幼女、池で溺れる
閲覧、ブクマ、評価とありがとうございます!
感想もいただけまして、好きという一言をもらえたことでこんなにもやる気がガッと湧き出るなんて自分でも驚いてしまいました(^^ゞ
あれだけ集中力が持続しない……と悩んでいたのが嘘だったかのように頑張れました。単純すぎます、自分(*ノω・*)テヘ
続きもまたお付き合いいただけたら嬉しいです♪
~幼女、池で溺れる~
「……とりあえずは、旦那様。そのずぶ濡れ状態はどうかと思いますので、湯浴みをされて着替えられることをお勧めいたします」
呆れたような視線をお父さまに向けていたガルドだったけれど、すぐに場を取り成すようにお父さまにそう告げた。
確かにこのずぶ濡れ状態のままじゃ風邪引くよねぇ。
いくら春だとはいえ、身体が冷えないとも限らないし。
「うん、そうだね。絞って水気を取ろうにも埒が明かないし」
そりゃそうだ。
全身水に浸かってんだから。
ガルドに促されたお父さまは、苦笑しながら邸内へと戻っていった。
通った後がとんでもない水浸しになりそうだな。
お掃除担当のメイドさん、余計な仕事が増えて苦労しそう。
もしずぶ濡れになったのが私で、邸の廊下を水浸しにするようなことがあったら『ゴメンね、濡らした責任取って掃除する~!』って自ら床磨きをしているところだ。
まぁ仮にそんな状況になったとしてもメイドさんたちは絶対にそんなことはさせてくれないだろうけど。
例え私が原因で余計な仕事を増やしちゃったとしても、雇い主側である私がメイドさんの仕事に手を出すことはタブーなのだ。
────貴族、メンドクセ……
いつまで経ってもこの感覚慣れない気がする。
今世も前世も根っからの庶民なのだ、私は。
そんなことを考えていたら、いつの間にやら奥の四阿へと誘導されていた。
気づかぬうちに大理石造りの椅子に座らされていた私は、そこでガルドがテキパキとお茶の用意をしているのをぼんやりと眺めた。
準備の手を緩めることなく、ガルドは兄さまと先ほどの話の続きをしているようだ。
おまけに何か思うところでもあったのか、ガルドは苦笑顔を隠すことなく兄さまに向けてこう言った。
「それにしても珍しいこともあったものですね。坊ちゃまが大声を張り上げるなど。それも旦那様に対してですからね」
その言葉の調子から窘めているわけではないとすぐに分かる。
どちらかと言うと、おかしそうにといった感じの物言いだったのだ。
「旦那様のあのずぶ濡れ状態も坊ちゃまの仕業でしょう?」
……と、確信していながらそのようなことを問う。
苦笑しながら『坊ちゃまにも反抗期がやってきたのですかねぇ……』なんて言うあたり、完全にガルドは面白がっている。
そして、そのことに兄さまも気づいている。
いやぁ~、でも兄さまに限って反抗期はないと思うな。
年齢にしては落ち着きすぎてるし、考え方も大人なんだもん。
「……あれが反抗期からの行動だというなら、もっと派手にやっている」
「おや?」
「僕はやられた分をきっちり返しただけにすぎない」
むっすりとした表情でそう言った兄さまを見たガルドが再び苦笑する。
「これは相当なお怒り具合ですね、坊ちゃま……」
「当然だろう。レーンを危険に晒したんだ。例え身内であろうとも容赦はしない」
……と、未だ怒りが収まりきらないのか、兄さまが珍しくも感情を顕にしながら事の顛末をガルドに語っていた。
ほぼ八つ当たりも同然の愚痴だと言ってもいい。
兄さまの専属執事というだけでそれを受けなければならないガルドを気の毒に思うも、当のガルドは八つ当たりでグチグチ言われている割には然して気にもしていない様子だ。
相変わらずその苦笑が消えることはない。
一通り兄さまの愚痴を聞きながらも、手際よくお茶やお菓子を出して甲斐甲斐しく給仕をしてくれている。
「しかしまぁ、旦那様も随分と大胆なことをなさりましたね」
兄さまの愚痴を最後まで聞き終えたガルドがぽつりとそう零す。
給仕は既に終えているため、側に控えた状態で軽く顎に手を当てつつ何かを思案している様子だ。
「確かに旦那様の考えも分からなくはないですが、坊ちゃまの話を聞く限りでは悪手だったとしか言いようがありませんね」
「……僕を対象にするならまだしも、レーンだとは言語道断だ」
「そうですね」
顔を顰めながらお茶を口にした兄さまに、ガルドが同意せんとばかりに頷く。
一方の言い分だけを聞いて鵜呑みにするのもどうかと思うけれど、そこは大人と子どもとの間の経験や実力差を鑑みると兄さまの言葉のほうに同意をするのは当然のことなのかもしれない。
「それよりガルド。今何時になった?」
負の感情を粗方吐き出し終えたことである程度の落ち着きを取り戻した兄さまは、思い出したようにガルドに時間を訊ねた。
「時刻ですか? あと15分ほどで16時になりますが」
「!! もうそんな時間になるのか!? こうしてはいられない!」
言うなり兄さまはお茶を一気に飲み干して慌ただしく立ち上がった。
カップを置く時も、一応丁寧ではあったけど若干音が立ってしまう始末。
普段の兄さまからは考えられないほどの慌てようだ。
兄さまのその様子にすかさずガルドからの指摘が入る。
「行儀が悪いですよ、坊ちゃま」
そうだね。
正確には、飲み終わってから立ち上がったんじゃなく、飲み終わると同時かその直前で立ち上がったも同然だもん。
咎められるのも無理ないよ。
でも兄さまは、そんなお咎めは気にしていないようだった。
マナー以上に別のことを気にしているみたいだからだ。
「分かっている。ただ今回に限っては見逃してほしい。時間がないんだ」
「次の領地経営学の授業の時間には十分間に合いますよ?」
「それは通常時であればの話だ。さすがにこんな状態の服装で授業を受けるわけにはいかないだろう?」
そう言ってこちら───正確にはガルドのほう───へと背を向けた兄さまのシャツと膝丈のズボンは、ところどころが土と草に塗れて汚れ、更には有り得ない方向に入った皺と合わさって酷い有様になっていた。
兄さまが『こんな状態の服装』と言うだけあって、普段の兄さまからしたら考えられないほどの乱れた服装でもある。
「ロイ兄さまが私を守ろうとして、私を抱えたままの状態で背中から倒れちゃったから……」
お父さまの風の障壁に弾かれた時のことを思い出し、今でも納得いかないという気持ちから零れた言葉を、ガルドは一言一句漏らすことなくしっかりと拾っていた。
そして兄さまの服の状態を見て『……これはさすがにやりすぎでしょうね、旦那様』と溜息混じりに呟く。
「確かに着替えが必要なことを考えますと15分程度ではあまりにも時間が足りませんね。分かりました、坊ちゃま。私も参りましょう。さすがに今からではリーシェとマリエラを呼んでいる暇はなさそうです」
「そうだな。ある程度一人でもできないことはないが……手伝ってもらえるのであれば助かる」
ガルドの申し入れに頷くと、兄さまは『悪いが先に部屋に戻っている』と言い残し、急ぎ中庭を後にした。
またしても普段の兄さまからは有り得ない『走る』という手段で。
どうやら先ほど兄さまが言っていた『今回に限っては』という部分には、お茶の席のマナーだけでなく、走って部屋に戻ることも含まれていたらしい。
「……全く。らしくない坊ちゃまですね」
「そうだね」
「よほど旦那様にされたことが腹に据えかねたと見えます」
「激怒してたもん」
激おこだよ、激おこ。
あんな兄さま初めて見たかもしれない。
苦笑するガルドに同じく苦笑を返し、珍しい兄さまの怒り具合を話すとますます苦笑された。
それほどまでに兄さまは普段あまり怒らない人なのだ。
「……私もお父さまに対して怒ったし」
「お嬢様が、ですか? 旦那様相手に?」
「うん。だって兄さま怪我しちゃったし」
「坊ちゃまが怪我を?」
「うん。擦り傷だから大丈夫だって言われたけど。それでも兄さまが怪我をしたその事実が嫌だった。だから怒ったの、私」
その時のことを思い出して顰めっ面になった私を見てもガルドは何も言わなかった。
いつもだったら『淑女のなさる顔ではありませんよ』と窘められているのに。
「……なるほど? それで怒ったお嬢様が旦那様に突っかかっていって、旦那様の展開した障壁に阻まれ、それを庇おうとした坊ちゃま諸共弾き飛ばされた、と。先に聞いた話と合わせて考えるとそんなところでしょうかね」
「……うん。それで合ってる」
大まかにしか説明していなかったはずなのに、ガルドはものすごく状況把握に優れている。
得意分野でもあるのだろう。
だから多くを言わなくてもすぐに理解を示してくれることが殆どだ。
ある意味ありがたいことだけれど、専属で側に控えられている兄さまからしてみると、時々それが窮屈に思えることもあるだろう。
優秀すぎる執事も考えものだ。
「……ふう」
お茶を飲み干して一息ついたところでガルドがお茶を淹れ直してくれた。
「どうぞ、お嬢様」
「ありがとう、ガルド」
お礼を言って受け取ると、いつもと変わらない穏やかな笑みを向けられる。
けれどその直後、申し訳なさそうな顔で謝られた。
「申し訳ありませんがお嬢様。坊ちゃまの身支度がございますので、私はここで失礼させていただきます」
「うん。ゴメンね、引き止めて」
「いえ、とんでもございません。何かございましたらこのベルを鳴らせば別の者が参りますので」
「大丈夫だよ。大人しくしてるし。呼ぶとしたらお片付けお願いする時かな?」
そう言ったら苦笑された。
普通の令嬢としては有り得ない返答だったからだろう。
自分でもそう思う。
でも今は側に控えてもらわずに一人でぼ~っとしていたい気分なんだ。
思っていたよりも私は疲れているらしい。
魔法を使い続けたことだけでなく、それと合わせて怒ったことも関係しているのだろう。
怒ることって存外エネルギーを大量消費するもんなんだよ。
「では後片付けが必要になりましたら遠慮なくお呼びください」
「うん」
そう言って一礼して立ち去ろうとしたガルドだったけれど、ふと思い出したように足を止めたかと思うと、真っ直ぐにこちらへと戻ってきた。
「どうしたの、ガルド?」
「私としたことがすっかりと忘れておりました。保護した際は随分と泣いていたのですが、いつの間にかすっかりとおとなしくなって、ずっと静かなままでいてくれたので危うく保護したことを忘れるところでした」
「保護?」
「ええ」
何の話だろうと思って訊き返したところでガルドが胸ポケットに挿していたハンカチーフを取り出した。
どうやら何かを包んでいるらしく、若干の膨らみが見える。
丁寧にハンカチーフを開いたところで目に入ったのは、見慣れた彩りのサシェだ。
「え……サッシー……?」
「はい。通路の死角となっている影で震えながら泣いておりましたので保護いたしました」
「どうしてそんなところで……? プレイルームでお留守番してもらってたはずなのに。ミックたちと一緒に寝ていたはずだよ?」
「おそらく抜け出したのでしょうね。保護してそのままプレイルームへ戻そうとしたのですが、戻るのを嫌がって泣くものですから、直接フローレンお嬢様の元へ返すほうがいいかと思い、私の胸ポケットに忍ばせておりました」
ガルドの上品なハンカチーフに載せられたままのサッシーは今眠っている。
おとなしく静かだったのはそのせいだ。
ただいつもと違って、ない鼻から鼻ちょうちんを膨らませるようなのん気な寝姿ではなく、泣き疲れて哀しそうに眠っているように見える。
────私が置いていったから寂しかったのかな……
────それとも、知らない人たちばかりの広い邸を彷徨って怖くなっちゃったのかな……
────ううん、その両方ともってことも考えられる……
サッシーだけでなく、ミックもミッちゃんも、私たち家族以外ではガルドを始めとした限られた使用人しかその存在を知らない。
見知った顔のいない、知らない人たちばかりの邸の中、必死に私を探して回ったサッシーのことを思うとものすごい罪悪感に苛まれた。
今日は魔法の実践練習をするから、きっと危険だろうと思ってプレイルームに置いてきた。
独りぼっちで置き去りにしたわけじゃなく、ミックもミッちゃんも一緒でいつものように構ったり面倒を見てくれたりすると思っていたから大丈夫だと思ったのに。
でも、サッシーには違った。
ミックが一緒でも。
ミッちゃんが一緒でも。
私が一緒じゃなきゃダメだったのかもしれない。
だから、独りぼっちで知らない人たちが多く行き交う邸の中を、安全なプレイルームから出てまで私を探し回っていたんだ、きっと。
どれだけ心細かったことだろう。
どんなに怖かったことだろう。
泣いて震えて、誰の目にも止まらない通路の死角の影で、ずっと私が来てくれるのを震えながら待っていたんだ。
「……ゴメンね、サッシー。怖かったね……」
そっとサッシーを受け取り、手のひらに載せる。
哀しそうなその寝姿を見ていると、ギュッと胸の奥のほうが締め付けられ、罪悪感でズキズキと痛み出す。
指先で優しく撫でたら、無意識なのかスリスリと全身で擦り寄ってくるような動きを見せる。
「ありがとう、ガルド。サッシーのこと、見つけて保護してくれて」
「いえ。気づけたのが私で幸いでした。では、確かにお嬢様の元へお届けしましたよ。あとはよろしくお願いいたしますね? サッシーの母君として」
「うん。ゴメンね、時間を取らせてしまって」
「とんでもございません。こちらこそ失礼いたしました。それでは」
そう言って再び一礼したガルドは心持ち急ぎ足で中庭を後にした。
その後姿が見えなくなるまで見送ってから、私はサッシーをテーブルの上にそっと寝かせた。
もちろん下には私のハンカチを敷いている。
眠っているサッシーを硬いテーブルの上に寝かせるようなことはしたくはないからね。
「小さなサッシーにとっては、邸の中を一人で動き回ることはものすごく壮大な冒険も同然だったんだろうな……」
再び指先で優しく撫でる。
今度もまた同じようにスリスリと擦り寄ってくる。
まだ、怖いかな。
哀しいのかな。
そんな夢の中にいるくらいなら、起こしてしまったほうがいいのかもしれない。
怖い夢の中から抜け出して、明るく暖かい現実世界で、いつものように跳ねながら陽気に笑っているほうがきっとサッシーも幸せだ。
「サッシー……」
撫でるのではなく、軽く突いてみた。
全体を揺さぶるような感じで、決して乱暴にはならないように気をつけながら。
「サッシー」
もう一度、名前を呼びながら揺り起こす。
《……キュゥ…………》
小さな声が聞こえた気がした。
「サッシー。ママだよ」
声をかけながら、今度はもう少しだけ強めに揺さぶってみた。
転がしてしまわないようゆらゆら揺らしながらサッシーを撫でていると、再び小さな声が聞こえてくる。
《ピ……キュ…………》
もう少しかな。
あともうちょっとだけ揺さぶってみよう。
「サッシー。朝だよ、起きる時間だよ。ママは待ちくたびれたよ」
……なんて。
本当はもうすぐ夕方に差し掛かるくらいの時間だけど、起きた時の挨拶は『おはよう』だから別に朝だと言っちゃってもいいよね。
《ピッ、キュ……?》
朝、と言ったことが効いたのか。
それとも段々と揺さぶりを強くしたのが効いたのか。
眠っていたサッシーがゆるゆると目を覚ました。
その様子を見届けて、私は『もう大丈夫だ』と安心させるためにサッシーに笑いかける。
「おはよう、サッシー」
《!》
笑って『おはよう』と声をかけると、一瞬『ピンッ!』と固まって軽く飛び上がったサッシーの身体がテーブルから落っこちそうになった。
慌ててサッシーを受け止めるべく手のひらを差し出すと、ちょうどいい具合にコロンと転がってきた。
────ナイスキャッチだ、私!
どうやら転がり落ちた衝撃で完全に目が覚めたらしく、サッシーは私と目が合うなりつぶらな瞳をうるっと潤ませながら勢いよく私の頬に袋全体でスリスリしてきた。
《ピィ~……ピッキュウ~……》
泣きながらスリスリするものだから、若干私の頬が濡れたけどそれは気にしない。
今はサッシーの気の済むまで好きにさせてあげようと思う。
それがサッシーを置いてきた私なりの償いだ。
そうしてしばらくの間、泣きながら擦り寄るサッシーを優しく撫でつつ、時々『ここにいるよ』と言い聞かせるようにサッシーの名前を呼び続けた。
《ピキュ……》
少ししてからサッシーの泣き方がスンスン……とした、控えめなものに落ち着いてきた。
そのタイミングでお茶請けに用意されていたカップケーキの飾りとしてついていた砂糖漬けのお花を差し出す。
《ピッキュ!》
案の定サッシーは砂糖漬けのお花を目にした瞬間、歓喜の声を上げて『ピンッ!』と跳ねた。
そしてパクンとそれにかぶりついた。
私の指ごと。
あむあむとお花を食むのはいいけど、私の指まで一緒に食ってんよ。
まぁ、ここは大目に見るか。
たぶんサッシー本人も私の指ごと食んでるのは分かってるだろうし、これも本人の気の済むまで好きにさせることにする。
「え、っと……砂糖漬けのお花の残りは……」
一つ、二つ、三つ……と、全部で五つか。
足りるかな。
もし足りなければ追加でもらいに行くか。
その時のサッシーの様子を見て考えることにする。
「おいしい?」
《ピッキュ♪》
返事が返ると同時に食まれていた指がパッと離される。
その指でもう一度砂糖漬けのお花を摘んで差し出すと、今度はお花だけにパクンとかぶりつく。
私の指を食んでいたのは、一種の甘えのようなものだったらしい。
先ほどとは違い、両手が空いたことで私はゆっくりとお茶を飲んだ。
それからカップケーキに手を伸ばしのんびりと食べ始める。
優しい甘みが口いっぱいに広がり、やっとのことでホッと一息つけたような、そんな気分になる。
もう一度お茶を一口含み、ふぅ……っと息をつくとサッシーからお花の催促が入り、苦笑しながら三つめのそれを差し出す。
それもパクッと食んであっという間に飲み込んでしまう。
どうやら砂糖漬けのお花のおかげでだいぶ元気になってくれたようだ。
泣き止んでくれて何よりである。
《ピキュ!》
「分かってるって。まだ食べたいんだよね」
《ピッキュゥ~♪》
ごきげんに返事をして、踊るようにその場をクルクルと回るサッシーに、笑いながらお花を差し出す。
するとまたまたパクンと一口で食まれて、あっという間にサッシーのお腹(?)の中に消えていく。
残りのお花はあと二つ。
思ったよりも消費が早い。
一度ベルを鳴らして、追加……というより、飾りのお花だけでも持ってきてもらうべきか。
そこまで考えて、万が一サッシーを知らない使用人がここに来たら……という可能性に思い至り、ベルに伸ばしかけた手を引っ込める。
ガルドの言っていた別の誰かが、メリダやエルナだったらいいけれど、それ以外の誰かだったら非常に厄介なことになりかねない。
事情を知らない人からしたら、サッシーはただの奇っ怪な生きものにしかすぎない。
騒がれでもしたら堪ったものではないし、何よりも落ち着いてくれたサッシーがまた泣き出して知らない人に恐怖するかもしれないのだ。
それを考えたら、今ここに人を呼ぶのは得策ではない。
うん。
今守るべき最優先のものは、傷つきやすい幼いサッシーの心なのだ。
《キュッピ♪》
「ん?」
《キュゥ~♪》
「お花?」
《ピキュ♪》
五つめのお花がなくなった。
残りは一つ。
全部で六つで満足してくれないかなぁ……
サッシーのお腹(?)の中の構造は分からないけど、無限に飲み込めるだけの四次元胃袋的なブラックホールじゃないことを祈るばかりだ。
ある程度で満腹になってくれないものだろうか。
万が一の時はそこら辺に植わっているお花を失敬する以外に方法はない。
庭師さんたちが丹精込めて育ててくれているお花なので、できればそうならないことを願う。
「う~ん……」
考えながらまたお茶を一口含むと、ふと紅茶のポットの側に小瓶が置いてあることに気がついた。
何だろうと思い手に取って見てみると、それはジャムの小瓶のようだった。
徐に蓋を開けてみる。
「お……!」
ふんわりと漂ってきた華やかな香りに思わず頬が緩んだのが分かった。
これ、バラのジャムだ。
紅茶に入れるために一緒に用意してくれていたらしい。
普段はプレーンで飲んでいるけれど、頭も身体も疲れている今はこのバラのジャムを紅茶に入れて飲んでもいいかもしれない。
ローズにはリラックス効果もあるって聞いたしね。
……前世での親友のあの子からだけど。
────今は、ホラ……その、まだオトモダチ、一人もいないし……ね?
ゴメンなさいね!
ぼっちなんですよ、今世のワタクシめ!
だから、今度のお忍びでの町の催し物に賭けているんだ。
そこで同年代のお友だちができることにね!
……と、虚しい方向に思考が飛んで、慌てて戻ってくるべく首を大きく左右に振る。
するとふと視線を感じてそちらを見ると、サッシーが最後のお花を所望しているところだった。
「……はい、サッシー。最後の一つだよ。ゆっくり味わって食べてね?」
《ピッキュ♪》
心得た、と言わんばかりの返事とともにパクンと食まれて消えていく花。
私の言葉通り、最後の一つはじっくりゆっくり味わいながら堪能しているらしく、サッシーの袋全体がごきげんに揺れている。
「ふふっ」
サッシーのかわいい様子に思わず笑みが零れた。
少しして、砂糖漬けのお花が全て溶けて消えてしまったらしく、サッシーの動きが止まった。
《ピキュ~……ケプッ……》
最後に小さなゲップらしい音がして、モンスターでもゲップをするのかとおかしくなってしまった。
笑う私をじ~っと見つめてくるサッシー。
やっぱりあれじゃ足りなかったかと思っていると、サッシーの目が私の手元のカップケーキに向いていた。
まさかこれを食べたいのだろうか。
今まで普通のお菓子には見向きもしなかったのに。
「カップケーキだよ、これ。食べたいの?」
《ピッキュ!》
「今まで食べたことないでしょ? 大丈夫?」
《キュッ!》
「じゃあ、ちょっとだけ試してみる?」
《ピキュ♪》
万が一口に合わなかったらいけないので、小さくちぎってあげてみた。
躊躇いなく口に含んだので『大丈夫そうかな……』と思ったのも束の間。
一応飲み込んだものの、舌を出して『げぇ~……』と言わんばかりに表情を歪ませたサッシーを見て『やっぱりダメだったか』と悟る。
最初からお花しか口にしてこなかったサッシーだ、お花に関するもの以外は与えるべきじゃないと考えるのが妥当だろう。
……と、そこで思い当たったのがバラのジャムだ。
これなら材料はバラの花びらだし、香りもいいし、口直しするには最適だろう。
小瓶の蓋を開け、ティースプーンで少量掬ってサッシーの目の前に差し出してみる。
《ピキュ?》
「口直しだよ、サッシー。バラのジャム。これならきっと大丈夫だから」
《キュッ♪》
返事すると同時にパクンとティースプーンにかぶりつき、しばらくあむあむと味わうように食んでいたサッシーの様子が段々と変わってきた。
ぷるぷると震えたかと思うと、突然『ピンッ!』と跳ね上がり、歓喜の声を上げながらテーブル上を踊るように跳ね回ったのだ。
どうやらかなりお気に召したらしい。
口直しは大成功だったようだ。
ごきげんに跳ね回るサッシーを微笑ましい気持ちで見つめていたその時だった。
不意に、耳をくすぐるような『クスクス』という控えめな笑い声が聞こえてきたのは。
「え……?」
思わず辺りを見回すも、声の主らしい相手はどこにもいない。
笑ったのはもちろん私じゃないし、サッシーの笑い方とも違う。
今まで聞いてきた誰の声とも違う誰かの声が、確かに耳元で微かに聞こえて、そしてスッと遠ざかっていったのだ。
「今の、誰の笑い声……?」
《ピキュ?》
その声はサッシーにも聞こえていたらしく、私の疑問に同調するように軽く袋全体を傾げるように揺らしながら不思議そうな声を上げる。
思わずサッシーと顔を見合わせたその瞬間、またも『クスクス』と笑う声がテーブル上を通り過ぎていったように聞こえた。
「ホラ、また!」
《ピッキュ!》
笑い声の主を探し、テーブルの上をじっと見回すように見つめていると、先ほどまでとは明らかに違う変化点を見つけた。
どう見ても、お菓子が足りない。
正確には『用意されていたけれど、未だ手を付けていない』はずのクッキーが数枚お皿から消えていたのだ。
「え~、何なに~?」
突然の不思議現象に俄然テンションが上がった私は、消えたクッキーの謎を解き明かすべく立ち上がる。
そんな私につられて、サッシーも『ピンッ!』と跳ね上がって、私の肩に飛び乗った。
その瞬間、またも微かな『クスクス』という笑い声が耳元を掠め、それと同時に目の前をキラキラとした光が横切っていった。
それも、ただキラキラしているだけではない、靄とキラキラとを掛け交えたような朧げな光だ。
「もしかしてこの光! 心霊現象が多発するようなスポットで多く見られるっていうあのオーブとかいうやつ!?」
そうだったとしたら更にテンション上がるんですけど!
まさかまさかの生まれ変わった異世界で不思議現象に出会うことになろうとは!
『逢魔が時』というにはまだまだ早すぎる時間だけれど、これがホラー現象とかなら何が何でも追いかけるぞ、私は!
まぁホラー現象のわりにはちっとも怖さを感じない、何とも不思議な現象なんだけれども。
「む! さっきの光はどこ行った!?」
見失った光を探してキョロキョロと辺りを見回すも、それらしいものはどこにも見えない。
────どこだ~?
疑問を心の中で声にした時、またも『クスクス』という笑い声とともに側を横切っていく靄キラな光。
今度こそ見失うまいと追いかけると、光は私の目線よりも上のほうへと向かい、ゆらゆらと漂うようにこの場から遠ざかっていく。
────逃がさん!
光を追いかけ、足がその場から駆け出す。
視線を上向けながら追いかけていくその最中、消えたはずのクッキーが一枚、突如光の中から現れた。
「え?」
と思ったら、見えない何かがそれを齧ったかの如く、一口分の噛み跡を残してクッキーが減った。
「はぁ……?」
それを皮切りにサクサクと何者かに食べられて、本当の意味でクッキーは跡形もなく消えた。
「何今の~!? 意味分かんない!!」
普通だったら有り得ない、不気味な現象だと思うだろう。
けれど私は、その有り得ない現象がおかしくて仕方がなかった。
それがあまりにもおかしくて、知らず知らずのうちに声を上げて笑っていた。
そんな私の反応がお気に召したのか、光は尚も私から遠ざかるようにふよふよ漂いながら、再びクッキーを出現させては食べて消す、ということを繰り返していた。
────ヤバい!
────意味分かんない!
────おもしろすぎる!
笑いながら私は靄キラの光を追いかけた。
自分の目線よりも遥か上にあるその光を見つめたまま、前なんて全く見ずに。
……それが、いけなかった。
完全に足元が疎かになっていたのだ。
周りのことを気にせずに光を追いかけ続けた結果、私はどんどんと池に近づき。
そして。
そのことに気づかないまま、上を見て走り続けた私の身体は柵を越えた。
……いや。
正確には、柵に身体を引っ掛け、バランスを崩し、走る勢いを落とすことなく、そのまま前方へと身体が投げ出されてしまったのだ。
そして。
柵を越えたその先には、池。
「あ……」
……と、声を上げた時にはもう、私は頭から池に落ちてしまっていた。
走っていた勢いのままに落ちた身体は、一瞬にして池の底まで深く沈んだ。
大人の腰ほどの深さがあるその池では、当然足が着くことはない。
浮き上がりかけたことにホッとしたのは一瞬で、今度は足が着かないその事実に恐怖した。
「……ひ、ッ……!」
や……落ち着け。
落ち着け、私。
足が着かないことに恐怖を覚えるのは当たり前のことじゃないか。
ここで焦ってパニックになったら、事態は余計に悪くなる。
────何か掴める物は……
……ない。
勢いがありすぎて、陸からはだいぶ遠い場所に落ちてしまった。
だったら、泳いで池の淵のほうに戻るしかない。
……泳ぎ方なら知ってる。
前世でも泳げたし、その時の感覚を思い出せばいいんだよ。
できるだけ体力を奪われないように、慎重に、でも確実に、水から陸地の方へと近づかなければ……
けれど。
私は完全に忘れていた。
泳げるというその感覚は前世の時のものであることを。
そして、それが今世でも同じように通用するのだと思い込んでいたというその事実を。
今の私は幼女だ。
前世で泳げていた時の大人の身体とはまるで違う、背丈が低ければ手足も短い幼い子どもなのだ。
その時と同じ感覚で手足を動かし、身体を浮かせて泳ぐなど到底無理だ。
まず、水を掻く力が足りない。
水を蹴る足の力だって足りない。
何よりも、目的の場所までの距離感までもが違う。
前世の大人の身体ならまだしも、今の私の身体では池の淵に辿り着くまでに力尽きるのは目に見えている。
そして、最大の問題。
今の私が身につけているものは、丈の長いワンピースドレスである、ということ。
おまけに裸足ではなく、靴下も靴も履いている状態だ。
泳ぐのに適した格好であるはずがない。
当たり前だろう。
私は泳ごうと思って池に入ったのではなく、誤って池に落ちたのだから。
「う、くっ……」
水を吸った衣服が重い。
辛うじて水面に顔を出せてはいるものの、このままじゃ水を吸った衣服の重みと自分の体重とで沈む。
服を脱ぐことができれば少しはマシになるだろうけど、自分一人で着脱できないようなワンピースドレスを思うように身動きの取れない水の中で脱ぐなどできるはずもない。
だったらせめて靴だけでも……と思うも、足元にまでうまく手が届かないのが現状だ。
八方塞がりのこの状態に、落ち着かなければ……という気持ちが徐々に焦りへと変わっていく。
呼吸をすると同時に力が入った身体が、まるで押さえつけられるかのように水中へと沈む。
「あ、うっ……!」
その瞬間、サッシーの悲痛な泣き声が耳に入ってきた。
《ピキューーーーーッ!! ピキュ! ピキュ! ピッキューーーーーー!!!》
半狂乱になって泣き叫ぶように、池の淵を激しく跳ね回るサッシー。
私が池に落ちたその瞬間から今までの間ずっと、私のこの危機的状況を何もできないまま見ているしかできなかったのだ。
泣き叫ぶのも当然の反応だろうと思う。
「サッ、シー……わた、し……なら、平、気……だよ…………うぷっ……!」
何とか大丈夫だと伝えてサッシーを安心させてあげたいけれど、必死に水面から顔を出して喋るその度に、身体のどこかに余計な力がかかって、沈んでは浮いて……という不安定な状態を繰り返している。
そうして私の顔が水面から沈む毎にサッシーは半狂乱になって跳ね回りながら泣き叫ぶのだ。
安心させるどころか不安を煽ってばかりいる。
泣かせたいわけじゃないのに。
こんな風に不安にさせたいわけじゃないのに。
早く、水から上がって、もう大丈夫だよ、って手の中にサッシーを包み込みながら安心させたい。
ゴメンね、って謝って、泣き続けるサッシーが落ち着くまで甘やかすんだ。
────だって、私はサッシーの、ママなんだもの……
こんなところで力尽きるな。
沈むぞ。
そうなったら、取り返しのつかないことになってしまうんだから。
だから絶対に力尽きて沈んだりするな、私!
顔半分が水に沈んだり浮いたりを繰り返す中、泣き叫ぶサッシーの声が遠ざかったり近づいたりと、耳の聞こえに影響を及ぼしてきている。
無駄に体力を奪われないように、手足を思いっきり動かして藻掻くようなことはしてないけれど、それでも衣服を身に纏ったまま溺れているというこの状況では、ほぼ何もしない状態でもどんどん体力を奪われていく。
力尽きるのも時間の問題だ。
────せめて、池の淵にあるあの草に、ギリギリでも手が届きそうなところまで行けたなら……
最後の悪足掻きとばかりに身体の向きを変え、少しでも前方へと身体が流れてくれればと、足で強く水を蹴ったその時だった。
「……ッ!!」
グッと身体が引っ張られるような感覚に襲われ、それと同時に身体が水の中に沈み込んだのは。
────ワンピースのリボンが、何かに引っ掛かった……!?
突然水の中に引きずり込まれるような形となったため、水中で大きくゴボッと息を吐き出すと同時に若干水を飲み込んでしまった。
再び強く泣き叫ぶサッシーの悲痛な声が、今度こそ、本当の意味で遠ざかる。
ああ……
そんな風に泣かないでよ、サッシー……
ハッキリとしない視界の中。
ぼんやりと霞んで見えるサッシーが泣き叫ぶ姿は私の想像なのか。
それとも実際のものなのか。
飲み込んだ水と、大きく吐き出した息で身体が苦しい。
水に沈んだ今、新たな酸素を取り込むことは不可能で。
それでも呼吸を求める身体が、自分の意志とは裏腹に口を開き、肺に溜まったなけなしの空気を吐き出す。
更に不鮮明になった視界の中で、吐き出した空気が大きな水泡となって上へ上へと昇っていく。
────ダメ、だ……
────意識が……朦朧としてきた……
徐々に混濁していく意識の中、泣き叫ぶサッシーの姿は段々と霞んでいき。
それと連動して、懐かしい顔が目の前に浮かぶ。
────……バカ
────なんで、アンタまでそんな顔してんのよ……
一瞬だけ浮かんだその顔は、絶望に染まったアイツのもの。
その顔もまた、徐々に徐々に遠ざかる。
遠ざかるごとに、その顔の表情は絶望から泣きそうなそれへと変わっていく。
────ああ、そっか……
────そうだったんだ、私……
似たような状況になって、やっと気づいた。
あの時とは違って、泥で濁った汚水に飲み込まれたわけじゃないけれど。
悲痛な顔をした大切な存在から段々と遠ざかって、意識が遠のいていくこの感覚は、あの時も今も同じ。
────思い出した
前世の私の死因は、溺死だ…………
理解した瞬間、意識は深い闇に沈み、視界が真っ黒に染まる。
私が完全に意識を手放したのと、力強い誰かの腕が私の身体を水の中から引き上げたのは、ほぼ同時のことだった……─────
このフローレンが溺れるところはずっと書きたかった部分の一つです。
本人のおっちょこちょいが直接の原因ではありますが、池に落ちる要因となった光のことにつきましては次回で明かします(^^)




