第38話 未来は自由か束縛か
「澤渡様は学園を卒業された後はどうされるおつもりですか。軍に入隊されるのですか」
「皇国大学へ進学して、行政職に就くつもりだ」
湯呑から少し冷めた白湯を一口口に含むと、将典は淡々と答えた。目指すは、母の後を継ぐ滄州知事になること。
けれど、利奈子は意外そうな顔になって、
「なぜ、軍に入られないのですか。あれだけの気術が使えるのなら、魔獣退治で皇国の民の安寧に努めるべきです」
利奈子の言葉に、将典はかすかに眉間にしわを寄せた。若さゆえの真っ直ぐさが透けて見えた。将典にとって、どこかに置いてきてしまったものだ。
だから、湯呑を机に置く。
「軍には入れない」
「……? 入らない、ではなく、入れないのですか?」
利奈子が不思議そうに返したので、将典はひとつ頷いた。
「なぜだと思う?」
「……わかりません」
彼女の顔に悔しそうな表情が浮かぶが、気に留めずに将典は言葉を紡ぐ。
「軍が強き者を尊ぶからだ」
何より軍は魔獣と戦う組織。軍人なら、魔獣との戦いで生き残らせてくれる者の背中を必ず追う。階級も家柄も、その瞬間だけは意味をなさない。意味を持つのは、力のみ。
分かりやすい例が武樋貴郎の父親。彼は第一師団師団長の任にある。他の爵位持ちの軍人を差し置いて、平民出身の彼が要職を務めているのは、剣術の天才だから。その腕前は剣術の第一人者として、将家の剣術指南役も任され、今では誰もが認める軍の重鎮だ。今回の三つ首の大蛇も、彼なら一刀両断してしまうだろう。
「そして、私は貴族だ」
――魔獣は人間の肩書を見たりしないが、人同士だと違う。
貴郎の父親も、平民出身ゆえに、師団長就任、指南役任命の際にはかなりの確執があった、と将典は聞いていた。もしも、彼がどこか有力家へ養子入りしていたら、就任・任命は10年は早まった、とも。
――私にはそうした枷は無いが……。
将典の気術の才能を知った兵なら、誰もが上に立つことを望む。滄州鎮台兵が忠誠を誓うように。皇国全体を見ても、将典より上位の人間は数少ない。だから、その身分に相応しい地位を与えろ、とあっという間に出世の階段を上っていく。そんな将典が描く未来図の行き着く先は、
「軍を掌握してしまうことになる」
軍は将家の縄張りでもある。その縄張りに、澤渡家が土足で踏み入ることになる。
――もしも、私に才が無ければ、次期伯爵の箔付けとして見られるのだが。
仮定の想像に、思わず、将典は苦笑いを浮かべたくなったが、すぐに利奈子の声で現実に引き戻される。
「将家には若様がいらっしゃるではないですか。あの方も軍に入られれば、問題は起きないのでは」
真一郎が彩気に優れている話は耳にしたことがない。ゲーム「パルヴニール」でも、強者としては描かれていなかった。
「若君が軍に入る可能性はほとんどないだろう」
あっても、将家の現当主と同じように形式的なものになる。
真一郎が将家の当主になる未来への不安と、江都の人間への不満が、将典に頬杖を突かせる。
「そもそも、江都の人間は魔獣退治を行う軍を重視していない」
利奈子はその顔にハッとした表情が浮かべ、
「辺境にいる者にとって、魔獣は今そこにある危機です。それにも関わらず、江都の人間は魔獣退治を行う者を野蛮と蔑んだりします。学園の同級生が口にしていました。私が浅はかにも連れてきた侍女もそうでした」
最後は反省するように言葉を紡いだ。
そんな彼女に、将典は寄り添うことはしない。これも彼女の学びだと考えるから。
「仮に、私が滄州と軍の両方を掌握したら、軍を重視していない江都の人間でも私のことを無視できなくなる。将家に取って代わる可能性を持つ存在としてな」
将家に取って代わるなど、将典の頭の中には欠片も浮かんでこない考え。けれど、問題はそう見る人間が出てくること。江都に次いで栄えている滄州と軍という暴力装置の両方を手に入れた存在は、危険視される。
――その先にあるのは澤渡家の破滅だ。
将典の眉間にしわが寄りそうになるが、利奈子の言葉で遮られた。
「仰られる通りです。……自分の考えの浅さに嫌になりそうです」
いつのまにか、彼女は意気消沈したように顔を伏せていた。その声も、雨音に消えそうなほど、か細い。
「これから学んでいけばいいだろう」
そこに将典からかけられた言葉に、利奈子は顔を上げ、その顔を驚きで一杯にした。
「そんな慰めの言葉をいただけるとは思っていませんでした」
――事実を口にしただけで、慰めたつもりはないのだが。
彼女の反応に、将典は小首を傾げそうになったが、続いた彼女の言葉で、その疑問は氷解した。
「澤渡様は、なぜ学園で広がっている『化け物』などと言う悪評を許容されるのですか」
彼女の顔には、「否定するべきだ」とはっきりと書かれていた。
「何の問題もない。世評に振り回される者には相応の対応をするだけだ」
将典は煩わしげに右手を振り、そう言ったが、次の瞬間、眉が釣りあがった。強がりと受け止められたのか、利奈子の顔に憐れむような表情が浮かんだから。
「憐れむな。憐れみは私への侮辱と受け取る」
声色は冷たく重かった。天幕の中の空気が凍り付くかと感じるほど冷たくなった。
利奈子も顔を青ざめさせて、慌てて頭を下げて、
「も、申し訳ありません!」
そして、いつまでも頭を上げない。
「頭を上げろ。謝罪は受け取った」
それで彼女はようやく頭を上げるが、
「なぜ、あんな悪評を立てられるまで、昨年は学園の単位取得に邁進したのですか」
恐る恐る、しかし聞かずにはいられない。そんな顔を利奈子はしていた。
重い空気を振り払うためにも、将典はあえて顔に苦笑いを浮かべ、声音も軽くして、言葉を紡いだ。
「単純な話だ。一日でも早く、母上を手伝えるように励んだだけだ」
すると、利奈子は目を伏せ、
「素晴らしい人を亡くしました。澤渡伯爵様は私の憧れで、辿り着けない目標でもありました」
利奈子が全身で悲しみを抱えているのが痛いほど伝わり、将典の胸がわずかに熱を帯びた。だが、その一方で、彼女の言葉には無視できないものがあった。
「辿り着けないとはなんだ? 今からあきらめるのか」
利奈子の顔に不思議そうな表情が浮かび、
「結婚すれば、殿方は妻が家に入ることを望むではありませんか」
「あなたもそうでしょう」と暗に言ってきたから、将典はこう返す。
「あなたは家に入ることを望んでいるのか」
「違います。私は槐州の人々のために働きたい」
首を勢い良く横に振り、そう訴える彼女には、淡々と返す。
「ならば、そうすればいい。私の母と同じように、槐州知事を目指すのも良し。他にもやり方は色々あるだろう」
「澤渡伯爵様とは状況が違います。槐州知事を目指すのは、周囲が許さないでしょう。学園を卒業したら、澤渡様との結婚。結婚すれば、澤渡様の子供を産むことがまず求められます。それが貴族の家に嫁ぐ者の義務です」
悲観的な言葉しか口にしない利奈子に、将典は鼻で笑うように言った。義務は子供を産むだけでは終わらない。産んだ子供を育て、嫁いだ家に尽くすことまで求められる。社会階級が上になればなるほど、義務のために雁字搦めにされる。そして、その義務は嫁だけではない。婿にも課せられる。
将典の耳に、どこかから笑い声が聞こえた。
「そんなことは無視しろ」
さらに続く言葉で、利奈子の顔に困惑の色が浮かんでいく。
「私はあなたと子供を作るつもりはない。澤渡の家は、今度生まれてくる叔父上の子供に継がせればいい」
将典の脳裏に、先日、彼女が身にまとっていた着物の柄が浮かぶ。良縁と幸福を象徴する燕の文様が。
今度ははっきりと笑い声が聞こえた。あの男の笑い声だった。母を悲しませ、義務を無視し、好き勝手し放題した男の。
ギリギリと締め付けてくる心の痛みを隠そうとするが、隠しきれずに、眉間にしわが寄ってしまう。
「私とまともな結婚生活は期待するな」
利奈子の瞳が大きく揺れ、言葉を失っていた。
「……どういうことですか」
答えを聞いた途端、利奈子の表情には理解と同情、そして憐れみが複雑に交じり合った。
「私の血を後世に残すつもりはない。私の父の血を後世に残すつもりがないからだ」
彼女に対し、『憐れむな』と怒る気は今度は起きなかった。心の痛みはもう感じなくなっていた。
代わりに、こう言葉をかける。その声は自分の声ではないかのように空虚に聞こえた。
虚ろの世界に引き寄せられそうになるが、身体を駆け巡る「魔獣の息吹」が将典を現実に引き戻す。
「だから、あなたは何かに縛られることなく、自由に生きたらいい」
――私の全ては澤渡家のために。
――そして、いつの日か、スイーツを口にして笑顔を浮かべる民を見る。
天幕に雨が叩きつける音はまだ止まらない。




