Ⅲ
嵐が過ぎ去ったようだ。
ぽかんとしてドアを見つめていたリリーは、背後で聞こえた、チッという舌打ちの音で我に返った。
「母上め、余計なことを」
振り返ると、ベッドのデュークが目を開いていた。手で体を支え、身を起こそうとしているではないか。
傷が痛むのか、苦悶の表情を浮かべている。
「デューク様!? 無理はいけません!」
慌てて彼の元へと駆け寄り、体を支える。起きたいというので、枕を何重にも背に入れ、ゆっくりと寄り掛らせた。
「今、お医者様を呼んで参ります」
「後でいい」
だいぶ前から目覚めていたのだろう、すっかり意識が覚醒しているようだ。
リリーが傍らの椅子に腰掛けようとすると、デュークはポンポンとベッドの端を叩いた。ここへ座れ、と。
戸惑ったものの、言い出したら聞かないデュークである。立ち上がると、「失礼します」と言いながら腰掛ける。
気まずそうに目を逸らすデューク。リリーも顔を上げることができずにいる。
距離が、近い。
思い掛けず心拍が上がるのを抑えるため、話し掛ける。
「この度の事、本当にすみませんでした。私のせいで……傷は痛みますか?」
「まあ、な。だが、大したことはない。気にするな」
と言った後、「いや」と撤回する。
「気にしろ。大いに気にしろ」
目を見張ると、デュークが意地悪く笑っている。
「その罪悪感から、もうここを出て行こうと思わないならな」
射抜くような視線はまっすぐにリリーを捉える。有無を言わせない、力を持つ。
ドキドキと心臓がうるさい。
デュークはリリーの髪を撫で、一房掬い取ると、そっと口付けた。
「母上の話は本当だ。俺はお前を妻に娶るために、国王になった」
本当は国王の座になど興味はなかったのだが、と苦笑する。
胸の高鳴りのせいで、思考が上手く働かない。
ミノンもデュークも、肝心の言葉をくれはしない。答えをくれない。
リリーの解釈で受け止めるならば、とても幸せな答えに辿り着く。だが、もう勘違いはしたくない。
リリーは泣きそうな表情で、デュークの腕にすがりついた。
「ちゃんと、教えて下さい。何故私を妻にしたいのですか? それに、勘違いとは何のことですか?」
今度はデュークが目を見開いた。
少し視線を彷徨わせた後、体の力を抜いてポスンと背を枕に預けた。
「デューク様には想いを寄せる姫君と幸せになって頂きたい。私は自らの意思で城を去ります。さようなら」
棒読みでデュークが諳んじる。
リリーははっとして口元を押さえる。あの時の書置きの文章だ。
「そうだな、勘違いさせてしまったことが今回の『事故』の原因だったな」
ポリポリと頭を掻くと、指を3本立てた。
「勘違いその1、俺の想い人はエミファ姫ではない。勘違いその2、姫の想い人も俺ではない。勘違いその3、姫が寝込んでいるのは婚約解消によるショックではない、ただの悪阻だ」
「……悪阻!? まさか、デューク様のお子……」
「そんな訳あるか」
青ざめるリリーの額を小突く。
「アーサーの子だ。姫とアーサーは恋仲だ」
アーサー王子とエミファ姫が、恋仲とは。突拍子もない話だ。
「母上も仰っていた通り、俺たちの婚約は形ばかりのものだった。とはいえ、両国の体面上無碍にもできず、姫は度々この王宮を訪れていた。2人の関係がいつからか、俺も詳しくは知らない。姫に近付くために、アーサーが突然外国の授業に熱心になったとは聞いたことがあったが。気付いた時には子を身籠っていた」
デュークはやれやれと首を振った。
「身籠らせてしまった以上、責任を負うのが筋だ。だが、アーサーは今も煮え切らない態度を取り続けている。あいつの恋人はエミファだけではないからな」
「では、エミファ様のお部屋へ通っていらしたというのは?」
「正確には、エミファの部屋の先にあるアーサーの部屋に通っていた。あいつを説得するために。それに、庭で抱き合っていたのを見たと言っていたが、単に散歩中のエミファが貧血で倒れたところに、偶然俺が居合わせ、体を支えていただけだ」
偶然、を強調する。不可抗力だったのだ、と。
「誤解は解けたか?」と覗きこまれ、慌てて「はい」と答える。
デュークとエミファは、相思相愛の恋人では無かった。リリーが2人を引き裂いた訳では無かった。
胸のつかえが取れ、気持ちが晴れ晴れとしていく。俄然、表情も明るくなる。
あからさまに元気を取り戻すリリーの様子を見て、デュークははにかみながら、ポンポンと頭を撫でた。優しい手に、更に心が溶かされる。
それにしても、庭で抱き合っていた2人を目撃したことがきっかけで城を出て行った話は、ミノンとの会話のほぼ冒頭ではないか。デュークはかなりの間、狸寝入りを決め込んでいたのだ。そういえばミノンが何度かデュークの方を伺っていた。きっと白々しい演技に気付いていたのかもしれない。
頭を撫でていた手が、リリーの頬を包む。
「城を抜け出したと知った時は、さすがに焦ったぞ? ……お前に俺の気持ちが伝わっていないとは、思いもしなかった。意外と鈍感なんだな」
触れられた頬から熱が生まれ、体中に回ってしまうようだ。悪態を吐かれているのに、言い返せない。
ようやく震える声で、リリーは訴えた。
「言葉にして頂けないと、伝わらないです」
鈍感だなどと簡単に言わないで欲しい。
自信が持てないからこそ、悪い方に考えを巡らせてしまうのだから。
リリーに自信を与えるような、望む言葉をくれるだろうか。期待と不安が押し寄せ、思わず泣きそうになる。焦れる。
デュークは一瞬視線を逸らそうとしたが、止めた。
真に向き合わなければ、この想いは伝わらない。逃げてはいけない。
もう片方の手でも頬を包むと、デュークは身を起し、リリーに顔を近付けた。額をコツンと当てる。
ゆっくり息を吸い込む。瞳を閉じる。
意を決したように口を開き、青い瞳がリリーを捉える。
「俺の想い人はお前だ」
やっと、もらえた。
「好きだ」
ずっと欲しかった言葉――。
嬉しくて。リリーは満面の笑みを浮かべ、頬を真っ赤に染める。
デュークはぎゅっと体を抱き寄せた。耳が赤いのは気のせいではない。
「気付けよ、馬鹿」「好きでも無い女を妻にするはずがないだろう?」と悪態を吐くのは、強がっているから。
愛情の裏返しだと思うと、悪態も可愛く思えてくるから不思議だ。
傷に障らないように、そっとデュークの肩に顔を埋める。
「デューク様、お慕いしております」
やっと言葉にすることができた。
初めての告白。恥ずかしさで、死にそうだ。顔を上げられない。
そう思っているのに、突如デュークがリリーの両肩を掴むと引き剥がした。
真っ赤な顔が見られてしまう。
また馬鹿にされてしまうかと覚悟したが、杞憂だった。彼の方が更に顔中を赤く染めていたのだから。
「それは、俺に惚れたということだな?」
「は、はい」
迫力に押され、目をぱちくり。
刹那、デュークは破顔した。これまで見たことがない程、嬉しそうに。楽しそうに。
「よし! これでようやく結婚できるぞ!」
ようやく?
婚約者なのだから、いつでも結婚はできる。王宮へ移動した段階で、後戻り出来ない程結婚の準備は進んでいたではないか。
不思議そうな顔をしているリリーに対し、「式の準備を中断していた」とあっさり爆弾発言をするデューク。
式が延期されていたなんて、知らない。そもそも、自分の結婚式なのに日程を知らされていない。知らないことに気付いてもいない。
花嫁が蚊帳の外で良いのだろうか、否、決して良くない。
「俺のせいで無理矢理王宮に連れて来られたから、俺はお前に責任がある。これまで全て、お前の意思を無視してきた。だからせめて結婚はお前が俺を好きになってからにしたかったんだよ」
「私がデューク様を好きにならなかったら、どうなさったのですか?」
少し意地悪をしてみたくなる。せめてもの仕返しだ。
だが、デュークは口の端を上げると、自信たっぷりに「俺に惚れない女はいない」と言い切った。自信に満ち溢れた言葉。
確かに、とリリーは思う。
外見や頭の良さだけではない。デュークは不器用だが優しい。その優しさが、人の心を掴むのだ。
不意に、デュークがリリーの左手を取った。
「仕切り直しだ」
そっと持ち上げ、薬指にキスを落とす。指輪はまだない。
「夢を語るお前は、とても眩しかった。同時に、いつかお前に胸を張れる男になりたいと思った。それが目標であり、夢になった。抜け殻だった俺に息吹を吹き込んでくれたこと、感謝している」
熱の籠った瞳が、リリーを捉える。
「リリー、俺の妻になって欲しい」
――プロポーズ。
リリーは泣き出した。
知らないところで、何年もの間、デュークはリリーを想い続けてくれていた。リリーのために、立派な王になるべく努力してくれていた。
心が震え、涙が止まらない。
右の手で涙を拭うと、精一杯微笑んだ。
「喜んで」
デュークはリリーが泣きじゃくる様を嬉しそうに見つめた。
拭ったそばから、また涙が溢れる。
「そんなに泣くな」と笑いながらも、リリーの涙を拭うと、愛おしそうに微笑んだ。
そっと身を屈めると――リリーの顎を持ち上げ、唇を重ねた。
触れるだけの口付け。
一瞬の事。突然過ぎて、目も開けたまま。頭が真っ白になる。
ゆっくりと顔を離しながら、満足げにリリーを見つめるデューク。
パチパチと瞬きを繰り返しているリリーに苦笑しながら、耳元に口を寄せる。甘く囁く。
「幸せにするから、ずっと俺の隣にいろ」
一気に顔が赤くなる。全身の熱が顔に集まる。
「……はい」
コクリと頷く。
顔が熱くなり過ぎ、涙も乾いてしまった。
ポスン。デュークが背を枕に預ける。
「疲れた」
顔を背けるデューク。
いつもそっぽを向く照れ屋さんが、真っ直ぐに向き合って、精一杯の告白。プロポーズ。
精神的に疲れたに違いない。
そっと手をリリーの前に差し出す。
「少し休む。俺が目覚めるまで、傍に居ろ」
なんだか甘えているようなデュークの態度を可愛いと思ってしまう。本人に伝えたら怒られてしまうから、秘密だ。
「はい」
リリーは微笑んだ。
幸せな気持ちでいっぱいだった。




