おきつねさまと温泉旅館
石段を戻り、宿に入る。
チェックインの時間には早かったが、女将じきじきに迎えてくれた。
同級生の動向を話しながら、玉藻たちは離れへ、俺は本館の部屋に案内される。
夕食は、食事どころで一緒にとるらしい。
俺は部屋に入ると冷蔵庫からコーラを取り出す。おお、瓶のコーラなんて久しぶりだ。
しばらくすると女将が挨拶に来た。今回の手配の確認をして礼を言う。
考えてみると久しぶりに自分ひとりだけの時間だ。夕食は6時半、まだ時間はある。とりあえず風呂に入ろうと、浴衣とタオルを取り出すと部屋の鍵を閉め、帳場に預け大浴場に向かう。
大浴場はこの宿の目玉だ。
大きさ5m×3m、深さ1m、まるでプールだ。俺は体を洗うと風呂につかる。1mもあるので、ふちにある段差に腰掛けてつかる。客がほかにいなかったので、泳いでみる。
おお、これいいじゃん。人がいないのをいいことに15往復もするとのぼせてきたので、あわてて上がる。
締めに水をひと浴びして、風呂を出る。浴衣に袖をとおし、大浴場をでたところに無料の麦茶が用意して会ったのでいただく。
極楽、極楽。
部屋に戻り、コーラをもう1本あけ、広縁の籐椅子に腰掛けると外の景色をぼーっと見ながらくつろぐ。
広縁のガラステーブルに布のブックカバーがかけられた本が一冊載っていた。
手に取る。
『不如帰』 徳富蘆花。
パラパラめくるが、明治時代の作品らしくやたら読みづらい。ありおりはべりいまそかりって感じだ。
いきなり冒頭にこの宿の名が出ている。そう言えば同級生が、明治時代に有名な作家が逗留していたと話していたのを思い出す。
まあ、いいか。本をテーブルに戻すと、外に目を戻す。
連なる二つの山を見ながら、風呂上がりの倦怠感に身を任せる。
・・・・ノックの音に目をさます。
どうやらうとうとしていたらしい。
食事の支度が出来たと仲居が呼びに来た。
浴衣の襟を直して、食事処に行く。玉藻たちはすでに着座していた。
4人掛けテーブル、睦月の向かいに案内される。桔梗は隣だ。
「乾杯~~~!」
今日は桔梗も空気を読んでウーロン茶だ。
「おおお、これはなんじゃ」
玉藻が箸付けの煮こごりとこんにゃく寿司をつついている。
「あああ、もうそれじゃ火を通しすぎよ。だめ、しらたきと肉は離すのよ、肉が硬くなるわ」
桔梗が、玉藻と睦月のすきやきの肉をひっくり返すなどして世話してる。
「睦月ちゃん、卵は鍋に入れるんじゃないわよ。それにつけて食べるのよ!」
意外と世話焼きなんだな、桔梗。
「だああ、あんた嫁の世話ぐらいしなさいよ!」
いやいやいや、俺は睦月の浴衣姿、とくに胸元を・・・・・・。
あれ、睦月が顔を赤らめる。
やべ、伝わってる。
「なにあんたら食事しながら顔赤らめてるのよ!」
平常運転である。
ご飯を赤出汁と漬物で片付け、デザートのメロンを楽しむ。
玉藻も睦月もメロンは初めてらしいが、絶賛していた。季節的には最盛期はすぎているが、まだいけるだろう。よし、お盆は夕張メロンか富良野メロンを奢ってやろう。
食後のお茶を飲みながら、玉藻が神妙に言う。
「将門。このたびは礼をいうぞ」
あれ、何、いまさら?
「ちがう。さきほど経験した『えすて』というものじゃ」
そう、俺は今回玉藻と睦月にサプライズでエステを用意していたのだ。
しかもフェイシャルとボディのフルコースで。好評だったようで何より何より。
おれとしても嫁がさらに磨かれるのは、嬉しいことだ。
「あれはこの世の極楽じゃ、長年生きてきたが、このような蕩ける体験は初めてじゃ。おもわず変化をといてしまったのじゃ、ああ、きっちりと記憶は消しておいたぞ」
睦月も顔を赤らめながら俺に礼を言う。
うんうん、気持ち、お肌ツヤツヤな感じででよろしい。
俺は食事処から二次会に向かう三人を見送った。
翌朝、朝食の席に現れた三人の内、桔梗だけぐったりしていた。
「ずるいわよ、玉藻様も睦月ちゃんも、睡眠とらなくても大丈夫だなんて・・・」
「われも睦月も神代の存在だからのう。寝ることはあるが、必要というわけではないしのう」
桔梗によると大分話は盛り上がり、桔梗が寝かせてもらったのは2時をまわった頃らしい。
まあ、お菓子も飲み物の女将に無理を言って、大量に用意してもらったからな。
お菓子と飲み物は全て、玉藻と睦月のおなかの中に消えたらしい。
いや、俺、たしかに結構な量お願いしたけどあれ全部平らげたのか。
朝食のおかずをちょっとつついただけで止めてしまった桔梗にくらべて、玉藻と睦月は朝食を全部たいらげる。
やはりお菓子と食事は別腹なのだろうか。
睦月にどんな話をしたのか尋ねたが、顔を赤らめて”内緒”といわれてしまった。
うん、どストライク、許すぞ~~~~。
あとで桔梗に聞いたところによると、玉藻による『男の落とし方』『男がグッとなる女の仕草』『落とした男を意のままに御する方法』などの講義が行われたらしい。
いんやらしゅうやら、てんじくとかで王様やら王子様を落としたって話が一番面白かったわよ。とは桔梗の弁。
朝食後、ひとっぷろ浴びてチェックアウト。
チェックアウトの手続き中、睦月が売店にある『不如帰』の文庫本を手に取った。
「睦月、それ読めるのか?」
俺は文体が古くて読みにくいと頭をかいた。
睦月がパラパラとページをめくる。
明治、大正の時代に屋敷神をしていただけあって、こちらの文体のほうが読みやすいらしい。
睦月が興味を持ったようなので、布製の文庫カバーを一緒につけて、一冊購入して睦月にプレゼントする。
大事にしますねと礼をいう睦月を暖かい気持ちで眺める。
そう、本当なら確認しておくべきだった。『不如帰』がどんなあらすじだったのかを。
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