第6話『もっと。』
ざっくり登場人物紹介
ベレノ:ベレノ・マレディジオネ。23歳。身長はだいたい160cmくらい。今作の主人公。黒いボサ髪に紫の瞳を持つ、ラミア族の呪術師の女性。勇者パーティのリーダーであり親友であり弟子であるメイにクソデカ感情を抱いている。ボディタッチ(尻尾巻き付け)は良くするくせに、言葉では言わないタイプのこじらせラミア。言葉より行動で示したいタイプ。
メイ:メイ・デソルゾロット。18歳。身長は162cm。『それでも俺は妹が一番可愛い。』の主人公。ドシスコンの社会人男性、ホムラ テンセイの魂を持つ勇者系金髪お嬢様。天然たらしの側面があり、ベレノの情緒を狂わせる。しかしこっちはこっちでだいぶこじらせている。一生懸命だけど、あまり深くは考えていないタイプ。
アルシエラ:アルシエラ・ドラゴなんとか。見た目は12歳だが、実年齢は不詳。身長147cm(角を含まない)。またの名を、ホムラ ユキ。メイの前世にあたるテンセイの妹。今は魔王をやっている。愛しの兄が大変なことになっているが、今回は出番がない。
リリヤ:リリヤ・フェルトラウエン。年齢不詳。身長172cm金髪長身なエルフ族の女性。先代勇者パーティの回復魔法使いにして、魔法先進都市マジコールの長。人懐っこさが大型犬みたいな人。先代勇者の事はお姉様と呼び慕っていた。人の恋路は応援したいタイプ。
第6話『もっと。』
ナリマの街で再会したリリヤの案内で、大婆様の手記にあったジマの都の跡地へとやってきた私達。
供えるための花を摘んでくるというリリヤとは一旦、別行動をすることになった私とメイはジマの都の中を散策する事に。
その途中、とうの昔に廃墟となったジマの都の中で1匹のゴブリンと思わぬ遭遇をしてしまったのだった。
「……あなたはつくづくゴブリンと縁がありますね。」
「お、俺のせいか!?」
不意に遭遇したゴブリンの手に武器代わりであろう鉄くずが握られているのを見て、私が静かに杖を構えるとメイも少し遅れて、腰に下げたミスリル銀の剣を抜く。
私は眼の前のゴブリンから注意を逸らさないようにしつつも、素早く周囲を確認する。
どうやら他にこの個体の仲間らしきゴブリンの姿は見当たらないようだ。
それならばさっさと仕留めてしまおうと、私が詠唱を開始したその瞬間。
「っ……待った!」
突然隣から飛んできたメイの掌が、私の口を塞ぐ。
「何です?!」
その掌を押しのけながら、私はメイへと少し大きな声で問いかける。
まさか今更魔物と戦うのが怖くなったわけでは無いだろう。
だとしたら、他者の命を奪う事にまだ抵抗があるとか。
「いや、あの……これが街から街へ繋がる道の途中とかだったら、もちろん倒さないといけないのはわかってるんだけど……。」
「……つまり?」
何か遠回しな言い訳をするように語り始めるメイに、私は結論を急かす。
「だから、えっと……なんとか命を奪わずに済ませられないか?」
「……はぁ。」
メイの口から出た、あまりにも甘い言葉に私は小さくため息をつく。
対峙しているゴブリンも、構えるだけで全然攻撃行動に移らない私達に困惑気味な様子だ。
言いたいことは色々とあるが、今は眼の前の問題をどうにかしなければならない。
もちろん最適解は今すぐにこのゴブリン1匹を仕留めてしまう事なのだけれど。
「峰打ちでもしますか?その両刃の剣で。」
「うぐっ……け、剣の横面で殴るとか……?ダメ……?」
提案したは良いものの具体的な方法を何も考えていなかったらしいメイへと、私は冷ややかな目を向けて再び小さくため息を零す。
例え剣の腹でもメイの力でぶん殴られたら、多分下手に斬られるより苦しむことになると思いますよ、あのゴブリン。
「具体的な方法が思いついて無いなら、変な事言わないでください!」
私が少し大きな声を出して、尻尾の先端をぴしゃんと強く地面へと叩きつけると、メイが小さく怯える。
それをチャンスと見たらしいゴブリンが、獣のような雄叫びを上げながらこちらへと飛びかかってくるが、咄嗟にメイが割って入る。
「っ!……こんにゃろっ!」
ゴブリンの鉄くずによる一撃を剣でしっかりと弾いたメイは、即座にゴブリンを蹴り飛ばした。
勢いよく地面へと転がるゴブリンだが、その程度ではもちろん戦意喪失には至らない。
すぐに立ち上がり、より興奮した様子でこちらへ鉄くずの先端を向けている。
こうなっては仕方がない。あまり使いたくはないが、アレを使うしか無いようだ。
「……私が良いと言うまで後ろを向いていてもらえますか。」
「えっ?で、でも……!」
「わかりましたね?」
背を向けておいて欲しいという私の言葉の意図がいまいち掴めない様子のメイに、私は少し強めに圧をかけて半ば無理やり後ろを向かせる。
そして静かに詠唱を開始すると、長杖の頭部分をゴブリンの方へと向ける。
ゴブリンはその動作に何か嫌な予感を感じ取ったのか、焦った様子で再びこちらへと迫ってくる。
だが、私の詠唱はそれよりも早く完了した。
「……!!!?」
今さっきまで強い興奮状態にあったはずのゴブリンが何かに驚いたように立ち止まり、次第に震え始める。
そんなゴブリンへと私が少し尾を進めると、その表情は一気に強い恐怖の色へと変わり、手にしていた鉄くずを落っことした。
「ベレノッ……!?」
「……まだ、振り向かないでください。」
鉄くずが落ちた音に驚き様子を伺おうとするメイに釘を刺しながら、私はゆっくりとゴブリンへと近づいていく。
私とゴブリンの距離が近づけば近づくほど、ゴブリンは恐怖に怯えたように震え上がり──やがて泡を吹いてひっくり返った。
ゴブリンが確実に気絶をしたことを確認するように、私はゴブリンを杖の先端で軽くつつく。
どうやら完全に意識を失っているようだ。
「……はぁー……。」
ゆっくりと目を閉じ目頭を指で強く抑えながら、私は大きく息を吐いてその魔法を解除する。
これを使うと目が疲れるし、何より……メイには見られたくない。
「……もう良いですよ。こっちを向いてもらっても。」
「お、おう……、……どういう状況?」
メイへと私が呼びかけると、メイは恐る恐るといった様子でゆっくりと振り向き、泡を吹いて気絶しているゴブリンを見て訝しげな表情をする。
さっき私が使ったのは、蛇睨みという呪術系の魔法だ。
自らの目に魔法をかけることで、その目を見てしまった者全てへ強い恐怖の感情を与える、という物。
野生動物を追い払ったり、ゴブリンのような低級の魔物を竦ませるのには良いが、あまり使い所は多くない。
それにこの魔法の最も扱いにくい点は、この恐怖を与える対象が無差別である事。
目があってしまえばそれが敵だろうが味方だろうが関係なく、その対象の目には術者の姿がひどく恐ろしい物に見えるのだ。
「ご注文通り、命を奪わずに無力化しましたよ……とはいえ、一時的にですが。」
「さ、流石ベレノ!やっぱ頼りになるな!」
ゴブリンから私がどんな姿に見えたのかはわからないが、恐怖のあまり失神してしまう程の物だった事は確かだ。
そんなある意味ではとても恐ろしい魔法がもしメイにかかってしまったら。
もしメイが私のことを今後ずっと恐怖に怯えた目で見るようになってしまったら。
私はそれが恐ろしくて、メイに後ろを向くように指示をしたのだ。
「……とりあえずここから離れましょう。近くに他のゴブリンが居ないとも限りませんし、今は気絶しているあのゴブリンもそのうち目を覚ますでしょうから。」
「そうだな!急いでリリヤさんとも合流しよう。もしかしたらリリヤさんもここにゴブリンが住み着いてる事、知らないかもしれないしな。」
そうして私とメイは再び手をしっかりと繋ぎ直すと、その場を逃げるように後にしたのだった。
◆◆◆
「……それで、さっきは何故あのような事を?」
ゴブリンと遭遇した現場から離れ、一度馬車を止めた方へと戻りながら私はメイへと問いかける。
別にあの場でゴブリンを倒してしまっても問題はなかった筈だ。
「あー……えっと。なんていうか、ほら……街の近くとか、人が通る場所で出くわしたならともかく、今回は俺達の方からここに来たわけだろ?」
「……そうですね。」
言葉を選ぶように苦笑いを浮かべながら、メイは私へ弁明を始める。
「それってゴブリンからしたら、いきなり自分の家に強盗が入ってきたみたいな感じだろ?だからなるべく穏便に済ませたかったっていうか……。」
「……優しいのですね、あなたは。」
そんなメイの言葉に、私は少しだけ衝撃を受ける。
魔物の立場になって考えてみたことなど、私には無かったからだ。
もちろんメイの考え方は、言葉など通じない相手との命をかけた戦いにおいては、あまりに甘い考えである事はわかっている。
「……まぁ、そうですね。ここからナリマまでは2時間程離れているとは言え、下手に刺激をして他の集落や街道に出られても困りますし……メイの判断もあながち間違いでは無いのかもしれません。」
「……!そ、そう!そうなんだよ!」
メイの意見をフォローするような私の言葉に、メイはやや怪しく同調する。
その反応、絶対そこまでは考えていませんでしたね。
「い、いやぁ流石ベレノ!俺の事良く分かってる!」
「……それはどうも。」
まるで機嫌でも取るように褒めてくるメイの手を、私は少し強く握り直す。
私はまだまだ、あなたの事をもっともっと知りたいんですよ。そして私のことも、もっと知ってほしい。
なんて事を考えながらメイの顔を横目に見ていると、ふとこちらを向いたメイと目があった。
「……ん?どうした?ベレノ。」
咄嗟に目を逸らした私に、メイは足を止めて不思議そうな反応をする。
不思議と高鳴る心臓を押さえつけるように、私は自分の胸に強く手を押し当てた。
何でも無いと言うのは簡単だけど、いつまでもはぐらかすばかりでは前に進めない。
いつか伝えなければならないのならそれはきっと、早いほうが良い。
私は小さく息を吸って、言葉を考えるより先に口を開く。
「っ……わ、たしは……もっと……あなたのっ……メイの事が、知りたい……です。」
自分でもちゃんと伝わるかもわからないほどの声量で、私は言葉を絞り出す。
頬が熱を持ち、じわりと眼に涙がこみ上げるのを感じながら、私の目は地面だけを見つめる。
伝えるだけで精一杯な私には、メイの顔を見てその反応を確かめる勇気が無いからだ。
そんな私の目から涙が零れ落ちそうになった時、不意に差し伸べられたメイの手がそれを拭った。
「……俺も。俺もベレノの事、もっと知りたいし……もっと仲良くなりたいと思ってるよ。」
そっと私の両頬をその両手で包み込むようにしながら言うメイに、私はゆっくりと顔を上げる。
するとそこには、どこか照れくさそうに笑うメイの顔があった。
そのメイの表情を見た途端、私の視界は一気にぼやけた。
「な、泣くこと無いだろ……!?」
「ん……ふ、ふふっ……!」
おろおろと慌てふためきながら、わけもわからず私の頭などを撫でてくるメイに、私はつい笑ってしまう。
きっと魔王が泣いたときも、メイはこうやって頭を撫でていたのだろう。
「ふふっ……こういう時は、こうするんですよ……?」
私はメイの手をそっと取ると、自分の背中側へと誘導する。
そして自らもメイの背中へとしっかり腕を回して、思い切り抱きしめる。
二人の間に挟まった、メイの軽鎧のひやりとした感触が少しもどかしい。
だけど今はまだ、それでもいい。いずれは、必ず。
「……も、もう泣き止んだか?」
しばしの間私を懸命に抱きしめていたメイが、やがて恥ずかしさに耐えられなくなった様子で声をかけてくる。
欲を言えばもう少しこうしていたいけれど、今はリリヤが待っている。だから──。
そんな事を考えながらも何やら前方から視線を感じ、メイの首元からふと顔を上げると、そこにはガレキの陰からこちらを見守るリリヤの姿があった。
「……ええ、もう大丈夫です。ありがとうございます。……それよりメイ、ほらあそこに。」
そう言いながら私はそっとメイから離れると、リリヤの方を指さした。
一体いつからリリヤに見られていたのだろうか。まさか最初から?
やがてリリヤがどこか楽しそうな顔で、ゆっくりとこちらへ近づいてくる。
「うふふ……お邪魔しちゃったかしら~?」
「リ、リリヤさん……いつからそこに?……ってああ、そんな事よりも実は──。」
ニマニマと笑うリリヤに、メイはどこか気恥ずかしそうにしながらもゴブリンの件を説明する。
「まあ、そうなの~?それも仕方ない事よね……ここに訪れる人なんて滅多に居ないでしょうし。」
「どうします?……俺的には、下手に刺激しない方が良いかと思うんですけど……。」
リリヤは摘んできたらしい花の束を小脇に抱えながら、少し考えるような仕草をする。
大事な思い出の地を魔物に好きにされたくないという気持ちもがあったとしても、もちろん理解できる。
「そうね~……そっとしておきましょうか。……ここにはもう、思い出しか残っていないもの。」
そのミントグリーンの瞳で、リリヤはかつてのジマの都を憂うように見つめた。
◆◆◆
あの後私とメイはリリヤに連れられて、ジマの都の中心部にあたる場所へとやってきていた。
中心部には円形の大きな広場のような物があり、そこから四方八方へと大通りが伸びていたらしい。
そして広場の真ん中にはすっかりと枯れ果て苔むした噴水らしき建造物と、その中央に建つ何かの像。
噴水と同じように殆どが苔に覆われていたり、経年劣化によって崩れ落ちたりしてしまっている。
「これって……噴水、ですかね?後は何か……獣の石像?」
苔だらけの噴水の中へと花を供えるリリヤに、メイが謎の像を見上げながら問いかける。
像は何か4本脚の獣のような形に見えるが既に頭部が欠損しており、その正体が掴めない。
「ああ、それはね……ドラゴンの像よ~。」
「ドラゴン?ドラゴンって……あのドラゴン?」
リリヤからの回答にメイは胸の前で奇妙な3本指のポーズをしながら、確認するように問い返す。
「ジマの都が現存していた頃には、まだドラゴンが居たのですか?」
「いいえ~。少なくとも私の祖母が生まれた時には既に、ドラゴンは絶滅してたとされているわ~。」
「えっ?この世界って……ドラゴン居ないの?!」
私の問いかけに対するリリヤの答えに、私とメイはそれぞれ別の意味で驚く。
エルフであるリリヤの祖母の代と言うと、下手をすると1000年は前になるのではないか。
そもそも私にとってのドラゴンは、お伽噺に登場する架空の存在……だった。
あの時闘技場で、動くドラゴンの死骸をこの目で目撃するまでは。
「メイの前の世界には居たのですか?ドラゴンが。」
「あっいや、そういうわけじゃないんだけど……俺はてっきり探せばどっかに居るもんだと思ってたから……。」
「うふふ、そうね~。世界の隅まで探せば居るかも知れないけれど……少なくともここ何百年も、目撃されたって話は聞かないわね~。」
やはり生きたドラゴンは既にこの世には存在していないのだろうか。
それでも、屍となってもなお恐ろしい程の存在感を放つドラゴンが、かつては当たり前に生きていた時代があったと思うと、中々感慨深い物がある。
「うーん……だったら何で、ジマの都にはドラゴンの像が?」
「ええとね~……すっごく古い神話なんだけど……この世界は、1匹のドラゴンによって産み出されたってお話があるの~。」
そうしてリリヤは古い神話の断片的な物語を語り始めた。曰く──。
世界の始まりには、一匹の龍が存在した。
龍は天と地を創り出し、そこに多種多様な種を生み出した。
少しして世界は魔力に満ち、龍はその地に様々な奇跡を授けた。
それは後に魔法と呼ばれる物であったとされている。
始まりの龍はしばらくの間自ら世界の発展を見守っていたが、やがて眷属であるドラゴン達を残し、その姿を見せなくなった。
人々は嘆き悲しんだが、その後は龍のもたらした魔法という奇跡と共に各々の文明を発展させて行ったのだと言う。
「何かすごい壮大な話だな……始まりの龍、かぁ……。」
「……ん、それで思い出したけどこの世界の曜日って、角の日とか牙の日とか……その始まりの龍やドラゴンに関係する名前なんだっけ?前にモニカに教えてもらった気がする。」
私はメイの言葉でハッとして、指折り数えながら改めて曜日を確認する。
角、牙、爪、鱗、翼、尾、瞳……確かにドラゴンを構成する要素ばかりだ。
生まれた時から当たり前に使われていたので、曜日の名前に何も疑問を感じた事など無かった。
というかモニカに教えてもらった?いつ?どこで?いやそれより何故モニカがそんな事を知っていたのか。
エルフであるリリヤが古い神話と言うくらい昔の、私だって知らなかった神話だ。
「そうね~。ドラゴン信仰だったり……そういう龍に関する文化や風習っていうのは、ドラゴンが絶滅した後でも結構多く残されているわね~。」
「興味深いですね……ここ、ジマの都もまたそういった文化や風習があったのでしょうか。」
そう言いながら私は改めて、苔むしたドラゴン像を見上げる。
ドラゴンだと言われてから見てみると、確かにそれっぽく見えなくも無い気がする。
「そうかもしれないわね~。……始まりの龍は、この世界の全てを作り出した存在とされているから……ジマの都は龍に生み出された全ての種を受け入れる、という意味合いがあった……のかもしれないわね。」
リリヤはそのドラゴンの像に向かって両膝をついて跪くと、胸の前で手を組んで祈り始める。
私とメイは一瞬顔を見合わせた後、リリヤを挟むように両隣に跪いて一緒に祈った。
確かに昔ここで起きた悲劇は、今はもう多くの人々に忘れ去られてしまっているのだろう。
それでもその悲劇とそれをどうにか救おうとした人たちの行動は、決して無駄だったわけではない。
ラミアや獣人、鳥人の為の薬が作られたりと、今という時代の確かな礎になっているはずだ。
「……付き合わせちゃってごめんなさいね~。日が暮れる前に、ナリマに戻りましょうか~?」
「いえ、そんな……俺、ジマの都に連れてきてもらえて、良かったです!」
「……私も。ありがとうございました。」
しばしの黙祷を終えた後、そんな事を言って苦笑するリリヤに私とメイは感謝の言葉を述べる。
ナリマの街でリリヤと再会したことは、偶然ではなくもっと何か運命的な……などと考えるのは、少し考えすぎだろうか。
◆◆◆
ナリマから来る時に来た道を辿って、馬車に揺られる私達。
折角なのでリリヤに色々な話を聞かせてもらいながら、これから行く予定の場所の情報も貰う事に。
「大婆様からの手紙に記された思い出の地は5箇所です。1箇所目がさっきのジマの都で後は……。」
「んーそうねぇ……この中で私が分かるのは、ジマの都と後は……この港町レイヴィアかしら。後は知らないわね……ごめんなさいね~、あまり力になれなくて。」
リリヤへと手紙を見せるも、残りの4箇所中1箇所にしか心当たりが無いらしい。
それでも全く情報がないよりは、全然ありがたい。
「いえ、ありがとうございます……。」
「多分だけれど、残りの場所は……お姉様達のパーティが解散した後に行ったのだと思うわ~。」
先代の勇者パーティが解散した後も、大婆様は今の私とメイのように二人で旅に出ていたという事だろうか。
とにかく今は分かる所から埋めていくしか無い。となれば次の目的地は当然レイヴィアになるの、だが。
「……そのレイヴィアっていうのはもしかして……?」
私とリリヤの会話を聞きながら地図を眺めていたメイが、地図を広げてこちらへと向けてくる。
よく見るとその地図には、海岸線らしき物は載っていなかったのである。
つまり、次の目的地であるレイヴィアは今持っている地図の範囲外に位置しているという意味だ。
メイがリリヤへ助けを求めるようにちらりと目線を送る。
「そうね~、その地図には載っていないけれど……ナリマからまっすぐ南に下っていけば着くはずよ~?」
「……ちなみに距離としてはどのくらいですか?」
「そんなに遠く無かったと思うけれど~……3日くらいかしら~?」
「3日!?」
思わず声に出して驚くメイと同じくらいに、私も内心で驚く。
想定していたよりもずっと遠いのもそうだが、それを遠くないと言うリリヤにも驚かされる。
3日は十分遠い距離だと思うのだけれど。やはりエルフの時間感覚は信用してはいけない。
「ち、ちなみにそのレイヴィアまで、リリヤさんの魔法で送ってもらったりなんかは……。」
あまりの遠さに慄いたメイが、胸の前で小さく手を合わせながらリリヤへと伺いを立てる。
そういえばリリヤは転移魔法が使えるのだったか。
「え~?できなくはないけれど~……それってきっと、旅の楽しみが減っちゃうと思うのよね~。」
リリヤは一瞬ちらりと私の方を確認するように見て、メイからの要望をやんわりと断る。
「……そうですよ、メイ。これは大婆様の旅路を巡る旅でもあるんですから、目的地につければ良いって物でもありません。」
「うぐっ……そうだよな……ごめんベレノ。」
私がそっとメイの隣に移動してそう諭すと、メイはがっくりと項垂れながらも小さく謝罪する。
そんなメイの頭をそっと撫でながら、私はリリヤへと視線を向けて小さく会釈した。
理由はわからないが、この人は私の味方なのかもしれない。
「ふふ、そうよ~。旅の途中で色んな物や景色を見たり、食べたり。お互いの好みについて話し合ったり……ね~?」
楽しそうに笑うリリヤを見ながら、私はそっとメイの身体に尻尾を巻き付けるのであった。
◆◆◆
ジマからの帰り道、たっぷりとリリヤとのお喋りを楽しんだ私達。
無事にナリマの街についた頃には、少し日が傾き始めていた。
「じゃあ、私はそろそろマジコールに帰るわね~。二人とも……あんまり仲が良いからって、喧嘩はしちゃダメよ~?」
「はい!リリヤさん、ありがとうございました!」
今からマジコールへ転移魔法で帰るというリリヤが去り際にそんな事を言ってくるのに対し、メイは元気よく返事をしてお辞儀をする。
「……リリヤさんもお元気で。」
数時間前より少しだけ好印象になったリリヤに私が小さく手を振ると、リリヤはぐっと親指を立てて応える。
やがてリリヤは転移魔法の眩い光に包まれて、マジコールへと帰っていくのだった。
「……さて、とりあえず今晩はこのままナリマで一泊、ですが。」
「……ですが?」
ぱんっと小さく手を叩きながら、私はメイへと語りかける。
宿に泊まるとなれば勿論宿代がかかるのだが、メイのコメ農家の夢を叶えるためにもここは節制をしていきたい。
となれば──。
「行きの馬車の中でも言った通り、この先はなるべく節制をしていきたいのです。」
「なる、ほど……?つまり?」
イマイチわかっていない様子のメイの手を引いて、私は宿屋の方へと進み始める。
「……できれば、宿代も節約したかったのですが……流石に厩で寝るのはその……臭いが。」
「まぁそれはそうだな……。」
宿代と色々な事情で眠れない事を天秤にかけた結果、今回は宿を取ることにした。
嫌でもこの先、馬車で眠らなければならない時はあるだろうし。
「というわけで、今日はここに泊まります。」
私がメイを連れて辿り着いたのは、営業しているのかも怪しい如何にもといった雰囲気の安宿。
ジマの都へ行くための情報収集ついでに、今夜の宿をリサーチしておいたのだ。
もちろん食事なんてついてはいないし、1階部分に酒場も無い。本当に泊まるためだけの宿屋である。
宿屋の入口にメイを待たせて、私はカウンターの片隅に置かれた錆びついたベルを一度だけ鳴らす。
すると少ししてカウンターの奥から、中年の人間の男性が仏頂面で姿を現した。
「……すみません、今日2人泊まれますか?」
そう問いかけるとその男性は手元の宿帳をめくって確認した後、私とメイをじろじろと観察するように交互に見てくる。
女の二人旅がそんなに珍しいだろうか。いや、これはもしかすると──。
「……悪いが、二人部屋は満室だよお嬢さん達。……ああ、だけど一人部屋2つなら用意できそうだ。」
男性はそう言って、不敵な笑みを浮かべながら二本指を立てて見せる。
私はその男性の行動に不信感を抱き、壁にかけられた料金表をちらりと確認する。
やはりこの宿、二人部屋1つよりも一人部屋2つの方が料金がおよそ4割ほど高い。
この男性は私達をカモろうとしているのだと確信する。
「そうですか、残念です……では他を当たります。」
そうはさせまいと、私は一旦この宿での宿泊を諦めるような素振りを見せる。
「おおっと、良いのかい?今から宿を探したって、この時間じゃもうきっと見つからないだろうさ。」
メイと私がこの辺りの住民では無いと踏んで、不安を煽るような言葉をかけてくる男性。
きっと普段からそうやって旅行客などをカモにしているのだろう。
「……ではこういうのはどうです?私と彼女は一人部屋に2人で泊まります。」
「お嬢ちゃんそれは──。」
「その代わり、部屋の料金を一人部屋の2割増しで払いましょう。」
一人部屋に2人で泊まるという無茶な要望に、当然拒否をしようとする男性へ私は二本指を立て返して、その開きかけた口を閉じさせる。
素泊まりするだけの安宿故に、実際は一部屋に何人泊まろうが関係はないのだ。
むしろ一部屋貸すだけで2割増の料金がもらえるのだから、宿屋側には利益しか無いとさえ言える。
「そうすれば空いた一人部屋にもう1人泊められて、さらに儲けが上がりますよね?」
ダメ押しのようにそう付け加えると、男性は少し悩んだ後で私の案を了承するように頷いた。
2割増で払った所で、部屋を2つ取らされる事に比べたら随分と安く上がる。
だが一度了承した筈の男性がわざとらしく何かを思い出したように宿帳をペラペラと捲り、再び私の方を見る。
「……おっといけね!よく見たら──」
「まさか今更実は二人部屋が空いていたなんて事、おっしゃいませんよね?」
男性の口から放たれるであろう次の台詞を予測して、私は念を押すように問いかける。
いかにも図星だったようで、男性はしばし口を開けた状態のまま固まった後、ゆっくりと項垂れた。
「……お嬢ちゃんには負けたよ。……二人部屋を1つでよろしかったですかね?」
降参だと言うように手を上げながらも、しれっと二人部屋へと変更しようとする男性。
当然、一人部屋の2割増よりも二人部屋の通常料金の方が高く取れるからだ。
その商魂たくましい姿に、どこかの女狐を思い出して少々腹がたった私は、余計なこととは思いつつも追撃を開始する。
「ええ。……ですが、まさかカモろうとした相手に通常料金を支払わせるつもりではありませんよね?」
「お、おいおい……勘弁してくれよ……ウチみたいな安宿でさぁ……?」
目を細めジトリとした視線を向ける私に、男性は狼狽えながらもなんとか損をしないように切り抜けようとする。
しかしその程度で追撃をやめるほど、私は生易しくはない。
「……ここだけの話、後ろの彼女はこの辺り一帯の領主であるデソルゾロット家と強い繋がりのある貴族のお嬢様です。」
メイに聞こえないように声を潜めて、私は店主へとそっと語りかける。
すると店主の耳がぴくりとデソルゾロットの名に反応を示す。
真実味を持たせるためにあえて関係性をぼかしたが、私は嘘は言っていない。
「へ、へえ……?それがどうしたってんだい……。」
「……現在はお忍びで旅行中なのですが……もしこの宿が旅行客相手に不誠実な行為を行っていると知ったら、彼女はどうするでしょうか……?」
明らかに反応を示しても尚、強がるように何でも無さそうな態度を貫く男性へ、私はそう続ける。
途端、男性の口の端がビクビクと吊り上がり、激しい動揺を見せ始めた。
「実は今日ナリマの街に来る時に、門番の方達にも止められましてね……幸い、すぐにご理解いただけたようですが……。」
「……ですので、お嬢様をお疑いになられるのでしたら、その方達をここに呼んで証言してもらっても私は構いませんが。」
「もっ、門番を?それは……ちょっと……。」
何か門番に来られてはまずい事情でもあるのか、男はごにょごにょと声が小さくなっていく。
ここまで来たら、陥落まではもう一押しだ。
「は、8割……通常料金の8割で!どうか……っ今回のことは……!」
「……仕方ありませんね。私としてもあまり事を荒立てたくは無いのですが……。」
通常料金の8割を提示してくる男に、私は静かに入口のメイへと手招きをする。
不思議そうな顔をしながら近づいてくるメイの姿に、男性は激しく目を泳がせる。
「……っ半額!半額で結構です!すいません!二度と!二度としないと誓いますので……!はい!」
男性は宿帳へと強く押し付けるように全力で頭を下げながら、私にだけ聞こえるような小声でそう宣言する。
途中から少し楽しくなってしまっていたが、流石に追い詰めすぎただろうか。
しかし悪どい商売をしていたことは事実なので、反省を促せたのならそれも良いだろう。
私はメイへと掌を向けて、その場で静止するように伝える。
「では……今晩、二人部屋を1つ。お願いしますね。」
「ううっ……!はい……お待ちしてます……。」
勝利の鐘とばかりにカウンターのベルを高らかに1度鳴らして、私はメイと合流する。
「メイ、無事に部屋が取れましたよ。安宿なので食事は出ませんから、早速買いに行きましょう。」
「お、良かった良かった。今晩は何を食べるかな……。」
途中で待たせていたメイに声をかけて、私達は一度宿を出る。
今日の夕飯となる物を調達しに行くためだ。
「……どこかで食べるのでも良いですよ?」
「え?何だ、気前がいいな……節制は?」
勝手にメイの家の名前を使った事に対するちょっとした罪滅ぼしのつもりで提案したのだが、やはりメイ的にはそこが引っかかってしまうらしい。
少し前までと正反対の事を言っているのだから、不信感を抱くのも無理はない。
「……宿を安くしたので、その分ですよ。」
「そっか!じゃあ何か外で食べよう!」
宿代を安く済ませたのに食事でそれを使ってしまったら意味がないと言われたらその通りなのだが、メイはそれで納得してくれたらしい。
素直というか、何も考えていないというか。そういう所も、あなたらしいけど。
そうして結局私とメイはそのまま、ふらりと入ったレストランでちょっと豪華な夕食を楽しんだのだった。
◆◆◆
「ふはー……結構美味かったな、あの店の料理。」
「そうですね。この規模の街としては中々メニューも豊富でしたし……。」
なんて満足気に語るメイと他愛のない会話をしながら、私達は今夜宿泊する宿へと戻る。
しかも宿からの好意によって今日の宿泊は料金が半額で済むのだから、これ程嬉しいことはない。
それについ浮かれて、普段はあまり飲まないお酒を少しだけ飲んでしまった。
だがその宿へと戻った私を、思いもよらぬ展開が待ち受けていた。
「お、おかえりお嬢さん達。晩飯はもう済ませたのかい?」
「はい!とっても美味しかったです、わ!」
無理に作ったような笑顔で私達に話しかけてくる宿屋の男性と、それに満面の笑みで応えるメイ。
だが私の目には、男性がまた何かを隠している事は一目瞭然であった。
「そりゃあ何より!あ、部屋は2階の一番奥ね!ごゆっくりお寛ぎください!」
「……私は少し宿の手続きなどをしてから行くので、先に2階へ上がっていて貰えますか?」
「はーい!」
何を隠しているのかを問いただすべく、私はメイだけを先に宿屋の2階へと上がらせる。
美味しい物を食べて上機嫌なのか、メイは特に疑問を抱くこともなく軽快な足取りで階段を上がっていった。
「……それで?」
メイの姿が完全に見えなくなったのを確認した後、私は両手をカウンターへと勢い良く置きながら、男性へと問いかける。
すると男性はまたしても激しく目を泳がせた後、バツの悪そうな顔でゆっくりと口を開く。
「……お嬢ちゃん達に用意するはずだった部屋……用意できなくなっちまった。……へへっ。」
「……は?」
何故か半笑いでそんな事を言い出す男性に、私は思わず顔を顰める。
やはりこの宿は門番に突き出した方が良いのでは?
「ち、違うんだよ聞いてくれ!ちゃんと用意する、つもりだったんだが……改めて宿帳を確認したらよ?なんと今日、その部屋に前々からの予約が入ってた事に気がついちまって!」
「流石にそれを無視してお嬢ちゃん達を優先したら、ウチの宿の信用が落ちちまうだろう?だから──」
信用などと、一体どの口が言っているのか。その良く回る口に今すぐこのカウンターベルをねじ込んでやろうか。
「……事情はわかりました。では代替の部屋は?一人部屋2つですか?」
こちらとしては私とメイが泊まれさえすれば、二人部屋でも一人部屋でも構わない。
……もちろんメイと一緒の部屋のほうが嬉しいことは確かだが。
「そ、それが……だな……そのー……」
男性はおずおずと指を一本だけ立てた手を上げて、私に見せる。
それは、つまり──。
「1部屋しか残って無くて……ハイ……。」
「……。」
私が抗議をするようにカウンターベルを強く1度鳴らすと、一瞬怯んだ男性がまた言い訳を並べ始める。
「しょ、しょうがねぇだろ!二人部屋に予約が入ってたことに気がついたのが、残り2つだった一人部屋の片方に客を案内した後だったんだからよお!」
「で、でもよ!お嬢ちゃん達は最初一人部屋に2人で泊まるつもりだったんだろ?だったら結果的に同じじゃねーか!なあ?」
完全に開き直ったような態度でそんな事を言ってくる宿屋の男性に、思わず蛇睨みを唱えてしまいそうになる。
だがここでこの男性に恐怖を与えても、何の解決にもならないのは明白だ。
「はぁ……わかりました。それで結構です。」
小さくため息を付いてそれを了承する私に、男性はどこか拍子抜けしたような表情を見せる。
「い……いいのかよ?本当に。……言っとくけどウチの宿のベッドは、お世辞にも広いとは言えねぇぞ?」
元よりこのグレードの安宿にベッドのクオリティなど期待していないので、そこは何も問題はない。
問題があるとしたら、メイがそれを見てどのような対応を見せるか、だ。
「……お詫びと言っちゃなんだが、今回の宿泊料は出血大サービスでタダにしておくからよ。……頼むぜ?色々と!」
「ええ……わかりました……では。」
これ以上この男性の前にいると本当に魔法を放ってしまいかねないと思い、私はメイを追いかける形で宿屋の2階へと上がった。
◆◆◆
「……メイ?」
「ん、ベレノ。手続きは終わったのか?」
私が2階へと上がると、何故かメイは部屋にも入らず廊下で私の事を待っていた様子だった。
という事はまだ、一人用のベッドを見ていない?
だとすればこれは、ある意味ではチャンスになり得るのかもしれない。
「ええ、終わりましたよ。……部屋にはまだ?」
「あ、うん。俺だけ先に寛ぐのも何かと思ってさ……。」
なんて苦笑するメイの優しさに、私は本当の事を切り出すタイミングを完全に失う。
だって本当の事を言ってしまったらメイは、自分は廊下で寝るとか言いかねないからだ。
「……では、お待たせしました。お先にどうぞ。」
「ん、じゃあお先!」
さり気なく優先順位を譲って、私は先にメイに一人部屋へと入らせる。
「……あれ?ベッドが1つしか無いみたいだけど……。」
メイが1つしか無いベッドを見て首を傾げているその隙に私はするりと部屋に入り込んで、背後の扉を尻尾で静かに閉める。
「……はい。この部屋にはベッドは1つしかありません。一人部屋ですので。」
「ん?そうなのか?じゃあベレノの部屋は隣かー。」
こちらに背を向けたまま勝手にそう納得して、寝るには不要な鎧類を脱ぎ始めるメイ。
そんなメイの背後へにょろりと忍び寄ると、私は何だか無性にメイに絡みつきたい衝動に駆られる。
「……いいえ。取れた部屋はここ1部屋だけですよ。」
「……え?それって──」
私の言葉に驚いて思わず振り返ろうとするメイを捕まえるように、私は後ろから強くメイを抱き締めた。
ベッドが1つしか無いと分かれば、メイは確実に私にベッドを譲ろうとするだろう。だが、そうはさせない。
「心配しなくても大丈夫ですよ。ベッドから落っこちないように、ちゃんと尻尾で絡め取ってあげますから。」
「え……?」
状況を飲み込めないメイを置き去りにして、私はおもむろにメイの両足へと尻尾を巻き付けると、そのまま掬い上げるようにしてベッドへと横に寝かせる。
何だか少し前からやけに身体が熱く感じている。
「……逃がしませんよ……絶対に。」
「え?……え?」
私は誰に誓うでも無く小さく呟くと、メイの全身へゆっくりと自らの尻尾を絡みつけていく。
やがて本当にお世辞にも広いとは言えないベッドいっぱいに、私とメイの身体の距離は限りなく近くなる。
「今夜は覚悟を……してくださいね。」
自分でも何を口走っているのかわからない程ふわふわとした思考で、私はメイの耳元でそう囁いた。