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20.果てなき空 2

20. Endless Sky 2


快諾してやりたい気持ちも、無いわけではなかった。

しかし、果たして俺は、決して狩りに長けてなどいなかったのだ。

その強大な力に、ものを言わせてきただけなのだ。


大人が子供を追いかけまわすようにごり押してしまえる。上達なんかする訳がないだろう?

その上お荷物を背負ってだなんて…一部始終をそれなりに意識せざるを得ない奴に見られるのだ。

力むなと言う方が無理だ。


あたかも、いや、実際そうではあったが、動きに余裕があるかのように振舞うために、坂を軽いステップで駆け上がり、登りきったところで出力を緩めてふわりと浮いて見せたりと忙しい。

かえって余計な力を使ってしまいとても疲れる。自然たとは難しいものだ。

そんな苦闘を知る由もないTeusは、息をひそめて背にしがみついていた。


幸いにも、ここら一帯の地形は一足先に予習済みだ。獲物の動きなど手に取るようにわかる。

常に風下へまわるよう進路を変えながら、じっくりと距離を縮め、再び射程圏内に追いついた俺は、身を屈めてTeusに小声で伝えた。

「…これから少し速く動く、揺れることもあるだろう。しっかりつかまっていろ。」

彼は、俺が臨戦正体に入ったと察知したのか、緊張した様子で答える。

「…了解。」

彼の毛皮を掴む手にも力が入るのを感じる。短く息を吐いて覚悟を決めたようだ。



その鹿の群れは、切り立った崖を背に、見晴らしの利かない雑木林に挟まれた草原で、束の間の休息を得ているところだった。

賢明な判断であったように思う。

この森へと導かれてから僅かな時間で安全地帯を見出したというのは大したものだった。


周囲からは目隠しが十二分に効くし、後ろ盾の岩肌からはどんな脅威も降りてこられそうにない。

そう、普通の大きさの、獣であるならば。

かわいそうに、そこまで頭が回らなかったのだろう。


俺はゆったりと崖の淵に身体を横づけると、眼下の景色をTeusに拝ませてやった。

「…今からあれを狩る。」

彼は固唾を飲んで見守るだけだ。少し緊張しすぎてはいないか、折角披露するのだから、いつものように付き合って欲しいものだ。


俺は淵に正対すると、顔を右に上げ、目の端で彼を捉えた。

「見ていろ…お前が目にするのは、この森で最も狩りに秀でた、彼の狼の業だ。」

戯れていると、とって貰えるだろうか




「…お前の望みだ、ご覧に入れてやろう。」

後戻りの出来ぬ一歩を踏み出し、ふわりと落下する。



―――――――――――――――――――――



完全に虚を突かれ、短く鋭い鳴き声を上げたのはあの鹿たちだけではなかった。

殆ど垂直な壁を器用に降下するFenrirに振り落とされぬよう、毛皮が抜けてしまいやしないかと思うほど必死でしがみつく。

「うおぁっ!?」


蜘蛛の子を散らすように逃げ出す鹿たちを確認する余裕もなく、彼にとってはちょっとした段差に過ぎなかった崖を降り立つ衝撃で危うくずり落ちそうになる。

身体をぴたりとくっついて何とか支えるも、その姿勢を正す暇なく、彼は脇目も降らずに走り出していた。


「…う…ぐ……?」

彼の一切の予想を許さない動きに、ついていくのがやっとだ。

ようやく起き上がって見てみれば、彼は逸れた2頭の鹿を追っているのが分かった。既にかなりの距離を詰めており、勝負はほどなくして決まりそうだ。



そして俺は、この狼が今まで如何にゆったりと振舞っていたかを思い知ったのだ。

「ふぇ…ん…り、る…。」

もう風を切る音が大きすぎて、何も聞こえない。

目が乾いて、涙が滲んで端に飛ぶ。

上体を持っていかれそうで前を見ることすら厳しい。



言ってみれば、Fenrirは象に近かった。

その巨体を動かすには、余程頑強な脚を持たなければならなかっただろうし、普通は走ることなんて到底できないはずなのだ。

「はや…す、ぎぃ…。」


この狼には改めて驚かされる。などと言っている余裕すら今はない。

純粋に、人間離れした領域が怖い。


これは、もう駄目だ。耐えられない。

一旦Fenrirに止まって貰うしか…。

そのことしか考えられなかったのがいけなかった。

いや、これは俺が悪いのだろうか?


「Fen…rir…ちょっと…。」

絶対聞こえていると思うんだ、ほら、今スピード上げただろ。


前方などとうに確かめる余裕のなかった俺には、獲物に今まさに飛び掛からんと、ふわりと宙に舞うその予備動作が分からなかった。

「…!?」

あれ……?

あっさりと両手が背中から離れ、Fenrirと空中分解する。

先ほど襲った浮遊感と、何が起きたかも分からない戸惑いに、冷汗すら今は追いつかない。


彼から射出され、弾頭となって間抜けな姿勢で飛行する俺は、やがておそらく木の大枝に顔面から衝突した。

「がふんっ!?」

ぼごっという鈍い音ともに一瞬視界が暗くなると、四肢を投げ出した姿勢で身体を一回転させながら落ちていく。

痛みすら感じなかった。




…そして俺はFenrirの鼻面によって、めでたくキャッチされたのだった。

下の方から、渾身の舌打ちが聞こえる。

「…掴まっていろと言った筈だ。」

俺を覗き込む目がにこりともしないのがとても腹立たしい。

「あ、あのさぁ…。」


だからなんで、Fenrirはこうなんだろう…。

「ごめん、すぐ上るから待って…」

「もう良かろう、十分だ。」


鼻面から優しく下ろしてもらった俺は、逃したであろう獲物について尋ねようと辺りを見渡し、春先にそぐわない背筋の悪寒を覚えた。

「休憩だ、少し早いがな。」



「嘘だ、ろ…。」

既に、それは終わっていた。


Fenrirの口には一頭の鹿が捕らえられていて、もうその目に生気は無かった。

どうやら俺のことは構わず空中に放り出して、一瞬のうちに獲物を仕留めてから迎えに来たらしい。

ご丁寧に、それだけのことをする余裕があったのだ。


Fenrirは恭しくその獲物を下ろすと、そそくさと苦しそうに呻く声の主に駆け寄った。

彼はなんと、もう一頭同時に仕留めていたのだ。

しかしそれは致命傷ではなかったようで、右腿をざっくりと切りつけられて立ち上がることができずにいたのだった。

必死に離れようとする獲物の喉元に狼は優しく口を近づけ、俺から遮るよう絶命させてやる。




それでも断末魔は弱々しいなんてものではなかった。

「うっ……。」

俺がそんな表情をしていたからだろうか、Fenrirはこちらを一瞥すると気まずそうに詫びた。


「すまない…、その…まさかお前があんなに早く落ちてくると思わなかったのだ。」

「いや、そんな…」

俺は彼に狩りをしているところを見せてほしいなんて頼んだことを後悔した。

彼は狼が獲物を絶命させるところをまざまざと見せてしまったことをひどい失態だと捉えているようだったのだ。


だからそもそもFenrirは嫌がっていたと言うのに。

また、同じことの繰り返し。


「期待に沿えず済まなかった…、ほら、お前の取り分だ」

寧ろ狩りの腕の至らなさを気にしているような口ぶりだった。

どちらにせよ彼の誇りは酷く傷つけられてしまったと言って良い。


「いや、最後まで気遣ってくれてありがとう…やっぱり俺、お荷物だったかな。速すぎてとても最後までしがみついてられなかった。」

「だいぶ追いかけたからな、これでもあちらはへとへとだったろうよ。」


半周回ってその場に座り込むと、彼は初めに仕留めた鹿を鼻面で俺のほうへ押しやり、もう一方の腹にそそくさと喰らいつき始める。

「ありがとう、狼の狩りを間近で見られるなんて滅多にない機会だった。何というか…その、憧れてたんだ。」


少しでも埋め合わせるような言葉をかけようとそんなことを口にするが、彼はそんなことも真に受けてしまうらしく、耳を外へ開き目を真ん丸に見開くと、変な奴だと言わんばかりの態度に直って、ほら、座れよと顎でしゃくる。


取り分、と言われてもいらないよ、と答え、俺はしまったという顔をする。

「そういうことだ、…反省しろとは言わん。まあ、それなら有難くもらっておくぞ。」

無邪気そうに笑ってFenrirは早くも2頭目に手をかける、それが結構応える。


俺は自分を責めながら、彼の軽食を黙って眺めていた。

「それにしても、警告した通り、これは長旅になるだろう…。お前は、神様は何を糧に生きていくつもりなのだ?」

「ん?それはだね…」


これは少し困った質問だった。

「もちろん普通に食べもするんだけれど、これって言うものがない時は…信仰、かな?」

Fenrirは口は忙しそうにしながらこちらに目を向けた。口元はすでに血だらけだ。

「これでも神様だからさ、俺。人間からの信仰とか、そういうものだけで生きていけるんだよ。不思議な話だけどね。」

ふうん、そういうものなのか。とFenrirは案外興味がなさそうな返事をする。それはある意味助かったことだった。

Fenrirは神様ではないのか、という疑問が当然湧いてくる、そしてそれは本質的だったから。



「しかし、…ということは随分お前は立派な存在なのだな」

「え!? そ、そりゃもう…」

苦笑いするしかない、Fenrirもなにか含んだように笑う。

「なるほどなるほど、そういうことだったのか。」

訳あり顔だが、彼はじゃあ俺が何の神様なのかと言うことすら聞こうとはしない。


「お前が、崇拝される存在ねえ…」

「な、なんだよ!?」

軽くばかにしたような態度でいるFenrirに、俺はさながら狩りから見逃されて生き延びた鹿のような気分だった。


「そんなに頼りなく見える!?」

「そうだな、崇め奉る気には少しもならん。」

「こいつ…、もう死にそうになっても二度と助けてやんないからな」

そいつは困るなあと朗らかに笑う。


「しかしまあ、それは新たな知見だ、覚えておくことにしよう」

それでその話はとりあえず終わった。


ごちそうさまを言うとFenrirは立ち上がり、風を聞くように周囲をゆっくりと見渡す。

なにかを探しているようだ、と言うとFenrirはそうだと答えた。

「水辺がある、行くぞ」

ああ、水が飲みたいのか。

「近いなら歩いていこうかな」

「そうか、ついて来い。」


うん、Fenrirは乗り物じゃないからね。







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