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「ミス・ロゼットには明日から講義をしていただきます」

「はあ」


 最新鋭の水道設備により、各部屋には蛇口の付いた洗面台が用意されている。更に、ガーランドのような普通の学生より上の研究生の部屋にはシャワー付きバスまで完備されていた。


 アルコーヴの奥に設置されたそこから湯気が溢れて来るのを横目に、ロゼは顔を洗い身支度を整えた。


(といっても着替えが無いからなぁ……下着とナイトドレスは辛うじて持ってきたけど……)

 早い所街に降りて買い物に行かないと。


 そーっとクローゼットを開けて、置いてあったふかふかのタオルで濡れた顔と髪を拭っていると、毅然としたノック(そんなものがあると今の今までロゼは知らなかった)の音が響き、「失礼します」というはきはきした口調と共に、昨日出会ったあの美少女が中に入って来た。


(ミス・ナントカといい……あの男の周りには美女が集まってくるのか?)


 腰まであるストレートの黒髪は、窓から差し込む陽光につやつやと輝き、アイロンをきちんとあてたスカートのプリーツは、鋼で出来ているかのように彼女の太ももをガードしている。

 昨日と違う、短い白の上着の袖口には銀と金の糸で丸を重ねたような、水文のような図案が刺繍されていた。

 濃いワインレッドのタイツに同じく赤の、ヒールがある靴。


 厳しい顔つきで背筋をぴんと伸ばしている、隙の一切ない美女を前に、ロゼは何故か気持ちが凹むのを覚えた。


(ま……良いケドね)


 ぼさぼさで、毛先が湿った赤い髪をなんとか手で撫でつけながらロゼは「どのようなご用件でしょうか」と低い声で尋ねた。


 そして冒頭の台詞になる。


「本日はミス・ロゼットが講義をするお部屋へとわたくし、マールディア・コナーがご案内させていただきます」

「それはまたご丁寧にどうも」

 ぽん、とタオルを椅子の背に放り、ロゼはくしゃくしゃに乱れたまま直線にならない髪を諦め、放り投げてあったブーツに足を押し込んだ。

「では、参りましょうか」


 ブラシも当ててない髪と、冷たい水で洗っただけの頬をさらし、寄れた衣服で目の前に立つ古代魔女に、マールの頬が引きつった。


「失礼ですが……そのような格好で?」

 美しく整えられた眉の間に、山脈が出来る。嫌味にも聞こえそうな鋭い声に、ロゼは肩を竦めた。

「ちゃんとした服をまだ買いに行けてないの」


 これで我慢して。


 紅玉の瞳を目蓋で半分覆い、ふーっと溜息を吐くロゼ。

 気怠そうなその態度に、マールは眩暈がした。


「…………やっぱりあなた、ニセモノだわ」


 ぎゅっと握りしめた拳が白くなる。


 フィンさまの方が断然、断然尊敬できます、と明確に宣言している顔を横目にロゼはへらりと笑った。


「それを決めるのはあなたではないわ」

「いいえ! それくらいの力、私にだって」

「朝っぱらかうるせぇな……」


 アルコーヴに掛けられていたカーテンがさっと開き、大量の湿気が流れ込んでくる。

 ほわほわと漂う湯気の向こうから、タオル一枚腰に巻いただけのガーランドが出て来た。

 頭から被ったタオルでがしがしと水気を拭い、不機嫌そうな声が続ける。


「何の用だ、コナー」


 ばさり、と放ったタオルの下から気怠そうな表情が覗く。


(う~わ~……)


 ロゼはやけに堂々と立つ半裸の男性に、こういう格好で女性の前に出るのにすっかり慣れきってるな、という素直な感想を抱いた。

 加えて、見てて不快になるような部分がどこにもない事に……腹が立つ。

 きちんと運動しているのがよく判る、引き締まって日に焼けた体型だ。


(これでお腹でも出てるか、もやし並に白ければ可愛げがあるのに……)

 ぞわぞわするような、虫唾が走るような、あまりに完璧すぎる物を前にした時のなんとも言えない感覚に苦い顔をする。


 ふと隣を見れば、ロゼより頭一つ背の高いマールが、耳まで真っ赤になり唇を震わせていた。


「な……あ……こ……」

 言葉が出てこない。


 美少女が、その可憐な姿に相応しく頬まで真っ赤に染めて震えている姿に、ロゼはやっぱり何とも言えない感情に襲われた。


 しいて言うなら………………呆れ?


「ミス・マールは私を案内しに来たのであって、決してあんたの半裸を覗きに来たわけではありませんから、ご安心ください」

 棘にまみれたロゼの一言に、「ああ」とガーランドは自らを省みた。

「これは失礼。来客を迎える格好じゃねぇな」


「ふ……服を着てから出てきなさい! れ、レディが二人も居るのですよ!」


 瞬間、マールの金切り声が炸裂する。

「それから、あっちこっちに物を散らかさないッ!」


 怒鳴ったことで活力を得たのか、マールは勢いよく動き出し、ロゼとガーランドが放ったタオルを拾って歩く。


 ずかずかと部屋を横切り、彼女は戸口に置かれていた丸いバスケットにそれを押し込んだ。

 戸口に出しておくと、洗濯メイドが回収してくれる洗濯籠だ。

 そのぴんと伸びた姿勢と、靴音高く歩き回るマールに、ロスが意地悪くほほ笑んだ。


「わざわざご心配頂き、恐縮ですよ、ミス・コナー」


 馬鹿丁寧な言葉に、びくり、とこちらに背を向ける彼女の身体が強張った。


 からかうように彼女の背後に近づいたロスが、片手をドアについて彼女の首元に顔を近づける。

「ありがとう」


 ぼん、と音がしてマールの頭から湯気が出るのじゃなかろうかとロゼは遠い目をした。


 この男……ほんっっっと性質が悪い。


「い……いえ、あ、あの……そ……の……ここ、れくら……いなんでもないわ」

 完全に動揺し……尚且つどこか潤んだ瞳でガーランドを見上げるマールに、ロゼは鼻に皺を寄せた。


 勘弁してほしい。

 昨日自分には彼女が居ると公言し、その彼女と修羅場(?)を演じたばかりではなかったか、この男は。


「そこの公然わいせつ罪男! 他人にセクハラする余裕があるならどっか行ってもらえません? 私の貴重な時間を無駄にしてるんで」


 ひき、とロスの口元が引きつる。


「おい……」

 振り返り、険悪な表情の彼を無視し、つかつかとマールに近寄ったロゼが羞恥から真っ赤になる美女の腕を取った。

「ミス・コナー、用件があるのは私にですよね?」

 言外に「仕事しろ」と冷ややかに滲ませて言えば、彼女は赤くなった後青ざめた。

 屈辱感からか、歯を食いしばっている。

 そりゃそうだろう、とロゼは心の奥でにんまり笑った。

 尊敬する「コールリッジ先生」のニセモノから仕事の怠慢を指摘されたのだから、腹立ちもひとしおだろう。


「その通りです、ミス・ロゼット」


 顔を上げ、再び目に飛び込んで来た上半身裸のガーランドに微かに頬を赤らめるも、彼女はぐいっとロゼの手を引いた。

「用意がお済のようですので、講義用のお部屋にご案内いたします」



 連れて来られたのは、ただっぴろい部屋だった。

 沢山の机と椅子が並んでいる。

「…………あの」


 周囲を見渡し、ロゼは怒りを抑えるのに必死だった。


「ここ?」

 引きつった顔で振り返れば、戸口に立っていたマールが至極冷静な表情で頷いた。


「はい。こちらが唯一、この学院で開いている部屋です」

(絶対嘘だ)


 ぎりぎりと奥歯を噛みしめながら、ロゼは再び室内を見渡した。


「では、私はコールリッジ先生の講義がありますので、失礼いたします」

 コールリッジ、という単語に滲んだ自慢げな響きと、微かに人を見下す優越の滲んだ眼差しに苛立つ。

 踵を返し、ぴんと伸びた背筋のまま帰って行くマールを射殺さんばかりに睨み付けた後、ロゼは諦めたように溜息を吐いた。


「あなた、何してるの?」


 そのただっぴろい部屋の奥から、呆れたような声がする。

 明るい光のなかでも、そこから漂う湯気が見えた。

 ――――昨日と同じで。


「ここが私の研究室なんですって」

 叫び、ロゼは広い「そこ」を突っ切って、カウンターの前のテーブルに付いた。


「ここ!?」


 素っ頓狂な声がする。

 それに、ロゼは苦い笑みを浮かべ「まあ」とひとりごちた。


「美味しい料理を食べながら研究が出来るなら、本望か」

「ここーッ!?」


 目を見張るシェフ・ロマンの絶叫を後ろに訊きながら、ロゼは「食堂」のテーブルに頬杖を付いて溜息を漏らした。





「あなたも虐げられてるってわけね」

 ほら、あたしが淹れてあげたスペシャル・コーヒーでも飲んで気を取り直して。


 がらんとした食堂を前に、ぽつんと一人で座るのも馬鹿らしい。


 なので、ロゼは早々にカウンターの奥の厨房のテーブルに座っていた。


 朝食の時間が終わって直ぐなので、シェフ・ロマンも一息吐いている所だったようだ。彼が飲む予定だったコーヒーを提供してくれた。

「それもこれも全部ニセモノの所為よ」


 朝食の残りと思しき、焼き立てクロワッサンとロールパン、オムレツにベーコン、マッシュポテトをじっと見詰めながらロゼは憎々しげにつぶやく。


 ああ、あれこそが正統派の食事というモノだろう。


「涎、垂れてるわよ」

「ええ!? あ、はい……うん、垂れると思います」

 正直な返答に、ロマンは嬉しそうに笑うと「仕方ないわね」と正統派朝食を出してくれる。


 感動に目を輝かせながら、温かなクロワッサンを手に取り、至福の表情でぱくりと頬張る。


「…………」


 一瞬、ほんの少しだけ、違和感があった。

 鼻に抜けるバターの香りがなんだか……物足りないような気がしたのだ。

 だがそれも、カリカリのベーコンとオムレツを一気に口にした際に消滅した。ふわふわのロールパンも、街のパン屋さん顔負けの中のしっとり感とほんのりとした甘さが堪らない。


「で、センセ、今日のご予定は?」


 講義は明日から。

 この場所で。


「―――一発ぶちかまさないとダメかなぁ……」

 完全に虐げられている……というか、信用されていない。


 講義の会場に食堂をあてがわれたくらいだから、学院が考えたロゼの立ち位置は推して知るべし、という所だろう。


 そこを名誉挽回しなければ、間違いなくロゼは要らない人=ニセモノ認定されてしまう。


 せっせと朝食を口に運びながら、ロゼはつらつらと今後の予定を考えた。


(…………でも、考えようによってはむしろ好都合とか……)


 利点もある。

 学生が来ない……という事はつまり、自由時間が有り余るほど有るということ。そして、自由時間が有ればあるだけ、ロゼは自身の目的に近づける。


「フィン先生の正体を暴くとか?」

 にやにや笑うシェフ・ロマンの顔を見上げる。


「当然、それに向けて動き出すつもりですケド、まず一番にやらなきゃならない事があるの」

「それは?」


 身を乗り出すロマンに、ロゼはフォークを咥えたまま笑った。


「日用品の買い物」





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