波乱の一日の終わり
~波乱の一日の終わり~
散々な状態で強制終了を迎えた食事の時間。
これ以上は留まる意味もないと食堂を出され、私はヴェーダに手を引かれながら自室へと向かっている。
ちなみに兄さまは私よりも先にお部屋へと戻って行きました。
中和されない口の中のカオス状態を一刻も早く何とかしたいらしく、これから念入りに歯磨きをするのだとか。
これには私も同意だ。
兄さまと同じく、私もこの口の中のカオス状態を一刻も早く何とかしたい。
だから今日は時間をかけて念入りに、延々と歯磨きをするつもりでいる。
……さて。
そんなこんなで自室へ辿り着いたと同時に私はヴェーダと繋いでいた手を離し、一目散に洗面所へと駆け込んだ。
ある意味『必死すぎる』とも言える私の素早い行動を目にしたヴェーダは、反応に困ったのか微妙な表情で苦笑していた。
────そんな顔で笑わないでよぅ、ヴェーダ!
しょうがないんです。
一刻も早く口の中のこの苦々の苦々を何とかしたいから必死にもなるんです。
────これは戦いだ!!
などという、意味不明なことを心の中で叫びつつ洗面台の前に立ち、鏡の中の自分を覗き込む。
────あ~あ……酷い顔……
今までずっとこんな顔してたのかと思うとちょっと落ち込む。
だけどこれもしょうがない。
表情筋がめったに動かないあの兄さまでさえもずっと渋面でいたほどなんだから、何事もなかったかのように澄ました顔するなんて器用な真似が私にできるわけがないんだわ。
おっと、いけない。
考えごとをするよりも、今はとにかく歯磨きだ。
気を取り直し、せっせと歯磨きの準備を始める。
子どもの背丈でも十分に届く高さに造られた洗面台だから、当然歯磨きに必要なあれこれも私の手の届く範囲に置いてあるのがありがたい。
いつもだったら専属侍女であるメリダやエルナが用意してくれるんだけど、今は二人ともいないから自分でやれることは自分でやらないとね。
そうやってちょっとずつでも自立していかないと、いつまで経っても一人じゃ何もできないお嬢様のままで年だけ重ねていくことになる。
それだけは嫌だからね。
千里の道も一歩から、だ。
そんな私の行動を見守っていたヴェーダがふいに柔らかく微笑んだのが鏡越しに見えて、私は思わずヴェーダの方へと振り向いた。
「メリダやエルナがいなくとも、お一人できちんと歯磨きの準備をなさるなんて、お嬢様はご立派ですね」
「?」
んなわけない。
これくらい自分でやれて当然でしょうに。
咄嗟にそんなことを思ったけれど、今の私はただの幼女ではなく、フローレンだ。
大貴族である公爵家の娘、生粋のお嬢様だ。
周りの使用人からあれこれお世話されるのが当たり前なのだ。
つまりは、自分であれこれやることはお嬢様としては普通ではない。
だから誰かのお世話にならずに自分から行動したことを褒められる、という流れになるわけだ。
でも。
できて当たり前だと思っていても、誰かに褒められるのは悪い気がしない。
寧ろ嬉しい。
一つ一つに対して褒めてくれて、できたことを一緒に喜んでくれる姿を見ていると、もっともっと頑張ろうって素直に思えるから褒めの効果ってのはすごいと思う。
できたことを褒められて『えっへん』と得意げになってふんぞり返るのではなく、もっと精進して少しずつ『できた人間』に近づいていけるように頑張ろう。
それが私の将来の目標だ。
……っと、その前にまずは歯磨きだ!
ヴェーダから褒められたことに『えへへ~』と照れ照れはにかみ笑いを返しつつ、歯ブラシをぐっと握り締める。
『なんで洋風ファンタジーな世界に日本でおなじみの歯ブラシがあるんだ!?』
なんてツッコミはしないよ?
だってあった方が絶対に便利だもん。
逆にない方が困る。
だから私は深く考えることを放棄した。
あったら便利なんだからありがたく使わせてもらう。
それに、考えたってどうせ分かんないんだから、考えるだけ時間のムダだもんね。
続いて歯磨き用に置いてあるコップに水を満たし、それからこの場では一番重要な歯磨き粉へと手を伸ばす。
ちなみにこの世界では歯磨き粉は『歯』を省いて単に『磨き粉』と呼ぶらしい。
日本のようにチューブタイプの容器入りではなく、ジャータイプのちょっと小洒落たデザインのガラスの器に詰めてあって、必要な分を都度スパチュラで掬い取って使うようだ。
ちょっと面倒だけど、目で見えている分チューブタイプのように出しすぎた……なんてことが起こらないのはある意味助かる。
……さて。
その歯磨き用の磨き粉ですが。
なぜか複数個あるんですよね~。
容器も中身も微妙に色合いの違う複数の磨き粉。
────これ絶対味つきだ……
薄い色合いではあるけど、分かりやすいピンクやら緑やら黄色やら……どう見てもお子サマ舌に合わせたフルーツ系の甘いヤツでしょ!?
そしてやっぱりというか……清涼感の強いミント系と思しき磨き粉は見当たらない。
しょうがないか。
子どもに刺激のあるものは普通使わせないだろうし。
ホントはスーッとするやつがいいんだけどね。
そっちのが苦味渋み退治には効きそうだから。
でも、ないものはしょうがないからあるものを使うことにした。
色のイメージからするとピンクはいちごか桃あたりが妥当かな?
緑はメロンくらいしか思い浮かばない。
黄色は何だろう……レモンとかかな?
とりあえず甘い味の歯磨き粉じゃなければそれでいいや。
念入りに歯磨きする予定だから、磨き粉は気持ち多めに掬い取る。
確か正しい歯磨きのやり方だと、口の中も歯ブラシも水で湿らせてはダメだったはず。
乾いた状態の歯ブラシに磨き粉を乗せ、それを口の中に含んだ瞬間、またもや口の中がとんでもないことになり反射的に吹いた。
「お嬢様!?」
歯磨きを始めたと思いきや、口に含んだ磨き粉を突然吐き出した私の様子にヴェーダが驚いた様子で私の元へと駆け寄ってきた。
どうやらヴェーダは私が歯磨きの準備をしている間に、お風呂の用意をしてくれていたらしい。
私が歯磨きを終えたらすぐにお風呂に入れるように準備をしていたところ、いきなり私が磨き粉を吐き出した様子が目に入って慌てて浴室から出てきたようだ。
「どうなさいました、お嬢様?」
目線を合わせて屈んだヴェーダが私の顔を覗き込む。
そんなヴェーダに、取り繕うことなく私は泣き言を告げた。
「うぇぇ~……ヴェーダぁ~……」
開いた口からぼたぼたと磨き粉が落ちるも、私がほぼ泣き顔状態のためか咎められることはなかった。
「あじが……」
「……味、ですか?」
「みがきこ……」
「磨き粉の、味……でざいますか?」
戸惑うように問いかけられてぶんぶんと力強く頷く。
「いろんなのがまじって、くちのなかがぁ~……」
口からも目からもぼたぼたと落とすという酷い状態の私の様子に、慌ててヴェーダがコップを差し出してきた。
「まずはうがいをして口の中をよ~く濯いで下さいまし」
「……ん」
言われた通りにうがいをして口の中を洗浄する。
だけどあんまり変わらない。
今までの苦味・渋み・エグ味に加え、更に磨き粉の妙な甘みが加わって余計にカオスだ。
……っていうか、レモンかと思ったこの黄色の容器の磨き粉、バナナ味じゃんよ!
まぁこの世界でバナナをバナナと呼ぶのかは分かんないけど、紛うことなきバナナ味だったわ、この磨き粉。
しかし強烈だな、お子サマ舌に合わせた甘い味の磨き粉の威力というものは。
なおもうがいを繰り返し、新たに加わったバナナ味を追い出そうにも、磨き粉というやつはホントに厄介で、しばらくの間は口の中に居座るんだよね。
「お嬢様、使われた磨き粉はこちらでございますか?」
見せられた黄色の容器に頷くと、ヴェーダが苦笑しながら『バナナ風味の磨き粉でございますね』と言った。
あ~……こっちの世界でもバナナはバナナなのかと納得しつつも、意識の半分は現実逃避しかけている。
とにかく口の中がこんな状態である以上、甘い風味の磨き粉は火に油の危険物であることは間違いない。
もう既に答えは分かっているようなものだけど、念のために残りの磨き粉の風味も確認してみることにした。
声を出すのは辛いので、一つ一つ容器を指差すことで。
まずはピンク。
「桃の風味でございますね」
うん、桃も桃で合ってる模様。
次に緑色の容器。
「青リンゴの風味でございますね」
メロン風味じゃなかった!
でもリンゴもこの世界には存在している、と。
最後に薄い紫色の容器。
「こちらはブドウ風味のものでございます」
今度はブドウ風味、か。
ここまで来るとこれは歯磨き粉ではなくガムのフレーバーかと疑ってもおかしくはないな。
まぁある意味、ガムも含有成分によっては歯磨き代わりにもなったりするから近しいものがあるのかもしれないけど、さすがにこの世界にガムなどというものは存在しないだろう。
あったら驚愕もんだよ。
何度もうがいを繰り返しながらそんなことを考えつつも、この世界に存在する果物の名称と風味とが前世で馴染みのあるものと同じであるということが分かったのは大発見だと思った。
けど、それだけ。
今は大発見に喜んでいる状況ではないからね。
……主に口の中が。
「ヴェーダぁ~……」
これでもかとうがいをした後、またも半べそ状態でヴェーダを見上げる。
「あまいのは、ダメ……」
涙目で磨き粉を指差しながら『うげぇ……』と言わんばかりに口を開いて舌を出すという、お嬢様らしからぬ表情で訴える姿は必死そのものだと言えるだろう。
ヴェーダもまた、私の今の状況を理解してくれているので『はしたない』と咎めることはしない。
「くちのなかがス~っとするみがきこ、ないの?」
「清涼感があるものでしたらミントハーブの磨き粉になりますが。大丈夫ですか、お嬢様? 清涼感のある磨き粉は苦手でいらしたでしょう?」
まぁ幼女のお子サマ舌には清涼感マシマシのミントなんて苦手そのものだろう。
でも今の私は平気だ。
────寧ろバナナ味の磨き粉を使うことの方が拷問だわ!!
「へいき。あまいみがきこのほうがくるしいの……。だからヴェーダ、おねがい……」
「かしこまりました。すぐにお持ちいたします」
うるうるの上目遣いで見上げると、ヴェーダは瞬時に私の言わんとすることを察して動いてくれた。
使いっ走りみたいなことをさせて非常に申し訳ないと思う。
ヴェーダにとっては仕事だからこれは当たり前のことなんだろうけど、でも、やっぱり、前世の日本人の記憶を持つ私としては申し訳ない気持ちでいっぱいになるよ。
自分のことは自分で、という生活スタイルがしっかりと身についているわけだからね。
ヴェーダが戻ってきたらちゃんとお礼を言おう。
お嬢様だから、側仕えの使用人がやってくれるのは当たり前だなんて思わないで、お世話してくれている人がいてくれるからこそ自分の生活が成り立っているということを忘れずに、そして感謝して与えられる行為を受け取らなければいけない。
できた人間として成長して行くための一歩だよね。
気持ち新たにこれから先の心構えをしたところで、私はうがいを再開する。
ただただひたすらにうがいだ。
せめて口の中のバナナ味だけは追い出したい。
苦味・渋み・エグ味に加えて中途半端な甘みのバナナ味なんて要らないんだよ。
おまけに磨き粉なものだから、これがまた妙な甘い粉薬みたいなザラザラ感と薬の味もミックスしてるようなトンデモ状態なのだ。
そうして私が必死にうがいを繰り返しているうちにヴェーダが戻ってきた。
私が切に希望した、清涼感の強いミントハーブの磨き粉を持って。
「お嬢様、ミントハーブの磨き粉をお持ちしました」
「うぅ~……ありがとう、ヴェーダ……」
ヴェーダが戻ってきたことでうがいをやめた私は、差し出された磨き粉を受け取った。
それを普段使いの量よりも多めに取り出し歯ブラシに乗せる。
念のため歯ブラシは違うものに替えておいた。
よく洗ったつもりだけど、もしも中途半端にバナナ味が残っていたら嫌だからだ。
最初は恐る恐るで歯ブラシを近づけていたけど、ふわっと漂ってきたミントの香りにホッとして思い切って口に含んだ。
そして更にホッとした。
強すぎず弱すぎずのちょうどいい清涼感のミントの磨き粉が、若干だけど口の中の苦味やら何やらを和らげてくれた気がしたのだ。
その後はもう夢中。
何度も何度も歯磨きを繰り返した。
数回どころではなく、何十回単位という、正確な回数が分からなくなるくらいに有り得ない回数で延々と歯磨きをしていたのだ。
途中ヴェーダに止められて入浴を促されたけど、それをイヤイヤと首を振って拒否しながら尚も歯ブラシを手放さない私。
そんな私を、いつの間にか合流していたメリダと共に強引に浴室へと連れて行き、これまた強引に着ていた衣服の一切合切を剥ぎ取ってほぼ強制的に入浴させた……らしい。
『らしい』というのは、お風呂に入れられた記憶が私には全くと言っていいほどないから。
どうやらその時の私は、歯磨きに必死になっていたあまりにそれ以外のことが全く頭にも視界にも入っていなかったようなのだ。
髪やら身体やらを丁寧に洗ってもらってお手入れしてもらっているその間もずっと、私は決して歯ブラシを手放すことなく、ただただ延々と歯磨きを繰り返していたのだとはメリダの言。
「終わりましたよ、お嬢様」
「ほへ?」
『終わった』と言われて我に返ったその時にはもう既に、いつでも寝られる準備は整っていたのだ。
その時になってやっと私は自分がお風呂に入れてもらっていたのだということに気がついた。
今の私は身体がほかほかして温かい上に、随分とリラックスした状態になっている。
髪の毛も肩でサラサラと揺れて、洗いたてのシャンプーの香りがふわりと漂ってくるほどだ。
「歯磨きに夢中になりすぎですわ、お嬢様」
そして今は、苦笑しながらメリダが私の髪を優しく梳いてくれている状態だ。
髪を梳くその度にサラサラと流れる毛先が私の頬や首すじをくすぐり、思わず肩をきゅっと竦めてしまった。
「あまり磨きすぎると、口の中を傷つけてしまう恐れがありますから程々でおやめになった方がよろしいかと。磨き粉自体に刺激がありますからね」
「……ん」
言われてみれば確かにその通りだ。
口の中の苦味をとることに必死でそこまでの考えに至らなかったけど、磨きすぎもあまり良くない。
清涼感の強い歯磨き粉はそれだけで刺激だし、強く磨いて歯ブラシの毛先で歯茎を傷つけて出血したり、歯の表面を覆うエナメル質を傷つけることだってあるのだ。
……うん、そろそろやめ時だろう。
ずいぶんと長い間歯磨きをしていたこともあって、口の中の苦味もだいぶ取れた気がする。
あくまでも気がする、だけね。
ミントハーブの磨き粉のおかげで、何もしなかった時と比べると口の中のカオス状態はだいぶ和らいでいるのだ。
ふうっと息をつくように口から歯ブラシを出し、控えめにうがいをする。
正しい歯磨きのコツの一つとして、最後のうがいはしすぎないようにするのがいいらしいのだ。
口の中に歯磨き粉の清涼感を残すことで、しっかりと歯磨きをしたと脳に認識させるためだとか何かだったっけ?
このあたりはちょっとあやふやだ。
とりあえず私としては、口の中にミントの清涼感が残ってくれている方がありがたい。
軽いうがいを終えて一息つくと、メリダがそっとタオルを差し出してくれた。
「ありがとう、メリダ」
「とんでもございません、お嬢様」
『これが私の仕事ですから』と続きそうな苦笑顔に、思わず笑ってメリダを見上げてしまった。
……ホント、分かっちゃうんだ。
フローレンって、小さいのに人の顔色をよく見てたんだなってことが。
だから、今のメリダの苦笑顔を見ただけで何となく考えてることが分かってしまったんだ。
こうして苦笑しながらも、メリダは私のことを労わってくれている。
「昨夜からずいぶんとお疲れでございましょう? 今夜もかなり遅い時間になっておりますし、できるだけ早くお休みになられた方がよろしいかと思いますわ」
ホラね。
こんな風に気遣う言葉が続くの。
「……そうだね。メリダのいうとおりだね」
本当はあまり眠くはないんだけど、ここは素直に頷いておく。
「ヴェーダは?」
いつの間にかメリダがヴェーダと入れ替わりになっていたみたいで、ヴェーダの姿がどこにもない。
きょろきょろと部屋中を見渡すも、ヴェーダの姿はどこにも見えない。
「ヴェーダさんはお休み前のお茶の用意をしに行っておりますわ」
「…………おちゃ」
「? ええ。いかがなさいましたか、お嬢様?」
「ん~……」
言ってもいいのか、これ。
お茶の用意をしてくれるのは本当にありがたいことなんだけど、たぶん、今の私だと飲んでもお茶の味が分からないと思うんだ。
いつもと同じ、リラックス効果を齎して優しい眠りを促してくれるハーブをブレンドしたお茶だったとしたら確実に。
でも。
用意してもらったのを『味がしない、無理、飲めない』って残すのは嫌だ。
お茶を入れてくれたヴェーダの仕事を否定することになるし、何よりも私のことを思っての気遣いを無碍にすることにもなる。
だったら最初から正直に告げてしまった方が絶対にいい。
「あのね、メリダ」
「はい」
「たぶん、わたし、おちゃのあじ、わからない」
ハッキリ言うのは申し訳ないという思いから言葉が若干詰まってしまった。
そんな私の言葉を聞いたと同時に、くすくすとした微かな笑い声が届く。
「大丈夫でございさますよ、お嬢様。そのあたりもちゃんと考慮して淹れてまいりましたから」
「ヴェーダ!」
笑い声の主はヴェーダだった。
笑顔で差し出されたお茶を受け取ると、ほんのりとミントの香りがした。
「ミントのおちゃだ!」
思わず声を張り上げると、ヴェーダが一つ頷いて説明してくれた。
歯磨きをしすぎたことで、しばらくの間は口の中に清涼感が残るであろうこと。
その状態では何を口にしてもミントの清涼感と混じり合ってしまい、お茶本来の味を楽しめないだろうこと。
ならば初めから清涼感のあるお茶を味わってもらう方がいいだろうとのことから、普段飲んでいるお茶に少量のミントをブレンドしたのだと。
更には食事どころではなくなり、果実水をたくさん飲んだことでたぷたぷになったお腹のことを考えて、量もいつもの半分以下で淹れてあった。
「いつものように味わうことは難しいとは思いますが、ミントの清涼感が加わっておりますのでスッキリした気分にはなれるかと」
「ありがとう、ヴェーダ!」
笑顔でお礼を言ってからミントブレンドのお茶を一口含む。
確かに味はあんまりよく分からなかったけれど、清涼なミントの成分がそれを補ってくれて気持ちは充分に満たされていく。
こくこくと飲み干したところで再びヴェーダが口を開いた。
「お嬢様」
「なぁに、ヴェーダ?」
「今夜はもう休まれるようにと奥様から言付かっております」
「え……?」
────だって、後で兄さまと一緒に叱られるって言ってたはずなのに……
思いっきり顔に出た私を見てヴェーダは続けた。
「本日は色々とありすぎましたでしょう? まずはゆっくりと身体を休めることが優先ですわ、お嬢様。既にロイアス坊ちゃまにも奥様からの言葉を伝えておりますし、旦那様もお休みですから、それを起こすのは申し訳ないとも仰られていました。そういった理由から、お話は明日にしましょうと判断されたようですわ」
「……そう」
そういう理由なら仕方ないか。
本当だったら深く反省するためにも今日中に叱られた方がよかったんだけど、お父さまが休んでいるところを無理やり起こしてまで……ってのはさすがにやりすぎだもんね。
それに、アレだ。
『言いたいことは明日言え』とも言うし。
お説教部分は減るかもしれないけれど、一晩置いた方が頭の中が整理できて、伝えたいことをきちんと伝えられる気がする。
「わかった。おはなしはあしたね?」
「ええ。ロイアス坊ちゃまも最初は渋られていたのですが、本日あったことを思い返して最終的には納得してくださいましたし。何よりも……今はもう遅い時間ですからね」
そう言われて時計を見遣る。
針が示す時刻は23時を少し過ぎたところだ。
確かにヴェーダが言うように遅い時間だ。
今までのフローレンだったら、ぐっすり眠っていて当たり前の時刻なのだ。
「ではそろそろお休みになりましょうか、お嬢様」
そのまま軽々とメリダに抱え上げられてベッドへと運ばれた。
「ん~……」
「どうされました、お嬢様?」
急に唸るような声を出した私を優しくベッドへと下ろし、メリダがそう問いかける。
「……ううん。ただ、ロイにいさまはだいじょうぶだったのかな、って……そうおもっただけ……」
完全に巻き添えにしちゃったからなぁ。
私と同じく、あの酷い味のトリプルコンボと戦っていたに違いないから余計に心配なのだ。
そう言ってしょんぼりした私を見てヴェーダが苦笑しながら答えてくれた。
「ロイアス坊ちゃまでしたら大丈夫でございますよ。お嬢様と同じでお部屋に戻られてからずっと歯磨きを繰り返していたようですから」
「え……?」
「何度お止めしても聞いていただけないと、専属執事のガルドがほとほと困っていたくらいですから」
余談だが、オンディール公爵家の歯磨き用の磨き粉の消費量は今夜だけで約一ヶ月分に相当したという。
言わずもがな、犯人は私と兄さまだ。
実際に私は、ヴェーダが持ってきてくれたミントハーブの磨き粉を二つとも空っぽにするまで使い切ってしまった。
同じく兄さまも、ある分の全てを使って延々と歯磨きを繰り返していたという話だから、磨き粉の消費に関しては私と似たようなものだろう。
「似た者同士の兄妹だとガルドも呆れていましたよ」
「そう。にいさまもおなじ……」
「ええ。ですから、お嬢様が今大丈夫だと思える状態にあるならば、ロイアス坊ちゃまもまた大丈夫でございましょう」
うん。
そうだったらいいな。
今はもう遅いからロイアス兄さまに会いに行くことは難しいけど、明日の朝に大丈夫だったかを聞いてみよう。
ホッとしたところで、心地よい眠気がじわじわと押し寄せてきた。
けれど、すぐに眠れるほどの強烈なものではない。
────どうしようかな……
ベッドに腰かけた状態で横になることをせず、窺うようにチラリとメリダを見上げる。
するとメリダは分かっていると言わんばかりに一つ頷き、私の愛用の整理棚からスケッチブックと鉛筆を持ってきてくれた。
「お休み前に軽いスケッチをしないと落ち着かないのでございましょう? 昨夜はお倒れになっていつものスケッチができませんでしたものね」
なんと!
寝る前のスケッチがフローレンのルーティンだったらしい!
確かにベッドに入っているというのに、ちまちまスケッチブックにお絵描きしていた記憶はあるけど、それが日課として組み込まれているとは思わなかった。
だけど、今の私にとってはとてもありがたいことだ。
前世の記憶で覚えてることはもちろん、乙女ゲーム『恋メモ』の内容を書き留めるための時間がとにかくたくさんほしいからだ。
だから、夜にお絵描きの習慣がある私が、中身はともかくとしてスケッチブックに何かを書いていたとしても全然不自然じゃないというわけ。
────ありがとう、フローレン!
────寝る前のスケッチを習慣にしてくれて!
降って湧いたと言ってもおかしくはない幸運に思わず満面の笑みを浮かべてしまった。
そんな私の笑みを、メリダもヴェーダも『お絵描きができるから嬉しい』という風に解釈したらしい。
まぁそれも間違いではないんだけどね。
「ありがとう、メリダ!」
スケッチブックと鉛筆を受け取って、再び満面の笑みを浮かべながらお礼を言う。
「お絵描きに夢中になりすぎて夜更かししないでくださいましね?」
「はい! きをつけます!」
夜更かしはたぶん大丈夫だろう。
幼い子どもの身体は、大人の身体に比べると眠気への耐性が低い。
適当にお絵描きしてたらウトウトし始めてそのうちコテンと寝落ちするだろう。
「それでは、ベッドサイドの灯りのみを残してお部屋の照明は落とさせていただきますね」
そう言ってヴェーダが一つ手を打ったと同時にベッドサイドの灯り以外の全ての部屋の照明が落ちた。
それでもベッドサイドの灯りは煌々と明るくてお絵描きするのに不便はない。
「お休みになられる際は灯りに手を翳してくださいまし。お嬢様の持つ魔力に反応して照明の明度が自動的に変わりますので」
なるほど。
魔力を探知して自動的に点いたり消えたり明暗を調整できるのか。
電気ではなく魔法による灯りというわけか。
そしてスイッチもまた魔力探知。
さっきヴェーダが手を打ったことがそのスイッチなんだと思う。
たぶんこれも何らかの形で魔力が出ていて、それを照明器具が探知したといったところだろう。
────便利だな、魔法
そんなことを思いつつ、言われた言葉に頷く。
「それではお嬢様。おやすみなさいませ」
「くれぐれも夜更かしは厳禁ですわよ? キリのいいところでおやめになってくださいましね?」
「は~い! おやすみなさい、ヴェーダ、メリダ」
「はい、おやすみなさいませ」
念には念をとばかりに言い含め、私の素直な返事を聞いたことでヴェーダもメリダも静かに部屋から出ていった。
扉が閉まると、広がったのは心地よい静寂だ。
「さて、と……」
受け取ったスケッチブックを開くと、それはまっさらで未使用の新品だった。
ちょうどいいや。
このスケッチブックは『恋メモ』の登場人物を整理するためのイラスト付きメモにでもしてしまおう。
表紙を開いてすぐの1ページめを飛ばし、2ページめにそっと鉛筆を走らせた。
手に馴染んだ鉛筆は、滑らかにサラサラと紙の上に思い描いた通りの線を引いていく。
さて。
まずは誰を描こうか……と思ったところで、肩口でサラリと揺れる自分の髪の毛が目に入った。
今更ながらに気づいたんだけど、私の髪は毛先がわずかにふんわりとしているストレートだ。
これが一体どうなってあのドリル縦ロールになるんだろうと思うとちょっとおかしな気分になった。
それよりも。
今の髪質のままでゲーム設定の年齢になった私はどんな感じになるんだろう。
そう思ったら描かずにはいられなかった。
夢中でスケッチブックに鉛筆を走らせ、前世のオタ活でこれでもかと描き連ねてきて慣れた絵を描き続ける。
これは決して自慢じゃないけど、実は私、ゲームの公式キャライラストの美麗さに惚れ込んだ影響で、もはや模倣とも言えるレベルにまで自分絵を公式イラストに近づけることに成功したのだ。
それだけ練習しまくったんだよね。
二次創作活動でここまで入れ込んだのは後にも先にもこの『恋メモ』だけだったなぁ……なんてことを描きながら思い出した。
美人なフローレンを形成する要素の一つである綺麗な輪郭に始まり、つり目気味の大きな目、スッと通った鼻筋、勝気な笑みを浮かべる形のいい唇……と、順番に描いていく。
顔を描き終わったら今度は全身。
凝ったドレスは描くのに時間がかかるため今回はパスしてシンプルなAラインのドレスにした。
ササッと全身を描き終えたところで、後回しにしていた髪の毛を描いて仕上げ。
今の私の髪質と同じ毛先だけをふんわりとさせたストレート。
ドリル縦ロールの状態で腰に届くくらいだったから、ストレートだともう少し長めかな?
心持ち腰よりも少し長めに描いてみた。
うん、いい感じ。
最後に前髪。
おデコ全開ではなく、今の私のように眉にかかるかかからないかくらいの長さで前髪を作ってみたところで、フローレン大人バージョン完成。
────なんだ……普通にかわいいじゃん……
────悪役令嬢になんて全然見えないじゃんよ……
完成した絵を見て思わずふっと笑みを零してしまった。
だって、全然ゲームの公式イラストの悪役令嬢フローレンっぽくないんだもん。
私が描いた絵のフローレンは、ちょっと気の強そうな美少女令嬢そのもの、といった感じなのだ。
女は髪型と化粧でいくらでも変わると言うけれど、この劇的ビフォーアフターには、描いた自分が言うのもなんだけどかなりびっくりだ。
このフローレンの隣に、婚約者の王子が立つんだよね。
────……ゲームの設定であれば
なんて思いつつ、今度は王子のイラストをフローレンの隣に描いていく。
こちらも何度となく描き続けてきたから慣れたもんだ。
時間がかかる細かい装飾は当然のことながらパス。
サササッと軽いタッチでそれらしく見える丈の長めのフロックコートを描いていく。
ドレスよりもちょっと面倒くさいけど、思ったよりも時間をかけずに王子の絵も描くことができた。
正に絵ではあるんだけど、こうして並べてみると確かに『絵になる二人』だ。
ゲームでも見た目だけなら並んで絵になる二人だとは言われていた。
けれど、フローレンのトレードマークとも言えるドリル縦ロールを取っ払ったら……
────かなりいい感じじゃない……?
なんて、思わず自画自賛してしまうくらいの出来映えになった。
それほどまでに、絵の中の二人はお似合いなのだ。
────でも、ダメなんだよね……
ここが現実だとは分かっていても、ゲームの世界やストーリーの流れを知っているだけに、私の破滅の原因ともなり得るかもしれない王子とは極力関わり合いにならないのが一番だ。
描き上げた絵の中の二人の間を分断するかのように強く線を引く。
そして王子の絵から矢印を引っ張って『要注意人物』の単語を日本語で書き加えた。
「めざせ、はめつかいひだ……!」
そうしてグッと拳を握り締めて決意したところで心地よい睡魔が襲ってきた。
もうそろそろ限界だろう。
パタリとスケッチブックを閉じて、誰にも中身が見えないように覚えたばかりの封印魔術を施す。
イメージはページ全部が貼りついた強力接着剤だ。
魔法が発動して、スケッチブックに向かって魔力が一気に流れ出した。
そうして魔法が完成すると同時に、魔力を失って疲れた身体が眠りに入り始めた。
灯りを落とすように言われていたけど、もう既にその気力はなく、段々と意識が遠のいていくのが分かる。
心地よい疲れと眠気に襲われた身体は、ゆるゆると誘われるままに深い深い眠りの淵へと落ちていく。
そんな中、薄れていく意識の中でぼんやりと思ったのは『目が覚めたら口の中の苦々が綺麗サッパリなくなっていたらいいなぁ』ということと、ほんの少し前まで考えていた『要注意人物』のこと。
あえてスケッチブックに名前を書くことはしなかったその要注意人物は、いつか、近くも遠くもない未来のどこかで、私を破滅へと導くかもしれないキーパーソン。
その人物の名は『ランドール・セイン・シグゲイツ・ドラグニア』。
この国、ドラグニア王国の第二王子だ。
まだ幼い今だからこそ気をつけよう。
そう思ったのとほぼ同時に、私の意識は眠りによってぷっつりと途絶えたのだった……─────




