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11人目の側妃  作者:
第2章 過去との決別
6/18

 その後家族から聞いた話は、リリーを落ち込ませるには十分な内容だった。

 リリーが側妃になったのとほぼ同時期にエドワードの父が他界した。嫡男として家を継いだが、商才が明るくなく、徐々に経営が傾き、今では支払いの滞納も数カ月続いているのだという。

 資金繰りに奔走する内に、今回のような形振り構わぬ行動に出るようになったそうだ。

 「あの穏やかな口調で会話をしていた彼とは別人のようだ」と父は言う。

 しかも、リリーと婚約している間から、別の商家の娘と浮気をしていたそうだ。リリーが側妃になると、これ幸いとばかりにすぐその娘と結婚し、今では2児の父。

 上の子供が3歳。逆算するとおかしいと指摘すると、浮気のことを開き直って白状したのだそうだ。それ以来、兄2人はエドワードと絶縁状態にある。

 「延滞のお願いをする時、小さな娘を連れてきて同情を引こうとするんだ。ひどい奴だ」と兄が罵る頃には、もはや誰の言葉もリリーの耳には届いていなかった。

 ――限界だ。

 すっと立ち上がると、小さくスカートを持ち上げて会釈する。

 「疲れたので、少し休みます」

 侍女に手を引かれ、ふらふらと歩いていく。家族の誰も、その後ろ姿に声を掛けることは出来なかった。

 客間に入ると侍女は気を利かせて静かに下がっていった。

 部屋に1人きり。

 「ふぅ」と息を吐く。

 ソファに腰を下ろし、目を閉じる。

 先程の光景が蘇る。別人のようになってしまっていた、彼の人。血走った目、掴まれた手。

 耐えられなくなり、目を開ける。

 何だか全てがどうでも良いように感じられ、脱力する。これまで積み上げてきた想いが、一気にからっぽになってしまった。

 最初から裏切られていたとは――。

 それなのに、彼の裏切りに気付かず、「待っている」という約束を疑いもせず、信じ続けていた。これ以上待たせてはいけないと悩み、真面目にけじめを付けようとした。

 自分自身があまりに滑稽で、情けない。情けなさ過ぎて、涙も出てこない。

 宙を仰いでいると、ギィとドアが開く音が聞こえた。

 視線を向けると、デュークが立っていた。

 無表情な彼は、静かに部屋に入ると後ろ手にドアを閉めた。目が合う。

 すっかり忘れていた。

 慌てて立ち上がろうとすると、手で制される。デュークは徐ろに歩み寄ると、リリーの隣に腰を下ろした。

 「すみませんでした、お1人にしてしまって」

 動転していたとはいえ、国王を残して部屋を退室するなどあるまじきこと。深く頭を下げる。

 「残念だったな」

 ぽんと頭に手が乗せられる。

 「ずっと、あの男のことを想っていたのだろう?」

 顔を上げると、まっすぐにリリーを見据えるブルーの瞳がある。思いのほか優しい瞳。

 同情されているのだ、きっと。いつもの皮肉を言いに来たのかもしれない。

 堪らなくなり、顔を伏せる。

 「馬鹿な女だと笑って下さって構いませんよ?」

 可愛くない言葉が口をついて出る。強がってしまう。

 「偽りの約束を信じ、けじめをつけたいなんて。殊勝なことを言っていた間抜けな女だと笑って下さい」

 高まっていく感情が、抑えきれない。

 約束を覚えていなかったエドワードの姿が、脳裏を過り、胸を締め付ける。

 「彼の心は最初から私になんて向いていなかったのです。裏切られていたのです、最初から。それでも……私は本当に、あの頃の彼が大好きだったんです! 優しくて、一緒に居て楽しくて! 3年前、側妃になんて選ばれなければ良かったのに――」

 刹那、腕を引かれる。

 前のめりになったリリーは、そのままデュークの胸に顔を埋めた。慌てて手で押し返そうとするが、力強い腕でその胸に顔を伏せさせられる。

 「泣きたければ泣け」

 耳元で囁かれる声が切なく、優しい。

 もう一度エドワードに会いたいというリリーの気持ちをわかっていた上で、願いを叶えてくれた。

 デュークの前で取り繕うことは、強がることは無意味だ。

 リリーは腕の力を抜き、彼に身を委ねた。

 温もりに心がほぐされ、気付くと涙が溢れていた。堰を切ったように、次から次に溢れては流れ、頬を伝う。

 「こうすれば誰にも見られないから。気が済むまで泣くといい」

 エドワードのことが大好きだった。本当に。

 笑顔を向けられる度、声を掛けられる度、胸が高鳴って震える程嬉しかった。

 だからこそ、裏切られていたことが何より許し難く、悲しかった。

 今だけは、思う存分泣かせてほしい。

 沢山の想いに蓋をして、別れを告げるから。

 涙と共に、全てを流し去るから。

 さようなら、エドワード様。

 さようなら、彼に恋をしていた幼いリリー。

 ――嗚咽が響く室内で、デュークはただ静かにリリーを抱き締め続けた。


                     ☆


 どれだけ時間が経っただろう。

 目を覚ます。デュークの腕の中で、いつの間にか眠ってしまっていたようだ。

 泣き腫らしたまぶたが重たい。鏡を見ることが恐ろしい。

 既に陽は傾き、窓からはオレンジ色の光が差し込んでいる。

 そろそろと顔を上げるが、デュークは微動だにしない。ソファの肘置きに着いた片腕で頭を支え、もう片腕でリリーを包んでいる。

 耳を澄ますと規則正しい寝息が聞こえる。寝入っているようだ。

 起こさないように、そっと腕から抜け出す。ちょこんと隣に座り、まじまじとデュークを見つめる。

 端正な顔立ちに似合わぬ、あどけない寝顔。こんな風に無防備な顔で眠るのかと、リリーは驚いた。

 覚醒しているデュークは、一瞬も気を緩めることがない。

 若い国王である。自身より一回りも二回りも年上の家臣たちを従えることは容易ではないだろう。経験が無い分、知識と人脈でカバーするほかない。

 国王になるための教育を受けてきたとはいえ、これほど若年で即位するとは本人も思っていなかったはずだ。だが、彼は1度も愚痴をこぼさない。

 そのせいか、デュークは実年齢以上に大人っぽく見え、頼もしい。

 「ああ、そうか」とリリーは得心した。エドワードを頼りなく感じたのは、近くで彼と同年代のデュークを見ていたからだ。

 眠るデュークと過ごす、静かなひととき。

 気が付けば、先程までの心の痛みが和らいでいる。

 1人で泣いていたら、いつまでも引きずってしまっていたかもしれない。デュークが一緒に居てくれたことが、どれ程心強かったか。

 ――そこまで思案して、リリーははっとする。

 もしかして、彼はエドワードの裏切りを知っていたのではないか。既に結婚して子供がいる事が、事前調査の過程で判明していてもおかしくはない。

 敢えてあの場で言わなかったのは、リリーを思ってのこと。

 「きちんとけじめをつけたい」というリリーの想いを尊重し、直接会いに行くことを許したに違いない。「お前が想い続けたという男に会っておくのも悪くない」などと不遜に言いながら、その実リリーを心配してついてきてくれたのだ。

 よく眠っているところを見ると、今日のために昨夜は遅くまで執務をこなしていたのかもしれない。

 ――なんて優しい人なのだろう。不器用で、わかりにくいけれど。

 全て見透かした上で、リリーにとって最良の方向へ導こうとしてくれる。

 くすぐったいような、照れくさいような。

 リリーは心がほんのりと温かくなるのを感じた。

 「ありがとうございます。デューク様」

 小声で。本人に伝わらなくても。デュークが起きたら、ちゃんと面と向かってお礼を言おう。

 だが、一瞬後には青い瞳がリリーを映していた。目と目が合う。

 「何故、すぐに起こさなかった」

 起床早々、不機嫌に眉間にしわを寄せる。

 「ごめんなさい」と謝りながら、慌ててデュークに背を向ける。

 「あまりに気持ち良さそうに眠っていらしたので、起こすのは気が引けてしまって。あ、決して見とれていた訳ではないですよ? 綺麗だなとは思いましたけれど……」

 両手の人差し指の先端をつんつん合わせながら、早口に言い逃れを述べる。背後からは嘆息が聞こえる。

 「寝顔を褒められて喜ぶ男がどこにいる」

 「すみません……」

 謝るが、尚も声は不機嫌だ。

 「おい」と低い声で呼び掛けられるも、「はい?」と声だけ返事をする。

 「何故こちらを向かない?」

 そんなこと、言わなくても察して欲しい。

 「……ひどい顔ですから」

 デュークが寝顔を見られたくないことと同じくらい、リリーも泣き腫らした顔を見せたくはない。

 渋々答えると、「そんなことか」とため息交じり。

 「こちらを向け」

 デュークの命令に、仕方なく向き直る。俯き、決して顔は上げない。

 リリーの頑なな様子に苦笑しながら、顎に手を掛け、上を向かせた。せめてもの抵抗をと、視線だけは逸らす。

 「良い顔だ」

 どこを見てそのセリフが出てくるのだ。思わず非難しようとデュークの顔に視線を移す。嬉しそうに微笑しているデューク。

 「すっきりとした顔だ。けじめはつけられたみたいだな」

 確かに、心は軽くすっきりとしている。

 顎を解放されると、リリーはぺこりと頭を下げた。

 「今回は色々とお気遣い下さり、ありがとうございました」

 どこまで彼の思惑通りだったかは問い詰めても教えてはくれないだろう。敢えて「色々」という言葉で曖昧化する。

 「俺にも責任の一端はあるからな」

 ぽつりと呟く。問い直すことを忘れたのは――。

 「リリー」

 あまりに真面目な声色だったから。驚いて目をぱちくりさせる。

 デュークの真剣な瞳に、更に驚く。

 青い瞳が、リリーを射抜く。

 「俺がお前を幸せにしてやる。あの男よりも、ずっと」

 聞き間違いだろうかと戸惑っていると、

 「幸せにする」

 胸がトクンと音を立てる。じわじわと体中に広がり、気が付くと頬が熱い。

 よく見るとデュークの頬も色付いている。

 顔を背けないように我慢している。素直ではないデュークが、真摯に言葉を伝えようとしていることがわかる。嬉しい。

 「そんなに赤い顔で見るな、馬鹿」と怒ったように言いながら、リリーの髪をくしゃくしゃとわざと乱暴に撫でた。明らかな照れ隠しだ。

 「もうっ」

 怒ってデュークを睨む時には、すっかりいつもの調子に戻っていた。

 「俺は約束を守る。だから、安心して俺に惚れていいぞ」

 得意げに口の端を持ち上げる。

 なんと勝手な人なのだろう。悔しい。恨めしげにデュークを見据える。

 「そんなことを言って良いのですか? 側妃を迎える度に、同じ約束を何度もしないとならなくなりますよ?」

 困った顔が見られるかも。

 だが、期待はあっさりと裏切られる。

 「俺は、お前以外を妃にするつもりはない」

 さも当然な様子だが、デュークは国王だ。世継ぎの問題云々、そんなことを周りが許しはしないだろう。

 「俺が良いと言えば良いんだ」

 言い切る言葉が自信に満ちている。そんなに妻を1人にしておきたいのだろうか。

 「それなら、もっと慎重に婚約者を選んだ方が良いと思います。今更ですが、どうして私を選ばれたのですか?」

 以前から気になっていた。わざわざ父の側妃の中から選ばなくても、デュークならいくらでも相手はいるだろうに。

 答えを催促するように顔を覗き込むが、バツが悪そうに苦笑するだけだ。

 「秘密だ」

 立ち上がり、「そろそろ帰るか」と大きく伸びをする。逃げた。

 「気になるではありませんか!」

 ドアに向かって歩み始める背中に投げ掛けると、顔だけで振り返り「いつか教えてやる」と不敵に微笑む。

 「1週間後に迎えに来る。それまで、束の間の家族団欒を満喫しておけ」

 後ろ手に手を振りながら、リリーを残し、デュークは静かに部屋を後にした。


                    ☆


 「エドワード様がいらっしゃるとは、驚きました」

 客間の寝室。

 リリーの寝る支度を手伝いながら、ジュリアは肩を竦めた。彼女も昼間の現場に居合わせた。恐怖に身を震わせ、動くこともできなかったという。

 ベッドサイドに置かれた鏡台の前で主人の髪を梳りながら、表情を大げさに変えながら語る姿が可愛らしいとリリーは思う。

 「私も驚いたわ」

 豹変した姿にだけではない。今日1日で知った様々な事に対して。

 家族もわざわざ検閲される手紙に書く必要は無いと判断していたようだ。エドワードに関することは、特に。

 心配そうに様子を伺う侍女に、リリーは頷いて見せる。

 「3年前に既に裏切られていたことは悲しくて許せないけれど、あの約束が私を支えてくれていたことは事実だから。感謝はしているわ。本人は覚えていなかったけれどね」

 自嘲気味な笑みを浮かべ、鏡の中の自分と向かい合う。

 「後宮での憂鬱な日々。誰にも相手にされず、自由も無く。逃げ出したかった、でもその勇気も無かった」

 何不自由ない暮らしは、何の刺激も無い暮らし。ただ、毎日が過ぎ、お茶を飲みながら庭を見つめるだけ。

 「そんな生活が一生続いたら、と絶望する気持ちを誤魔化すために、あの約束に縋りついていたのかもしれない。エドワード様ご本人への気持ちなんて、とっくに形骸化していたのだと思う」

 「今になって思えば、お手紙の1通も無かったことは不自然でしたもの」

 ジュリアも肩を落とす。彼女だって幼少の頃からエドワードとは顔見知りだ。どれだけ筆まめな性格かもわかっていたはずだった。

 しばしの沈黙の後、突如、ジュリアは深々と頭を下げた。

 「リリー様、すみませんでした!」

 リリーが驚き、後ろを振り返ると、目に涙を浮かべていた。

 「きっと私も心の奥ではリリー様と同じ気持ちだったのです。逃げ出して、帰りたかったのです。だから、エドワード様が今でもリリー様のことを想っていて下さると、何度も励まし、鼓舞してしまったのです。本来なら私が冷静になって、ご指摘しなければならなかったのに……」

 声に詰まり、両手で顔を覆ってしまった。リリーが傷付いたことに、責任を感じているのだ。

 静かに立ち上がると、リリーはそっとジュリアを抱き寄せた。

 「ジュリアのせいではないわ。後宮では私の侍女だからと爪弾きにあっていたのでしょう? 辛かったわよね。私の方こそ、気遣ってあげられなくて、ごめんなさい」

 謝ろうとする主人に「とんでもない」と、慌てて顔を上げるジュリア。

 すると、彼女の目の前には、にっこりと微笑むリリーが居た。

 「お互い様よ。だから、もう気にしなくて良いのよ」

 この話はおしまい、とでも言うように、リリーが肩をポンポンと叩き、再び鏡台に向き直って座る。

 泣き笑いを浮かべながら、ジュリア。感心したように呟く。

 「リリー様はお強いのですね」

 リリーはフフッと笑うと、鏡越しにジュリアに微笑み掛けた。

 「デューク様が慰めてくださったの。相変わらず不器用だったけれど」

 リリーを優しく包み、泣く場所を与えてくれたデューク。思い出すと頬に熱が集まってしまう。

 誤魔化すように、ブンブンと首を左右に振る。

 「デューク様……」

 うわ言のように名を呼ぶジュリアは、口元に手を当て、考え込む。

 「思えばリリー様が王妃候補になられてから、周囲の態度が変わって、私にとっても居心地の良い環境になりました。エドワード様と対峙しても、男らしくリリー様を守って下さいましたね」

 すっと顔を上げる。櫛を力強く握りしめ、鏡の中のリリーを見つめ、ジュリアは誓う。

 「決めました」

 瞳にはメラメラと炎が滾る。

 「私、デューク様とリリー様のご結婚を、全力で応援することにします!」

 「……は?」

 呆気にとられるリリーを余所に、ジュリアは決意を新たに拳に力を込めたのだった。

 「きっと、デューク様なら、リリー様を幸せにして下さいます!」


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