再降下作戦
俺は、舌打ち交じりにため息をついて煙草を銜えた。
周りを見渡すと真っ白の壁に包まれた部屋だった。とは言っても今部屋の中は照明がついておらず薄暗い。唯一あるとすれば俺が今座っている円卓の中心に設置されている埋め込み式のモニターの明かりくらいの物だ。それが部屋を青白く照らしている。
そして、その円卓をぐるりと囲んで老若問わずスーツや白衣に身を包んだ男女が座っている。俺もその中の一人だ。
しかしこういう雰囲気は好きじゃない。元々明るい性格でもない俺でもこんな文字通り暗い空間や雰囲気は気分が落ちる。ただでさえ今俺は憂鬱なんだ。やめてもらいたいものだ。
しかしここに俺が呼ばれた理由を考えれば仕方がないのかもしれないが。
円卓を囲む中の一人、俺の真向かいに座っていた男が喉を鳴らして両手を組んで肘を立てる体勢になる。
「さて、そろそろ始めようかな。時間もない事だし」
俺はこの男を知っている。過去に、六年、いや七年前に、俺を助けてくれた男だ。
いや助けた、とも言い難い。そのおかげで俺は、こんな立ち位置にまで堕ちることになったのだから。
「必要ないと思うが、改めて自己紹介をさせてもらおう。方々から支部長並びに司令部に出頭していただいているのだ、私の事を聞き及んでいない者もいる事だろう」
男は言いながら席を立ち皆に顔を見せるように自身を見つめる者たちの顔をそれぞれ見つめていく。俺の方にも目線を向け、男は少し、頬を緩ませる。止めろ。そんな風に気を遣うな。
俺は首元に下げていたゴーグルを装着し、顔を伏せて腕を組んだ。
昔からこいつはそうだな。余計な事しかしない。善意でも、結果が害悪であればそれはやはり、害悪でしかないのだ。そんな中途半端に優しくするのは止めろ。
男も俺がゴーグルで顔を隠したのを見て肩をすくめたが、直ぐに俺から目線を外して口を開いた。
「私勝俣荘司。関東支部支部長並びに『特区』対策本部司令部部長でもあります。以後お見知りおきを」
言って男、勝俣はまた皆の顔を一瞥する。他の者たちもそれに拍手を送る。面倒だからそんな大人の社交辞令は止めてくれ早く本題に入って欲しい。
しかしよく言ったものだと思う。
勝俣は確かに俺が今現在属している支部、関東支部の支部長だ。そして勝俣も言ったようにいつ何を行うか予想も出来ない特区への対策を練るための部隊、その部長を行っている。もちろん非戦闘員だが。
しかしそれだけではない。この男は、この日本の教育業界、それの最高責任者でもある男だ。それがまあよくも平然としてこんな所に居れるものだ。
勝俣に限らずだが他の者たちもそれなりの立場の者達だろう、いわば重役だ。ウザったい。
「……」
面倒だ。どうせ仕事の話だろ。だったらあの女からでも良いだろう。わざわざ俺をここに呼んだ理由が分からん。
まあ聞くだけ聞いておこう、そう考えて加えていた煙草に火を点ける。もちろん周辺からは舌打ちやわざとらしい咳払いが聞こえてくる。しかしまあだから止めようとはならない。俺だって伊達に今の立場にはいない。非戦闘員の重役ぐらいの悪意では何とも思わん。
勝俣が苛立つ重役たちを宥め、咳払いをする。
「さて、今回集まってもらったのは他でもない、特区の動向、並びに次の作戦についてである。そのために。今回は二代目人類最強、瀬戸大輝も呼んでいる」
勝俣は一度そこで言葉を区切って円卓の上の何かしらのスイッチを操作する。すると円卓の中央にあったモニターから光が発せられ、空中に画像が表示される。言う所のホログラムか。
そのホログラムには何だ?真っ暗で、それでいて所々に光る点が写っている。他にも空中に浮かぶ石ころや、後は、金属の塊か?とにかく巨大な物質だ。これは……宇宙か?
勝俣はそれを見るように皆に促し、話を続ける。
「一週間前、先の戦闘が終結を迎えてからと言うもの、特区は我々の制止を無視して何度も衛星へ干渉を行った模様だ。その数三度。六日前、四日前、そして、今日。普段であれば特区の不可解な行動など無視していただろうが如何せん先日の戦闘の直後だ。敗戦を表明した直後だ。加えて瀬戸大輝から齎された情報、衛星ミサイル。今見てもらっている画像が恐らくそれだろう。三度ともその衛星に人員を送って何かしらの作業を行ったのをアメリカの衛星で確認も取れている。よって、特区が動く前に我々が先手を打たねばならないのだ」
……なるほどそれは初耳だ。
今俺がこうしてここにいるのはあの墓参りから数時間後だ。帰宅してから刀の手入れをしていると突然あの女から無線で呼び出しが掛かったのだ。どうせまた俺の単独専攻の罰則か、あるいは逆にまたそれをやれなどと言ってくるのだとばかり思っていたのだがどうやら違うらしい。
しかし三度か。
確か件の衛星はあの男、いやその協力者が妨害工作を行った、行っていたというような発言をしていた。それの補完作業だろうか?だが特区の事だ。ただ補完するだけでは飽き足らず以前よりも手を加えているはずだ。しかもわざわざ二度三度と行うとすれば次回以降、それを使用するつもりがあるという事になる。
とは言えそうなると俺が呼ばれた理由はなんだ?さすがに宇宙に出たことはないから行けといわれて行けるものではないぞ。無重力空間には少しばかり興味があるけれど戦闘となると話は別だ。踏み込みが効かない空間で剣術は役に立たない。いったい何故俺をここに呼んだ。
「して、どうするのですか?」
勝俣が説明を行っていると、ゆっくりと手を上げる者がいた。三十代手前くらいの白衣を着た女性だ。嫌に眉毛が尖っているのが気になる顔だ。
彼女は手を降ろさないままそう言って勝俣に意見を求めるように首を傾げた。勝俣も頷き、話を再開する。
「端的に言えば奇襲作戦だ。特区内部に再降下し、特区が行おうとする何かの前に、特区の首脳を撃破する」
「待て。それはダメだ」
勝俣のその言葉に異を唱えたのは他でもない、俺自身だ。目立つのを嫌う俺だがしかし、この場合言わないわけにも行くまい。
勝俣と円卓の者達は俺を訝し気に見つめる。
「詳しく聞きたいね、少年。何故降下作戦がダメなのか。ていうかそれ以外ないと思うんだけど」
先ほどの白衣の女がまた手を上げて俺にそう問うてくる。俺はそれに煙草の煙を吐きながら「馬鹿か」と答える。
「お前たちは特区の事を何もわかっていない。特区は一週間前の大戦で敗北した。それで終わると思うか?」
「どういうことかな?」
「変人揃いの特区だ、必ずしも対策を講じてくるはずだ。先の戦闘と同じくただ降りるだけなら必ず撃退される。それに大人数で行ってしまえば侵入の前に気取られ、奇襲作戦は成り立たない。無駄死にするだけだ」
「そうか、君はあそこを知っているんだったね。それに確かに先手を取るしかない状況ではあるけれど方法には気を配らなければならないね。それに奇襲作戦、確かに大人数でやるべきではないね。では聞こう。君が予想する特区の対策は何だね」
「構造の変更」
瞬間場が静まり返る。だが俺はそのまま言葉を続ける。
「あんたらも知ってるな?特区設立当初を。奴らは当初物の数日で第三層まで階層を広げる程に作業速度が高い。恐らく何かしらの技術を使用しているんだろうがそれを知らない俺たちじゃ予想速度を算出するのも難しいんじゃねえか?それに先日の戦いで特区の広域階層、あそこは確か昔は兵器開発の爆撃系の実験区域だったな、そこはほぼ壊滅状態になったはずだ。特区はこれ幸いと今この瞬間にも構造を弄っているだろうよ」
煙を吐く。
「だから奇襲作戦を行うには個人が最適だ。無駄に誰かを殺すよりも一人で確実にやる方がいい。その後に増援を送れば済む話だし何より死人も出て一人だ」
そこまで言って煙草を携帯の灰皿に投げ入れる。灰皿くらい用意してほしいものだ。
すると白衣の女性が「なるほど」と顎に手を当てる。
「しかしそうなると問題は敵の予想戦力だ。構造の変更が危惧されるのであればもちろんそれもそうだろう。単独侵入はまあ理解できるがしかし個人で対応できるのかね?そもそも誰が行くんだい?」
白衣の女性がそう言うとここぞとばかりに発言権を行使するように他の者たちも口を開き始めた。ここの連中は全てそれなりの立場が上らしいからな、誰かにこの場を掌握されるのは気に入らねえんだろうな。
「誰だっていいだろう!どうせ兵士はいくらでもいるんだ!」
「しかし今無為無策に戦力を割いても敗戦は確実だ!個人でも大隊以上の戦闘力を持つ者を送るのが適切だ!」
「そんな奴を送ってもし敗北すればどうなる!昨今の現状を鑑みればそれこそ無為無策だ!捨て駒を回数に別けて送ればいいだろう!?失敗してもゴミはいくらでもいる!」
「馬鹿か貴様は!何故一度目の失敗で終わると気付けない!奇襲作戦は確実に成功させなければならない!もし一度でも失敗すればそれは我々だけの問題では済まない!同盟を結び資金や戦力を割いている国家にも火種が飛びかねない!そうなれば第三次世界大戦すら起きるぞ!」
「貴様こそ馬鹿か!もしそうなっても兵士はいくらでもいる!どうせ死ぬための存在だ。誰も困らん!」
円卓を囲む連中が唾を飛ばしながら叫びように討論を始めた。
しかし自分勝手な話だ。確かに戦力となっている人物はいくらでもいる。だがそれを馬鹿みたいに送っていればいつかはそこが尽きる。なるほど先日あの女が言っていた上層部の意向とはそう言う事か。どれだけ犠牲を出そうともそれを凌駕する人材一人用意できれば良しとする考え。危うい。危う過ぎる。
それで誰も見つからなかったらどうするつもりなのか。それこそ、日本と言う国家は崩壊し、各国からの信頼や世界への影響力は失墜する。これだから政治家は物事を表面でしか見ない。困ったものだ。日本が現状を保てているのは御山剣璽と言う圧倒的戦闘力を個人で持ち、それでいながらも驚異的な人望を集めたからに他ならない。それが没して六年だ。いやもう既に七年前に入ったのか。それももう、影を失い始めている。それが何故分からない。どれだけ輝かしい英雄だろうと死すればその輝きを失う。英雄など所詮、伝説に過ぎないんだ。もう英雄が作った時代は終わったんだ。もう、世界は安定を失った。何故それに気付かない。なぜ今までと同じ時間が続くと考える。このまま行けば、世界は、陥落する。特区だ何だと言ってる場合ではない。俺たちの敵は、あまりに多すぎる。
「口を慎みたまえ!」
相変わらず叫び声をあげて好き勝手に議論を交わすを連中を制したのは、ここで一番権力を持っているであろう勝俣だった。勝俣は円卓に拳を打ち付けて皆を無理矢理に黙らせる。連中もさすがに自分より上の奴が激昂すれば委縮もするだろうな。情けない。
「今こうしている間にも戦場には誰かが足を運んでいる。それは我々のような『大人』ではない!未だ年端も行かない『子供達』だ!そうせざるを得ない現状だからそうしているだけだ!それが当たり前だなどと思われても困る!君たちは各支部の支部長だ!少なくともそれに比する階級だ。もう少し自覚を持った発言をしたまえ」
睨みを利かしながら勝俣にそう言われ、先ほどまで騒いでいた連中は気まずそうに顔を伏せた。勝俣はそれを見て頷き、口を再度開く。
「誰を送るかは戦闘力や作戦成功率を考えて関東支部で決定する。皆様を集めたのはその後の作戦、奇襲作戦成功後の特区制圧作戦のための戦力を要請するためであります。御尽力の程を、お願いしたい」
勝俣が先ほどと打って変わって冷静な声音でそう言うと連中は咀嚼するように何度も頷いた。まあ先ほどの連中の発言からして人員を割くことに躊躇を覚えるような感情の持ち主でもないだろう。
しかしやはり納得が出来ない者もいたらしい。先ほどの白衣の女性がまたも手を上げて口を開いた。
「戦力を割くって事は別段私は良いんだけど、でもそれってすごく危険だと思うんですよね」
「というと」
「改めて自己紹介になりますが私は四国支部支部長です。四国支部はその立地から国外からの進攻も考えにくく、国内からの反乱も起こすメリットがほぼない。だから四国支部の大半が研究開発がメインだ。武器兵器の開発だね。その実験が主な業務さ。戦闘員も経験者ももちろんいるけれどやはりそんな支部に居続ける連中だ、皆開発に尽力したいと考えている者達だよ。私は彼らの意思を尊重したい。だから申し訳ないが、私は、四国支部全部隊は、本作戦を拒否します」
……なるほどなかなか珍しい考えを持っているらしい。それも支部長クラスがそんな発言をするとはな。戦闘が主任務である支部だったのなら多くの反感を買っただろう。しかし四国支部は確かに兵器開発部門に多くの力を注いでいる地区だ。そこで作られた兵器火器を使用している部隊は文句も言えまい。
勝俣もその考えは理解できたようで大きく頷く。
「了解しました。四国支部は従来の職務を全うしてください」
「感謝します。では私はここで。兵器による協力の要請はいつでも歓迎です。それでは」
言って白衣の女性は円卓の席から立ち上がり、勝俣に敬礼してから俺が座る席に近寄ってくる。
「何だ」
「聞いてた通り君はなかなか礼儀を捨てているらしいね。私は四国支部支部長、染谷木金だ。よろしく頼むよ」
言って女は俺に握手を求めるように手を差し出してくる。
俺はそれを睨みつけるが女はどこ吹く風だと飄々とした表情で腕を引かない。どうやらなかなかいい根性をしていそうだ。
俺は立ちあがって女の手を握る。女もそれを握り返した。
「君の担当は確か黒井だったね」
「知っているのか」
「同期だからね。私も元医者だ」
「医者が何故兵器開発に」
「だからこそさ。医者程人体を熟知している者も少ないよ。最も、私は黒井には勝てないと見越して医者の道を降りた臆病者だがね」
「そりゃあ第一位には勝てないだろうさ」
「違いないね。私は結局最後まであいつには勝てなかったよ」
女はそこでようやく手を離し、引いた。
「あ、それとさ」
「あ?しつこいぞ。帰れよ」
「そう言うな。生桜輝夜、いるだろ?君よりも一つ下だったかな。聞いた話だが君の日本刀は全て彼女が製作していると聞いた」
「それがどうした」
「あの子くれないか」
「は?」
「あの子の技術力は一個人のままにしておくのはもったいない。是非我が支部で活躍してもらいたいんだ」
「俺に聞くなよ」
「だったら彼女の携帯の番号教えてくれよ」
「あいつ携帯持ってないぞ」
「この時代にかい?珍しいね」
「日本刀作ってる時点で時代錯誤な性格だってのはわかるだろ。ま、俺が今度軽く言っておく。鬱陶しいから早く帰れ」
「つれないね。まあ言われなくとも帰るよ。それじゃあ」
女は一歩下がり、俺に敬礼を捧げる。俺はそれを無視して席に座り直す。女もそれに嘆息をついて勝俣に再度敬礼を向け、そしてようやくこの部屋を出ていった。黒井もそうだが医者は皆自由な性格なのだろうか?もう少し他人の目や話を気にして欲しいものだ。俺が言える口ではないけれど。
勝俣は女が出ていったのを確認してから咳払いをして口を開いた。
「さて、四国支部は彼女が言った事情故作戦への参加は望めないものとなった。しかし皆さま各支部の支援があれば問題はありますまい。第一段階の奇襲作戦が成功すればその時点で買ったも同然であります」
「しかし奇襲作戦とは言え具体的に何を行うのですか?瀬戸大輝が言ったように構造の変化が予想されるのであれば個人で奇襲など不可能ではありませんか?」
「そうですね。では詳しい作戦内容をお話しします。これは今私が瀬戸大輝の話を聞いて即席で変更を加えた作戦ですので不備がある場合は挙手でお願いします」
言って勝俣は俺の方を真っ直ぐ見ながら話を続ける。
「第一段階の奇襲では攻撃を行う、という事は言葉の裏では無人しますが一切しません。まずは構造の変化の掌握、つまりマッピングに留めます。作戦に要する時間は潜入になるため二時間、それ以降は危険だと判断し、状況問わず撤退させます」
「撤退させては意味がないのでは?死人が出たとしても情報は多いに越したことはない」
「死人が出てしまえばそれこそ奇襲作戦は成り立ちません。先手を打つためには先ほど意見にも出ました『回数』を取らせてもらいます。もし情報不足が問題視されるほどに少なければ再度、侵入を試みます。問題は第二作戦です」
「第二作戦……」
「はい。まず第一作戦の段階でマッピングを行い、特区の主要区画、階層を割り出し、次いで重要機密や重要装置の位置や数を把握します、第二段階では、戦闘を行いつつそれを破壊する」
「しかしその重要機器の断定は一般兵では出来かねます。そもそも構造の問題はその段階では解決には至りません」
「そこは問題にはなりませんし特区で最も重要である危機について、ここに一人だけ、誰よりも詳しい人物がいます」
勝俣が、そんな風に言うと、連中の視線が一斉に俺に突き刺さった。……なるほど俺がここに呼ばれた理由はそう言う事か。だったらもっと早い段階でそう伝えておいてもらいたいものだ。あの女も意地が悪い。
俺が煙草を取り出して火を点けながらその視線に答える。
「あくまでも俺が特区内にいた頃の話だ。現状とはずれる可能性が高い」
「構わんよ。無情報よりはマシだ。それに重要過ぎる存在は替えが効かないものだ。気にせず言ってくれ」
俺は天井を見上げて煙草を吹かしながら「そうか」と呟き、続ける。
「『大脳』というものがある」
「大脳?」
「ああ。特区の政策や作戦、研究スケジュール、ありとあらゆるデータがその『大脳』に蓄積され、内部にある高性能の人工知能がそれを吸収、計算し、再考案する。特区は事実上その『大脳』が決めた物事に操られているんだ。それさえ破壊できれば特区はほぼ壊滅するだろう。あくまで昔の話だがアレの開発者既に六年前、七年前だな、七年前の大戦で御山剣璽が打倒したと聞いた。内部にいた頃に俺はその開発技術は製作主しか不可能な技術だと一般研究が話しているのを聞いたことがある。その二つを組み合わせれば『大脳』が特区の全てであり、何を持ってしても保護しようとするはずだ。それさえ撃破出来れば、特区の制圧も容易だ」
そこまで言うと連中が一瞬で騒がしくなった。
しかし当然とも言えるか。特区は長きに亘り世界へ多大な悪影響を与えてきた。自由どころの話ではない。あまりにも自己主張が激しく、それでいて他所の被害を考えてはいない。それが最も強いのは特区が存在する国家、日本だ。
日本は長く、三十年以上特区の被害に晒されてきた。何度も鎮めようと考え、しかし衛星ミサイルの影をちらつかされ、大きな攻勢には出れずにいた。それを七年前の大戦で初めて打倒し、日本刀言う国家の影響力は一層強くなった。一番の功労者である御山剣璽はその大戦直後に死亡したがそれでも結果は残るもので、未だ日本はその影響で世界各国に強い発言権を持っている。
しかしその影響力は先ほども言ったが既に消え始めている。このままでは完全に失う日も近いだろう。故に先の戦争で勝利を収めた現状で特区の不穏な動き、それを理由に完全な勝利を収めたいのだろう。そうすれば、日本は今以上に強い立ち位置に登れるはずだ。なるほど上層部の権力者たちは現状では満足できない性格らしい。それに付き合わされる俺たちのことはもう少し考えて欲しいものだが。
しかし待て。そうだ、衛星ミサイルはどうした?先の戦争ではあの男が動いたからミサイルは落ちなかった。だが今回はどうなんだ?特区は三度に亘り衛星へ接触したのであればそれも改善されたのではないか?なら次以降の戦闘となればまたそれで脅しをかけてくる可能性だってあるはずだ。まさか忘れているだなんてはずもないだろうがしかし気色が悪いな。聞くしかないか。
「おい。衛星ミサイルの件があるだろ。それについてはどうするつもりだ。まさか無視を決め込むだなんて言わないよな。俺たちは良くても特区の上には民間人が生活している。どうするつもりだ」
そう言うと勝俣は「ああ」と言って顎に手を当てた。
「それだったら問題ないよ。それを踏まえたうえで第二作戦の説明だ」
勝俣はまた円卓を操作し、ホログラムの表示を切り替えた。どうやら衛星の画像を拡大した写真らしい。
「この作業はどうやら衛星ミサイルの不備を直すための物で作業完了までにあと数度の打ち上げが予定されているらしい。それ以降はほぼ衛星は機能しない。ただ浮遊しているだけだ。それを突くしかない状態でもあるが、しかし、やはり絶好の機会でもある」
勝俣は続ける。
「加え、特区は機器調整のために数時間ほどその機能をスリープモードにするようだ。そのうちに情報を集め、そして第二作戦を決行する」
「情報元は」
「特区内部のいわゆるストリートチルドレンだ。予てより交信を試みていたのだがその中の一人が協力を申し出てくれた」
「信用できるのか。結局は特区内部の人間だろう。裏切ってメリットがあると思えん」
「問題ないよ。子供たちを救いたいんだそうだ」
「……ああ?」
「やはり特区だろうが地上だろうが理不尽に苦しむ子供たちはいるものだ。彼女はそれを救ってくれさえすれば特区がどうなろうと構わないと、そう言ってくれたよ。既に調査を送り、裏も取れた。嘘は言っていない」
……こいつは相変わらず甘い。何故そうも子供を信頼する。いつかは子供に背中を刺されるかもしれないだろうに何を考えているんだ。
「さて、具体的にはそれぞれの端末に送ったデータを見てもらうとして、お忙しい中お集まりいただき感謝申し上げます。先ほどの件もどうかよろしくお願いします。それではここで解散とさせていただきます。ご苦労様でした」
勝俣がそう言ってホログラムを消すと円卓を囲んでいた連中は勝俣に一言二言挨拶をしてからこの部屋を出ていく。結局はただ人員を貸せ、それが言いたかっただけか。俺も帰ろう。
携帯灰皿に煙草を放り、席を立つ。
「瀬戸大輝」
すると勝俣に呼ばれた。なんだ、帰りたいんだが。
「こっちに来なさい」
クソが。まあ一応は上司だ。無視も出来まい。
「何だよ」
勝俣が立っている場所まで歩いてそう言う。勝俣はそんな俺を見てくすりと笑った。
もう、こいつと初めて会ってから八年になるのか。早いものだ。あの頃からその人が良さそうな顔立ちは変わっておらず、見た目はただの中年男性と言ったところか。まあもう既に五十を回っているんだから中年かどうかも微妙だが。
勝俣は俺の両肩に手を置いて笑顔を浮かべて口を開いた。
「大きくなったな」
言って俺の肩を少しだけ揺らす。
「本当に……大きくなった」
こいつは……何を言っているんだ。
勝俣はそうしながらも変わらず小さく微笑みを浮かべている。
何がしたい?何が言いたい。そりゃあれから何年も経った。俺の人体が正常な仕組みを保っていたのであれば成長もして身長も高くはなるだろう。……まあ、平均身長よりは下ではあるが。
勝俣はそんな風に戸惑う俺を他所に変わらず笑顔を浮かべて俺の肩を揺らし続ける。まるで親戚の親父みたいだ。まあそんな知人はいなかったけれど。
少しすると勝俣は俺の肩から両手を離し、顔を伏せた。
「あれから八年か。早いものだ。未だに後悔しているんだよ私は」
「ああ?」
「あの時、君を助けなければ、君はここまでひどい人生にまで落ちなかったのではないか、とね」
……
こいつは本当に何を言っている?確かに俺はこいつに助けられた。あの金持ち共が集まる食事会に呼ばれて、そこで両親の俺に対する行為が明らかになった。だがそこで出来事は一旦終わったはずだ。俺は、助けられたんだ。その後に俺が両親に殺されたのはまた別の話だろう。その後、俺が多くの人間を殺したのもまた、別の話だ。ただ俺を助けた、それで話は終わる。
それにその話を聞いた者の多くが勝俣を正しいと言うはずだ。何も責められるような事でもないし、後悔する事でもない。
しかしまあ今こうして俺がここにいるのも、この世界に入ったのも結果から遡ってみれば勝俣の言葉にも理解は出来る。事実俺がいるこの世界にその勝俣もいたのだから。
だが、それは違うだろう。間違っているだろう。
「済まなかった」
勝俣はそう言って、未だ戸惑う俺の体を、抱きしめた。強く、それでいて優しく、だが何か、後ろめたい思いを噛み締めるように。
「私はもっと早く君に会うべきだった。君がこちらに来るとわかっていながら君と合うのが怖かったんだ。恨まれてやしないかと考えると絶望に染まった」
勝俣は俺の背中を軽くさするように叩く。
「しかし君が優しい子に育っているのを知って私は嬉しかった。私がこんな世界に引き込んでしまってすさんだ子供になっていたらと思うって不安だったが、君は、よく皆を守ってくれているようだ」
言って勝俣はまた俺の背中を何度か叩いた。
俺はたまらず勝俣を両手で押し退け距離を取る。勝俣は少し驚いたような表情を取るが俺はたまったもんじゃない。好き勝手に言いやがってふざけるな。
「お前、何言ってんだ?……は?」
俺はそう言う。しかしその言葉は上手く発せられず、どこかしどろもどろした感じだ。何故俺は、焦っている?
「隠すことはないよ大輝君。君は優しい子だ。皆を、守りたいんだろう」
「止めろ」
「君は、他に方法を知らないだけなんだな。誰かに守られた経験が少ないからそうする以外の方法を知らないんだな」
「止めろ」
「でも良いんだ。ゆっくりとこれから知っていっけば良いんだ。君が本当に守りたい相手を見つけるまでは好きにしたらいい。不破真琴君。彼女だろう。君はいつか、彼女と」
「止めろ!」
俺はたまらず叫んだ。もう止めろ黙れと心の中で恨み言を呟くように叫んだ。だが勝俣は今度は驚きもせず、変わらず微笑みを浮かべるだけだ。それが一層腹立たしい。
「……勝手な同情押し付けて、自分の罪を消そうとするじゃねえよ。ムカつくんだよそう言うの」
「そうだなすまん」
「それに俺を助けたのはお前じゃあない。御山剣璽だ。勘違いするなよ」
「そうか、それは、そうだな」
俺は勝俣に背を向ける。こんな奴と話していても何の益もない。さっさと帰って寝るとしよう。
「それからな」
「うん?」
「魔女は知っているな?あいつ曰く、俺があのままあの家に居続けたらあんたに会った三日後にはどの道死んでたらしいぞ。だったら同じことだ。今も死んでるような物だ。あとさっきの作戦の第一段階は俺がやる。誰もいらない。俺だけで十分だ」
俺はそう言って部屋の出口へ足を運ぶ。
「やはり君は、優しいね」
そんな俺の背中に、そんな勝俣の言葉が飛んでくる。うるさいんだよ。俺はそんな人間じゃないんだよ。ただ俺は、誰かが近くにいるのが鬱陶しいだけだ。邪魔なだけだ。だったらいらない。俺は一人で良い。
「言ってろクソじじい。どうせそうするつもりだったろうが」
俺は扉を開いてそう言い、力強くそれをまた締めた。扉が閉まる最後の一瞬まで勝俣は、部屋を出る俺に向かって、笑顔を浮かべていた。それがまた腹立たしい。
鬱陶しい。ムカつく。ウザったい。
どいつもこいつも勘違いしやがって。俺はただ邪魔物を切り捨ててきただけだ。俺は誰かを守れるような質ではないしそんな性格でもない。何故それが分からない。うるせえんだよ。
部屋を出て少し進んだ所で俺は一度立ち止まり。
「ああ!」
影を殴り付けた。
もちろん鈍い痛みが拳に走り、血が滴った。だがそんな事など気にもならない程に今は、腹立たしい。むしゃくしゃする。イライラする。ざわざわと胸中が揺れる。俺はこの状態が好きではない。発散方法など俺は知らないんだ。
だったら俺はもう、これを発散しようとはしない。ずっとこれが続いても構わない。どうせ誰かといることもないのだ。誰かにそれを気取られることもあるまいし気付いても誰も何も言うまい。俺はそうされるだけのことをしてきたしこれからもするだろう。
だがもういい。
俺は、独りで良いんだ。




