるだけの自身のブーツの爪先を遠い目で見詰めながら思うのだった。
対犯罪者用装備、C&R(マスケット銃型コクーン)を手に食堂に駆け込んだロスは、当然の結果に舌打ちした。
「どこ行きやがった、あのニセ魔女ッ」
周囲を見渡し、手掛かりとなる何らかの情報を探す。
厨房には使ったと思しきカップ二つと皿が残されていた。
シェフの姿はどこにもない。
そこから導き出される答えは一つしかない。
彼がロゼを連れて出て行ったのだ。
だが、どこへ?
――――答えは簡単。
(俺が居ない時にニセ魔女を外に出さないよう、守衛に厳命しないとなッ)
ちらりと箒を使った逃走を思い描くが、今回はその可能性は低いだろう。
なにせ、ロマンが居ないのだから。二人で……というか、あの体格の男を後ろに乗せて飛べるとはちょっと思えないし。
銃を手に廊下を爆走するロスの姿に、丁度講義を終えてブルーム館に戻って来たアルマ教授が目を見張った。
「一体どうした、ガーランド」
「学院の警備体制を疑いますよ、教授ッ!」
コートの端を翻し、風のように去って行くロスに、アルマは目を瞬く。
「…………どういうことだ?」
その呟きは、答える人のないまま赤い絨毯の敷かれた廊下に沈んで消えて行った。
「その肉寄越せぇえええああああああっっっ!」
奇声。
「貴様ッ! 今日こそ留め刺してやんぞ、ごらああああああああっ!」
怒声。
「馬鹿め! 今日の一押しリブボーンは私がもらったああああああああっ!」
高笑い。
「え……何ココ……」
死闘が繰り広げられているのは、ミスレニアス広場の最奥にある、巨大なテントの前だった。
テントを支える梁からは、沢山のお肉がぶら下がっている。
それこそ鮮血滴る赤身から、熟成されたもの、干したもの、腸詰、生ハム等々。
ショーケースのようなガラス張りの台には、氷が敷かれた上に様々な肉の部位が並んでいる。
鳥、羊、牛などなど。
その前では、買い物かごを下げた主婦から筋骨たくましいシェフ、海賊のような縞模様のシャツに裾の膨らんだズボンの男など多種多様な人間がひしめいていた。
彼らが、タイムサービスと称して破格の値を付ける牛肉の部位の争奪戦を演じているのだ。
当然、高級な食材を求めるロマンも例外じゃない。
先ほどまでの女子然としたしゃべりと態度は成りを潜め、「次は霜降りロース、五割引きだよ!」の掛け声に、寄って来るシェフを殴り倒している。
そろりそろりと店の前から離れ、ロゼはここだけ完全に秩序を失っているなぁ、と遠い目でそれを眺めた。
歓声が沸き上がり、肉屋の死闘を見物に来ているらしいオジサン達が興奮気味に話すのが聞こえて来た。
「今日のロマンは完全に仕上がってるな。拳の切れが違う」
「何を言うか。バラディン号のシェフ・グランバルを見ろよ! 奴の蹴りは世界一だ」
「最近ではフライパン女王の勢いを留められる男は居ないんじゃないか? 後ろから一撃、反則ギリギリだぜ」
(反則?)
ロゼは生暖かい目で乱闘を眺めながらぼんやり考える。
反則どころか、規則があるのかすら疑わしい。
ロマンが首にソーセージの輪を掛けて、勝利の雄叫びを上げている。
うん。まあ……それで美味しい料理が食べられるのなら、良しとしよう。
「さ……私は私でお買い物っと……」
すぱん、と気持ちを切り替えくるりと肉屋の屋台に背を向ける。
ロゼは洗濯紐と着替えを購入する為に雑貨屋と仕立て屋を探しに歩き出した。
(ま、ロマンが居なくても何とかなるでしょ)
帰り道が判らなくなったら、適当な所でイーファとエルメルトに頼めばいい。
ガーランドの事を偉く気に入っていたから、暫く彼を報酬にすればいいだろうし。
などとお手軽な事を考えながら、ロゼは縦横に並ぶ露店を一つ一つ覗いて行く。
ぐるりと市場を巡り、ロゼは更に大きな商業通りに出られる事に気付いた。
メインストリートを挟んで両側に沢山の店が並んでいる。
彼女が暮らすホルダードの村には、こんなに沢山の店はもちろんない。
小さな何でも屋が一つと、レストランと酒場を兼業する飯屋、宿屋と仕立て屋くらいしか無い。
覗き込んだ通りには雑貨店は山ほど連なり、その他にも八百屋や魚屋、肉屋、花屋と所狭しとあれこれ並んでいた。
どうやら市場はそこから出店して出来ているようだ。
ガラスのショーウィドウに飾られたトルソーを発見し、ロゼは華やかな黄色いドレスに目を奪われた。
シフォンのドレスだろうか。裾と袖がふわりと膨らみ、胸元のレースと裾の刺繍が、春の花を鮮やかに描き出していた。
下に小さく載っている値札に呻き声を上げ、ロゼはガラスから顔を離した。
とてもじゃないがロゼの手持ちで太刀打ちできる金額ではない。
(素敵……こんなの村では売ってないわ……)
目に焼き付けるようにそれを眺めていると、涼やかなベルの音がして沢山の箱を抱えた男性が横の階段を降りて来た。
お仕着せ姿な事から、どこかのお屋敷の使用人なのだろう。
華やかなお喋りがその後ろから続き、ピンクやブルーのの薄い生地で出来たドレスに、花と宝石をあしらったボンネット姿のお嬢さんがずらずらと出て来る。
足元で揺れるレース飾りに思わず目を奪われていたロゼは、ふと顔を上げて虫けらでも見るような眼差しを注がれているのに気付いた。
彼女達はロゼのよれよれ衣裳を一瞥すると、くすくす笑いながら通りに待たせている馬車へと向かった。
ひらひらゆれるスカートのリボンや、ボンネットの縁。その下に広がる意地の悪い感情。
「なにアレ……」
小声が耳に届き、ロゼは一瞬気持ちが凹むのを覚えた。
だが、それはほんの一瞬だった。
ロマンの言葉が頭に浮かんだのだ。
殺られるまえに、殺れ。
くすくす笑うお嬢さんたちを前に、ロゼはぐいっと顎を上げこれ見よがしに鼻で笑って見せた。それから、気取った仕草でスカートを払い、優雅に歩き出す。
どよめくお嬢さん達の、何を言ってるのか判らないざわめきを背に、ロゼは堂々と通りを進んでいった。
(卑屈になるな、ロゼ。私はどこの誰でもない。ただのロゼよ)
その後、通りの店を冷やかし程度に彼女は覗いて行った。
だがどれもこれも高すぎる。
(流石王都だわ……なかなかお買い物も出来ないとは……)
だからこそ、広場の中心にたつ市場が栄えているのだろう。
雑多で、庶民から貴族が入り乱れる市場に戻って来た彼女は、鮮やかな色取りの布が沢山溢れる屋台を見付けほっとした。どうやら良心的な値段で仕立てもしてくれるらしい。
さて……どんな服にするべきか……。
ふと、高級店のシフォンのドレスを思い出し、ロゼは軽くて薄い生地を手に取った。先ほどの鮮やかな黄色とは違うが、タンポポのような色味でわりと綺麗だ。
そっと指先で布地を撫でる。それから己の赤毛を思い出しうんざりしたように溜息を吐いた。
赤毛に黄色では目が痛くなる配色だ。
せいぜい無難な所だとグリーンだろうか……。
「でもクロエが言ってたっけ……何事も挑戦だって」
挑戦するのなら……着たいと思った色をチョイスするべきだろうか。
いやでも……しかし……。
不意に背筋を寒気のようなモノが走り、ロゼはぱっと顔を上げた。
うなじがちりちりする。
大急ぎで辺りを見渡し、何か不審なものが無いか「見る」。
二軒離れた花屋の横をかすめるように何か横切った。
それは、一片の残像のようにロゼの眼に一瞬だけ広がり、確認しようと目を凝らした隙に消えてなくなってしまった。
「なに……今の……」
灰色の影のようなもので、鈍い光を内に秘めていた……ように見えた。
まるで……精霊の影のような……。
グリーンの布を手にしたまま、ロゼは目を瞑る。もっとよく、そのロゼの前を通り過ぎた「物体」について見ようとした。
感覚を遮断し……彼女の中に眠る「千里眼」だけを開こうとする。
薄暗い中に、ぼんやりと灯りが灯り周囲の景色が徐々に目の前に開けていく。
その中にうっすらと漂う銀色の帯が見えた。
それを手繰ろうとして……。
「やっと見つけたぞニセ魔女ッ!」
ロゼが没頭しそうになっていた感覚を切り裂くように、今一番聞きたくない声が届いた。
ぱっと目を開ける。
彼女は人でごった返した通りの奥にガーランドを認めた。
彼は……こんなに離れていても見える程に、怒りのオーラを放っていた。
それはもう、尋常じゃないほど。
――――マズイ。
本能が告げる。
後退り、逃げようとした瞬間、ロゼはガーランドが問答無用で手にしていた銃を構えるのを見た。
様々な感情が一瞬で脳裏をよぎる。
それを貫いて溢れ出たのは。
「いきなり射殺はオカシイでしょ!?」
だった。




