第五章15 これから
戦いを終え、しばらく茫然としていたミコトたちを現実に引き戻したのは、開始五十五分を知らせる六回目のスキャンだった。
「終わった……んだよね?」
じっくりそれを眺めて、リョウカはそう言ってユウの方を窺った。
おそらく終わったのだろうが、実感はまだまだ湧きそうにない。少なくとも、ゲームが完全に終わるまで油断してはいけない――というのは、第二ゲーム以降リョウカがずっと胸に抱いている戒めだ。
「まあ少なくとも、赤い点が他に無いのは間違いないし、俺の索敵にも誰も引っかかってないよ」
ユウもスキャン結果をじっくりと眺めた上で、そう言って手に持ったままだった聖剣を軽く掲げて見せた。ジャラリと音を立てる鎖はリョウカの持つ聖剣と繋がっていて、もちろんリョウカも同じように感じている。
彼に問いかけたのは、ただその感覚を肯定してほしかっただけだ。
「これからリョウカを退場させれば、ハッキリするけどな」
リョウカが退場した時、ゲームが終了すれば良し。そうでなければ、まだ他の敵が居るということだ。
「そう……ですね」
ミコトとユウ、アカリとリョウカはこのゲームにおいて別のチームだ。アカリは既に退場しているが、リョウカが退場しない限りゲームが終わることはない。
なんとも複雑な心境だ。
ある意味、このゲームを終わらせるのがリョウカということになり、それは嬉しいような気がする。
しかし一方で、もし自分が退場して、ゲームが終わらなかったら。それは、最後の最後でユウたちの力になれなかった、ということになる。
早く退場して安堵したいという気持ちと、退場して後悔したくはないという不安と。二つの感情がせめぎ合い、リョウカはぐるぐると頭を悩ませる。
「……。不安なら、一応会場を全部見て回るか? かなり広いけど、聖剣持って全員で走ればそんなに掛からないだろうし」
そんなリョウカを見かねたのか、ユウは少し考えるような素振りを見せた後そう言った。
「うん、それくらい用心深くてもいいんじゃないかなあ。何もないならそれでいいし」
その話を聞きつけたミコトが、鎖をじゃらつかせて伸びをした。
放っておけば、すぐにでも歩き出しそうな様子だ。
「あ……ミコト、待って。アカリは連れて行かない方がいいんじゃない?」
しかしふと思い付いて、リョウカはそう言って彼を引き止めた。
「確かに。じゃあ、ミコトはここでアカリと待機。俺とリョウカで見回って、何かあればテレパシーで。それでいいか? ああ、ツカサもついでに連れて行こうか。他の退場した人と同じところに居てもらった方がいいし」
ユウがすぐそれに同調し、具体的な動きを提案する。テキパキとした彼の物言いに、ミコトもアカリも流されるままにコクリと頷いた。
「よし、じゃあそういうことで。行こうか、リョウカ。ツカサもいいか?」
「うん」
「分かりました」
ミコトとアカリの、「行ってらっしゃい」と仲良く揃った声を背に受けながら、リョウカはユウと共に、少し後ろにツカサを連れて歩き出した。
*************
「……リョウカ、二人に気を遣ったでしょ」
しばらく歩いた後、ユウはおもむろに口を開いた。
「……やっぱり、分かりました?」
リョウカは案の定、にやっと笑ってそう答えた。
「あの二人もようやく、何の気兼ねもなく触れ合えるからな。少しくらい、そういう時間があったっていい――俺もそう思うよ」
ユウはそう言って、リョウカの思い遣りに同調する。あれだけお互いの気持ちが丸分かりだと、周りの方が気を使うというものだ。
それに、これから――
「実際、アカリが動かない方がいいのも事実ですしね。広場なら、急に襲われるようなこともないでしょうし」
「それはまあ、そうだな」
ユウの思考を、アカリの言葉が遮った。建前もいいところの発言で、ユウは苦笑しながらそれに答える。
「ところでツカサ。第五ゲームで、何人消したか覚えてるか?」
「あ……」
その上で、リョウカの建前を無に帰す問を投げた。
ツカサがその人数を覚えていれば、わざわざこうして見回る必要が無かった可能性がある。
ミコトたち四人とツカサ、そして退場した六人。第五ゲームは全体で六十四人参加していたという話だから、ツカサが五十三人消していれば残りは誰も居ないということになる。
気付きの声を上げたリョウカの少し後ろから――
「五十三人、ですね」
果たして、ツカサが無情にもそう答えた。
「……まあ、いいじゃない。あの二人へのご褒美ってことで」
「まあな」
若干気まずそうな表情をした後、すぐに気を取り直した様子でリョウカはそう片付けた。
その答に、ユウも笑ってそう返す。
実際、ツカサとの戦いにおけるMVPは、間違いなくあの二人だろうし。
「っていうか。覚えてたんですね……消した人の数」
そして不意に、リョウカがそう言ってツカサに視線を投げた。
ユウは十中八九覚えていると思って訊いたのだが、リョウカからすれば意外だったらしい。
全部で六十四人と分かっているなら、数えておけば残りの人数を把握できる。戦略的な目で見れば、数えるのがむしろ当たり前だ。
「ええ、もちろん。……忘れるわけには、いかないでしょう」
しかしそれに対するツカサの答は、どうやら戦略的な話ではなかったようだ。
彼は、根っからの悪人ではない。むしろ善人で、誰かを消すことにずっと罪悪感を覚えながら戦ってきたようだ。
それでも願いを叶えるために、必死で平気なフリをして、心をひた隠して。
「……そうだな」
ユウは、自分の胸にちくりと刺さる棘を意識しながら、短くそう発した。
――彼を倒して、その願いを絶ったくせに。
俺は、これから――
「さて……ここでいいんですか?」
「……ん、ああ。気付いてたんだな」
思考に沈んでいたユウは、ツカサが声を上げたのを聞いてようやく、自分たちが目的地に着いていたことに気が付いた。
umiの三階奥、退場者が集まっているゲームセンターだ。
「ええ、索敵した時に。では、僕はここで彼らと一緒に待機しますが……」
ユウの言葉に答えつつ、ツカサはユウの顔をしげしげと眺めた。
突き刺すような、値踏みするような、それでいてどこか悲しげなその視線に、ユウはぎくりとする。
心の中を覗き込まれたような、見透かされたような、そんな感覚。
あるいは彼には、最初から見えていたのかもしれないが。
「……いえ、何でもありません。早く戻ってあげてください」
やがて彼がそう言って視線を外しても、ユウはしばらく彼を見つめたまま固まっていた。
どくどくと、心臓が大きく脈打っている。
「……ユウ?」
「……ああ、そうだな。……戻ろう」
リョウカに呼びかけられてようやく彼から視線を外し、しどろもどろに答えながら歩き出した。
「ユウさん。貴方は、僕と同じ……」
その背を見送ったツカサが呟いた言葉は、誰の耳に届くことも無かった。
****************
むず痒い沈黙が、二人の間に流れる。
ミコトもアカリも、お互いの方を窺いながら口を開くタイミングを計っていた。
思えば、イマジン鬼ごっこが始まってから、こうしてゆっくり二人きりになる機会は無かった。
しかも、第三ゲームでのミコトの宣言もある。二人きりになれて嬉しい反面、気恥ずかしさが先行してどうにもソワソワしてしまう。
「どうなるのかな」
そんな沈黙を破ったのは、アカリの方だった。
「どうなる……?」
投げられた問を、ミコトは飲み込む前に吐き出し返す。
「うん。このゲームが終わったら、どうなるのかなって」
答える彼女の悲しげな表情を見て、ミコトはようやく彼女の言いたいことを察した。
「きっと、今まで通りじゃいられないよね。消えた人たちが帰ってきたって……誰かを消したことは、忘れられないから」
「……うん」
アカリの言う通りだ。
命を救ったところで、心までは救えない。誰かを消した罪は消えないし、誰かに消された恐怖も消えない。
よくよく考えれば、消えた人間の八割近くは、第一ゲームでクラスメートに消されているのだ。
今まで通りに暮らしていくなんて、どう考えても不可能だった。
「たぶん、いっぱいイヤなことが起こるよね。ケンカとか、いじめとか、そういうの……」
「そう……かもね」
彼女を思って控えめに答えるが、間違いなくそうなるだろう。
自分や自分の大切な人を消した相手を許せるはずもないし、消した相手を見下すような人も居るかもしれない。
止むに止まれずとは言え、そうしなければ自分がやられていたとは言え、お互いに、殺意を持って向かい合ったのだ。
たとえどれほど取り繕ったって、遺恨は残る。
「……ならいっそ、このゲームの記憶を消してもらう? いや、そもそもこれ自体を無かったことにすれば――」
と、思い付いたミコトの案は――
「ダメ!」
アカリが上げた、大きな声に否定された。
「それはダメだよ……ううん、ダメじゃないかもしれないけど……私は、イヤなんだ」
「どうして……?」
どうして。全部無かったことになれば、全て元通りになる。
彼女がそれを否定する理由を、ミコトは訊ねた。
「だって……イヤなことも、怖いことも、辛いことも、いっぱいあったけど。嬉しいことも、あったんだよ」
そして、彼女は語り始める。
「ミコトくんが『私を守る』って言ってくれて、すごく嬉しかった。ミコトくんの昔の話が聞けて、悲しかったけど嬉しかった。ユウくんと仲良くなれて、『ハナちゃん』って呼んでもらえて嬉しかった。タイジュくんと知り合えたし、リョウカちゃんとも仲良くなれた。他にも、たくさん。それに――」
ゆっくりと、一つ一つを思い返すように。アルバムのページをなぞるように。酷く優しい声で、彼女は並び立てた。
そこで言葉を切ると、たっぷりと感情を込めて。
「最後の最後で、ミコトくんの役に立てた。それがとっても、嬉しかったんだ」
彼女は、一番の優しい声を出した。
もちろん、ミコトだって嬉しいことはあった。今まさに、彼女が言ってくれていることもそう。
だが彼女の話はまだ終わらず、目を瞑ってこう続ける。
「それにね、悲しいことも、忘れたくないの。世の中には、こんなに悲しいことがあるんだって。こんなにも辛いことがあるんだって。私はそれを、忘れたくない。だって……」
嬉しかったことを忘れたくない。それは当たり前のことだ。
しかし彼女は、悲しかったことも忘れたくないと言う。
「悲しいことを知ってれば、それだけ優しくなれると思うから。誰かが悲しんでるときに、それを分かってあげられる。手を伸ばせる。そう、思うから」
そして告げられたその理由は、どこまでも優しく、どこまでも美しく、どこまでも彼女らしかった。
「……やっぱり、ハナちゃんは凄いなあ」
ミコトは、震える声でそう呟く。
彼女はずっと、変わっていなかった。これだけ沢山、過酷な出来事が起こっても。
あの時――このゲームが、始まる直前。ミコトは何もできなかったけれど、彼女は違った。
声を上げ、人と向き合い、たった一つの勇気だけで、何かを変えようと立ち上がった。
その時の勇気を、強さを持ったまま。
彼女はずっと、ミコトの隣に居てくれたのだ。
そう思った途端、ミコトの身体は勝手に動いた。
「ミ、ミコトくん――!?」
耳元で、アカリの驚く声が聞こえる。しかし構わず、ミコトは腕に力を込めた。
彼女を抱きしめ、離さないようにしっかりと。
「ありがとう。ずっと、僕の傍に居てくれて。ハナちゃんが居たから、ここまで来れたよ」
『どこまででも歩いていけそうな気がした』。あの時思ったそんな予感は、しっかりと当たっていた。
遥か遠くに思えた、最後のゴールまで。彼女と一緒に、ミコトは歩いてこれたのだ。
ミコトが万感の思いを込めて、素直な気持ちを伝えると。
「えへへ……嬉しい。すごく嬉しい。今まで生きてきた中で、一番嬉しいよ」
締まりの無い声で笑った後、アカリはそう言ってミコトの背中に腕を回し、強く、強く抱きしめ返してくれた。
腕の中に、アカリの温もりを感じる。それは春の日差しのように柔らかくて、温かくて、とても優しかった。
「うん。……ハナちゃん」
そしてミコトは、少し腕を緩めて、アカリの顔を近くで覗き込んで。
「大好きだよ」
感情が溢れるままに、躊躇わずに言葉に乗せた。
アカリの目が大きく見開かれ、口が少し開いて。
「……一番、もう更新されちゃった」
彼女はにっこりと、この上なく幸せそうな顔で笑った。
そして二人は、再び強く抱きしめ合う。
「……本当はずっと、こうしたかったんだ」
「僕もだよ。……でも、さっきドサクサに紛れてしてなかった?」
「もう、それ言っちゃダメだよ」
「ごめんごめん。じゃあ、お詫びに」
そんな言葉を交わした後、ミコトは再び腕を緩めて。
彼女の唇に、自分の唇を重ねた。
「ねえ、どこまで更新すれば気が済むの?」
「そうだなあ。これから、いっぱい時間はあるし。行けるところまで行きますよ」
このゲームが終わって、これから先に待っている人生。
それだけあれば、彼女を世界で一番幸せにもできるかな――なんてことを考えながら。
涙を目に浮かべて訴える彼女にそう答えると、ミコトはもう一度、ゆっくりと彼女に口付けた。




