幕間2 おきつねさまたち
八代様と桔梗様を本山から送り出した後、玉藻前様がおっしゃられた。
「われが、将門を神使にしたのは拙かったかもしれない」
私が抗議の言葉を上げようとすると玉藻前様はそれを押しとどめた。
「そちの気持ちはわかる。じゃが、あやつ、人としての箍が外れおった。睦月、そちもわかっておろう、普通なら妖を娶るなどありえんことだと。あやつはすでに人や神代の理で動いているのではない。将門自身、あらたな理の中で動いておる。これが神代だけのことならよいが現世に戻ってもあのままじゃとちとあやうい」
私は黙り込んだ。
確かに人に想いを寄せられそれを受け入れ、あまつさえ嫁ぐなどと以前の私なら考えもしなかっただろう。妖狐として生きて百数十年、確かにあのような感情を受けるのは初めてだった。だから、流されるまま、心地よいまま受け入れてしまったのかもしれない。
ひょっとしたら、私が抱くこの想いも実は八代様の理で、象じたものかもしれない
私の想いが私の想いでない?
それがどうした。
八代様が私の心を満たしてくれる
八代様が私に力を与えてくれる
八代様が私を庇護してくれる
八代様が私と共にいてくれる
「たとえ人であろうとも八代様は、私に対して想いを抱いてくださり、それをかたちにしてくれました」
そうそれは事実。
「八代様の理が、現世の、神代の、理といかに違えようかと、睦月はその力すべてを持って八代様に尽くす所存でございます」
私は、姿勢を正し、玉藻前様に申し上げた。
「見てくれだけ空狐になって、所詮、齢二百年もたたぬ妖狐と思っておったが、将門だけでなくそちも化けおったか・・・」
玉藻前様が若干、引きつった笑みを浮かべる。
「あのように無自覚に自分勝手な神意を行使しまくる男を支えるなど並みの苦労ではないぞ」
玉藻前様が真剣な表情で言う。
「承知しております」
間髪入れず答える。
「おぬしだけでなく他の妖にも手を出すかもしれんぞ」
・・・・それは、いやかも・・・・。
だまりこむ私に玉藻様が揶揄うように言う。
「男を手玉に取ってこそ一人前の妖狐じゃ、われも紂王を落とした時はそちのようにまだ若かった。そこはおいおいと勉強じゃな。まあ、良い、将門のことはそちに任せる。夫を御するのは妻の役目じゃ。ちなみにお山の神使の小薄と阿古町も夫婦じゃ。神使同士でうまくいく秘訣でも後で聞いておけ。現生のことは桔梗に聞くがよい。あの者ほど現生の将門を知っている者はおるまいしな」
玉藻前様がカラカラと笑う。
私は顔を赤らめた。
ちょうど話に出た小薄様が、困ったような表情で部屋に入ってこられた。
「玉藻前様と睦月殿におかれましては、拝殿にお越し願いたいと、我が主神が」
用向きが告げられる。
「ふむ、やはりそうなるか」
玉藻前様が納得したように首を振る。
「まあ、良い。どのくらい集まった?」
玉藻前様は何を言ってるのだろう。
私は首をかしげる。
「阿紫、地狐、合わせて五百はいるかと」
小薄様が歩きながら答えている。
「何と!。お山の阿紫と地狐の半分もじゃと」
玉藻前様がいささか驚いている。
「実は、中に以前の睦月殿を存じているものがおりまして・・・・その、天狐そして空狐になった睦月殿の姿を・・・」
小薄が、私の方を見て、言葉を濁す。
「それで話が拡がったわけじゃな」
玉藻前様と共に拝殿に入る。すでに稲荷神は控えていて、その前に巫女姿の妖狐たちがずらりと並んでいる。玉藻前様と私が前に立つと途端に全員が平伏する。さすが玉藻前様の威光。
「睦月、面を上げさせよ」
玉藻前様が私に命じた。
「皆の者、頭を上げよ」
私は命じた。皆、一斉に頭をあげる。なぜか全員の視線が私に向かっている。
私、何かした?
「なんじゃ、すべて女狐ばかりではないか? どういうことじゃ?」
拝殿を見回した玉藻前様の問いに稲荷神が答える。
「以前の睦月を知っているものがの、女狐でな。男狐どもは、そんなバカなことがあるかと信じなかった上に白菊がちと余計なことを言ってのう・・・・」
その言葉に私は居並ぶ妖狐の中に見知ったものがいることに気づいた。江戸に屋敷神として送られる前に一緒に修行を励んだ者たちだ。その者たちから、憧憬の思いが伝わってくるのが感じられる。これ、なんだろう。
玉藻前様が私に話しかける。
「睦月、ここにいる者はそちが地狐から天狐、そして空狐になったことを知っておる。そして、なおそれが将門の神意でなされたことを信じているのじゃ。こやつらが平伏しているのはわれにではない、将門の神使にして妻であるそちにじゃ。こやつらは睦月、そちを敬っておるのじゃ」
私は驚く。
玉藻前様が寂しそうな顔をして言葉を続ける。
「将門は『自分に信仰が集まるわけない』と言い切ったが、実は違う。睦月、そちという神使である巫女を通じて、将門は、八代将門は阿紫や地狐どもの願いを得ることとなったのじゃ。そちが、将門の神力を喧伝したのじゃ。まさしく神と神使の有り様そのままじゃ」
私はあまりの話の大きさに戸惑いを覚えた。
「齢、二百年程度の地狐が二十日とたたず、空狐じゃぞ」
違う私は八代様に力を頂いただけ。
「妖と人が出会って二十日足らずで神位に達し、夫婦となったのじゃぞ」
違う私は八代様に護られただけ。
「ただの妖狐が二十日足らずで神使になった上、お山の神使でも四人しかいない祀られるだけの神格を得たのじゃぞ」
違う私は八代様のお側に付き従っていただけ。
なぜ、みんな玉藻前様の言葉に頷いているの。
「神代に限ってじゃが、すでに将門と睦月、そちはお社一つ授かってもおかしくないくらいの立場じゃ。小薄も白菊も辻に社を持っておるように・・・」
「こやつらはそちを通して将門の神力を盲信しておる。いわば、こやつらはおぬしらの信者だ。稲荷神に限らず日の本の神は寛容だから、他の神を信じることを認めておるがな。ただ、将門は人じゃ、それを理解してなおこやつらは願い続けるだろうか?」
玉藻前様はニヤリと笑う。
「そちの将門の神使にして、巫女、そして嫁としての最初の仕事じゃ」
「ここにいる者どもに、将門の神意とその理を説いて救うのじゃ。それが力を持つものの勤めじゃ」
玉藻前様の押し出されるように、皆の前に立つ。
深く息を吸い、吐き出し、呼吸を整える。
大丈夫、私には出来る。
私を救ってくれなかったお山の神使たちとは違う。助けを求められたら助ける。八代様もきっと同じことをするはずだ。その想いを告げればいい。
八代様は私を救ってくれた。神使にしてくれた。空狐にしてくれた。娶ってくれた。
私は感情のままに八代様の理を説く。
「だ、だ、旦那様は・・・・・・」
ダーーーーーーーーーーーーっ
私は顔を真っ赤にして言葉を切る。
私は目に涙を浮かべ、玉藻前様に振り返る。
玉藻前様、稲荷神様、小薄様が目をそらす。
視線を戻すと目の前の阿紫や地狐の皆も顔を落とし、誰一人私を見ない様にしている。
私は持てる神力と妖力の全力を持って、先ほどの言葉を皆の記憶から消した
 




