第31話 暗雲
――彼らの忠誠を裏切ってはならない。
心に刻み込み、将典は兵たちと向き合う。
祝いの空気が一段落したのを見計らい、今夜の宴で初めて椅子に座った。
寛行と膝詰めで話すためだ。
「今回の遠征で感じたことを聞かせてほしい」
「軍は、予算と人員の不足がひどく、士気の低下が目立ちます。精鋭には優先して配分されているため、練度を保てていますが、その分、それ以外の部隊が割を食う形になっています。あれでは戦うなと言っているようなものです」
『皇国最強と讃えられども、最大の敵は魔獣ではなく、金庫番と人不足』
新聞に以前書かれていた一節が脳裏に浮かんできた。
「致し方ないところもあるのだがな。何せ、軍は金食い虫だ」
寛行の表情が苦笑いをかみ殺したようなものになった。
今でも、実は、対魔獣の最強戦力は彩気を扱える者なのは変わらない。けれど、その中でも強弱がある。弱ければ、弱い魔獣しか倒せない。強大な魔獣に対処できる強く大量の彩気を扱える者はごくわずか。ゆえに、銃火器を装備した兵士の数を揃えるのだが、消耗品の銃火器は費用が掛かる。さらに、志願制のため、兵士もなかなか揃わない。
将典はテーブルの握り飯に手を伸ばした。
「そもそも、練度が低い部隊は戦場に連れて行かなければいい」
「軍も承知していて、前線には出していませんでした」
「魔獣が前線と後方を区別してくれるか」
寛行の顔に今度ははっきりと苦笑いが浮かんだ。魔獣がそんな区別をしないのは、誰もが承知している。
今回の柊州遠征では、後方に突如現れた魔獣によって、補給線がズタズタにされた。補給が途絶え、情報が錯綜した前線は、撤退の判断すらままならない大混乱に陥り、多くの兵が犠牲になった。
「せめて、予算が十分にあれば、形になるのですが」
「予算がこれ以上削減されないようにするのが、軍にできる抵抗だな。江都の人々が魔獣の脅威を忘れてしまったせいで、理解されないのだ」
――軍の未来を考えれば、今回の遠征は失敗した方が良かったかもしれない。
今回の遠征の長期化も予算不足に拍車をかける。軍の弱体化がまた進む。
――政府の人間も目を覚ましただろう。
――だが、そうしたら……。
「今回の遠征では、若が武器弾薬食料をふんだんに用意していただいたおかげで、九死に一生を得られることができました。ありがとうございます」
補給途絶による遠征部隊の大混乱を知った将典は、急遽、輸送船団を仕立てて、大量の物資を送った。
「私に出来ることをしたまでだ。気にする必要はない」
握り飯にかぶりつく。巻かれている肉厚な海苔からパリッと音がした。磯の香りが鼻を突いた後には、白飯の甘みが口いっぱいに広がる。さらに一口食べようとするが、
「軍と鎮台の統合政策は先送りにされます」
ひそめられた寛行の声に止められた。
鎮台は、大政奉還で仕え先を失った地方の武家の救済策という側面を持っていた。その後、軍との統合が幾度となく議論されたが、「政府の財政負担」の言葉が出ると止まってしまう。
「代わりに、来年以降も滄州鎮台からの遠征派遣が毎年求められるようです」
「聞いた。軍参謀局の人間がわざわざやってきて恩着せがましく言った。物資提供の礼としてな」
「……前線の兵たちは等しく、若に感謝していました」
「分かっている。だが、中央の人間にとっては、都合がよかったのだろう。自分たちの出費は増えない。澤渡家は自由に使える武力を持ち続けることで、誇りを保てる、と解釈する」
「自由に」を、将典は皮肉気に口にする。澤渡家が滄州鎮台を「自由に使える」などできないから。
「それから、来年以降も遠征が行われる際には滄州鎮台からの派遣が毎回求められる」
寛行の顔が少し曇った。
「他州では二回か三回に一度の派遣が、毎回か」
遠征はほぼ毎年行われている。つまり、「毎回」ではなく「毎年」である。
将典は漏れそうになった溜息をこらえた。古い旧式銃で残弾数を数えながら魔獣と戦う他州の鎮台兵もいる中で、滄州鎮台の兵士には最新の銃火器と潤沢な物資が常に用意されている。それを可能とするのは、滄州の豊かさと魔獣への強い危機感。
「滄州鎮台兵の精強さ故と考えれば、誇らしいことだ。だが、滄州を遠く離れて命を散らす命令を下すのは、心が痛む」
視線を落とすと握り飯が目に入ったが、手が動かない。
「そのお言葉だけで十分でございます。我々の行動が巡り巡って、滄州の安寧と発展につながる、と信じております」
顔を上げると、寛行との会話に耳をそばだてていた周囲の者たちも大きく頷いていた。
「それに来年の遠征先は槐州になる可能性が高いようです。柊州で共に戦った軍の人間は口を揃えておりました」
その言葉で、将典は顔を引き締める。
「私の所にも報告は上がってきている。問題は次の遠征が行われるまでにどこまで被害が抑えられるか、だ」
寛行の目が探るようなものに変わった。遠征中は情報が限られていたからだ。
「深岫郡の放棄は、もはや時間の問題だ」
彼の顔に驚きの表情が浮かぶが、彼にとっては予想の範囲内なのだろう。目が揺れる様子は全く見えなかった。
「我々の遠征中にそこまで悪化しておりましたか」
周囲の若い士官たちからは驚きの声が漏れたものの、年嵩の士官や百戦錬磨の下士官たちの反応は薄い。
深岫郡は槐州の山間部最奥地に位置する地域。まだ80年ほどしか歴史がない。
「槐州鎮台は今回の遠征に参加していなかった。だからこそ、この状態で抑えきれている。だが、郵政省では絶澗郡への郵便物の引受停止が内部で検討されている」
澤渡家でかつて働いていて、今は郵便局長の妻の関上富士子から知らされた話。
「引受停止の検討」が意味するところは、郵便配達員が魔獣に襲われる危険から避けること。実際に、配達員が襲われ、犠牲になった報告が上げられている。そして、絶澗郡は深岫郡と槐州の州都に挟まれる地域であるから、
「絶澗郡が放棄されると、槐州州都が魔獣の脅威に直接さらされることになりますぞ」
ゲーム「パルヴニール」のシナリオ「槐州事変」が今にも現実に産み落とされようとする様が、将典の脳裏に描かれていた。
――それなのに……。
拳を握り締める代わりに、食べかけの握り飯にかぶりつく。具も口の中に入ってくるが、味は分からない。
――未来が分かっているのに、防ぐことができない。
口の中の物を飲み込むと、深刻な表情に変わっている寛行へ向かって、言葉を紡ぐ。
「滄州知事は、槐州から避難民がいつ来ても受け入れられるように、準備を始めた。叔父上も危急の時は援助を惜しまないと言っている」
「槐州知事は何をしているのですか?」
一瞬、腸が煮えくり返る感覚に将典は襲われるが、抑えこむと、寛行の疑問に一言で返した。
「逃げた」
「……はぁ?!」
寛行の口があんぐりと大きく空いた。今度は本物。目も驚きに満ちている。
周囲の士官、下士官たちも、みな、目が丸くなった。
「槐州知事は江都まで逃げ帰りたかったようだが、冨迫伯爵の命令で滄州州都に止まっている。表向きは救援を求めるためだがな。実際は遊び惚けている」
寛行の顔に、驚きと呆れと怒りが浮かんでは消え、
「……槐州知事は滄州鎮台の援兵を求めていないのですか」
感情を押し殺した声で言葉を紡ぐが、
「そんなことをしたら自分の面子に傷がつくと言っているそうだ」
「愚かな!」
声に怒りを乗せて、吐き捨てた。顔も真っ赤に染まっている。
「己の面目を守るばかりで、兵も民も傷つくのを見過ごすのか!」
「パルヴニール」の主人公である外山一馬の動向を、将典は把握できていない。一平民を調査させる理由が見つからないためだ。シナリオ「槐州事変」に対して、どのように動くのか。動かずに放置するのか。
――あの者が動くのであれば、私たちの負担が軽くなる。
――そう割り切るしかないか。
代わりに、既知の好々爺の顔を頭の中で思い浮かべる。
「滄州知事が政府に軍の槐州派遣を内々に求めているが、遠征直後の疲弊を理由に断られている」
今の滄州知事は、祖父の時から副知事として澤渡家を支えている好々爺。母の葬儀の時には、泣きながら土下座して、母を守れなかったことを謝罪してきた。いつも笑顔の彼が笑みを消して涙を流すのを見たのは、あの時が初めてだった。
「滄州鎮台兵による派遣はできないのですか」
「鎮台兵の越境禁止の原則を理由に断られた」
許可の無い鎮台兵の他州への移動が禁じられているのは、反乱を防止するため。
逆を言えば、許可があれば移動できる。先日までの柊州遠征のように。
「散々、我々を遠征で酷使しておきながら、今更そんな理由で却下するなど、政府は何を考えているのか」
寛行の声にあきれ果てたものが乗るのは、周りの不満を代弁しているから。
ただ、滄州鎮台だけで動くと問題があるのは、彼も分かっているから、目には冷静さが宿っている。
その様子を見ながら、将典は続ける。
「軍の小部隊を中核とする派遣案も提示した。そうすれば、軍は消耗の少ない部隊を選べる」
政府の負担も小さい。それでも、政府と軍の面目を立てて、花も持たせることができる。主力は滄州鎮台が担うことで、滄州と澤渡家は実を取る。この案が本命だった。
理解したのか、寛行の目がキラリと光った。しかし、
「だが、この案も却下された」
却下された裏には、滄州の発展を苦々しく思う者たちいることを、将典は真宙と康嗣からの報告で知っている。その中には、槐州が荒れ果てても、余波で滄州も一緒に衰えてほしいと願う者がいることも。
寛行の目に落胆の色が広がった。
その感情は将典にも移り、声から張りが無くなっていく。
「いつでも滄州鎮台兵の槐州派遣ができるように、物資の集積を急いでいるが……」
――打てる手は打ってきた。それでも状況を変えるには足りない。
将典には、単身、槐州に乗り込んで魔獣討伐を行う力がある。「パルヴニール」の主人公のように。
ゲームでは、まだ序盤として、魔獣の数は多くても、それほど強い存在は出現しない、とされていた。
けれど、絶対ではないことは、寛行たちとともに行った魔獣討伐の時に、将典が得た教訓。どんなに自分が強くても、相手が弱くても、一瞬の隙が命取りになる。
それ以前に、今の澤渡家当主の立場はそうした行動を許さない。
――未来を知っているのに、変えることができない。
沸き上がる無力感とともに、残った握り飯を口に放り込み、飲み込んだ。
「すまない。私の力不足で政府を動かすことができない」
滄州知事であった母であれば、政府を動かすことができた。
大政奉還の立役者の一人であった祖父であれば、指示ひとつで軍を動かすことができた。
将典にはなにひとつできない。そのことが頭を下げさせたのだが、
「若が謝られることではありません」
寛行の言葉に冗談めいたものが混じる。
「それに、鎮台兵の越境禁止の原則がなければ、若が糾問会に召喚された時、我々は江都に向かっていたでしょう」
「そうです! 滄州鎮台全兵力を上げて、馳せ参じていました」
寛行の若い副官が身を乗り出して言い切った。
もし、そんなことをしていたら反乱軍とされていた。副官の周りにいる年長者の顔には苦笑いが浮かびそう。
それでも、あの当時、鎮台では不気味な沈黙に包まれていた、とも将典は聞いていた。まるで爆発一歩手前のような静寂だった、と。
だからこそ、将典はこう返す。寛行たちの顔を見ると、少しだけ心が軽くなる感覚を抱きながら。
「それは困る」
あえて、おどけるように。
「もしもそんなことをされていたら、私が下条を倒す機会を失ってしまっていたではないか」
寛行たちの言葉を冗談として、流すために。
宴の主催者として、場の空気を盛り上げるように。
――倒した? あれは下条が勝手に自滅しただけだ。
こんな言葉は押し隠して。
「私から武功を得る機会を奪うな」
寛行の口から大きな笑い声が上がった。さらに将典の肩をバシバシと叩いてきて、
「そうですなっ。若から武功を奪うなど言語道断。いや、失礼いたしました」
周りからも明るい笑い声が上がる。将典も笑顔の仮面を貼り付ける。
その笑いが一段落すると、寛行の顔が引き締まった。
「そもそも槐州の一件は、旧主である冨迫伯爵が動くべきことです」
言葉の裏には、全ての責任を将典が負う必要はない、という優しさ。
けれど、将典はその優しさに甘えるわけにはいかない。笑顔の仮面を外す。
「冨迫伯爵は槐州よりも江都に重心を置いているから、この一件に関わるのは難しい」
寛行の顔がわずかに歪む。
「加えて、伯爵の後を継いだ今の槐州知事と槐州鎮台が不仲であることも、彼らが自らの手で解決するのを難しくさせている」
本来なら、知事と鎮台は互いに協力し合わなければならないのだが、槐州では互いに足を引っ張りあっている。
「もしかしたら、冨迫伯爵は槐州を不良資産として切り捨てるつもりかもしれないな」
ポツリとこぼした言葉に、寛行の顔ははっきりとしかめられた。
冨迫伯爵が槐州を切り捨てたら、隣り合う滄州と澤渡家が否応なく槐州の面倒を見ることになる。そうしなければ、魔獣の脅威から滄州の民を守れない。
――政府は、滄州と澤渡家の勢力拡大に、決して良い顔をしない。
――それでも、手間のかかる辺境を押し付けることを選ぶだろう。
と、その時、広間の一角で歓声が上がった。
視線をやれば、使用人たちが宴会の締めの品を運び込み始めていた。幾度も試作を繰り返したクラフティだ。
供され、食べ始めた兵たちの口から歓声が上がる。その声がどんどん広間に広がっていく。皿を早く持ってくるように催促する声も。
将典の口角が上がる。スイーツを本格的に事業化する前の大規模な試食会の側面も今日の宴に持たせていた。
視界には、クラフティの美味しさに驚き喜ぶ兵たちが映っている。
横にいる寛行も、最初はいぶかしげな顔をしていたが、一口食べれば、顔をほころばせ、また一口口へ運んでいた。
「若様!」
――そういえば、いつの間にか「若」などと呼ばれて気にしなくなったな。
若い女性の兵が呼びかけてきた。見覚えはなかった。遠征前に入隊した新兵だった。
彼女の目を輝かせて見つめてくる様を見て、
――所詮、呼び名のひとつに過ぎない。
その目にあったのは喜びと、真の忠義の心。そして、それは彼女だけではない。この場にいる全ての目にあった。
「この菓子! ぜひ、滄州にいる家族にも食べさせたいです!」
「いましばらく待て。遠くないうちに、このスイーツを販売する店を作るつもりだ。そうしたら、いつでも好きな時に、好きな相手とともに食べることができるぞ」
歓声が爆発した。甘いものに常日頃から目がない女性兵だけではない。年嵩の兵士は家族への手土産として。若い男性兵は恋人との逢瀬に。そうでなくても甘いもの好きな男性兵も。皆、喜んでいる。
――スイーツの天命の実現か。
兵たちの喜びを目の当たりにして、将典の心も沸き立つものが生まれてきた。
――彼らの希望に応えたい。
けれど、沸き立つ心を抑えるように右拳を握り締める。
――だが、槐州の情勢次第では、スイーツは先送りだ。
――優先されるべきは民の安寧。
それでも、今、この時だけは彼らの喜びを目に焼き付ける。
命懸けで民を守る兵たちとひと時を過ごしたことに誇りを抱き、彼らをもてなす当主としての務めを果たしたことが心の中に確固とした礎を築く。




