Ⅰ
テーブルの上に置かれた大きな地図。色紙を駆使して作られた地図は、アドリアーノ王国を中心に、世界中を一目することができる。
星型の黄色い紙をアドリアーノ王国の位置に糊付けしたリリーは、満足げに頷く。
「だいぶ出来てきましたね!リリー様」
「ええ。もう少しで完成よ!」
楽しげに地図を覗き込むジュリアに、リリーはにっこりと微笑んだ。
――里帰りから戻ると、リリーは別人のように活動的になった。
いつかは出て行くのだからと、これまで王宮内の出来事に無関心でいた。静かな安住のための最小限の人間関係を築く以外、特に他人と関わることもしなかった。
だが、本来のリリーはそんな消極的なタイプではない。
好奇心旺盛で色々なことに興味を持ち、執念深く探求する。何か問題を発見したら、解決せずにはいられない。
口も出すし、自ら行動にも出る。
「以前はリリー様のお姿が見えなくなっては、よく探しに行かされたものでしたね」と懐かしそうにジュリアが苦笑する。そういえば「この3年、よく城内で大人しくしていたものだ」と兄に感心されたことを思い出す。
むやみに動き回って、周囲から目を付けられることを避けていたのだ。だが、これからは部屋でじっとしている必要もない。
リリーは部屋に閉じ籠ることを止め、王宮内を散策し始めた。
恥ずかしいことに、王宮内についてリリーはほとんど知らなかった。わかる範囲は、自室とセレモニーホールくらいである。
デュークに王宮に詳しい者を紹介して欲しいと願い出ると、得意満面に「俺が教えてやる」と返答された。確かに、生まれてから今日まで王宮で過ごしているのだから、エキスパートではある。やむなく了承する。
その日から、午後の休憩時間は王宮探索に充てられることになった。
王宮は想像していたよりもずっと広く、複雑な構造をしている。行き止まりの廊下や螺旋の階段。窓のない廊下を歩いていると、方角までも危うくなる。
「もし敵に攻め込まれたとしても、この構造なら一気に攻められる心配はない」
案内人に立候補するだけのことはあり、デュークは王宮内を熟知していた。道に迷わないことは当然、壁に掛けられた絵画や庭園の樹木についても解説してくれる。
新しい発見が新鮮で嬉しく、リリーは熱心にメモをとった。とてもではないが、一朝一夕で覚えられはしない。
ふいに「葉が付いているぞ」とデュークが髪に手を伸ばす。ビクッと体を固くするリリーは、恥ずかしくて目を逸らしてしまう。お礼を述べる声が小さくなる。
里帰り以降、リリーはデュークの何気ない行動の1つ1つに過剰に反応してしまうようになった。
目が合えば逸らしてしまう。手が触れれば触れた箇所が熱を帯びる。
決して嫌な訳ではない。ただ、恥ずかしいのだ。
最初は無意識だったが、最近は嫌でも自覚せざるを得ない。
彼が近距離にいるだけで、胸の鼓動が速くなる。
そんなリリーの様子を楽しむように、デュークはわざと手を繋いだり、髪を撫でたりする。顔を寄せられた日には卒倒してしまいそうだ。
「私、どうしてしまったのだと思う?」とジュリアに問えば、クスクスと笑われる。
「まるで恋する乙女のようですよ、リリー様」
リリーは知っている。ジュリアが、里帰り先でのデュークの武勇伝を語り回っていることを。
主人をその気にさせようと必死なのだが、当のリリーはからかわれているだけだと思っている。
「失恋からそれ程月日が経たないのに、恋なんてするはずがないわ」
「恋は常に上書きされるものですよ」
強がるリリーに、鉄壁の笑顔で応戦するジュリア。断言され続けると、さすがに「そうかもしれない」と思い始めてしまう。
2人の結婚を応援しているのは、ジュリアだけではない。
家臣や侍女たちも2人を温かく見守っている。こっそりこちらを伺う視線の数は日々増えている。
☆
――王宮探索を開始してから数日後。
今日は王宮内の奥にある中庭の1つを訪れた。可愛らしい花が沢山植えられている花壇を見て回り、噴水の縁で休憩をした。暖かな陽光を浴びるのは、気持ちが良い。
日差しの下でデュークの髪は光り輝く。眩しくて目を細めると、「見惚れただろう?」とからかいながら額を小突かれる。図星だ。
探索を終え自室への渡り廊下を歩いていると、不意にリリーのスカートにポフッと何かがぶつかった。
首を傾げつつ振り返ると、小さな男の子がへばりついていた。
「え?」
5歳位の男の子は、高級そうなシャツにチェックの半ズボンを履いている。王宮にいるのだから、それなりの身分のはず。
微笑み掛けてみるものの、リアクションはない。けれど、スカートを離そうとはしない。
「何をやっているんだ?」
歩みを止めたリリーに気付き、ひょいと覗き込むデューク。驚いた顔をしたのも一瞬で、すぐに男の子の首根っこを掴んで持ち上げた。
「デューク様!?」
驚いて目を点にしていると、デュークは男の子にニヤリと笑い掛ける。
「何をしている、カイン。勉強の時間だろう?」
カインと呼ばれた男の子は、ベーッと舌を出してそっぽを向く。
肩を竦めるデュークは、カインを持ち上げたまま、周囲に視線を動かし始めた。何かを探している。
「メリルも隠れているんだろう? 出てこい」
すると、大人しそうな少女がおずおずと茂みから姿を現した。ビクビクとしている。
身長からして、カインよりは年上のようだ。
二人ともブロンドの綺麗な髪に、青い瞳をしている。整った顔立ち。この容姿はどこから見ても王族だ。
デュークは唖然としているリリーに向き直る。
「この2人はメリルとカイン。俺の腹違いの弟妹だ」
やっぱり王族だったかと納得する。腹違いのということは、側妃の子供だ。
リリーはスカートの裾を掴むと、「リリーです」と礼儀正しく挨拶をした。子供とはいえ、王族は誰よりも身分が高い。
ぺこりとお辞儀をする姉。デュークに頭を押さえつけられ、どうにか頭を下げる弟。
「それで? お前たちは何故ここにいる?」
カインをメリルの横に下ろす。しゃがみ込み、2人と目線を合わせている。
ブラック王子のままのデュークが子供たちと話している姿は新鮮だ。
「姉上が、兄上の婚約者を見てみたいって言うから」
「お前は勉強したくなかっただけだろう」
半眼で睨むが、カインは悪びれた様子もない。普段から生意気な態度を取っているようで、デュークは慣れた手付きでカインの頬を抓っている。
だが、顔を真っ青にしたメリルは、2人の様子にあたふたとしながら間に入る。
「お兄様、カインを怒らないで。外国のお勉強がつまらないから抜け出したいって言い出したのは私なの。そのついでに、お散歩中の婚約者さんにお会いできたらいいなって……」
だんだんとか細い声になっていく。泣き出してしまうのではないかと、リリーは冷や冷やしながら見守る。
フゥと息を吐き、デュークがリリーを振り返る。
「この2人の部屋で休憩にしよう」
もうしばらく2人のお勉強拒否に協力しようというのだ。リリーは大きく頷いた。
子供たちの部屋は王宮の中でも奥に位置しているらしい。
部屋の近くまでやって来ると、2人を捜索していた侍女たちが走り寄って来た。皆汗だくで、必死な表情だった。
デュークが事情を説明すると、皆深々と頭を下げた。
「お茶を出してもらえるだろうか」と猫かぶりの笑顔でお願いをすると、すぐにバルコニーにテーブルが用意され、お菓子と温かいお茶が並べられた。顔を真っ赤にしている侍女。心なしか、お菓子がゴージャスだ。
オンとオフを切り替えるデュークをジロリと見やる。何だか、面白くない。
「爽やかキラキラ王子のイメージの方が得をすることが多いから仕方ないだろう」と聞いてもいないのに小声で言い訳を始める。
「子供たちには?」と反撃すると「子供相手にキラキラさせても、作り笑顔だと見透かされるだけだ」と応戦。「それもそうですね」とそっけなく返す。
気を取り直し、カップを持ち上げながら、リリーはメリルに問いかけた。
「どうしてお勉強がつまらないのですか?」
大人しそうな少女が授業を抜け出したいと思う程、苦痛な内容なのだろうか。口を尖らせ、メリルは嘆息する。
「外国のお勉強だけ嫌いなの」
すかさずカインが補足する。
「だってあの先生、分厚い本をずっと読んでいるだけなんだ。退屈しちゃう。外国に行く機会なんて滅多にないんだし、別に学ぶ必要もないと思う」
実に率直な意見を述べる子供だ。リリーは感心してしまった。
「何感心しているんだよ」と笑いを堪えてリリーを小突きつつ、デュークも「確かに、あの先生の授業は辛いな。俺も昔、何度居眠りをしたかわからない」と同意している。
メリルがおずおずとリリーにその分厚い本を見せる。様々な国について書かれているため、厚さだけで10cmはある。
パラパラとめくると文字ばかり。これでは子供が飽きてしまうのも仕方ない。
パタン。本を閉じ、リリーはデュークに向き直る。
「お願いがあります。1度、私に外国についての授業をさせて頂けませんか?後宮へ上がる前、父の仕事を手伝って、取引先や近所の子供たちに講義をしていたのです。貿易についての内容が主でしたが、諸外国についてもこの3年でかなり詳しくなりました」
得意分野である。リリーの経験と知識を活かせるならば、願ったり叶ったりだ。
リリーの申し出。差し出がましかったかと不安になり、デュークの顔を覗き込む。
意外にも、彼は嬉しそうに目を細めながら頷いた。
「俺から話を通しておこう。用意もあるだろうから、3日後に」
二つ返事で了承してくれる。
「ありがとうございます」
デュークに信頼してもらえているようで、リリーは嬉しくなった。
「楽しみにしていてくださいね」
上機嫌に子供たちに向かって笑い掛けると、2人は不思議そうにしながらも、コクリと頷いた。




