27.残骸の漂着 3
27. Settle the Wreckage 3
気が済むまで遊んでいろと機嫌を損ねて日陰まで戻って行こうとするので、朝ご飯まだでしょ、お詫びに何か作るから何処か良い場所を探そうよと必死に呼び止めて、どうにか海岸線を一緒に歩いてくれた。
勿論、彼が海岸側を歩いていつでも逃げの目を残していたのは言うまでもない。
まあ、こちらも彼の反撃に怯えずに済むので良かった。
「それにしても、北の果てにこんな大海があっただなんて…。」
「お前でも知らぬとは文字通り、未開の地であったという訳だな。」
この陽射しなら、服も思ったより早く乾きそうだと考えながら頷く。
今まで彼が見せてくれたどの世界も人が足を踏み入れるには険し過ぎたが、それでも地続きにある森の何処かだと漠然と想像できた。でもそれで精一杯で、その先のことなど考えたこともなかったのだ。
「しかし、そのはしゃぎっぷりから察するに、お前は海を訪れたことがあるようだ。」
そうでないなら、今までのようにじっくり景色を堪能してから口を聞いただろうからなと続ける。
嫌味ではないのだろうが、先ほどのことは深く根に持っているらしい。
「Fenrirって、やっぱり山派?」
「なんだそれは。」
「海より山のほうが好きかってこと。」
「そうだな。塩っ辛くて飲めたものではないし、濡れると毛皮の乾きが悪い上にごわつく。最悪だ。」
もっと景色に感じるところが聞きたかったのだけど、理由は現実的だ。
お前のせいで海はもっと嫌いになったぞと言われる前に会話を前に進める。
「昔ね、こんな海に佇む古民家に泊めて貰ったことがあるんだ。そのときのことを思いだすなあ。」
とっても良い人達だったんだ、故も知らない俺を親切にもてなしてくれてね。そこの子供たちと海辺で遊んだなあ。料理も凄く美味しかったんだよ、魚って食べたことある…?
そんな他愛のない思い出話を、Fenrirはそうかそうかと聞いてくれる。
「…そうだね、この世界では初めてだ。」
それは、此処とは違う平面での物語。今からどれだけ前だっただろうか。
「そもそも、この世界にあると思ってなかったよ。」
「それは何故だ?」
「この世界は一つの大地がぽっかり宙に浮いているように描かれることが多いからさ。そうすると海なんて何処にも存在しないはずだろ?」
どうしても地平説がちらついてしまうけれど、あれはどのように水を蓄えているのか不思議だよねと笑う。
「そう言うものか、もう少し深く読み進めておくのだった。」
砂の上に絵でも描いて上げられたら分かりやすかったのだが、両手で精一杯説明しようと試みる。
「では、あの太陽や満月は、陸地がこちらを常に向いているということか。俺はてっきり球体なのだとばかり思っていた。」
「え…わかんない…。」
あっと言う間にこの世界の綻びを突かれ、無垢な子供の質問にたじろぐ大人の窮地を味わう。
「…そう言えば、ここで確かめたいことがあったと言っていたけど。」
「おお! そうだった、忘れていたぞ。」
彼は突然声を明るくして、首を機敏に振って辺りを見渡すと、ばっと沖に向かって駆け出して、やがて何かを口に咥えて戻ってきた。
「これは…?」
それは、俺が両手で抱えることが出来そうな大きさの何の変哲もない流木だった。
わくわくと目を輝かせて、何かを期待するかのように尻尾をゆっさゆっさと振っている。
「えっと…投げて取ってこーい、みたいな…?」
「あ゛…?」
違った…。そうじゃないだろ、と怪訝そうにこちらを睨む目へと豹変する。
彼はそれを地面にそっと降ろすと、驚きの言葉を口にした。
「これで、人間がつくれると書いてあった。」
「はあ…?」
今度は俺が口をあんぐりと開ける番だった。
な、何の話だ…?
「この流木にOdinが彫刻を施したことで、動き出したのが人間の起源なのだろう?」
「そうなの…?」
彼が読んだ本には、そんなことが記されていたのか。と言うか、その話は本当なのか…?
知らなかったのならそれで良い、と彼は寄せた期待を隠さない。
「思うにお前は、俺が出会った中で最高の神様だ。あいつに出来て、お前に出来ぬはずがない。」
「俺がOdinに匹敵するって…?」
悪い冗談だ。そうでないことが示された神が、他でもない今の自分なのだから。
そんな自嘲をよそに、Fenrirはどうしてもこれが一緒にやってみたいらしい。
「良いから是非やって見てはくれぬか?失敗しようが構わない。俺も不器用なりに爪でこしらえてみる。」
彼が自分を買いかぶりすぎているのはとても困ったことだし、本に書いてあったことをこうも純粋に行動に移されてしまっては…。
「…わかったよ、一緒にがんばろ。」
彼はありがとうと顎を撫でられた犬のような表情で笑ったのだった。
彼は歩き続けた先に、入り口が海水で半ば塞がれた洞穴があることを知っていた。
今日の寝床は、波のせせらぎに耳を心地良く傾けられそうだ。
おまけにとても涼しくて、彼は暫くそこで眠りこけるに違いない。
けれどもその前に、火を焚くための流木を浜辺でかき集めるため、もう少し散歩を続けることにしたのだった。
「しかし、仮に人間が出来たとしたら…それは面倒なことか?」
そもそも、人間を形作れるかも怪しいのだが、確かにもし出来たならそれはそれで問題かもしれない。
「まあ、その時は良いんじゃないかな。俺がミッドガルドに送っておくよ。」
「…それは、神様の力を持たぬ人間が住む世界か?」
「そう、Odinが創り出した話が本当なら、それが本来の居場所だもんね。」
俺達は自分のことを人間と呼ぶけれど、それと同じ姿形をした力を持たぬ者たちがいて、彼らと区別して神と名乗ることもある。
「確か、この世界の下層に位置しているのだったな。そう記憶しているぞ。」
彼は勉強熱心なことこの上ない、恐らくは昨日読み耽ったあの本に記されていたのだろう。
物理的に下を覗けば彼らが暮らしているのかは謎だったが、そのように解釈されることが多い。
一方でこの世界では、ヴァン神族が住む世界と、俺達が生きるあの都がある世界が地続きになっている。ヴァナヘイムと、アースガルズがその土地だ。
「お前は…アース神族だったか、その出身だな?」
「うん、そうだよ。」
そこから俺達は、人間を見下ろして、その先を神として導いているのだ。
疑問に思ったことなどなかったけれど、本当に人間が自分たちによって造られた存在なのならば、責任として或いは、そうした行いは理由があったのかもしれないな、とFenrirの話を聞いてふと思った。
まあ、もう二度とそんなことはしたくないけれど。
「Teusよ、お前は、その人間の世界に足を運んだことがあるのだな?」
「うん…。」
あんな思い出話をしておきながら、その世界でどんな武勇伝を刻んできたのかを話す覚悟はまだない。
「もうだいぶ経つけどね…。」
実のところ、Vesuvaでの日々は幸せに溢れすぎて、結局あれから、Fenrirに自分がどのような神であるのかを告白できていない。
その話からしなくてはならないのに、そこであった出来事を洗いざらい吐くのは流石に荷が重すぎた。
いったい、どれだけ引きずれば気が済むのだろうと自分を責めながらも、少し苦しいまま、まだ良いかとその時を先延ばしにしていたのだった。
早くこの話から逃げ出したいような気分で居心地が悪かったのを声で察したのか、彼は一度口を噤むと、よくよく言葉を選んでこう言った。
「この大海を始めて訪れた時のことだ…。」
視線の先は、遠い向こう。俺があんな妄想を膨らませた地平線と、その上空だ。
「あそこに浮かぶ、巨大な岩山を見た。」
「えっ…?」
「その頂上に、城のような建物があった。」
それは、今まで聞いたこともないような話だった。浮遊する世界が、目の前に現れることがあるだなんて。
揺れ動く大地とVesuva、そんな奇怪な体験を経てもなお、それは突飛な印象を拭えない。地続きにない世界がそのように感じさせるのだろうか。そうだとしたら、本当に別世界なのかもしれない、と思った。
誰が住んでいるのかも、わからない。少なくとも、俺が身に着けた浅い知識では、満足できる答えは、得られなかったと彼は言う。
「俺はそれを目にしたとき…膝を折るような絶望を覚えた。どう足掻いても、そこには辿り着けないと感じたからだ。Teusは…お前は、そのような世界に、足を踏み入れたことがあるのだな?」
「…。」
声が出せなかった。
怖い。俺は、何を彼に問われるのだ?
「教えてくれ…!! Teus。」
「その世界に…狼はいるか?」
「…。」
狼が、生きている世界か、だって?
「ああ…。」
そこでようやく、俺は流木を持ち出した時に見せた笑顔が、何処かに行ってしまったどころか、それが口実として巧みな演技であったのではないかと本気で疑う程だった。
どうして、そんなことを知りたいのさ。
「それでは…では…。」
彼が歯を喰い縛るのが、聞こえた気がする。
爽やかな背景は、その必死の表情で埋め尽くされてしまった。
「その世界でも、狼は…このように…苦しそうだった、か…?」
「…。」
顔に手をやり、覗き込む彼から表情を少しだけ隠す。
それから海の方へ視線を逃がすと、彼が目にしたであろうその世界を目いっぱい思い描いて、それを水平線に乗せて描いた。
「いつか、自分の眼で確かめると良いよ。」
駄目だ、やっぱり答えられないや。
どのように言葉を選んでも、それはFenrirのことを、酷く傷つけるから、
この物語の先に、譲るとしよう。




