第51話 烏が夜に泣く 後編
「澤渡様。この男、夜烏組の頭です」
壮馬の言葉を受けて、将典は、改めて、死んだ男の顔を見る。どこにでもいそうで、記憶にも残りにくい、そんな顔立ちだった。豪奢な着物を身にまとうでもなく、ごくごく普通の庶民が着る服をまとっていた。江都を跋扈する犯罪組織の頭には見えなかった。ただ、氷柱を送り出した空気の反動で袖がまくれ上がった右腕には、月夜に羽ばたく烏の彫り物がされていた。
「本当か?」
「気づくのが遅れて申し訳ありません。だけど、腕の彫り物が何よりの証でやす」
続けて、真宙が声をかけてきた。
「将典様。これを」
壊れた手提げ金庫を手にしている。一時的に晴れた月明かりによって、見つけたもの。
月が、再び濃くなってきた霧によって、隠れていく。
代わりに、街灯の灯をたよりにする。壊れた金庫に付いた傷跡から、魔獣に金庫が投げつけられたことを見て取ることが出来た。そんな壊れた金庫の中に見えるのは、宝石などの貴金属の他に、いくつかの紙束。
将典はその紙束に手を伸ばすと、手早く目を通し始めた。
「……はぁ」
「将典様?」
一通り見終わると、自分の口から溜息が漏れたことには気づかず、利奈子から掛けられた声で、我に返った。眉間に寄りすぎたしわで感じる痛みとともに。
――なぜ、ここまでするのか?
――そうまでして、皇国の頂点に立ちたいのか?
心に満ちているのは、怒りではなく、締め付けるような痛み。
――「皇国の藩屏」がここまで堕ちてしまうのか。
記されていたのは悪事の証拠。夜烏組が犯していた犯罪の隠蔽に止まらず、夜烏組が得ていた利益の還流に、犯罪行為の直接の指示。標的は様々。歴史ある名家、裕福な商家だけでなく、市井の民も。その中には、澤渡家を狙った指示もあった。民権運動に関わらせていたごろつきたちを使って、弱みを握り、脅すための。
ずぶずぶに夜烏組とつながりながらも黒幕の中に隠れていた者として、枢府にも並ぶ皇国の重鎮の名がそこにはっきりと記されていた。
――夜烏組の頭は、己が闇に葬り去られないように、これらの書類を抱えていたのか。
再び、将典は夜烏組の頭へ視線を送る。その死に顔からは、打算や企みといったものは欠片も見えず、大切なものを守ろうとする必死さ、それだけが伝わってきた。
利奈子に抱かれたままの乳飲み子を見る。今度は、その無垢な瞳から目をそらさない。
――人の欲望で、乳飲み子から親を理不尽に奪っていいのか。
――親が犯罪者なら、許されていいのか。
――……違う。許されてはいけない。
けれど、今の将典にできることは何もない。
新聞に連載されている人気小説のように悪を倒せば、犯罪者。
新聞に証拠を提供して記事にすれば、民に無秩序な混乱を引き起こす無責任者。
将典は唇を噛んだ。
――あと一年……。
学園を卒業する一年後であれば、叙爵されて枢府に名を連ねていれば、堂々と糾弾することが出来る。
――……違うな。一年後であっても、若輩者に邪魔された程度にしか思わず、再起を期すだろう。
――そうさせないためには、かの者の誇りを打ち砕くしかない。
――そのためには……。
『力になりますわ』
将美海の声が右から聞こえてきた。けれど、彼女の手を借りられるのはスイーツ事業に関わるところのみ。次期将家当主選定で弟の真一郎と微妙な関係にある今、この件で動いてもらうと、逆に彼女の立場をおとしめてしまう可能性が高い。
『あるいは、冨迫伯爵を頼るのもいいかもしれないわね』
『私は君が嫌いだ』
左から聞こえたのは、冨迫伯爵の声。
揺れ動く心を抑えるように、将典は右手に力を籠める。持った書類にしわが寄った。
――今の私にできることは、せいぜい、この書類を誰かに託すことだけ。
――成し遂げてくれることを期待するだけ。
心が揺れ動き続けるまま、ひとつの決断を下す。
「冨迫伯爵は、今日、どちらにいらっしゃる?」
「父は屋敷におりますが」
小首を傾げる利奈子からの返事を受けると、書類を真宙に手渡す。
「ならば、真宙とともに屋敷に戻られよ」
そして、続けて真宙に指示を出そうとするが、
「お待ちください、将典様。私は魔獣に襲われ困っている者たちの下へ向かいます」
利奈子の言葉に、将典は眉間にしわをさらに深く寄せる。
「危険だ。魔獣だけではない。この混乱に乗じて悪事を働く者たちも必ず出てくる」
「それでもです。私は治癒の力を必要としている者の下に行きます」
食い下がってくる利奈子に、思わず強い声を返しかけるものの、
「これが私の選んだ道です」
そう言って、力強く輝く瞳で見つめてくる彼女を否定することが出来ない。
彼女の安全を守りたい。意志を尊重したい。その2つが将典の中でせめぎ合う。
思わず、右手で髪をかき乱してしまう。
「……ならば、了成の寿慶院に行け。そこには、魔獣に襲われ困っている者たちが集まってくるだろう。利奈子の治癒を必要としている者もいるはずだ。乳飲み子も了成に託すといい」
「はいっ!」
顔を輝かせる利奈子を横目に、将典は壮馬に強い視線を向けると、
「小矢島は利奈子の護衛をしろ。任せたぞ」
壮馬の顔が紅潮した。
「はっ! お任せください。命に代えましても、姫様をお守りいたしやす」
彼の力強い言葉を受けても、将典は一抹の不安を覚えてしまう。利奈子を守れるのか、と。壮馬の言葉を疑っているわけではない。寿慶院なら了成の目もある。それでも、にじみ出てくる不安が消えない。
けれど、他に選択肢はない。残してきた行子がいれば、書類を彼女に託し、真宙も護衛役に回せたのだが、
――ないものねだりだな。
その思いで不安を抑え込む。
「真宙が冨迫伯爵に必ず会えるように、一筆書いてくれるか」
「もちろんでございます」
と、ここまでの利奈子は力強かったものの、急に声から力が抜け、視線も定まらなくなる。
「……ですが、父がお役に立てるでしょうか」
それは将典の中にも別の新しい不安を生み出すが、それでもあえて胸を張って、将典は言葉を紡ぐ。
「将家の姫君の言葉を覚えているか」
「……行燈は行燈、ですか」
『行燈は行燈よ。闇夜にはきっちりその灯で周りを照らしてくれるわ』
――将家と皇をつなぐ「つなぎ役」である伯爵なら、この証拠を活用してくれるはずだ。
この思いとは裏腹に、将典の心は揺らぐ。
「ところで、将典様はどこへ向かわれるおつもりですか」
「今回の黒幕の下へ」
――これは賭けだ。
冨迫伯爵が黒幕につながっている可能性も否定できない。その時は、証拠は闇から闇へと葬られる。将典も最悪、誣告をしたと隠居させられ、澤渡家は乗っ取られる。
『こんな私でも、一応、武士の末裔だからね』
それでも、冨迫伯爵の言葉の奥底に潜んでいた熾火に賭けることにする。
武士の末裔として、息苦しい闇夜に朝日をもたらすために。




