Ⅲ
ジュリアが戻って来たのは、夜遅くになってからだった。
今日に限ってデュークが忙しく、リリーは夕食を1人でとった。正直、どんな顔を合わせれば良いかわからず困っていたので助かった。
ぐったりしたような侍女の様子に、「ああ、悪い知らせだ」と直感する。
ソファを勧め、自らも隣に腰を下ろす。
「どうだった?」
口籠るジュリアを気遣い、話題を振る。
「やはりあの方々の仰ったことは本当だった?」
小さく頷く。
「粘り強く問い詰めたら、ようやく教えてくれました。強い緘口令が敷かれているようです。婚約が破棄され、姫君が体調を崩して城内に留まっていることは確かなことのようです」
リリーたちの結婚の裏に、このような犠牲が払われていたなんて。
自らの結婚だというのに、疎外感を受けずにいられない。またしても、リリーとジュリアは蚊帳の外に置かれている。
「ですが」と最低限の抵抗を示すようにジュリアは顔を上げる。
「相思相愛だという証拠はありません。まして、側妃を迎える話等、根も葉もない戯言だと思います」
必死に主人を力付けようとしている。優しさが、リリーには心苦しい。
「だけど、デューク様が私にこの事を隠していたのは事実だわ」
全くのでたらめで話す必要がないと判断したことなのか、何か後ろ暗いことがあるから話題に出さないのか。
わからない。
「俺にも責任の一端はあるからな」とかつて彼は言った。だから「幸せにする」と。
責任とは何に対するものだったのだろう。今更になって、疑問が湧いてくる。
もしその責任のために、彼が想い人への気持ちを諦めたのだとしたら――。
どんな気持ちでリリーの元を訪れ、共に時間を過ごしていたのだろう。
妻は1人で良いと言ったのは、想い人の悲しみを最小限にするためだったのだとしたら――。
だからリリーを選んだ理由を教えてくれなかったのだとしたら――。
心がどんよりと黒くなっていく。
「私、馬鹿だわ」
今更になって気付く。
確かに恋は上書きされていたのだ。
デュークと居ると心が浮かれ、ドキドキと心臓がうるさく高鳴った。
ちょっとした動作に振り回され、けれど、楽しかった。
リリーを信頼し、進言を許し、惜しみなく協力してくれた。
必要な時には、傍に居て守ってくれた。
不器用な優しさで包んでくれた。
彼の意地悪な笑みを想い浮かべ、思わず涙ぐみそうになる。
「デューク様に直接尋ねてみてはいかがですか?」
ジュリアの言葉に、素直に頷けない。
「もし尋ねて、全てが本当だったら……」
答えを聞くことが、怖い。
「私はどうしたらいいのかしらね」
力なく宙を仰ぐリリー。新緑の瞳はただ虚空を眺めている。
このまま知らぬ振りをしていれば、デュークと結婚するのはリリーである。
だが、本当にそれで良いのだろうか。結婚した後、2人の心はどこへ向かうのだろうか。
リリーは大きくかぶりを振った。
「考えても仕方が無いわ。とりあえず、今日は寝ましょう」
立ち上がると、ジュリアに遠慮がちな笑顔を向ける。
「心の準備ができるまで、少しだけ待って」
今しがた、恋に気付いたばかり。もう少しだけ、この恋を諦める覚悟のために時間が欲しい。
察した侍女が頷き返すのを確認する。
「おやすみなさい」と言うと力なく寝室へと向かった。
☆
翌日。夕方のこと。
リリーは自室で頭を抱えていた。行儀も何も無視し、机に突っ伏している。
傍らに控えるジュリアは、涙をハンカチで拭っている。
「やっぱり、側妃たちの言っていたことは正しかったのだわ」
――数刻前。
メリルに呼ばれたリリーは、ジュリアと共に彼女の部屋を訪れた。すっかり気に入られたリリーは、ここへ通うことが日課になりつつある。
大好きな外国のおとぎ話を聞かせ、一緒に歌を歌った。教科書の付箋を自慢げに見せられ、「頑張っていますね」と拍手を送る。
正直、気が紛れた。
自室にいてもモヤモヤと考えてしまうので、今日は率先して朝から動き回っている。そのせいで、デュークとも顔を合わせていない。
メリルには、いつもは午後のお茶に呼ばれ、夕食の前に退室する。
だが、今日に限って彼女に用事があり、だいぶ早い時間に退室することになった。残念がるメリルを侍女が必死に宥め、その隙に2人は部屋を後にしたのである。
「まだ明るいから、あちらのお庭を見ながら帰りましょう」
偶然の提案だった。気晴らしをしようと思っただけの。
いつも通らない道を、いつもは通らない時間に歩いた。新鮮だったから、余計に周囲を見渡しながら歩いた。
だから、すぐに気付いてしまったのだ。
「エミファッ」
周囲に響く、デュークの声と。
――中庭で抱き合う、デュークと見知らぬ女性の姿に。
目の前が真っ白になった。
呼吸を忘れ、瞬きを忘れた。
どれだけそうしていただろう。恐らく一瞬。だが、リリーにはとても長い時間に感じられた。
ぐいとジュリアがリリーの腕を引く。リリーは柱の陰に引き込まれ、ようやく正気を取り戻した。
2人は目配せをすると、足音を殺し、逃げるように早足で自室へと向かった。
王宮でも1、2を争う速度で歩く2人が倍速で歩き、すれ違った者は皆「何事か」と一様に振り返った。
「やっぱり、側妃たちの言っていたことは正しかったのだわ」
机に突っ伏しながら、先程の光景を思い浮かべる。
ピンク色のふわふわしたドレス、明るい金髪の小柄な女性。可愛らしい方だと側妃が言っていた通りだと思った。
エミファと呼ばれた女性は、デュークの腕にすっぽりと収まり、背中に腕を回しているように見えた。
デュークの表情こそ伺い知れなかったが、彼女の名を呼ぶ必死な声音が、2人が相思相愛であると示しているように思う。
――リリーの存在が、2人を引き裂いている。
心にぽっかりと空いた穴に、風が吹きすさぶ。
リリーには忙しいと言っていたのに、隠れて密会していた。多分これまでにも逢瀬を繰り返していたに違いない。
デュークの心を占めているのは、エミファだ。
不器用な優しさでリリーを抱きしめ、泣いても良いと言ってくれたデュークを思い出す。
「あの優しい人に、これ以上、苦しい想いを抱かせたくない」
彼を自由にしてあげたい。
それが、彼の幸せならば。
リリーは唇をきゅっと噛み締めると、大きく頷く。決意する。
「デューク様はお姫様と幸せになるべきだわ」
「そ、そんなこと、ありません!リリー様こそ、ずっと!」
嗚咽を堪えながら慰めようとするジュリアに、リリーは静かに首を左右に振った。
「お願いがあるの」
上体を元に戻し、ジュリアに向き直る。涙が出ないリリーに代わって泣いてくれている。真っ赤に腫らした目鼻が痛々しい。
「ここを出ましょう。誰にも告げずに」
「なっ!」
驚嘆の声を上げそうになるジュリアの口を手のひらで塞ぐ。人差し指を口元に立てながら、声を殺して訴える。
「私が居なくなれば、妻の座が1つ空くことになるでしょう? デューク様のことだから、きっと要領良くエミファ様をその座に着けられると思う」
「だからと言って、こっそりと出て行くなんて。リリー様に悪評が立つことは必至です」
「理由を告げたら、デューク様はご自分の心を曲げても、私を引き留めようとなさる。それではダメなの。私に悪評が立つくらい、大したことではないわ」
迷いのない瞳でジュリアを見つめ、にっこりと微笑む。
「実家に身を隠すのもつまらないし、いっそ船で外国にでも旅行に行きましょうか。ジュリア、付いて来てくれる?」
リリーは卑怯だ。ジュリアが断るはずが無いのを知っていて、敢えてお願いするのだから。
ジュリアは涙を拭うと、ドンッと胸を叩いた。
「リリー様のいらっしゃるところなら、どこへでもお供します!」
「ありがとう」
2人は立ち上がった。
打ち合わせをしたかのように、テキパキと動き始める。
リリーはトランクを引っ張り出し、身の回りの物を詰め込み始めた。予行練習は3年かけて行っているため、動きに無駄が無い。
ジュリアはドアに「お昼寝中です」の看板を提げると、廊下に姿を消した。警備が手薄になる時間と場所を確認しに行ったのだ。いつ「実家に逃げ帰りたい」とリリーに頼まれても良いように、こちらも3年掛けて調査している。最終確認を残すのみだ。
荷造りが終わると、トランクをベッドの下に隠す。
今度は机に向かう。
リリーが提案したチャリティーバザーと基金を放り出す訳にはいかない。リリーが居なくても大丈夫なように、備忘録と今後の指示を書き記す。新たな提案も書き足す。また、書類をファイリングし、重要な箇所には印を付ける。
明日の収益次第ではあるが、恐らくすぐに軌道に乗るだろう。多額の寄付も目処が立っている。
この基金が、後に病院や学校を新設する際に用いられるだろう。見届けることは叶わないが、多くの国民の笑顔を想像すると、少しだけ胸が温かくなる。
書類一式を戸棚に隠す。
窓の外を見やると、宵闇が迫っている。
ジュリアが静かに戻って来た。大丈夫だ、と頷く。
後は明日、バザーの提供物に紛れてトランクを城外へ運び出す。出立は夕刻、明日の今頃だ。
まもなくして、コンコンとドアがノックされる。
リリーが振り返った先には、デュークが居た。返事をする前に入室するのは彼だけだ。
「久しぶりに顔を見られたな」
嬉しそうに青い目を細めないで欲しい。演技だと思うと、切なくなるから。
気持ちにそっと蓋をして、リリーはニッコリと微笑んだ。
「すみませんでした。慌ただしかったものですから」
「いや、俺の方も色々と立て込んでいたからな」
着席し、ベルを鳴らすとすぐに給仕人が料理を運んでくる。
明日の朝は早いから、朝食は各自とることになる。こうして2人で丸いテーブルを囲むのは、これで最後だ。
思い出として心に刻もう、最後の晩餐を。
楽しい時間を過ごそう。
リリーの決意を悟られぬよう、細心の注意を払う。にこやかに微笑めば、気持ちも少しは軽くなる。
食事が進むにつれ、デュークは怪訝な表情を浮かべ始めた。心配そうに顔を見つめられる。
「何かあったのか?」
「何も無いですよ」
即答してしまった後、後悔しながら、「明日のバザーのことで緊張しているのかもしれません」と言い直す。
「それなら良いが……。明日は朝から忙しない。無理はするなよ」
腑に落ちない様子ではあるが、どうにか誤魔化すことはできた。デュークの鋭さには感服する。
デュークの気遣いを嬉しく思い、リリーは満面の笑みで返した。
「ありがとうございます、デューク様」
デュークの優しさに触れ、リリーの胸は高鳴る。
目に焼き付けるように、じっとデュークの顔を見つめた。
「明日は精一杯頑張ります」




