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そして食堂は戦場になる……と、予想される 1(ロイアス視点)




~そして食堂は戦場になる……と、予想される 1~




「お待たせいたしました、奥様。メリダ、只今参りました」

「同じくエルナ。奥様からのお呼びとあり、馳せ参じました」


呼び出しのノック音の直後。

出迎えるべく扉を開けた母上に、完璧な見本とも言える綺麗なお辞儀をしたのは、レーンの専属侍女であるメリダとエルナの二人だった。


「ごめんなさいね。メリダもエルナも。忙しいところだったでしょうに、ずいぶんと急がせてしまったようね」

「とんでもございません、奥様!」

「フローレンお嬢様のためとあらば、たとえどんなに忙しくとも飛んで参りますわ」


母上の言葉を慌てて否定するメリダと、レーンのためならば何が何でもやるといった意気込みを見せるエルナ。

本当に、レーンの侍女たちは主思いだ。


二人が入室してすぐに、母上はすぐさま二人に対面へとかけるよう促す。

テーブルを挟んだ反対側のソファーに僕と母上が並んで座ったことで、メリダとエルナもそれぞれ一礼してからゆっくりと腰を下ろした。

それを見届けてから母上が口火を切った。


「二人には急遽食堂の手伝いに入ってもらったわけだけれど、何か変わった点はなかったかしら?」


母上からのその問いかけに、メリダとエルナは同時に顔を見合わせた。


「わたくしどもから見た部分では特に変わったところは見受けられませんでした。ただ……」

「ただ? 何かしら?」


『続けてちょうだい』との言葉に、メリダは軽く頷き、それから再びエルナと顔を見合わせた。

どうやらこの件に関してはエルナの方が詳細を知っているらしい。


「食堂内の何かがおかしいといったことではありません。これは厨房内の片付けを手伝った際にシェフの一人から聞いた話になりますが、保管してあった調味料の一部が紛失したらしいんです」

「調味料が紛失? らしい、ということは本当に紛失したかどうかも分からないという状態なのね?」

「はい。滅多に使うことのない調味料でもあったために、ただ自分が忘れてしまっているだけで実際は片付けているのかもしれないとも言っておりました」

「滅多に使うことのない調味料……と、言っていたのね?」

「はい」

「どんなものかは訊いていて、エルナ?」

「さすがに名称は分かりませんでした。ですが、アルコールを摂取する際に軽く摘む料理に、ちょっとしたアクセントとして苦味を加えることがあるので、そのためだけに使う調味料だとも聞いております」

「苦味、ね……。こちらに関しては直接厨房のシェフから詳しい話を聞いた方がよさそうね。まさかとは思うけれど……悪用するために抜き取ったと考えられなくもないわ。ましてやそれが通常の料理に混入されたとなっては……大変どころの話では済まなくなってしまうものね」

「ええ。奥様のおっしゃる通りです。特に子どもの舌には耐え難いほどの苦味が現れるでしょうから」


苦味……か。

それも、子どもの舌には耐え難いほど強烈なもの。


その言葉を聞いた瞬間に思い当たったのは、昨夜のレーンの、あの様子だ。


「待ってくれ、エルナ。子どもの舌に耐え難いほどの苦味とは、具体的にはどれくらいの苦味になるんだ? 僕が口にするのも無理があるほどなのか?」


まさかとは思う。

けれど、何となく確信もしていた。

昨夜レーンが食事の席であるにも関わらず暴れたのは、それほどまでに耐え難い苦味を何とかしたかったからじゃないのか、と。

既に昨夜の時点で、レーンの食べた料理のいずれかに、その苦味成分の調味料を混入されていたのではないか、と。


「それは加える量にもよるかと思われます。どの種類の苦味調味料か分からないのでこれは憶測でしかありませんが、例えるとすれば……そうですね。まず、動物性のものから挙げていきますと……」


ここからはエルナに変わり、再びメリダが説明に入った。

一例として出てきた、様々な苦味を含んだ食物や飲料、香辛料、更には参考までにと染料の類の溶剤や薬剤なども挙げられ、それらの名称を聞いていくうちに段々と頭が痛くなってきたのが分かった。

隣に座る母上もまた同様に、頭痛を堪えるかの如くこめかみに手を当てて顔を顰めていた。


「大人でも食するのを躊躇する者が多いと言われるあの野菜の苦味が……」

「家畜動物や魚類の臓物(ワタ)部分とか……子どもの大半は無理だろう……」


別に食べられない、ということではない。

好き好んで食べないというだけで、決して自分から食べたいとは思わないものばかりが例えとして次々と挙げられていく。


それから、普通に口にすることはほぼ有り得ない染料に使われる溶剤のことを聞いた時は、想像しただけで口の中が苦味でいっぱいになってしまった。

尤も分かりやすかった例は薬剤だったわけだが、これに関しては苦さを知っていても必要とあらば口にするし、ましてや危険レベルの域に達しているわけでもないため、あくまでも溶剤と同じく苦味レベルの参考として挙げただけだと念を押された。



────薬の苦味の方がずっとマシだと思えるレベルの苦味料理って一体何なんだ……



想像するだけで気分が悪くなるくらいだ。

実際に口にしたら悶絶するだけで終わるとは到底思えない。

下手したら味覚が潰されるんじゃないのかと疑うレベルの危険物。

最早これは劇物だと断言したっていい。


おそらく顔色が悪くなっているだろう僕を見て、メリダが気遣わしげな表情で頭を下げた。

隣に座るエルナもまた同様に、気遣わしげな表情で僕と母上を見ている。


「申し訳ありません。例えを挙げるためだとはいえ、ご気分を害するようなことを次々と連ねてしまいました」

「いいえ、いいのよ。とても大事なことだから。それで、メリダ? その苦味調味料とは、摂取しても健康を害するということはないのね?」

「基本的には。あくまでも調味料ですから、一度に多くを摂取することはまずないと思われます。ただ……知らずに大量摂取してしまった時のことまではさすがに分かりかねる……といったところでしょうか。そのような例を聞いたことがありませんので」

「そうよね。普通に調味料を大量摂取するなんてことがまず考えられないことだし、二人とも調味料や食材に関しては専門外ですものね。やっぱり厨房のシェフから詳しい話を聞く必要があるわね」


メリダの言葉を聞いて母上が軽く溜息をついた。

ここでいくら推論を繰り広げていても何の解決にも繋がらないからだ。


「……ところで。なぜロイアス坊っちゃまは突然そのような疑問を私に……?」


エルナからの尤もな質問に、僕は真っ直ぐとエルナの目を見てこう言い放つ。


「昨夜の食事の席で、レーンに出された料理のいずれかに何らかの異物が混入されていたと僕は疑っている」

「!?」

「! それは、一体どういうことでございますか!?」


僕のその発言を耳にしたことで、メリダとエルナ双方に驚愕の表情が浮かぶ。

いつ何時も、動じずに冷静でいることが当たり前とされる侍女二人がその姿をかなぐり捨てるほどの衝撃だったらしい。


「昨夜、食事の席でレーンが倒れて頭を打ち、そのまま気を失って今日の昼すぎまで目覚めなかったことは二人とも知っているだろう?」

「もちろんでございます。お嬢様がお目覚めになられた直後のことは思い出すだけでも肝が冷えますわ。まさかあのような目覚め方をされるだなんて……」

「確かベッドから落ちて泣いたのだったわね」


くすくす笑いながらそう続けた母上を見て、メリダがギョッとした顔になる。


「笑いごとではございません、奥様。本当に……本当に、お嬢様が心配で心配で仕方がなかったのですよ?」

「分かっているわ、メリダ。すぐにエルナをやって、わたくしへと報告を上げてくれて、更には医師(せんせい)の手配までしてくれたじゃないの」


なんてことはない、とでも言いたげな表情でサラリと口にした母上ではあるが、それを聞かされているメリダとエルナは気が気じゃないだろう。

仕える主であるレーンが大変な状態であったというのに、その母親である当主夫人がこの様子なのだから。


まぁ……レーンが目覚めて、無事だと分かったからこそのこの状態なのだろうとは思うけど。


「母上、話が脱線しています。僕が言いたいのは、レーンが目覚めるよりもずっと前のこと。倒れるよりも更に前、食事の最中でのことなんです」

「あら。ゴメンなさいね、つい。それで、ロイアス? 食事の最中がどうだったというのかしら?」


『ゴメンなさいね』と謝りながらも、母上の表情は先ほどとちっとも変わらない。

メリダも言ったように、本当に笑いごとではないのだ。

重く考えすぎるのもどうか……という気持ちは分からなくもない。

だが、軽く見ていいことでないことも確かだ。

とはいえ、ここで母上のこの反応を逐一(あげつら)ったところで何の意味もない。

おそらくは言ったところで無駄になるだろう。

それが分かっていたため、気持ちを切り替えるべく軽く息をつき、僕は話を続けることにした。

あまり時間をかけてもいられないからだ。


「母上は食事中のレーンの様子を覚えていますか」

「ええ、もちろん。苦手な野菜をいつものようにお皿の隅に追いやって、親の敵でも見るような目で見ていたわね。そうそう、野菜をフォークで攻撃するみたいに何度も突いたりして、ヴェーダにお行儀が悪いと注意もされていたわ」

「あぁぁ……! フローレンお嬢様……食べものにそのようなことをしてはいけませんと、あれほどお教えしておりましたのに……」

「………………」


今度はエルナが頭を抱え込んでしまった。

そういえばエルナは、レーンの食育も任されていたのだったか。

野菜嫌いで偏食の過ぎるレーンに、このまままでは成長に悪影響があるとかで、無理なく苦手を克服できるよう、色々と考えて指導に当たってくれている真っ只中にあったはずだ。


エルナもまた色々と思うことはあるのだろうが、重要なのはそこではない。

いや、貴族令嬢としての行儀作法の点では大問題なのだが、今僕が問題視しているのはあくまでもそれではない、ということだ。

マナーの件は教育係である専属侍女やヴェーダの領分であって、僕が口を挟むところではない。

ゆえに、ここで僕がレーンの作法云々について語ることは何もない。


「……その部分については後にレーンとじっくり話をしてくれ」


このままではまた話が脱線するので強引に進めることにする。


「はっ!? 失礼いたしました、ロイアス坊っちゃま!」

「いや、いいんだ。根気よく教えている立場からすれば嘆きたくもなるだろう。とはいえ、僕が問題視しているのは、レーンの食事の席の作法のことではないということを二人には知っておいてもらいたい」


メリダとエルナ、双方に視線を向けたことで二人から真剣な表情での頷きが返った。


「畏まりました」

「承知いたしました」


スッと背筋を伸ばし聞きの姿勢に入ったことで、先ほどのどこかふわついた空気が一瞬にして霧散したのが分かった。

それは二人の態度から起きた変化ではなく、僕の隣に座る母上の纏う空気が変わったからだと、直接目にしなくとも理解できた。


「ロイアスの口振りから察するに、和やかに話せる内容でないことは間違いなさそうね」

「……最初から和やかに話せるとは思っていませんよ」


その空気を最初に作ったのは他でもない母上だと言いたくもなったが、時間が惜しいのでそれはしない。

できることなら、少しでも早く話を終えてその対策を練り、専属侍女二人の協力の下、レーンを守る方向で動きたいのだ。


「まず、昨夜の食事の席でのレーンの様子ですが、母上も言っていたように、嫌いな野菜を口にするのをかなり渋っていて、皿の隅の方に追いやってフォークで突いたり転がしたりして、しばらくは食べる気配がなかった」

「そうね。いつものことだから、ヴェーダに行儀が悪いと注意をされて、それでも尚食べ渋っていたのだったわね?」

「そうです。ですがレーンは、時間はかかっても最終的にはしっかりと食べるんです。どんなに苦手でも、嫌いでも。出されたものが、自分のために料理されたものだと分かっているから。自分のために、シェフたちがどれだけ手間をかけてくれているかを知っているから」

「……確かに。フローレンお嬢様は、どんなに苦手であろうとも、嫌いなものであろうとも、出されたお食事を残してしまわれることを非常に嫌がっておいででした。本当に無理であれば食べないという選択肢もあるのに『自分のために作ってもらったものを残すのは嫌だ』と言って泣きそうな顔をなさるんです。どんなに時間をかけても『頑張って最後まで食べるんだ』と、出された料理と向き合って、いつも残さずに最後まで食しておりましたから……」


僕の言葉を聞いてエルナが神妙に頷く。

レーンの食育を担当しているエルナだからこそ、レーンの食事の様子に関しては、ここにいる誰よりもエルナが詳しいのかもしれない。


なんだかんだで、家族が揃って食事をする機会は少ない。

それも殆どが夜に限られる。

朝は父上の仕事の関係上、家族全員が揃うことは難しく、また、レーンがまだ幼いこともあって、父上に合わせた早い時間に起こしてしまうのは忍びないということから、朝食はそれぞれ自由に、食堂だったり自室だったりと好きに摂っているのが現状だ。

昼に至っては完全にバラバラで、個人個人が自室で食事を摂るというのが主流になっている。

たまに家族の誰かと時間が合うことがあれば、サロンで軽食を一緒に摂ったりもするし、その日の天気次第では庭に出てピクニック感覚の昼食を楽しんだりもするのだが……それは本当に、本当に稀なことなのだ。


結局は夜以外の時間は一人で食事を摂ることが圧倒的に多く、朝食や昼食には、食堂の給仕担当の使用人ではなく専属の侍女や執事が付き従う形となる。

そういうわけで、レーンの場合は食育を担当しているエルナが常に付き添っている状態だ。

そして、レーンの食事の様子を見て、苦手の克服や摂取量の調整など色々考えてくれてもいる。

逐一見ているのだから、レーンが食事中にどんな様子でいるのかは全てエルナに訊いて確かめれば確実だ。


「エルナ、一つ確認したい」

「何でしょうか? ロイアス坊っちゃま」

「食事の最中にレーンが突然立ち上がったり、テーブル上のものを引っ繰り返すといった暴挙に出たことは?」

「!!」


僕の問いかけを聞いたと同時に、エルナの顔が驚愕の色に染まったのがハッキリと分かった。


「とんでもございません、ロイアス坊っちゃま! フローレンお嬢様がそのような暴挙に出られるとか有り得ません!」


若干青ざめているようにも見えるその表情のまま、エルナは大きく首を振り、即座に僕の問いかけを否定した。


「お食事の際はいつだって、苦手を少しでも克服できるよう真剣に向き合い、取り組んでいたのです! 中座はおろか、テーブル上のものを落としたり跳ね除けたりすることも、これまで一度たりともございませんでした!」


更には、どんなにレーンが真剣に食事のことに向き合ってきたかを力説までされてしまった。

それだけエルナが真剣にレーンと向き合ってくれていたということだ。

だが、このままエルナの力説が続いてしまえば、またも話が脱線してしまう。

申し訳ないが、この辺りでそろそろ黙ってもらわなければならない。


そう思い、エルナの話を止めるべく口を開こうとしたのだが。

僕よりも早く、メリダがエルナを止めにかかった。


「落ち着きなさい、エルナ。ロイアス坊っちゃまの話はまだ終わっていませんよ」

「! そうでした! 申し訳ありません、フローレンお嬢様のこととなるとつい……」

「……いや、構わない。僕が確かめたかったのはその部分なんだ」

「フローレンお嬢様がお食事の最中に暴挙に出られたことがあるか否か、ということでございますね」

「ああ。エルナの反応を見る限り、レーンは決してそのようなことはしないということがよく分かった。僕も母上も、レーンが食事中に暴挙に出るなど、未だ信じられない気持ちでいるから尚更だ」

「今、信じられない、と仰いました?」

「ああ」

「それは……お嬢様が昨夜のお食事の席で、暴挙に出られたということで間違いありませんか?」

「その通りだ。だからこそ、確かめたかった。本当に、レーンがそのようなことをするのかと。実際に目の前で起きたそれを見ていながら、それでも信じられなかったし、信じたくもなかったから」

「ロイアス坊っちゃま……」


今でもまだ信じたくない気持ちでいる。

だが、レーンが昨夜食事の席で暴れたことは確かな事実であり、その反動で倒れて頭を打ち、そのまま気を失ったこともまた事実だ。

信じるも何も、それが真実なわけだ。

あれは何かの間違いだと否定できるものなど何一つ存在しない。


だからこそ疑った。

レーンに()()()()()何かがあるのだと。

疑ったというよりは、ほぼ確信していて、決定打と呼べる最後の一手が欲しかっただけだと言う方が正しいか。


「エルナ。一番最初に言っていたな? 子どもの舌には耐え難い苦味だと」

「はい」

「ではそれを前提に置いて想像してみてほしい。耐えられないほどの苦味を口にした時、幼い子どもはどのような反応を示すのか」


僕の言葉を聞いて、エルナもメリダも軽く眉を寄せながら思考する。

実際に大人とも言える年齢の二人からすると、レーンのように幼い子どもが耐えられないような苦味を口にした状況を思い描くのは難しいことなのかもしれない。


「……まずは、口にしたものを吐き出す、といったところでしょうか」

「そうですね。苦味そのものを追い出そうとして、口から出すことが考えられます」

「次に、泣く。イヤイヤをする。そのまま食事の席から逃げることもするでしょうし、最悪、料理そのものを食べられなくするために食器ごと引っ繰り返すという可能性も高いですね」


昨夜のレーンに当てはまったのは半分、といったところか。

口にした料理を吐き出すことはしなかったが、その後の食事を嫌がり、叫んだ。

その直後、突然立ち上がり、テーブルクロスを強く引くことでテーブル上の食器類を引っ繰り返したり、床に落としたりと散々な状態に変えてしまったのだ。


自分の食器だけならまだしも、そこには母上や僕の分の食器も並んでいたのだ。

それを、自分の目の前の食器だけを払い除けるのではなく、わざわざテーブルクロスごと強く引いて母上と僕の食器までをも引っ繰り返してしまった。

そのことに、今更ながらに疑問が浮かぶ。

なぜ、()()()()()()でなく、僕たちの分までそうする必要があったのか……という、疑問が。


「ほぼ当てはまっているじゃないの。レーンが野菜を口にした直後から食事を嫌がって叫んだのも。テーブルクロスを掴んでテーブルの上を無惨な状態へと変えてしまったのも。暴れてしまわなければやっていられないくらいに、耐え難い苦味を味わったのでしょうね」


僕の考えを肯定するように告げられた母上の言葉は、静かで淡々としていた。

表情の変化はあまりない。

どこか一点を見つめたまま思考に耽る母上は、その視線の先に一体何を見ているのだろうか。

そこに、誰の姿があるのだろうか。


「……もしかしたら。レーンは、自分が味わった苦味が、わたくしやロイアスの料理にもあるものだと思ってああしたのかもしれないわね。あの子は優しい子だから。自分が嫌だと思うことは決して人にすることはないもの。だからこそ、自分が嫌だと思った苦味を、わたくしやロイアスが口にすることを嫌がって、テーブル上の食器という食器を全て引っ繰り返すという暴挙に出たのかもしれないわ」


ここにきて、疑いは完全に確信へと変わっていた。

レーンの食事に混入された異物は、シェフが紛失したかもしれないとされる苦味調味料。

混入するタイミングは、給仕の段階、おそらく提供する直前だと思われる。


それをやる人物はあの女以外に考えられないが、現時点ではあの女がやったという確実な証拠がないのが痛いところだ。

決定的な証拠を押さえない限り、状況証拠だけで糾弾するのは無理がある。

強引にそうできないこともないが、それをやれば、あの女はまた生家のカナッツ子爵家のことを上げてきて、面倒な状況が更に面倒なことになること間違いなしだ。


「……確かレミアは、昨日の朝の時点で食堂の給仕を担当させることで話をつけたばかりだったわね」

「では、フローレンお嬢様の給仕を担当したのはレミアで間違いないのですね?」

「そうだと言いたいところだけれど……それが確実でもないのよ」

「どういうことですか、奥様?」

「食堂の給仕を担当する者から上がった報告では、昨日の朝にわたくしがあの者に食堂の給仕係に当たるよう言い渡した後、だいぶ荒れていたらしいのよ。そのような状態で仕事に当たっていては、粗相をしないとも限らないでしょう? だからしばらくの間は他の給仕係の補助的な仕事をしてもらうことになったという話だったのよ」

「…………なんですか、それ。心底呆れますね」

「……エルナ」

「メリダさんもそう思いませんか? メリダさんの目から見て、あのレミアが真面目に仕事をこなしていたことなんて一度だってありましたか? それを注意したところで全く聞きやしませんし、逆に生家のカナッツ子爵家のことを幾度となく持ち出す始末ですよ? それを声高に主張して、他の使用人の皆さんを精神的に追い詰めて、仕事に支障を来していたではないですか」

「……それは、まぁ……確かに」

「『生家が子爵家だから一体何?』って感じですよ、全く。オンディール公爵家の使用人として、同じ立場で働いている身であるというのに、それが全く分かっていないんです、あの者は。生家のことを上げて自分は別格だと言わんばかりの態度はいつものことです。それで周りが思う通りに動くと本気で思っているんです。頭が残念なんです。生家の名を盾にして好き放題するなんて愚の骨頂。家のことを引っ張り出して来るのなら、私だって同じことをして黙らせてやりたいほどですよ。あの者と同じレベルになど堕ちたくはありませんから、決してやろうとは思いませんけれど!」

「……分かりましたから、エルナ。それ以上は、もう……いいでしょう? 憤る気持ちは痛いほどよく分かるけれど、さすがにそれ以上のことは、今この場で……奥様やロイアス坊っちゃまの目の前で言うことではないのでは?」


同意はするものの、母上や僕の前で話すことではないだろうと、メリダがエルナを窘める。

普段だったら、使用人間の愚痴の言い合いなどは他所でやってくれと言いたいところだが、今回ばかりは例外だ。


「大変失礼いたしました、ロイアス坊っちゃま。常日頃の鬱憤をここぞとばかりに……」

「いや、構わない。寧ろ、逆に聞かせてもらいたいくらいだ。使用人間の事情は、僕は殆ど何も知らないのと同じだ。大げさかもしれないが、今回のことは緊急を要することだと僕は思っている」


幼いレーンを守るために必要なことだ。

多少強引になろうとも、それでレーンが守れるのであれば構わないとさえ思っている。


「今の口振りから察するに、エルナもあの女に随分と迷惑をかけられているようだな」

「迷惑などとかわいいものではございませんよ。あれはもうほぼ公害と言ってもいいレベルの、嫌がらせの集大成ですわ」

「……まあ! そんなに酷かったの? レーンのことで報告を上げてくれた際に、一緒に言ってくれてもよかったのに」

「いえ、それには及びません。私にとって、何があっても最優先されるべきはフローレンお嬢様の身の安全です。私にかかる厄災など、それに比べたら些末事以外の何者でもありませんわ」

「レーンのためにそこまで言ってもらえるのは嬉しいけれど、わたくしはエルナ、あなたのことも大事なのよ? 一使用人として仕えてくれているけれど、あなたはネイファード伯爵家から預かった、大事な大事な身なのですからね」

「有り難きお言葉です、奥様。ですが、今の私はオンディール公爵家に仕える一使用人であり、大事なフローレンお嬢様のお世話を任された侍女でもあります。そこに、我が家、ネイファードは何の関係もございません。ですから、奥様。どうか私のことは、エルナ・ネイファードではなく、フローレンお嬢様の一専属侍女のエルナとして扱ってくださいませ」

「……本当に。あなたは優秀すぎるわ、エルナ」


全くだ。

あの女と比べるべくもない。


「奥様、ロイアス坊っちゃま。一つお願いがございます」

「何かしら、エルナ」

「お願いというのは?」


突然のエルナからの申し出に、母上にも僕にも疑問が浮かぶ。


「先ほど伺った話の中では、フローレンお嬢様に出された料理に苦味調味料が混入されたことは間違いないということでした。ですが、実際にそれを()()()()()()()人物については、確証があるにも関わらず、現状では決定的な証拠がない。ゆえに、下手に動けない状態にあるのだとお見受けしました」

「その通りだ。状況証拠だけで押さえ込むには弱すぎる」

「あの者を押さえる役目、どうか私にお任せいただけませんか? 決定的な証拠を押さえてみせます」

「エルナ、あなた……」

「例えどんな手段を用いてでも。あの者を底辺まで引き摺り落としてご覧にいれますわ」


そう言い切ったエルナの目は、いつになく挑戦的で、それでいて攻撃的でもあった。



────ああ、これは荒れるな……



そんなエルナを見ながら、僕は漠然とそんなことを思った。


この後、確実に食堂は荒れる。

それだけは間違いない、と。


寧ろそれが当たり前に思えるほどの何かが、この時のこの部屋の空気にはあったのかもしれない……─────










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