第8話『本当の気持ち。』
ざっくり登場人物紹介
ベレノ:ベレノ・マレディジオネ。23歳。身長はだいたい160cmくらい。今作の主人公。黒いボサ髪に紫の瞳を持つ、ラミア族の呪術師の女性。勇者パーティのリーダーであり親友であり弟子であるメイにクソデカ感情を抱いている。ボディタッチ(尻尾巻き付け)は良くするくせに、言葉では言わないタイプのこじらせラミア。当たり前のようにメイと手を繋いで歩くが、まだ2人は付き合っているわけではない。
メイ:メイ・デソルゾロット。18歳。身長は162cm。『それでも俺は妹が一番可愛い。』の主人公。ドシスコンの社会人男性、ホムラ テンセイの魂を持つ勇者系金髪お嬢様。天然たらしの側面があり、ベレノの情緒を狂わせる。しかしこっちはこっちでだいぶこじらせている。一番近くにいる異性(同性)がアレなので、他者との物理的な距離感が麻痺しつつある。
アルシエラ:アルシエラ・ドラゴなんとか。見た目は12歳だが、実年齢は不詳。身長147cm(角を含まない)。またの名を、ホムラ ユキ。メイの前世にあたるテンセイの妹。今は魔王をやっている。魔界における魔王とは、魔界で一番ツエー奴の事でもある。だが本人は特に魔王の座に拘りは無い。
ジーニア:ジーニア・オウリュ。年齢不詳な竜魔族の老人。アルシエラの側近兼魔界随一の魔法技術者。スケベジジイ。
第8話『本当の気持ち。』
次なる目的地である海岸線沿いの港町、レイヴィアまでの地図をなんとか手に入れた私達。
馬車でおよそ3日も掛かるという長い長い道のりを、魔界の霊馬が引く馬車で軽快に進んでいた。
「途中で寄れそうな休憩ポイントは……。」
魔王への定期連絡をしているらしいメイを車内に残し、私は馭者席に腰を掛けて風などを感じながら、商人のハクリタから手に入れた南の地図を広げる。
地図にはレイヴィアまでの道はもちろん、その道中で休憩に立ち寄る事ができそうな村などがしっかりと記されていた。
最初の休憩ポイントとなるチョウナ村にはこのペースだと昼過ぎには到着できそうだが、そのままそこで一泊するのは少し時間が勿体ないようにも感じる。
それにこの馬車を引いているのが普通の馬とは違って、夜間も走行可能な霊馬である利点を活かさない手は無いだろう。
「そうなると……。」
チョウナ村の次に位置するジナ村をスルーしてそのままサンナ村まで走ることができれば、かなりの時間短縮が見込めそうだ。
問題はその長距離長時間移動に、耐えることができるのかという点だろうか。
もちろん既に死んでいてスタミナ切れ等とは無縁の霊馬の話ではなく、それが引く馬車に乗っている私達の方の話だ。
この地図を信じるのであれば、チョウナ村からジナ村までの距離はナリマからチョウナ村までの距離のおよそ半分ほど。
そしてジナ村からサンナ村までの距離もだいたい同じくらいであるように地図上では見える。
私は地図とにらめっこをしながら、大凡の移動時間を計算し始める。
「ナリマから6時間足らずで……ここが3時間……普通であればジナ村で泊まって夜を明かすべきですけど……。」
ぶつぶつと独り言を言いながら距離と時間の計算をしている私の両肩に突然、何者かの手が置かれる。
「ッ!?」
驚きのあまり思わず手に持っていた地図を引き裂いてしまいそうになるのをなんとか堪え、私は身体を強張らせる。
すると手に続いて馬車の中からぬうっと顔を出したのは、何やら暗い雰囲気のメイだった。
「……ベレノぉ……。」
今にも泣きそうで不安げに震えた、あまり聞いたことの無いような声で私の名前を呼ぶメイ。
何事かと思い、私は一旦地図を畳んでゆっくりとメイの方を振り返る。
「……どうしたんです?お腹でも痛いんですか?」
そっと問いかける私の声に、メイはやや俯いたまま静かに首を横に振る。
体調不良で無いとすると、魔王絡みだろうか。
「……喧嘩でもしましたか?ほら、ここ座ってください。風が気持ちいいですよ?」
私は自分の肩に置かれたメイの手をそっと握って、メイに私の隣へと座るように促す。
メイが氷鱗のペンダントに話しかけ始めてすぐ私はこの馭者席の方へと移動してしまったので、メイと魔王の会話の内容は把握していない。
だがここから聞いている感じ言い争っているような声は特に聞こえなかったと思うのだが。
「……それで?改めて聞きますけど、どうしましたか?」
隣に座ったメイの背中を優しくさすりながら、私は再度メイへと問いかける。
するとメイは暗くどこか絶望したような顔をしながら、ゆっくりとこちらを見て口を開く。
「……、……雪が……妹が、連絡しても応えてくれないんだ……。」
そう嘆き悲しむように、両手で自らの顔を覆い再び項垂れるメイ。
何?魔王が連絡に?応答しない?……それだけ?
まったく、このシスコン男は。
「……忙しいんじゃないですか?彼女、一応魔王ですから。」
少しでも心配して損したと思いながらも、一応メイへとフォローをするような言葉を投げる。
そう、メイの妹であるユキは我儘で理不尽な子供のような感じだが、あれでも一応魔界の王である。
王様が毎日好き放題食べて飲んで遊んでしていると思ったら、大間違いだ。
立場のある者というのは、その役職でしかできない事をやらねばならない事が多い。
それも魔王ともなれば、多忙と言ってまず間違いないだろう。
「そうかな……で、でも……!もしかしたらまた何かトラブルに巻き込まれてるんじゃ……!」
何故この兄は妹の事となるとこんなにも心配性になってしまうのか。兄だから?あの妹だから?私には理解できない。
そもそも魔王が何かトラブルに巻き込まれていたとして、今私達に何ができると言うのか。
もっと言えば、あのでたらめな力を振るう魔王ですら解決できない問題が私達にどうにかできる可能性は限りなく低いだろう。
などなど、色々と言いたい事があるのをぐっと我慢して、私はそっとメイの頭に手を置く。
「落ち着いてください、メイ。例えそうだったとしても今あなたがここで狼狽えても、何の解決にもなりません。」
「う、うぐ……それは……っそうだけど……。」
そう諭しても尚、すんなりとは飲み込めない様子のメイの頭を優しく撫でる。
私にとっては途方もない力を持つ魔王であっても、彼にとってはたった1人の妹なのだから心配になってしまう気持ちも理解はできる。
だが、そればかりではいけない。
「それに何かトラブルに巻き込まれているとしたら、以前のようにあの老人が接触してくるのでは?」
「た、確かに……けどっ……!」
少しだけ気を持ち直しかけたメイだったが、やはりまだ不安が頭から離れないらしい。
ここは少し、これを機に一言言っておいたほうがいいだろうか。
「……あなたが考えているほど、彼女は子供ではありませんよ。」
尻尾で強くメイの腰を抱き寄せながら、私はきっぱりとメイへとそう伝える。
すると抱き寄せられた反動でこちらへと軽く倒れ込んだメイが、不可解そうな顔をしながら私の方を見上げた。
「それって……どういう──」
「妹だからと言っていつまでも兄の腕の中で可愛がられるばかりの存在では無い、という事です。」
魔王の多くを知っているわけでは無い私でも、初遭遇した頃と最近とではかなり印象が変わったように感じている。
実際彼女だって最愛の兄との別れと、20年の時を経ての再会を経験する事で、ヒトとして何かしらは成長している筈なのだ。
世界で一番可愛い小さな妹という、メイにとっての彼女のイメージがいつまでも変わっていないのとは対照的に。
「……あなた、彼女が自分に向けている感情の意味や大きさを、ちゃんと理解していますか?」
じっと瞳を覗き込むようにしながら、私はメイへと静かに問いかける。
「そっ……それはもちろん!雪は俺の事が大好きで、俺も雪の事が──」
「でもそれって”兄妹として”、ですよね?」
メイの言葉を遮るように食い気味に返答した私の言葉に、メイの表情が一瞬強張る。
兄妹が互いに互いを好きなのは端から見ても一目瞭然だ。
だが果たしてその一見向かい合っているように見える感情は、本当に同じ感情だろうか。
しかしこれは決して他人事では無い。ある意味では私自身にも関係のある事だ。
だからこそここで、メイの考えという物をはっきりとさせておきたい。
「……彼女の気持ち……わざと気が付かないふり、していませんか?」
目を逸らそうとするメイの頬に、私はひたりと静かに手を這わせる。
前の世界では例えどちらかが兄妹以上の気持ちを、もう片方に抱いていたとしてもそれを形にする事は難しかっただろう。
それは兄妹が兄妹であるが故に、だ。
だが今の兄妹に肉体的な血の繋がりはなく、道徳的に見てもそういった関係になる事は、表面上何ら問題はない。
故にあとはきっかけさえあれば、どうとでもなってしまう事だろう。
「……今すぐにはっきり答えを出せとは言いませんが……向こうは魔王なので。……決めておいた方が良いんじゃないですか?答え。」
「……うん。」
私の言葉に対して小さく返事をしながらも、かなり真剣で思い詰めた表情をしているメイを見て、私はそれ以上の追撃は止めておく事にした。
本当はすぐにでも、その答えを確かめたいのだけれど。
◆◆◆
あれからメイは氷鱗のペンダントを握ったまま、馬車の中で只管魔王からの連絡を待っている。
普段あれだけしつこく連絡してくる魔王が今日は物静かなのは、私としても少し気になるところではあるのだが。
そんな事を考えている間に私達の馬車は、最初の休憩ポイントとなるチョウナ村へと辿り着いた。
「……メイ、チョウナ村に着きましたよ。……少し外に出て休憩しませんか?」
「うん……。」
メイと顔を合わせるのが少し気まずくてずっと馭者席に座っていた私だったが、休憩の時くらいはと思い馬車の中のメイへと声を掛ける。
しかしメイはやはり暗い雰囲気で、気の無い返事を返すばかり。
結局あの後も魔王からの連絡は無かったようで、時間的にはもう昼過ぎになっていた。本来であればこのあたりでその日2回目の定期連絡が来る頃合いなのだが。
「はぁ……もう……。ほら、外は良い天気ですよー……。」
一向に動こうとしないメイを見かねて、私はメイを尻尾で無理矢理に馬車から引きずり出す。
無理もないが、魔王と連絡が取れないことが余程堪えているらしい。
「……はい、食べながら聞いて下さい。」
引きずり出したメイを、腰掛けるのにちょうど良さそうな岩に着席させて、昼食代わりの干し肉と堅いパンを手に握らせる。
それから南の地図を広げて見せて、私はメイへとこの後の予定について説明を始める。
「今いるのがここ、チョウナ村です。ここで少しの休憩を挟んだ後、次はジナ村を経由してその先のサンナ村まで行くつもりです。」
「予定としてはだいたい6時間くらいのつもりですが、道中で何かトラブルがあった場合は……メイ、聞いてますか?」
私の説明も聞いているのかいないのか上の空といった感じで、渡した昼食も口にせず握ったまま呆けているメイの様子に、私は軽く頭を抱える。
いつもなら鬱陶しく感じている魔王からの定期連絡が、今ばかりは早く来て欲しいと願ってしまう。
「はい、口開けてください。……はい咥えて。……喉、詰まらせないでくださいよ。」
握らせた干し肉とパンを一旦預かり、私はメイへとまとめて咥えさせる。
少ししてメイがもそもそと咀嚼を始めたのを見て、私は説明を再開した。
「本来の日程であれば今日はジナ村で泊まって、明日の朝から移動を再開するのが良いのでしょうけど……折角の霊馬なので、多少暗くても走行可能な点を活かしたいですね。」
少しでも移動距離を稼ぐためというのはもちろんあるのだが、もう1つ夜に移動したい理由がある。それはやはり、他人の目だ。
街道を真っ昼間から幽霊の馬が引く不審な馬車が走っているのだから、すれ違う他の馬車や旅人が驚くのは無理もない。
実際さっきチョウナ村へと近づいた時も、遠くからでも分かるほど村人たちがざわついて居たのが確認できた。
餌も休息も実質的には必要ないとは言え、やはりこの霊馬は地上では目立ちすぎるようだ。
であるならばやはり、他人の目の少ない夜に移動したほうが色々と都合が良いという物。
もちろん、暴走などしてしまわないように私かメイのどちらかは霊馬とドクロを見ている必要があるのだが。
「私達が寝ている間に、目的地まで走ってくれているのが理想ですが……流石にそれは不安が多いので、馬車で眠るにしてもその時は停車しますから、安心してください。」
一通りの説明を終えちらりとメイの様子を確認するが、やはりまだ上の空で食事も途中で止まって全然進んではいない。
このままではこちらまで調子が狂ってしまいそうだ。早急になんとかしなければ。
そういえば巷では今のメイのような鬱状態に対する治療法として、ショック療法なる物があると聞いたことがある。
もちろん私は医者では無いので詳しくはないのだが、要するに衝撃や刺激を与えてびっくりさせれば良いのだろうか。
「……メイ。」
私はメイの名前を静かに呼ぶと、おもむろにメイの左手を取って自分の方へと引き寄せる。
それから私が贈った髑髏の指輪がはめられたその薬指を、自らの右手で軽くつまむと私は小さく口を開ける。
そして──。
かぷり。
とメイの薬指の先端へ、私は軽く噛みついた。
しかしメイがそれでも反応を示さないのを見て、私はそのまま舌先でくすぐるように指の先端を刺激する。
先程まで握っていた干し肉の塩味をほんの少しだけ感じた、気がした。
「っ……!?」
数秒遅れてようやく反応を示したメイが、咥えていたパンと干し肉を口から落として、かなり驚いた表情で私の方を見る。
先程までどこを見ているのかわからなかったメイの焦点が、しっかりと私の方へ向けられている。
これはショック療法成功と言って良いのだろうか。
「ベ、ベレノ……!?な、何してるんだ……?」
困惑気味な声で私へと問いかけてくるメイをじっと見つめながら、私はゆっくりとメイの薬指を口から放す。
「……ようやくこっちを見ましたね、メイ。」
私の唾液で汚れてしまったメイの指を、私はローブの袖で軽く拭ってから再び握り直す。
「え、あ、うん……?ごめん……?」
自分でも何に対して謝っているのかよくわかっていない様子のメイが、ふわふわとした謝罪を口にする。
そんなメイを見て少し笑いながら、メイが落としてしまったパンと干し肉を拾い上げた。
「ぼーっとしすぎですよ……お忘れかもしれませんが、一応この旅は私とメイの二人旅なんですからね?」
じとりとした目を向けながら、私はメイへと食べかけのパンを差し出す。幸い落ちたのは草の上だったので、食べられない事は無い。
「……そうだな、ごめんベレノ。俺、妹の事で頭がいっぱいになっちゃって……。」
パンを受け取ったメイが、そう苦笑しながら再びパンへと齧り付く。
そんな事は改めて言われなくても分かっている。そしてその妹の代わりには私はなれない事も。
「あなたが思い詰めたって、今すぐ連絡が取れるようになるわけでもありませんし……私達は私達の旅を前に進める事を優先して考えたほうが、良いと思いますよ。」
優しく諭すように、私はメイの頭をぽんぽんと撫でながら語る。
心配なのはもちろん分かるが、それで歩みを止めていては進む物も進まなくなってしまう。
それに対し口にパンを咥えたままゆっくりと頷くメイを見て、私は小さく息を零す。
「……まぁ、私を放置した罰としてこの干し肉は没収しますけどね?」
「そ、そんなぁ……!」
先程までメイが咥えていた干し肉を指でつまみ上げ眼の前で揺らしながら笑うと、メイは小さく悲鳴を上げた。
◆◆◆
ゴトゴトと車輪の音を響かせて、馬車は一路海岸線を目指していく。
あの後道中は特に問題もなく、少し前に2つ目の村であるジナ村を通り過ぎた所だ。
時刻は夕方に差し掛かり、サンナ村へと辿り着く頃にはすっかり夜になっているだろう。
ずっと落ち込んでいたメイも一旦は元気を取り戻したようで、馬車の中で剣の手入れなどをしている。
「……メイ。」
「んー……?」
私が何気なく声をかけると、メイは手元の剣に目を向けたまま返事をする。
そういえば今朝はタイミングを逃してしまったが、メイに聞きたいことがあったのだった。
「メイって……女の子が好き、なんですよね?一応。」
「……ん?え?」
いきなり踏み込んだ質問をしすぎたからか、私の質問の意味が理解できなかったのか。
剣の手入れをするメイの手がぴたりと止まって、視線がこちらへ向けられる。
「……ですから、メイは身体は女性ですけど、魂は男性なので……そういう対象はどっち、なのかな……と。」
そういう対象とはもちろん、恋愛対象的な意味での事だ。
現在のメイは、メイ・デソルゾロットという女性の身体にテンセイという男性の魂が宿っている状態、らしい。
故にややこしく、どちらが正しいのか私には判別できない。
「あー、まぁ……そうだなぁ俺的にはもちろん、女の子が好き……なんだとは思うんだけど……。」
「……けど?」
はっきりとは言い切らないような回答に、私は思わず聞き返してしまう。
「正直、俺にもわかんないんだよね……心に従うのが正しいのか、身体に従うのが正しいのか。」
「……少なくとも、まだ俺は一度も男とそういう関係になった事は無いしな。」
そんな風に言って指先で頬をかきながら、メイはどこか照れくさそうに笑う。
つまりはメイが実際に男性と付き合う事になったら、そのままゴールしてしまう可能性も無くは無い、という事だろうか。
それはなんというか、こちらとしては非常に困る。
「……そういうベレノは?……あ、もちろん答えたく無かったら答えなくてもいいんだけどな?」
一瞬考え込んでいる間に、今度はメイが同じような質問を私へと返してくる。
「私は……。」
咄嗟に答えようとして、頭の中で色々な過去の記憶が蘇る。
私の初恋と呼べる記憶は確か5歳頃の時、同じ里に住んでいた同族の男の子だった筈だ。
いや、あれを恋愛感情と呼んで良いのか正直言って定かではないが、酷い結果に終わったことだけは覚えている。
彼はドクガエルが好きらしいという話を人伝に聞いて、私は彼にドクガエルの丸焼きをプレゼントしたのだ。
もちろん私としては好意のつもりで、私自身がドクガエルの丸焼きが好物だった事もある。
だが、彼が好きだったのはドクガエルをペットとして飼う事であり、丸焼きにして食べることでは無かったのだ。
ああ思い出したら、なんかもう……ダメかもしれない。
「ベ、ベレノ……!?大丈夫か!?」
メイに声をかけられて、私はいつのまにか自分が頭を抱えて床に丸くなっていた事に気がついた。
良いのだ、あれはもう遠い過去の話。若気の至り。子供の頃の笑い話だ。気にすることは……気にすることは無い。
「……ええ、大丈夫です。……それで、私はですが……ええと……わかりません。」
私はゆっくりと頭を上げながら、捉えようによっては逃げだと言われても仕方ないような曖昧な回答をしてしまう。
とはいえ実際の所、自分でも良くわからないのだ。
里を出て一人旅を始めて数年、あの日メイに出会うまで私は過去のトラウマもあり、誰かとそうなる事を避けていたように思う。
偶然メイに出会った時だって私は何も本気でメイに一目惚れなどしていたわけでは無い、はずだ。
最初はただの好奇心。他の人とはどこか違う様子のメイの人柄のような物に、少し興味を持っただけだった。
拒絶されればそれまでで、すぐにでもその場を去るつもりで居たのに。
「……単純に、そういう経験が乏しいというのもありますが……。」
見上げたメイの顔が、何故かいつもよりも愛おしく感じられる。
今になって思えば私もまた心の何処かで、独りの寂しさを感じていたのだろうか。
運命に導かれるように出会い惹かれ、大きな秘密を共有して。
いつしか勘違いでしか無かった小さな感情は、抑えきれない程の熱を持った思いへと。
「っ…………好き、になった相手が……たまたま……あなた、だったので……私は。」
何もかもを熱のせいにして、熱に浮かされるように私は強く胸を押さえつけながらぽつりぽつりと言葉を絞り出す。
自分でもはっきりとわかるほどに頬が熱くなっている。このまま爆発してしまいそうだ。
ああ、ダメだ。本当に胸が、苦しく──。
「……あ。」
いつのまにかそんな私と同じくらいに顔を赤くしているメイと、ばっちりと目があってしまう。
言ってしまった。聞かれてしまった。一度出した言葉は、もう戻すことはできない。
そんな私にメイが何かを言おうとしてゆっくりと口を開いた、その瞬間。
「──お兄ちゃん!」
私がメイの答えを拒むように口を手で塞ぐと同時に、聞き覚えのある声がメイの胸元から響き渡った。
突然の魔王の声に驚き、私とメイは互いに見つめ合ったまま数秒の間固まってしまう。
それからゆっくりと私はメイの口から手を離し、どうぞとジェスチャーするように指先を揃えて向ける。
メイは静かに頷いて、胸元から氷鱗のペンダントを取り出した。
「……もしもし雪?今朝は──」
「ごめんお兄ちゃん!連絡くれてたよね!?ちょっと今、魔界が大変な事になっちゃってて!朝からもう──」
そんな食い気味な魔王の返事と共に、氷鱗の向こうから大きな爆発音のような物が聞こえてくる。
どうやら魔王の言葉通り、思った以上に大変な事になっているらしい。
「ああもう!うるッさいなぁ!ごめんねお兄ちゃん!落ち着いたらまた連絡するからっ!愛してる!じゃあねっ!」
何かに対して苛立ったような声を上げたかと思えば矢継ぎ早にそれだけ伝えて、氷鱗からは何も聞こえなくなる。
色々と話したい事もあっただろうに、まともに会話もできず終わってしまったメイがとてもやるせない表情をしている。
「……何か、思ったより大変な事になっていそうですね、魔界は。」
地上以上に争いの絶えない世界であるらしい魔界で、魔王が出向かなければならないほどの大変な事となると、クーデターとかだろうか。
我儘な魔王に愛想を尽かした臣下達が反乱を?あり得ない話では無いが。
先代魔王の支持者達で結成された旧魔王派の首謀者達は粗方投獄されたという話だったから、新手の反抗勢力だろうか。
どちらにせよ今から大急ぎで地獄門まで行ったとしても、とても間に合わない。依然として私達にできる事は何も無いのだ。
「……雪が、俺のこと愛してる、って……。」
去り際にさらりと放たれた魔王からの言葉に強く感涙しているらしいメイを見て、私は小さくため息をつく。
愛していると言われて泣くほど嬉しいのなら、私が毎日でも耳元で囁いてさしあげますけど?
なんて心の中では強がって見せるが、実際そうしてほしいと言われたらきっと、私は恥ずかしくて言えないのだろう。
「……良かったですね、お兄ちゃん。」
◆◆◆
馬車は走り続けて、すっかり日も落ちて少しした頃。私達は今日の最終目標地点であるサンナ村へと辿り着いていた。
今朝ナリマの街を出発してから実に約半日もの間、たった1度の休憩を挟み後は只管馬車に揺られ続けた私の身体は、何だか尻尾の先端の感覚が振動で麻痺しているような気さえする。
サンナ村に宿屋などは無かったがやはり馬車が来るのには慣れているらしく、村人に村はずれのキャンプ地へ行くように案内された。
そこでは既に何組かの旅人や行商人らしき人々が、大きな焚き火を囲んで陽気に呑んだり歌ったりしているようだ。
私とメイもその輪に加わって、そこで夕食を摂る事にした。
「キャンプファイアーかぁ……良いよなぁ、こういうの。」
「……好きなんですか?焚き火。」
どこかうっとりしたような表情で大きな焚き火を見つめるメイの横顔を見ながら、私は問いかける。
メイの美しい金の髪が、焚き火の踊るような炎の明かりに反射してキラキラと輝いている。
「焚き火が、っていうより……この雰囲気?皆で楽しくワイワイと盛り上がってさ。」
「……何か1つの事を一緒にやっているわけじゃないけど、こうして火を囲んでると、なんとなく一体感みたいな物を感じるから。」
そうメイに言われて、私は少し他のグループを観察する。
只管呑んでいる者、楽器を演奏したり踊ったりしている者。あるいはメイのようにじっと焚き火を見つめている者。
皆それぞれに別の事をしているようだが、共通して皆どこか楽しそうな雰囲気なのは何となく理解できた。
「あー……焼きマシュマロ食いてぇ……。」
焚き火を見つめていたメイが、ぼそりと謎のワードを口にする。恐らくまた異世界の食べ物だ。
「……何です?それ。」
聞いても理解できない事はわかっていながらも、私はメイへと問いかける。
「ええと、焼きマシュマロっていうのはこういうキャンプファイアーとかの時の定番の食べ物で……まずマシュマロっていうのが……。」
いつものように異世界の食べ物の説明をしてくれるメイの言葉が、途中で不意に止まる。
私はそれを不思議に思って、少しメイの顔を覗き込む。
するとメイは口元に手を当てながら、何やら怪訝そうな顔をしていた。
「……冷静に考えたら、マシュマロって何だ?」
物凄く真剣な顔でそんな事を言い始めるメイに、私は思わず困惑する。
それは、哲学的な話だろうか?
「メイが知らないのに私が知るわけ無いでしょう……。どんな食べ物なんです?」
「えっと、だいたいこのくらいの大きさで……白くて、もちもちっていうかふわふわっていうか……で、甘くて口の中で溶ける、お菓子……?」
指で大きさを表現するように輪っかを作りながら説明するメイの声を聞き、私は何となくのイメージを思い浮かべる。
それ程大きくはなくて、白くて柔らかくて甘いお菓子。一致する特徴はクリーム系だが、弾力がないのでもちもちとは言い難い。
「甘いという事は、やはり砂糖でできているのですか?」
「うーん……砂糖は入ってると思うんだけど、どうやって作ってたんだろうか、あのもちもち……。」
メイですら製法を知らない異世界の食べ物が存在するという事に驚きつつも、そんなどうやって作られたのかも不明な物を平気で口にできる食文化に少し恐怖のような物を感じる。
恐るべし異世界。恐るべし、ましゅまろ。
そんな事を考えていると、酔っ払った様子のドワーフの男がどこからかこちらへ近づいてきた。
「ぃよう!姉ちゃん達!呑んでるかァ~~?!」
既にかなり出来上がっている様子の茶色いヒゲをしたドワーフの男は、そのゴツゴツした両手に目一杯のジョッキ樽を握り、その太い二の腕にはワインらしき酒瓶を抱えている。
どうやらこのキャンプ地の人々にお酒を配って歩いているようだ。
「あ、いえ私達は……。」
「なんでぇ!呑んでねぇじゃねぇの……ヒック!こんな楽しい夜に呑まねえなんてバカだぜバカ!ガハハ!」
お酒を断ろうとした私の前へと、そう言ってワインの入ったジョッキ樽を2つやや乱暴に置くドワーフの男。
どうしたものかと隣のメイの様子を伺うと、メイは既に置かれたジョッキ樽へと手を伸ばしていた。
「では、お言葉に甘えて……いただきますわ!」
そう言ってメイはドワーフの男へ軽く会釈をすると、一気飲みでもするような勢いでジョッキ樽を傾ける。
メイがお酒を飲むなんて珍しい事だが、この賑やかな雰囲気にあてられての事だろうか。
「おお~!いい呑みっぷりだぜ姉ちゃん!ほぅれもう一杯サービス!」
豪快なメイの呑みっぷりに気を良くしたドワーフの男が、さらに追加でワインを注ぐ。
それから何も言わず、メイと共に私の方へと視線を向けてくる。
ああ、もう。わかった、わかりました。
「……では少しだけ。」
軽くジョッキ樽を掲げてから、口へと傾ける。
芳醇なワインの香りが口いっぱいに広がって、少しの甘さを感じるような後味。
お酒と言うよりはジュースに近いような物なのだろうか。これならば何杯でも飲めてしまいそうだ。
「ぃヨシ!楽しめよぉ~!ガハハハ!」
私がお酒を飲んだ事を確認すると、ドワーフの男はまた豪快に笑って他のグループの方へとふらふらと歩いて行った。
一体あのドワーフは何者なのだろうか。ただの酒好きのおじさんなのかもしれないが。
「……結構美味いな、これ。」
「……ええ。そうですね。」
ドワーフの男が去った後で残りを口にしながらそんな感想を述べるメイに、私も同意する。
だからと言って飲み過ぎには注意をしなければならないのだが。特に私は。
「ベレノって、実はお酒好きだったりするのか?」
「どうでしょう……気分が乗った時や、付き合い程度に飲むことはありますけど……。」
そんな他愛のない会話をしながら、ちびちびと飲み進める私とメイ。
「じゃあやっぱり、あんまり酒に強くは無いんだな。」
「なんですか、やっぱりって……。」
そう言って苦笑するメイに、私は小さく首を傾げる。
メイの前で酔い潰れるほど飲んだ事なんて、あっただろうか。
いや、お酒で記憶が飛んで覚えていないだけかもしれないが。
「だってほら、ベレノって酔うと色々と……なぁ……?」
「色々と……なんです?」
何故か途中で言うのを止めたメイの腰に私は尻尾を引っ掛けて、ぐいぐいと圧をかける。
言うのも憚られるような悪い酒癖など、私には無い筈だ。多分。
「……やっぱ何でもない。忘れてくれ。」
「むう……。」
はぐらかすようにそう答えるメイに、私は少し頬を膨らませて拗ねる。
ああいけない、少し酔いが回ってきただろうか。
隣のメイの体温と焚き火の暖かさが、急激な眠気を誘ってくる。
「……ベレノ、眠いか?」
眠たげな私の様子に気がついたメイが、そっと声をかけながら私の腰へと手を回してくる。
そんなメイへと私は甘えるように軽く身体を横に傾けて、小さく頷いた。
ちゃんと眠るのなら、もちろん馬車に戻ったほうが良いのは分かっている。
だけど今はこの心地よい温もりを、離したくない。
「じゃあ、馬車に戻る時起こすから……寝ててもいいぞ。」
優しい声色でそう微笑むメイの甘い誘惑に抗えるはずも無く、私はそのままメイに頭を預けて静かに目を閉じるのだった。
「……おやすみ、ベレノ。」