第42話 新たな壁、秘される理由
秋の明るく柔らかい日差しが、書斎の窓からは差し込んできていた。
そんな日差しを受ける将典の机の上には、2紙の新聞が並んでいる。
ひとつは知識層向けの有力紙。その一面には、巷で「民権運動」と呼ばれている運動の指導者への取材記事が書かれていた。彼らは、将家が実権を握り続ける現在の二元統治体制を非難し、「政治は皇の下に一元化されるべきだ」「民は直接、皇家に忠誠を誓うべきだ」と訴えている。
もうひとつは、娯楽的で刺激的な出来事を多く取り上げる大衆紙。そこには、民権運動の実態は恐喝を繰り返すごろつきだ、と告発する記事が書かれていた。
普段なら大衆紙は斜め読みして、有力紙を深く読む将典だが、今回は逆だった。というよりも、
――ようやく、まとまった告発記事が出たか。
溜息を飲み込みながら、そんな印象を抱いたのは、叔父の千里から報告が届いていたからだ。民権運動の構成員を名乗るごろつきたちが複数の新興商会に恐喝をしている、と。
けれど、このまま民権運動の闇が白日の下にさらされるとは、将典は考えていない。トカゲの尻尾切りのように、せいぜい数人のごろつきが逮捕される、その程度で治まってしまうと見ている。
こう考えるのは、民権運動の背後に政府の有力者がいるのが明らかだからだ。指導者への取材記事を取り上げた有力紙の社主は政府とのつながりが深い。体制批判にもつながる記事の掲載が簡単に認められるわけがない。
――陰に隠れているのは誰か。
将典の脳裏に真っ先に浮かぶのは、加登伯爵。その理由は将家と不仲だから。行政手腕が高く評価され、各省庁を束ねる行政の長「宰相」に据えられている。もっとも、経済と軍への影響力が乏しいため、「宰相止まりの人物」と評されている。そして、取材記事を取り上げた有力紙の社主は、伯爵にとって財界の中で数少ない昵懇の仲の相手。
それでも断定するには足りなかった。この程度の理由なら、他にも挙げられる者はいるからだ。
コンコン
書斎の扉を叩く音と共に、扉が開かれた。
「失礼します」
澤渡家の家令を務める礒橋康嗣が一礼とともに中に入ってきた。後ろには咲哉の姿もあった。
将典の眉がピクリと動く。彼らが揃って姿を現す予定は無かったからだ。
つまり、何か問題が起きたということ。
染みひとつない白の厨房服を着る咲哉の顔はこわばっていた。
「何用だ?」
「板家が退職を願い出てまいりました」
康嗣の言葉に、将典は息を呑んでしまった。
「なぜだ?」
問いかけても、
「申し訳ありません」
そう言って、咲哉は頭を下げるばかり。
将典が康嗣に視線をやるが、彼も無言で顔を横に振るだけ。
咲哉の離脱はスイーツ事業への大打撃という暗雲を呼び起こす。事業の責任者として、将典の中で強い焦燥感が駆け巡る。
けれど、その感情を、眉間に深いしわを刻み込みながらも、将典は押し潰す。
ここは、澤渡家当主として振る舞う時だから。
「辞めたいのなら、その理由を知りたい」
「申し訳ありません」
「どこかから引き抜きの誘いが来ているのか」
「申し訳ありません」
手がかりがない中で、将典に浮かんだのは厨房のこと。それまでの料理長が滄州に帰郷することになり、新任の料理長に変わったばかりだったからだ。咲哉と仲が良かった先輩料理人の一人も、スイーツ事業の一号店の調理を任せるために、屋敷を離れることになっていた。
「厨房に何か不満があるのか」
「いいえ。そんなことはありません」
将典は机を指で軽く叩く。
「ならば、辞めた後はどうするつもりだ。スイーツの店を自分で開くつもりか」
そう言うと、咲哉がかすかに震えていた右手を握り締め、見つめてきたから、しっかりと見つめ返す。
「いいえ。辞めた後は、スイーツ作りはもちろん、料理からも手を引くつもりです」
この言葉に、思わず、目を大きく見開いてしまった。これまでの料理に、スイーツに打ち込む咲哉の姿を見てきたゆえに、考えられない言葉だった。脇で聞いていた康嗣も驚きを隠せていない。
「本気か? 何が、お前をそこまで駆り立てる?」
将典が尋ねても、咲哉は目をそらし沈黙するのみ。そのまま見つめ続けても、口をギュッと閉じたまま。
そんな頑なな反応に、将典は肩をすくめてしまう。
「退職願は一旦預かる」
「そんな。早く辞めさせてください!」
血相を変えて言い募ってくる咲哉に、淡々と言い聞かせる。
「退職する理由がわからなければ、紹介状は書けない。たとえ、お前が料理人を止めると言ってもな」
辞める使用人に雇用主が紹介状を持たせることは、慣例となっている。持たせなければ、雇用主の信用問題にもなる。使用人がよほどの問題を起こして解雇された時でも、問題を起こして解雇したと書くからだ。つまり、将典と澤渡家の信用に傷がつく。
「紹介状も持たせないまま、当家の使用人を放り出すわけにはいかない」
「あっ……」
「分かったなら、下がれ」
「っ……失礼します」
咲哉の肩は落ち、礼にも力がなかった。そして、書斎から出ていこうとするが、机の上にあった新聞に目を止めた瞬間、目を大きく見開き、視線を泳がせた。将典はその変化を見逃さなかったものの、
――?
理由が分からない。
そのまま、咲哉の姿が扉の向こうに消えると、康嗣に視線を向けた。
「板家が退職を願い出てきた理由に、心当たりは本当にないか」
「他の使用人に、急ぎ、話を聞きましたが、心当たりとなるような話はありませんでした」
康嗣も困ったように首を横に振った。
「ただ、1週間ほど前に板家の知人を名乗る者が訪ねてきてから、板家の様子がおかしくなったようです」
「板家の知人」と聞いて、将典の脳裏に浮かんだのは、彼と同郷の外山一馬のこと。将典と同じ学園に通い、この世界をゲーム「パルヴニール」と仕立て上げた中で主人公を務める者と同じ存在である。
「その者は学園の学生だったか? 今年入学した者の中に板家と同郷の者がいた」
けれど、将典の問いかけに、康嗣は再び首を横に振る。
手がかりがない状況に、将典は溜息を吐きたくなる。
「ならば、板家が退職を望む理由を探ってくれ」
「かしこまりました」
深々と頭を下げる康嗣から視線を外すと、先ほどまで差し込んできていた明るい日差しが無くなっていることに気づいた。
窓の外は、暗く重い雲に空が覆われていた。




