第218話 常識
ティバルトに連れられた『聖域』は、ネルトリンゲンの地下深くに存在する大きな空洞である。
中心街から近い住宅に備え付けられたハッチを改造し、コンクリートの武骨な階段を下りていくと繋がっており、入り口も出口も安全性からこの一つ。
空洞の中では霊力を応用した炎が松明のように『聖域』を照らしており、空気は幽霊ゆえに必要としないものの、空気穴程度は各所に存在している。
そして何よりも、劉兎が歩いている大通りは、左右に住宅が乱立する『聖域』を縦断する道。
その奥で一際存在感を放っている建物が、ティバルトが目指していた先だった。
「興味深い話だな、俺達が幽霊だったとは」
「あくまで日本での定義ですが、共通認識の方が話が進みやすいですからね」
道を歩く中で、劉兎はティバルトに幽霊や悪霊の話を一通りしていた。
黒い霊力や通常の霊力、及び悪霊や小人の事など、これから情報を共有する上で認識を統一していた方が楽だと考えたのだ。
そしてあわよくば、ティバルトがどっちなのか探ろうとしていた。
「悪霊に小人……そして霊の歌か」
劉兎から聞いた内容を咀嚼するように、顎に手を置きながら熟考するティバルト。
ドイツの幽霊として、聞きたいことは山ほどあるものの、一度に全て話してしまえばパンクしてしまうのが現実。
劉兎はティバルトの返答を黙って待つことしかできなかった。
「その中だと、一番近いのは小人だろうな」
「……ッ、そうですか」
そして返ってきた言葉は、想像はしていたものの信じたくなかった答えだった。
「よく分からんが、その霊界とやらが無いと幽霊にはなれないってのはそうだろうな……正直、俺達が悪魔と呼んでいる奴らを悪霊と仮定したとして、違いをどこで確かめているのかなんて、危害を加えてくるかそうで無いかに過ぎない……君のように色が付いた霊力……? を使う人間は初めて見た」
ティバルトの説明には、劉兎は納得する事しか出来ない。
ドイツには明確な霊界がない、つまりは死後昇っていく魂を浄化する場所が無いということ。多少未練があったとしても、果たすことなく黄泉へと消えてしまう。
必然的に善良で未練が残っている者を総称する幽霊は、この世界では生まれにくい傾向にある。
善意より悪意、華鈴がそう言ったように、世界に残りやすいのは悪の意識なのだ。
そして劉兎の例からも察するに、小人は何も悪意を持って死んだものばかりではなく、ネガティブな負債を人生に残した者達がなりやすいものであるのは明白。
神様という加護がない以上、ティバルトたちは幽霊よりも小人に近づいて行ってしまう。
「正直、君が来てくれて助かったよ……」
「バルさん……?」
突然の弱音に、劉兎の眉が沈む。
近くなってきた存在感のある酒場のような建物に対し、ティバルトの足取りが重くなっていく。
「俺達は……レジスタンスと言えば聞こえはいいが、要はその場しのぎの付け焼刃に過ぎないんだ」
「……そんなことは無いかと」
「ふふ、ありがとう、だが事実さ……これを見れば分かる」
ティバルトがおもむろに指を指す。
勿論その先にあったのは、酒場。
雑に取り付けられた看板には、元々の表記を赤いペンキで訂正し、ドイツ語で何かを書き足していた。
「あれは『レヴォルテ』と読む……俺達は綺麗な看板を構える余裕もない……そもそも俺はリーダーなんて向いてないしな」
重い足取りでもいつかは到着する。
建付けの悪くなった、蝶番の錆びた木製の扉を開けると、眼前に広がったのは酒場というより宿屋に近い光景だった。
酒場スペースはあるが、円形のテーブルが幾つか置かれ、その周りには円型の背もたれのない椅子が乱雑に配置されているのみ。
テーブルも椅子も経年劣化が激しく、所々彫り傷や欠けている部分が垣間見えていた。
更に、二階に上がる階段はあれど、こちらも勿論木造であり、劣化が激しく人が足を踏み入れるだけで軋む音が響く。
そしてその音を響かせながら、金髪の男女が姿を現した。
「あ! リーダー! おかえりなさい!」
「……なさい」
快活に挨拶する少女に対し、劉兎を見て即座に少女の背後に隠れた少年。
少女より一回り大きな少年は、隠れ切ることはできないものの、その眼には警戒の色が激しい。
「アインス、ツヴァイ、ただいま……今から鍛錬か?」
「ええ! いっぱい寝たので身体動かしてきます! 弟も一緒です!」
「……っす」
劉兎には目もくれず、外に出て行く少女と、ジト目を向けながら最後まで劉兎を睨む少年。
二人を見送った後、ティバルトは少し悲し気な表情で劉兎を見た。
「今のが構成員だ……劉兎さんはドイツ語は分かるんだっけ?」
「いや……分かんないっすけど、予想は付きますよ? あの二人の名前って……」
「ああそうさ、あの二人の名前はドイツ語での一と二、番号で呼んでいる……なんてったってあの二人には記憶がない」
「記憶がない……?」
下がった眉で見つめられ、劉兎も驚きから目を見開く。
今まで劉兎の中にあった幽霊達の常識というものが崩れ去る音が聞こえていた。




