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「ひっ……や、やめ……」

 恐怖に歪んだ表情を眺めながら、私は震える男をそっと抱きしめる。死の抱擁だけれど。

「いやだっ、……や……め…………」

 拒絶の言葉を吐きながら踠いていた男の動きは徐々に緩慢になり、三十秒もしないうちにだらんと脱力して動かなくなった。顔色が黒っぽく、水分が失われて皺だらけになり、呼吸も止めた男を、私はぽいっと解放する。

「ごめんね、ごちそうさま」

 魔力が渦巻くダンジョンの中で、強い強い未練を残して死んだ、非常に高い魔力を持った魔法使い。つまり私は、リッチという高位のゴースト系魔物として再び活動することに成功していた。ゴースト系なのは、体が残っていないから。

 あの後彼は、私の死体と自らの愛剣を抱えてあの場を去った。即席とはいえパーティを組んでいた奴らがようやくやってきたからだ。とんでもなく強靭な前衛の彼と、高い魔力を持った魔法使いの私。本来私たちはペアなのだけれど、あの時は即席でもう四人くらいとパーティを組んでダンジョンに潜っていて……、うち一人のミスでトラップに引っかかり、バラバラに飛ばされて前衛を失った私は超速度特化魔物に対応できず腹に穴をあけられて死亡したのだ。

 話がずれたが、とにかく彼は私の体を大事に抱えてダンジョンを出た。おそらく燃やしてくれたのではないかと思う。というわけで私にもはや肉体はなく、めでたく実体のないリッチとなったわけだ。


 昼も夜もない、魔物が闊歩して血と悲鳴が溢れるダンジョン。そんな中で一人目覚めて、私は考えた。

 私はこれからどうするのか。何がしたいのか。結局そんなの、一つしかなかった。


 ……もう一度、彼のそばに。


 たったそれだけの望みだけれど、生きていたあの頃とは訳が違う。あの頃は、ただ押しかけるような形でも、彼はそばに置いてくれた。

 彼につり合うように魔法を学んで、魔力の制御を学んで、戦い方を、ダンジョンを、魔物を、考えうる限りのありとあらゆることを学んで。彼が恥ずかしくないように、少しでも振り向いてくれるように、なんとか時間を見つけて身だしなみにも気を使ったりなんかして。その上で望んだら、彼は私だけを隣に置いてくれたのだ。少なくとも、ダンジョン探索をする上での唯一のパートナーとして。

 今はもう、そんな簡単な話じゃない。私は自らの腕を目の前にかざす。質の良さそうな黒のローブに、黒いもやを薄らと纏った……骨だ。しかもこれも実体はない。ダンジョンの壁は特殊ですり抜けられないけれど、例えばさっき殺した男の死体を、私はすり抜けることができる。

 これが今の現実。今の私。

 鏡なんてないから見られないけど、私の顔は今どうなっているのか。ほぼ確実にしゃれこうべだろう。黒いローブを着た、全身に黒いもやを纏った浮遊する骸骨。きっとそれが……私。それがリッチだ。

 こんなんで彼の前になんて出られない。出られるわけがない。

 けれど希望がないわけじゃない。多くの糧を得て、長い時を過ごしたリッチは、受肉する方向に進化を遂げることがあるのだ。魔物の進化は個体の性格によって左右されたり、環境に適応するような例も観測されている。ならば、生前の姿を取り戻したいと願い続けて進化すれば、きっと望む姿を取り戻せる。


 前方から二匹組のオークが向かってくるのに気付いて、私は薄暗い天上に張りついた。進化するためには、とにかく魔力を得なければならない。進化はそう気軽にできるものではないのだ。あのオークたちにも糧になってもらおう。

「アイスエッジ」

 オークが私の真下を通った瞬間、私は魔法を唱えた。尖った氷のつぶてがオークたちの体に突き刺さる。濁った悲鳴を上げる二匹に覆いかぶさるように、私は落下する。実体がないのをいいことに、体のもやとローブを薄く広げて二匹を同時に包み込んだ。オークは必死で手に持った武器を振り回して暴れるけれど、そもそもそんな魔力もろくに通っていないようなもので私にダメージを与えることは不可能だ。先ほどの人間の男と同じように生命力と魔力を根こそぎ奪い取ると、さほどの時間もかからず静かになった。けれどそれで得られた魔力の量に、私は肩を落とした。

「……やっぱり、効率が悪い……」

 ダンジョンの魔物は、ダンジョンに生み出されている。今となっては私もそちら側だ。つまり私が今したのは共食いのようなものなのだけれど、これが非常に効率が悪い。ダンジョンの魔物をダンジョンの魔物が殺しても、得られる魔力は微々たるもの。根源が同じだから仕方ないのかもしれないが、これをいくら集めても、進化できるビジョンが見えない。

「あんまり人間に手を出しすぎるのも考えものなんだけど……」

 ダンジョンの外から来たもの、つまり冒険者は非常に魔力効率がいい。かといってあまりやり過ぎると、『異常個体』の存在がギルドにバレて、討伐隊が組まれてしまうかもしれない。異常個体は通常その階層にいないような強力な個体の魔物のことだ。完全に今の私である。突然そんなものに出くわしてしまうと冒険者がよく殺されるので、存在が確認されるとギルドから腕利きに討伐依頼がいく。……もし万一そのメンバーに彼がいたりしたら目も当てられない。

 でもかといって、人間に手を出すのを控えていたら魔力がたまらない。受肉までに十年も二十年もかけていられないのだ。彼の寿命は人族よりは長いけれど、そんなに経ったら私のことを忘れてしまうかもしれない。

 ……忘れられる。自分で思い至ったその可能性に、寒さなんて感じないはずのこの身が震えた。ああ、ダメだ。また焦燥感に支配される。怖い、怖い、どうか私を忘れないで。私、がんばるから、もう一度、どうか。

 私は魔力の探知網を広げた。限界まで遠くを探って探って、またこの階層に冒険者がやって来ていることを知る。五人くらいの、パーティだろうか。私の進路は自然とそちらに向いていた。どうやって奴らを分断して追い詰めるか、作戦を練りながら。




「……おい、何してる!馬鹿か!」

 聞こえた声にぼんやりと前を見ると、彼がいた。あまり感情を露わにしない彼は珍しく怒った様子で、私の腕を掴む。

「ふざけるな、なんでそんなにフラフラなのに言わないんだ!」

 二人で受けた魔物討伐の依頼が入っているのに私の体調なんかに振り回されていられない、とか、そんなことを答えた気がする。

「……今後は言え。次は許さない」

 結局その日はついて行かせてもらえなかった。部屋を出ることを禁じられた私が高熱で寝込んでいる間に彼は一人で討伐に出て、傷一つなく帰ってきた。

 彼は私を心配して怒ってくれた。そして、彼は私がいなくても全く問題なく依頼を完遂した。私はそう、確か、熱に浮かされた頭で、夜中にこっそり泣いたんだ。そのことに彼が気付いていたのかは、彼にしかわからない。




 はっと気づくと、夢殺蛾(むさつが)が逃げていくところだった。魔法毒の鱗粉で相手に幻を見せているうちに吸血してくるというとても嫌な蛾だけれど、今の私から吸血することなんてできないから、そりゃ逃げるだろう。

 夢殺蛾に向かって無意識に伸ばした手は、細くて白くて無機質で、禍々しいもやを纏っている。目を閉じて眠ろうとしても、この身に睡眠なんていう機能は存在しない。高熱の辛さも朧げにしか思い出せないし、涙を流す目ももうなかった。

 やることは、望みは……一つしかない。




 不意打ちは戦闘の基本だ。私はそれを、この身になって改めて深く実感している。

 ダンジョンに来る冒険者というのは、六人前後のパーティが多い。戦いやすさとか、役割分担とか、戻ってからの戦果の分け方とか、そういう諸々を総合的に考えるとその程度の人数が標準的となるのだ。そして、その六人が常に戦闘態勢でひとかたまりで動くかというと、そうとも限らない。誰かが負傷したら斥候を出して休めそうな場所を探したりするし、そもそも食事だってトイレだってする必要がある。

「……っむぐ」

 今回は五人パーティのうち一人が負傷したため、パーティを分けて周囲の警戒に出た二人を襲わせてもらっている。

「なっ……」

「ヘルウインド」

「がっ……あああっ……」

 二人のうち後ろを歩いて前方以外の警戒をしていた方の頭部を黒いもやで包み込み、声を出せないようにする。違和感に気付いて振り返った前のやつが迎撃体制に入る前に低めに風を放った。機動力を削ぐのが目的だったけれど、上手いこと右足を切断できたのでよかった。我ながら高威力なのもあるけれど、この冒険者の魔法への耐性もあまり高くはなかったようだ。

「き、貴様……リッチ……!そいつ、を、離せ……!」

 右足を切り落とされ、地に這った男が血走った目でナイフを投げてくる。ナイフは私を害すことなく、私の体をすり抜けて壁に傷をつけただけだった。残念。

「あああ……はな、離せ、やめろ……マリーが、死んでしまう……やめろおおおっ!」

 ……マリー、ね。

 頭部をもやで包み、窒息させつつ生命力と魔力を奪っている人間を改めて確認すると、確かに女性だった。

 片足になった男が、切断面から血をまき散らしながらそれでも飛びかかってくる。魔法職ではないこの男の魔力量では私を害することはできないが、私は女からさっと離れて女の体を男に返してやった。

「マリーっ……ああ……」

 ミイラのようになった大事なマリーとやらを腕に抱いて一瞬呆然とする男を、私は後ろから包み込む。

「くそっ……くそが……ぁ……」

 男は少しの間暴れていたが、すぐに女と同じようにミイラのようになって事切れた。

 魔力量が一定値以下の人間にとって、有効な魔道具を所持していない限り、リッチは手の付けようがない魔物だ。何故なら、そもそも実体がなくてダメージを与えられないから。だから、魔力量の多そうな女の方を不意打ちの相手に選んだのだ。

「さて……残りの三人はこの騒ぎに気付いたかな。一旦身を隠してまた狙おうか」

 ちらりと折り重なった二つのミイラに視線を向けてから、私はしっかりと前を向いた。

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