第百十二話 逆さ星の航路標
王都を離れて。
およそ三時間。
《魔導巡航艦エルディオン》は。
南西へ続く山岳地帯へ入っていた。
眼下に広がるのは。
幾重にも連なる。
灰色の山々。
切り立った崖。
深い谷。
人の住む街も。
整備された街道も見当たらない。
かろうじて。
山肌を縫うように流れる。
細い川だけが。
朝日を反射していた。
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第一経由地
旧式航路中継標七号
現在距離
九十六キロメートル
到着予測
二十二分後
周辺気象
安定
周辺魔力濃度
上昇傾向
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「もうすぐですね」
フィオナが。
正面表示盤に映る山脈を見つめる。
「でも、中継標らしい建物は見えません」
「山の中に埋まってるのかも」
リゼットが。
旧式航路図を拡大する。
「記録上だと、高度三千二百メートル付近。山頂に設置された大型誘導塔のはずなんだけど……」
表示された地形と。
十九年前の航路記録が。
微妙に一致していない。
「山が動いた?」
「大規模な地殻変動なら、王国にも記録が残るはずです」
フィオナが答える。
「幻術」
シグレが呟いた。
「山そのものではなく、見えている景色が違う」
『同感だ』
クロが。
艦橋前方を睨む。
『正面から、薄い敵意を感じる』
「敵意?」
『生物ではない。設置型の術式に近い』
リリスは。
《千里神眼》と《魔力透視》を発動する。
空。
雲。
山脈。
そのすべてを覆うように。
薄い魔力の膜が広がっていた。
精巧ではない。
だが。
非常に広い。
「景色を少しずつずらしてる」
「侵入者を迷わせるため?」
「たぶん」
幻惑結界の起点を探す。
山頂。
谷間。
岩壁。
数百もの小さな術式が。
蜘蛛の巣のように繋がっている。
そして。
すべての魔力線が。
一つの地点へ集まっていた。
「見つけた」
リリスが。
地図上の山へ印を付ける。
「正面の山じゃない。右側の谷」
「何もありませんよ?」
「そう見せてるだけ」
リリスが指を鳴らす。
《完全幻術解除》。
艦橋正面の景色が。
水面のように揺れた。
存在しなかったはずの谷が現れる。
両側を断崖に挟まれた。
細く長い空間。
その最奥。
巨大な岩山へ半ば埋もれるように。
錆びた金属塔が立っていた。
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構造物確認
旧式航路中継標七号
全高
百十二メートル
稼働状態
微弱
識別信号
《探索船セレスティア》
周辺術式
非登録幻惑結界
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「セレスティアの中継標なのに」
リゼットが。
不審そうに眉を寄せる。
「どうして隠されてるの?」
「誰かが後から隠した」
シグレが答える。
『我々に警告を送った存在と、隠した存在は別かもしれぬ』
「接近しますか?」
フィオナが尋ねる。
「うん。でも、船は谷の外で待機」
四百八十二メートルのエルディオンには。
谷が狭すぎる。
何より。
中に罠がある可能性も高い。
「私たちだけで確認する」
「全員?」
「私とクロとシグレで行く」
リリスは。
フィオナとリゼットを見る。
「二人はエルディオンをお願い」
「師匠」
フィオナが。
少しだけ頬を膨らませる。
「危険だから置いていく、ではありませんよね?」
「違うよ」
「船を守る人が必要だから?」
「うん」
武装を失ったエルディオンは。
今のところ。
自力で敵を撃退できない。
フィオナの広域魔法と。
リゼットの艦内制御。
どちらも必要だった。
「分かりました」
「異常があったら、すぐ連絡して」
「師匠もです」
『互いに同じことを言っているな』
◇◇◇
エルディオンが。
谷の入口付近で停止する。
リリスとシグレは。
《飛行魔法》で艦外へ出た。
クロは。
黒い魔力を足元に纏い。
何もない空中を歩いている。
「飛べたんだ」
『以前から可能だ』
「初めて見た」
『必要がなかったからな』
「少し格好いい」
『少しは余計だ』
三人は。
静かに谷へ入っていく。
風が弱い。
鳥の声もない。
切り立った岩壁には。
不自然な傷が残っていた。
「剣の跡」
シグレが。
岩壁へ近づく。
長さ。
およそ五メートル。
深さも相当ある。
さらに。
別の場所には。
巨大な爪痕。
黒く焼け焦げた穴。
崩れた足場。
「ここで戦闘があった」
「十九年前?」
「もっと新しい跡もある」
シグレは。
岩の表面へ触れた。
「風化が少ない」
『数年以内だろう』
中継標へ近づくほど。
魔力の濁りが強くなる。
だが。
邪神の力とは違う。
《魔蝕機鋼》に似た。
機械と魔力が混ざり合う。
人工的な侵食反応だった。
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侵食反応
検出
性質
幻魔機系統
濃度
低
発生源
中継標上部
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「上」
リリスが見上げた。
百十二メートルの塔。
崩れかけた外装。
その頂上に。
黒い何かが張り付いている。
翼。
細長い四肢。
山羊に似た頭部。
機械でありながら。
生物のように胸部が脈動していた。
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《飛翔幻魔機》
全高
十四・八メートル
状態
休眠
搭乗者反応
なし
自律行動
稼働中
任務推定
中継標封鎖
侵入者迎撃
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「敵?」
「うん」
リリスが答えた瞬間。
幻魔機の頭部が。
勢いよくこちらを向いた。
赤い眼光。
六枚の翼が開く。
『侵入者確認』
『逆星航路への接近を禁止』
『記録抹消を開始』
黒い魔力弾が。
翼の先端へ集まる。
「私が斬る」
シグレが。
《天月神刀》を抜いた。
「壊しすぎないで」
「努力する」
「努力なんだ」
幻魔機から。
六本の光線が放たれる。
シグレの姿が消えた。
《天地歩法》。
空中を蹴り。
一瞬で幻魔機の懐へ潜り込む。
「《纏刀・天月》」
白銀の刃へ。
月の光が纏われる。
横薙ぎの一閃。
六枚の翼のうち。
右側三枚が切断された。
『飛行能力低下』
『自律修復開始』
「修復する」
切断面から。
黒い金属糸が伸びていく。
だが。
再生が始まるより早く。
クロがその背へ降り立った。
『遅い』
巨大な前脚が。
幻魔機を塔の屋上へ叩きつける。
轟音。
金属床が陥没した。
なおも動こうとする幻魔機の胸部へ。
リリスが降りる。
「《完全機能停止》」
指先が触れた瞬間。
全身の魔力回路が。
一斉に停止した。
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《バフォメット・ウィング》
活動停止
侵食炉
封印
自爆機構
強制解除
記録中枢
保存
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「終わり」
「一撃だった」
シグレが刀を収める。
『相手が悪かったな』
「壊れてない?」
「翼が三枚」
「重要部分は残した」
「うん。十分」
◇◇◇
中継標の内部は。
長い間。
人が入った形跡がなかった。
階段には埃が積もり。
照明もほとんど消えている。
だが。
中央管理室だけは。
微弱な魔力で稼働を続けていた。
壁際には。
一体の自動人形が座っている。
胸部には。
《セレスティア》の艦章。
片腕と両脚を失い。
頭部も半分砕けていた。
『……接近者……確認……』
「エルディオンから来た」
リリスが。
自動人形の前へ膝をつく。
『識別……要求……』
「《魔導巡航艦エルディオン》艦長、ノクス」
艦長認証札を見せる。
自動人形の残った眼へ。
青い光が灯った。
『エル……ディオン……』
『救助支援艦……』
『十九年……遅延……』
「ごめん」
『謝罪……不要……』
『到達……確認……』
自動人形は。
ゆっくりと。
残った右腕を動かした。
管理台の奥から。
一枚の記録晶がせり上がる。
『セレスティア船長命令……』
『後続船へ……航路情報を提供……』
『逆星誘導灯を……信用するな……』
「逆星誘導灯?」
シグレが尋ねる。
記録晶から。
南西荒野の地図が映し出される。
空中に並ぶ。
十二個の星型航路標。
そのうち。
七つは青。
五つは赤。
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《セレスティア》最終航路記録
正常誘導標
青色星紋
侵食誘導標
赤色反転星紋
警告
反転星紋は侵入者を封印施設中枢へ誘導
推定目的
捕獲
魔力収集
生体実験
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「だから、星を信じるな」
『正確には、逆さの星を信じるなということか』
「救難信号の地点までの安全航路は?」
リリスが尋ねる。
『安全航路……消失……』
『ただし……』
地図上に。
細い白線が現れる。
正規航路から外れ。
山脈の北側を大きく迂回し。
荒野の地下へ続く。
一つの入口へ繋がっていた。
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緊急避難経路
通称
《灰鷹の道》
目的地
第三地脈観測坑
封印施設外縁部へ接続
《セレスティア》乗員退避地点
最終生存確認
三十八名
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「四十三人じゃない」
「五人は?」
シグレが尋ねる。
自動人形の眼が。
弱く揺れる。
『船長……副長……護衛三名……』
『追跡者を引きつけ……別航路へ……』
『生存確認……不能……』
リリスは。
拳を握った。
三十八人は。
地下観測坑へ避難した。
残る五人は。
仲間を逃がすため。
敵を引きつけた。
「十九年前、この中継標へ来たのは?」
『整備士……ハルド……』
『当機へ記録を託し……南西へ帰還……』
「その人は?」
『生存確認……不能……』
自動人形の声が。
さらに小さくなる。
胸部の魔力炉は。
既に限界へ達していた。
「直せる」
リリスが手を伸ばす。
『修復……不要……』
「でも」
『最優先任務……情報伝達……』
『完了……』
自動人形の残った眼が。
リリスを見つめる。
『救助支援艦……エルディオン……』
『三十八名を……』
音声が途切れる。
それでも。
最後の言葉は。
はっきり届いた。
『帰還させてください……』
「うん」
リリスは。
壊れた右手を握る。
「必ず帰す」
『命令……引継ぎ……確認……』
青い光が。
静かに消えた。
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航路中継管理人形
機能停止
最終任務
完了
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管理室に。
静寂が戻る。
「連れて帰ろう」
リリスが言った。
「修復する?」
「うん。でも、起こすかどうかは本人に選んでもらう」
停止した自動人形と。
記録晶。
無力化した幻魔機を。
インベントリへ収納する。
その時。
《六星封門監視晶》が。
強く震えた。
━━━━━━━━━━
緊急警告
第二侵食施設
封印圧力
急上昇
異界接続反応
再発生
推定完全起動まで
十六時間
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「到着予定は?」
シグレが尋ねる。
「安全航路を使えば、十五時間くらい」
『余裕はほとんどないな』
「急いで戻る」
◇◇◇
エルディオンへ帰還すると。
フィオナが。
艦橋の入口まで迎えに来た。
「無事でよかったです」
「中継標で情報を見つけた」
リリスは。
《灰鷹の道》の航路記録を。
エルディオンへ転送する。
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新規航路情報
受領
通常航路
危険
侵食誘導標
五基
緊急避難経路
《灰鷹の道》
目的地
第三地脈観測坑
救助対象推定位置
封印施設外縁地下区画
━━━━━━━━━━
「地下区画……」
フィオナが。
地図を見つめる。
「十九年間、そこで生き延びていたのでしょうか」
「まだ分からない」
「食料も水も必要です」
「地脈観測坑なら、古代の生存設備があるかもしれない」
リゼットが。
航路を再計算する。
「でも、十六時間後に門が完全起動する」
「到着は?」
「主炉出力七十パーセントなら、十五時間十二分」
「八十パーセント」
「出せるけど、到着後の帰還用魔力が減る」
「七十のまま」
リリスは即答した。
急ぐ。
けれど。
帰る力を使い切ってはいけない。
「途中で魔力を補充できる?」
「高純度の魔晶宝石を補助燃料へ回せば、一時間くらい短縮できるよ」
「使って」
「貴重だけど?」
「人より貴重な素材はない」
リゼットが。
すぐに頷いた。
「了解」
主炉へ。
高純度の《魔晶宝石》が送られる。
エルディオンの推進光が。
大きく強まった。
━━━━━━━━━━
補助燃料
高純度《魔晶宝石》
投入
巡航出力
上昇
推定到着時間
十四時間十一分
封印施設完全起動予測
十五時間五十七分
猶予
一時間四十六分
━━━━━━━━━━
「航路変更」
リリスが命じる。
「《灰鷹の道》へ」
━━━━━━━━━━
航路変更
目的地
第三地脈観測坑
特別探索支援任務E―〇七一
継続
━━━━━━━━━━
エルディオンは。
山脈の北側へ回り込み。
雲の下を進んでいく。
その直後。
長距離通信機が。
再び救難信号を捉えた。
『……聞こえ……ますか……』
「聞こえています!」
フィオナが応答する。
今度は。
僅かにこちらの声が届いたのか。
雑音の向こうで。
女性が息を呑んだ。
『船……?』
「《魔導巡航艦エルディオン》です! あなたたちを救助するために向かっています!」
『エル……ディオン……』
女性の声が。
震える。
『本当に……来てくれた……』
「名前を教えてください!」
『私は……』
強い雑音。
通信が切れかける。
『ミナ……セレスティア居住区の……観測員……』
「生存者は何人ですか?」
『今は……』
背後から。
金属を叩くような音が響いた。
『二百七十三人……』
艦橋の全員が。
息を止める。
「二百七十三?」
十九年前。
避難したのは三十八人。
それよりも。
遥かに多い。
『子供たちも……います……』
『門が開けば……居住区まで……』
通信の奥から。
幼い子供の泣き声が聞こえた。
『お願い……急いで……』
「大丈夫」
リリスは。
通信盤へ手を置いた。
「もう向かってる」
『本当に……助けてくれるんですか……?』
「うん」
十九年間。
地上から忘れられていた人々。
その場所で生まれ。
外の空を知らない子供たち。
何があったのかは。
まだ分からない。
それでも。
「エルディオンが迎えに行く」
リリスは。
はっきりと告げた。
「二百七十三人、全員を帰すよ」
正面表示盤が。
強い青白い光を放つ。
━━━━━━━━━━
救助対象情報
更新
推定生存者
二百七十三名
成人
詳細不明
子供
存在確認
最優先命令
全員救助
全員帰還
━━━━━━━━━━
『……待っています……』
通信が途切れた。
だが。
今度は。
完全には消えなかった。
細い信号が。
目的地までの道を示すように。
弱く。
確かに残っている。
「二百七十三人」
フィオナが。
医療物資の一覧を開く。
「準備を増やします」
「仮設寝台も足りない」
リゼットが立ち上がる。
「格納庫全部を救助区画に変える」
「食料は?」
「私のインベントリにある」
「水と毛布も」
「十分ある」
『戦闘準備も忘れるな』
クロの言葉に。
シグレが立ち上がった。
「私が先行する」
「全員で行く」
リリスは。
南西の空を見つめる。
目的地の彼方。
まだ見えない荒野で。
封じられた門が。
目を覚まそうとしている。
そして。
そのすぐ近くで。
二百七十三人が待っていた。
「エルディオン」
━━━━━━━━━━
艦長命令
待機
━━━━━━━━━━
「最高安全巡航速度を維持」
━━━━━━━━━━
命令受諾
最高安全巡航速度
維持
乗員保護機能
稼働
救助任務
継続
━━━━━━━━━━
青白い航跡が。
雲を真っ直ぐに貫く。
十九年前に途絶えた道。
逆さの星が隠した土地。
その先にいる人々を。
今度こそ。
一人も残さず連れ帰るため。
《魔導巡航艦エルディオン》は。
さらに速度を上げた。




