第47話 姫君たちの集い
図書館3階にある学友会室に差し込む初冬の夕日は、夏と比べると淡く柔らかい。
その光を受けながら、将典は部屋の片隅で立っていた。この時間に合わせて屋敷からフルーツタルトを運んできた咲哉を横に控えさせて。
学園では、昨日今日と研究発表会が開かれていた。多くの研究成果が発表され、将典はいくつもの槐州復興案を目にすることができた。案を考えた学生たちの熱意に応えるべく、槐州復興への決意も新たにする。その中で、もっとも優れた案を出したのが一馬だった。考えた彼の意図も気になったが、今の将典は目の前のことに集中するため考えている余裕はない。
発表会において、学園外から訪れた人々の応対を一手に引き受けていたのが学友会であった。
その仕事を全て終え、会に属する女子学生たちが重い身体を引きずるように、学友会室に戻ってきたのは少し前のこと。
今は、カトラリーが立てる音とともに、彼女たちの明るい笑い声が響いていた。そんな彼女たちに向けて、将典は不快感を感じさせないようにしながら、目を光らせていた。カトラリーに不備が無いか、カップが空になりかけていないか、皿にまだスイーツは残っているか……。
「本当に、この甘さが疲れた身体にしみるわ」
声のひとつに将典は注意を傾ける。声の主がこの部屋で最も重要な人物だからだ。
将美海。学友会会長を務め、当代将家の長女である。
「もう、利奈子。あなた、こんなに美味しいものを私に隠れてこっそり食べているなんて、これは私への裏切りよ」
あちらこちらから同意の声が上がった。
美海と同じテーブルを囲んでいるのは、学友会に名を連ねている者の中でも、とりわけ美海に近い者たち。側近、あるいは、取り巻き、と言い換えてもいい。
彼女たちが口にしていたのがフルーツタルト。今日の果物はリンゴ。薄く切られたリンゴが敷き詰められて焼かれた表面は、ナパージュによって与えられた光沢で光り輝いている。目にしただけで、将典の口の中には唾液とともに、試食の際に味わった記憶が広がってきた。しっとりと甘酸っぱいリンゴと、今回の土台のアーモンドクリームの香ばしさ、タルト生地のさっくりとした食感が……。
「私がいただいた時はまだ試作中とのことでした。美海様に献上できるだけの出来栄えになるように、その協力をしたまでです」
利奈子の澄ました声に、将典は生唾をこっそり飲み込む。
今回、動いたのは将典だ。スイーツ事業のため、利奈子に協力を頼んだ。
『喜んで協力させていただきますわ』
笑顔の二つ返事が返ってきた。
「そんな言い訳聞きたくないわ。これからは毎日持ってきなさい」
テーブルに座る位置が、美海との距離を示していた。彼女の右隣には利奈子が座る。その位置は以前と変わらない。けれど、どこか二人の間に漂う空気が将典には以前と違って見えた。
「毎日食べていたら、太りますよ」
このように、はっきりと踏み込んだことが言えるほど。
美海の目がはっきりと泳いだ。
「そもそも今日のスイーツは澤渡様の厚意で用意していただいたものです」
「なら、私が澤渡様と婚約したら自由に食べられるというわけね」
今度は、利奈子の顔にくっきりと険しいものが浮かんだ。
テーブルを囲む者たちが二人に送る視線には、表には出さないものの、羨望や嫉妬がにじんでいるように見えた。
「ほら。そんな怖い顔をしない。冗談よ。あなたの婚約者を奪おうなんて考えていないわ」
こんな様子を見て、将典は一歩踏み込むことにした。
「姫君」
「何かしら、澤渡様?」
美海の視線が注がれる。ただし、その目は利奈子に向けられていたものから全く別のものに切り替わっていた。
「このスイーツを扱う店を近いうちに江都で開く予定です。今しばらくお待ちください」
その瞬間、ギロリとにらみつけられるような視線がテーブルを囲む者たちから飛んできた。その目ははっきりと欲望に満たされていた。
「あら。その店はいつ開店するの? 来月? 来週? それとも明日?」
けれど、美海の目からは感情を読むことができない。その言葉は、単に、周りの者たちの感情を代弁するかのよう。
対して、将典は、あえてはっきりと、苦笑いを顔に浮かべてみせた。
「申し訳ありません。そこまで、めどがたっていないのです」
スイーツ事業は未だに足踏みが続いていた。了成を通じて、不足していた人手は確保できた。遅れていた事業責任者の濱木峰樹の着任のめども立った。けれど、一号店の開業予定地の確保は出来ておらず、行政からの認可も下りていない。
「早くした方がよろしいかもしれませんわ」
美海の声に冗談めかしたものが混ざる。漂いだした殺伐とした空気をなだめるように。
「そうしないと、お預けを食らったここにいる女の子全員が澤渡様の敵になってしまいます」
この流れを将典は好機と見る。スイーツ事業を前へ進めるための。
「でしたら、褒美を2ついただけないでしょうか」
美海の首が横に少し傾けられた。
「……2つも褒美を求められるなんて。澤渡様はなかなか欲深いのですね」
「欲深くなければ、事業は始められません」
将典がこう返すと、美海の顔に笑みが浮かんだ。その視線は、変わらず、感情をうかがい知ることはできない。
「良いですわ。仰るだけなら、何ら差し支えございませんので、仰ってください。叶うかどうかは、澤渡様次第ですが」
言葉通りに受け取るわけにはいかない。間違えれば、当然、美海の不興を買ってしまう。彼女の弟、真一郎との関係がこじれている今、避けなければならない。
それでも、将典はさらに一歩前へ踏み込む。
「ありがとうございます」
おろしたての厨房服を着た咲哉を前へ押し出す。咲哉には、あらかじめ、何があっても動じるなと言い含めていた。
「この者、板家咲哉にお褒めの言葉をいただきたく願います。この者が当家のスイーツ作りの要なのです」
「あら。そうでしたの」
美海の視線が咲哉へ向けられると、咲哉の喉がゴクリと鳴るのが聞こえた。
「見事でした。これからも澤渡様の下で励みなさい」
将典は礼を言いながら、ガチガチに固まった咲哉とともに頭を下げた。
この言葉によって、咲哉が上流社会に認知されたことになる。同時に、咲哉を将典の下から引き抜こうとする者は美海の面目を潰すことにもなる。咲哉にとって、名誉であり、この上ないお守りとなる。咲哉をかき乱しに来ている民権運動のごろつきたちにも、後ろに隠れている者から必ず掣肘が入る。
「それで、もうひとつは?」
再び、美海の視線が将典に向けられた。
「スイーツを扱う店に相応しい場所を探しております。その口利きをお願いしたい」
「どのような場所を探していらっしゃるのかしら?」
「姫君が通いやすい場所を」
「そういうことでしたら。どなたか心当たりがある方はいらっしゃらない?」
美海はひとつ頷くと、周囲に視線を送ると、テーブルを囲んでいた一人が手を挙げた。江都でも一、二を争う老舗大店の娘だ。
「これでよろしいかしら?」
「ありがとうございます」
将典は深々と頭を下げて、礼を言う。
「他に、店を開くにあたって障害になっていることは?」
「行政の認可がまだですが、近々、力強い助っ人が加わりますので、その者に任せようと思います」
「濱木峰樹殿ね」
間髪入れずに返ってきた名前に、思わず、眉が吊り上がりそうになった。美海が一官吏の名前まで把握しているとは考えていなかったからだ。
――この方の耳と目はどこまで広がっているのか。
考えられるとしたら、峰樹が槐州事変前夜に開かれた会議の場で美海の弟の真一郎を批判したこと。それが彼女の関心をひいたのかもしれない。
改めて、将典は彼女と同じテーブルを囲む者たちに視線を巡らせる。利奈子と大店の娘の他にも、様々な出自の女性たちがいた。将家に代々使える家の娘、辺境州の大地主の娘、江都でも名が知られた大工棟梁の娘。かと思えば、全く出自が分からない女性もいる。そんな彼女たちが違和感なく同じテーブルを囲んでいた。
――これも姫君の力だな。
そこに美海が言葉をかけてきた。
「もしも、濱木殿の手に負えないことになったら、仰いなさい。力になりますわ」
「力になりますわ」の言葉に、将典は心の中だけで小さく喝采を上げた。スイーツ事業に美海が後ろ盾になると認めたからだ。江都で事業を行うには大きな力となる。
けれど、続いた言葉は、この場にいる多くの者が首を傾げたくなるものだった。
「あるいは、冨迫伯爵を頼るのもいいかもしれないわね」
「……昼行燈な父が力になれるでしょうか」
周囲の女子学生たちの思いを代弁するように、利奈子が力なく言葉をこぼした。「昼行燈」と呼ばれる利奈子自身の父親への評価の低さが不審となって、表れているようだった。
そんな様子を見て取っても意に介することなく、美海ははっきりと言葉を口にした。
「行燈は行燈よ。闇夜には、その灯で周りを照らしてくれるわ」




